地霊殿は、音を吸い込む建物だった。
赤い絨毯は足音を沈め、
高い天井は気配を溶かす。
燐に案内され、霊夢と魔理沙は応接間へ入る。
中央の椅子に座るのは
古明地さとり 。
第三の目が、静かに揺れている。
「いらっしゃい、博麗の巫女。霧雨魔理沙」
霊夢は前に立つ。
魔理沙は壁にもたれかかる。
「旧都が静かね」
霊夢が言う。
「ええ」
さとりは穏やかに答える。
「鬼の宴が三日続かないのは、珍しいことです」
燐が腕を組む。
「怨霊も妙だ。命令の通りに動かない」
「鈍いのよ」
霊夢が言う。
魔理沙が首を振る。
「いや、鈍いってより……薄い」
さとりの第三の目が、わずかに脈打つ。
「その表現は、正しいかもしれません」
沈黙。
部屋の奥の時計が、かちり、と鳴る。
次の音が来ない。
燐が振り返る。
「……また止まった」
「最近多いの」
さとりは淡々と言う。
「時間の流れそのものが乱れているわけではありません。ただ――」
「ただ?」
「数が、合わないのです」
霊夢が視線を向ける。
「数?」
「地底の怨霊の総数は、おおよそ把握しています」
「管理してるのか」
魔理沙が半ば感心したように言う。
「ええ。放っておくと地上へ溢れますから」
さとりは机の上に手を置く。
「ですが、ここ数日で、数が減っています」
霊夢が眉を寄せる。
「退治された?」
「いいえ」
燐が即座に否定する。
「あたいはやってない。勝手に消えてる」
その言葉に、部屋の空気がわずかに冷える。
「消えてる?」
霊夢が低く問う。
燐は言葉を探す。
「いなくなる、って言うか……」
「さっきまでいたはずのやつが、いない」
魔理沙が鼻を鳴らす。
「地底から逃げたんじゃないのか?」
さとりが静かに首を振る。
「地上へ向かった形跡はありません」
「跡が、残らないのです」
霊夢は黙る。
里の夜を思い出す。
“静かだ”と言っていた人間たち。
何が静かか、思い出せなかった顔。
さとりが続ける。
「鬼も同じことを言っています」
『何かが足りない』
「ですが、何が足りないのか分からない」
魔理沙が視線を逸らす。
「……地上でも似たようなことがあった」
霊夢はちらりと見る。
魔理沙は曖昧に言葉を濁す。
「夜が静かだってさ」
「でも、何が静かなのか分かってなかった」
さとりの目が揺れる。
「思い出せない、のですね」
霊夢が即座に言う。
「違うわ」
だがその否定は、わずかに速い。
さとりはそれを追及しない。
「地底でも、似た現象が起きています」
「怨霊だけではありません」
「妖怪も、です」
燐が小さく呟く。
「この前、旧都で顔なじみを見かけなくてさ」
「名前は出てくるのに、姿が思い出せない」
魔理沙が苦笑する。
「地底にもボケが回ったか?」
だが誰も笑わない。
さとりが静かに言う。
「存在は、他者の認識と無関係ではありません」
霊夢の目が細くなる。
「どういう意味?」
「地底は閉じた場所です」
「外からの影響を受けにくい」
「ですが同時に、内部の均衡が崩れれば、逃げ場がない」
魔理沙が腕を組む。
「均衡が崩れてるって?」
さとりは少し考え、
「……“固定されていたもの”が、揺らいでいます」
とだけ言った。
霊夢の胸に、かすかな引っかかり。
だが、掴めない。
燐が不安げに尻尾を揺らす。
「さとり様、炉心も少し変なんだ」
「温度が、ほんの少しだけ安定しない」
魔理沙が顔を上げる。
「核が?」
「暴走じゃない。でも、波がある」
さとりは立ち上がる。
椅子が静かに鳴る。
「地底の基盤は、炉心です」
「そこが揺れれば、上も揺れる」
霊夢は頷く。
「行きましょう」
魔理沙が帽子を被り直す。
燐が先導する。
扉の前で、霊夢が一瞬だけ振り返る。
応接間は整然としている。
何も変わらない。
だが。
そこに“あるはずの何か”が、
少しだけ欠けている気がした。
何が、と問われても答えられない。
ただ、数が合わない。
四人は炉心へ向かう。
地霊殿の廊下は、どこまでも静かだった。