東方幻忘霧   作:居酒屋の枝豆

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12「燐壊」ー火焔猫の存在ー

橋を離れてから、誰も振り返らなかった。

 

振り返れば、何かが決定的に抜け落ちる気がした。

 

地霊殿へ戻る道は、いつも通りだった。

 

岩壁は赤く、熱を帯びている。

硫黄の匂いも変わらない。

 

だが足音が、少ない。

 

広間に入る。

 

灯りはついている。

床も磨かれている。

 

それなのに、広い。

 

「……静かですね」

 

火焔猫燐 が言う。

 

霊夢は短く答える。

 

「そうね」

 

燐は首を傾げる。

 

「前から、こんなでしたっけ」

 

魔理沙が即座に言う。

 

「違う」

 

燐は少し困った顔をする。

 

「でも……」

 

言葉が続かない。

 

奥で、

古明地さとり が立ち止まる。

 

第三の目は閉じたまま。

 

「橋では、何がありましたか」

 

霊夢は答える。

 

「消えた」

 

一拍置く。

 

「二人」

 

燐が瞬きをする。

 

「誰がです?」

 

霊夢は口を開き、止まる。

 

名前を言おうとすると、輪郭が揺らぐ。

 

それでも言う。

 

「橋の妖怪と、土蜘蛛」

 

燐は考える。

 

真剣に。

 

やがて、ゆっくり首を振る。

 

「……そんなの、いましたっけ」

 

空気が重くなる。

 

魔理沙が睨む。

 

「いた」

 

さとりが静かに言う。

 

「いました」

 

その声は断定だ。

 

だが確信の色は薄い。

 

燐は不思議そうに笑う。

 

「思い出せません」

 

霊夢は燐を見る。

 

違和感。

 

ほんのわずか、輪郭が曖昧だ。

 

気のせいかもしれない程度。

 

「燐」

 

霊夢が呼ぶ。

 

燐はすぐ振り向く。

 

「はい?」

 

普通だ。

 

いつも通りだ。

 

だが床に落ちる影が、薄い。

 

さとりがゆっくり言う。

 

「最近、地霊殿の人数が合いません」

 

魔理沙が顔を上げる。

 

「合わない?」

 

「数を思い出せないのです」

 

さとりの声は平坦だ。

 

感情を抑えている。

 

燐が笑う。

 

「そんなに多くないですよ」

 

「私と、……」

 

そこで止まる。

 

「……あと」

 

言葉が続かない。

 

霊夢の背筋が冷える。

 

「続けなさい」

 

さとりが促す。

 

燐は額に手を当てる。

 

「……あれ」

 

小さく呟く。

 

その瞬間。

 

燐の指先が、透けた。

 

ほんの一瞬。

 

すぐ戻る。

 

魔理沙が息を呑む。

 

霊夢は即座に言う。

 

「火焔猫燐」

 

強く、名前を言う。

 

燐が目を見開く。

 

「あたいは、燐です」

 

輪郭が、わずかに濃くなる。

 

だが安定しない。

 

燐は自分の手を見る。

 

「今、薄くなりました?」

 

誰も否定できない。

 

さとりが一歩近づく。

 

「燐」

 

その声は、わずかに震えている。

 

「あなたは、ここにいます」

 

燐は笑う。

 

「いますよ」

 

だがその笑顔に、確信がない。

 

広間は静まり返っている。

 

動物のざわめきが、少ない。

 

火葬炉の音だけが響く。

 

燐がぽつりと呟く。

 

「……減ってますね」

 

霊夢が問う。

 

「何が」

 

燐は周囲を見回す。

 

「なんとなく、です」

 

「前はもっと、にぎやかだったような」

 

魔理沙が低く言う。

 

「減ってる」

 

燐は考える。

 

そして、小さく首を振る。

 

「そんなに、いましたっけ」

 

その言葉と同時に、

 

燐の足元が、わずかに透けた。

 

床の模様が見える。

 

さとりの第三の目が、ゆっくり開く。

 

読む。

 

だが――

 

すぐ閉じる。

 

読めない。

 

そこにあるはずの“何か”が、薄い。

 

「……分からない」

 

さとりが呟く。

 

霊夢が見る。

 

初めてだ。

 

さとりが、理解できない顔をしている。

 

燐がさとりを見る。

 

「さとり様」

 

少しだけ、不安そうに。

 

「私、いますよね?」

 

さとりは迷わない。

 

「います」

 

その一言で、輪郭が踏みとどまる。

 

だが、完全ではない。

 

薄くなり、戻り、また薄くなる。

 

地霊殿は静かだ。

 

嫉妬も、病も、もうない。

 

そして今、火車の姿が揺れている。

 

霊夢は思う。

 

原因は分からない。

 

だが確実に、何かが削られている。

 

次に数えられなくなるのは、

 

名前か。

 

それとも。

 

存在そのものか。




「燐壊」で「りんかい」って読みます。
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