東方幻忘霧   作:居酒屋の枝豆

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13「視埋」ーさとりの妹「こいし」ー

地霊殿の廊下は長い。

 

赤い石壁が、淡く脈打っている。

 

足音は四つ。

 

霊夢。

魔理沙。

燐。

そして――

古明地さとり。

 

静かだ。

 

本来なら、もう一つ気配がある。

 

無意識にふらりと現れて、

ふらりと消える影。

 

だが今はいない。

 

「……お空は?」

 

燐が言う。

 

さとりが答える。

 

「炉心の様子を見ています」

 

短い返事。

 

自然だ。

 

霊夢は歩きながら言う。

 

「他に誰がいた?」

 

燐は振り向く。

 

「他?」

 

「ここに住んでるの」

 

燐は指折り数える。

 

「さとり様と、あたいと、お空」

 

止まる。

 

それで終わり、の顔。

 

霊夢は足を止める。

 

「それだけ?」

 

燐は首を傾げる。

 

「他にいましたっけ」

 

魔理沙がさとりを見る。

 

さとりは無言。

 

第三の目が、かすかに揺れる。

 

霊夢は、はっきり言う。

 

「……妹」

 

その一言で、空気がわずかに重くなる。

 

燐が瞬きをする。

 

「妹?」

 

さとりの足が止まる。

 

ほんのわずかに。

 

霊夢は続ける。

 

「いたでしょ」

 

「あなたの」

 

さとりの呼吸が浅くなる。

 

魔理沙が小さく言う。

 

「おい」

 

さとりは、静かに目を閉じる。

 

記憶を辿る。

 

確かに、いる。

 

はずだ。

 

笑わない少女。

 

無意識の妖怪。

 

地霊殿の、もう一人。

 

名前は――

 

そこが、白い。

 

一瞬。

 

本当に一瞬だけ。

 

空白。

 

霊夢は見逃さない。

 

「……さとり?」

 

さとりが目を開く。

 

いつもの表情だ。

 

だが、ほんのわずか、遅い。

 

「います」

 

即答する。

 

「私には、妹がいます」

 

声は安定している。

 

だが燐は困った顔をする。

 

「地霊殿に、もう一人?」

 

霊夢が言う。

 

「無意識を操る妖怪」

 

燐は首を傾げる。

 

「そんなの、見たこと……」

 

そこで止まる。

 

見たことが、ない?

 

本当に?

 

燐の額に皺が寄る。

 

「……あれ」

 

床に落ちる燐の影が、揺らぐ。

 

魔理沙が低く言う。

 

「まただ」

 

さとりが燐を見る。

 

だがすぐ、視線を逸らす。

 

読まない。

 

今、読むのが怖い。

 

霊夢はさとりを見る。

 

「名前は?」

 

短い問い。

 

さとりは即答するはずだった。

 

何度も呼んできた名だ。

 

喉まで出かかる。

 

だが。

 

ほんの一拍。

 

遅れる。

 

「……こ」

 

音が途切れる。

 

その瞬間。

 

廊下の空気が冷えた。

 

燐がきょとんとする。

 

「こ?」

 

さとりの第三の目が、大きく開く。

 

強く、自分の記憶を読む。

 

いる。

 

確かにいる。

 

笑わない妹。

 

扉を閉じたままの少女。

 

名前は――

 

「こいし」

 

ようやく言葉が落ちる。

 

古明地こいし。

 

その名を口にした瞬間、

 

空気がわずかに戻る。

 

燐が首を傾げる。

 

「……そんな妖怪、いましたっけ」

 

霊夢の背筋が冷える。

 

魔理沙が舌打ちする。

 

「おいおい」

 

さとりは燐を見る。

 

ゆっくりと。

 

「います」

 

今度は迷いがない。

 

「私の妹です」

 

その断言で、何かが踏みとどまる。

 

だが。

 

さっき、確かにあった。

 

空白。

 

ほんの一瞬、

名前が抜け落ちた。

 

霊夢は理解する。

 

中心まで来ている。

 

外縁から削られていたはずの忘却が、

今、核に触れた。

 

燐がぽつりと言う。

 

「……地霊殿、四人でしたっけ」

 

誰も答えない。

 

数を確定させるのが、怖い。

 

廊下の奥で、炉心が脈打つ。

 

熱はある。

 

光もある。

 

だが、何かが足りない。

 

霊夢は静かに言う。

 

「急ぐわよ」

 

理由は言わない。

 

言えない。

 

次に抜けるのは、

 

名前か。

 

それとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、目を閉じる。

 

閉じているほうが、楽だから。

 

誰も見ない。

 

誰も気にしない。

 

それが普通。

 

だってわたしは道端の小石だもの。

 

でも。

 

今日は、少し違う。

 

背中が、あったかい。

 

炉心の熱とは違う。

 

視線みたいなもの。

 

振り向いても、誰もいない。

 

お姉ちゃんも、燐も、いない。

 

廊下は静か。

 

でも、ある。

 

“こっち”を向いている何か。

 

地底の気配じゃない。

 

怨霊でもない。

 

妖怪でもない。

 

もっと、遠い。

 

もっと、外。

 

わたしは首を傾げる。

 

あれ。

 

わたし、見えてる?

 

お姉ちゃんには見えにくいはず。

 

地上の巫女にも、たまにしか。

 

なのに。

 

今は。

 

確かに、線がつながっている。

 

細い糸みたいに。

 

わたしから、どこかへ。

 

向こうから、こっちへ。

 

それは怖くない。

 

むしろ、くすぐったい。

 

だって、

 

“見られてる”ってことは、

 

“いる”ってことだから。

 

忘れられかけて、

 

薄くなって、

 

いないことにされそうなのに。

 

どこかで、

 

わたしをちゃんと見ている。

 

不思議。

 

幻想郷の外?

 

ううん。

 

外とも、ちょっと違う。

 

もっと上。

 

もっと手前。

 

まるで。

 

まぶたのすぐ向こう。

 

わたしは笑う。

 

 

 

ねえ。

 

そっち。

 

わたし、ちゃんと見えてる?

 

 

 

返事はない。

 

でも、確かにある。

 

静かな、注視。

 

わたしは少しだけ姿勢を正す。

 

消えるのは、まだいい。

 

でも。

 

見られているなら、

 

姿勢くらいはしっかりしなくちゃね。




「視埋」で「しまい」って読みます。
埋まった視で、こいしのことを表現してるつもり。
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