東方幻忘霧   作:居酒屋の枝豆

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14「空薄」ー八咫烏の消失ー

地霊殿の最奥へ向かう廊下は、いつもより暗く感じられた。

 

赤い石壁が脈打つ。

だがその鼓動は、どこか鈍い。

 

熱はある。

だが、強さが足りない。

 

「……静かですね」

 

燐の声が、小さく反響する。

 

誰も答えない。

 

炉心室の扉が開く。

 

赤光が視界を満たす。

 

巨大な炉が中央に鎮座し、ゆっくりと回転している。

三本足の八咫烏の紋が刻まれた制御環が、低く唸る。

 

本来なら、その前に立っているはずの影がある。

 

「……お空?」

 

燐が呼ぶ。

 

返事はない。

 

炉の前は、空白だった。

 

霊夢は部屋を見渡す。

焦げた羽根の匂い。

床に散った黒い煤。

制御札が数枚、乱雑に置かれている。

 

「さっきまで、ここにいたんです」

 

燐が言う。

 

確信はある。

だが声が弱い。

 

魔理沙が炉心を見上げる。

 

「出力、落ちてるな」

 

赤い光が、いつもより一段暗い。

回転も、わずかに遅い。

 

「いるわよ」

 

さとりが静かに言う。

 

古明地さとり の第三の目が、細く開く。

 

「霊烏路空 はここにいる」

 

断定。

 

だがその声に、わずかな迷い。

 

燐が制御盤に駆け寄る。

 

「お空、返事して!」

 

炉心が一度、大きく脈打つ。

 

赤光が広がる。

 

その瞬間。

 

炉の前に、影が浮かぶ。

 

黒い羽根。

三本足。

無邪気に笑う瞳。

 

ほんの一瞬。

 

「……いた」

 

霊夢が呟く。

 

だが影は、煙のように揺らぎ、溶ける。

 

燐が息を呑む。

 

「あれ、今」

 

魔理沙が歯を食いしばる。

 

「掴めない」

 

さとりは目を閉じる。

 

強く、読む。

 

お空の心を探る。

 

いつもなら、単純で明るい思考が洪水のように流れ込む。

 

――さとり様、見てください!

――もっと強くできますよ!

 

その声が、ない。

 

代わりにあるのは、薄い残響。

 

「……遠い」

 

さとりが呟く。

 

燐が振り向く。

 

「何がです?」

 

「声が」

 

静かな返答。

 

「思い出せないのです」

 

燐の顔から血の気が引く。

 

「お空の、声を?」

 

炉心が再び脈打つ。

 

弱い。

 

赤が、淡い。

 

霊夢が炉を見上げる。

 

「ここは、あいつが支えてたんでしょ」

 

燐は頷く。

 

「はい。八咫烏の力で」

 

言葉は出る。

 

知識はある。

 

だが。

 

「どんな姿でしたっけ」

 

ぽつりと、こぼれる。

 

魔理沙が振り向く。

 

「おい」

 

燐は眉を寄せる。

 

「黒くて……羽があって……」

 

そこで止まる。

 

具体が、出てこない。

 

霊夢が強く言う。

 

「三本足よ」

 

燐の目が揺れる。

 

「ああ……そうだ」

 

だがその像は、薄い。

 

さとりが炉へ歩み寄る。

 

手を伸ばす。

 

赤光が指先を透かす。

 

「お空」

 

呼ぶ。

 

返事はない。

 

だが。

 

炉の奥、核の中心に、わずかな影が見える。

 

閉じ込められたような、揺れる影。

 

さとりの喉が詰まる。

 

「います」

 

自分に言い聞かせる。

 

「まだ、います」

 

炉心が、ひときわ大きく脈打つ。

 

そして。

 

一段、光が落ちた。

 

室内の赤が、明らかに弱まる。

 

燐が炉に手をつく。

 

「お空!」

 

返事はない。

 

煤だけが舞う。

 

魔理沙が低く言う。

 

「……消えかけてる」

 

霊夢は否定しない。

 

炉は動いている。

 

だが、それは慣性のようだ。

 

そこに立って、無邪気に笑っていたはずの妖怪の存在は、

 

部屋のどこにも感じられない。

 

燐が震える声で言う。

 

「さとり様」

 

さとりは目を閉じたまま。

 

第三の目が、かすかに震えている。

 

読む。

 

探る。

 

だが掴めない。

 

指の間を、砂が零れるように。

 

「……思い出せなくなる」

 

その言葉は、ほとんど囁き。

 

燐が首を振る。

 

「忘れませんよ」

 

強く言う。

 

「お空は、ここにいます」

 

だがその確信が、炉の光ほど弱い。

 

霊夢は炉心を見る。

 

赤はまだ残っている。

 

完全には落ちていない。

 

だが。

 

そこに立つ影は、もう現れない。

 

地底の太陽は、光を失い始めていた。

 

そして誰も、

 

最後に聞いたはずの明るい声を、

 

正確には思い出せなかった。




「空薄」で「くうはく」って読みます。
お空が薄れるから空薄です。
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