東方幻忘霧   作:居酒屋の枝豆

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「葬室」ーさとりの心の読めない空白ー

地霊殿の広間は、音が少なかった。

 

炉心の鼓動は、遠くでかすかに響いている。

以前なら、もっと強く、もっと確かだったはずだ。

 

霊夢と魔理沙は入口近くで話している。

 

声は抑えられているが、隠す気はない。

 

その少し離れた場所で、

古明地さとり は立っていた。

 

第三の目が、静かに開く。

 

霊夢の心を読む。

違和感。警戒。焦り。

だが形にはなっていない。

 

魔理沙の心を読む。

苛立ち。状況への不信。

それも理解できる。

 

いつも通り。

 

問題はない。

 

さとりは視線を落とす。

 

自分の心を読む。

 

そこに、奇妙な引っかかりがあった。

 

思考は流れている。

 

地霊殿。

炉心の出力低下。

旧都の静寂。

消えた妖怪たち。

 

すべて辿れる。

 

だが。

 

途中で、何かが抜け落ちている。

 

まるで文章の一行だけ、白く削られているように。

 

「……」

 

もう一度、読む。

 

記憶を遡る。

 

地霊殿に戻ったとき。

 

炉心室での会話。

 

歩いた廊下。

 

足音。

 

人数を数える。

 

霊夢。

魔理沙。

自分。

 

三人。

 

正しい。

 

だが胸の奥に、妙な圧迫感がある。

 

三人で、足りているはずなのに。

 

足りない気がする。

 

第三の目が、わずかに震える。

 

“何かを忘れている”という思考が浮かぶ。

 

だが、その対象が読めない。

 

自分の心のはずなのに、そこだけ滑る。

 

霊夢がこちらを見る。

 

「どうしたの」

 

さとりは目を閉じる。

 

「いえ」

 

声は平静。

 

「少し、整理しているだけです」

 

魔理沙が肩をすくめる。

 

「整理?」

 

「状況を」

 

短く答える。

 

再び、自分を読む。

 

地霊殿の住人。

 

自分。

 

――。

 

そこで思考が止まる。

 

住人は私とこいしの二人。

 

それで問題はない。

 

なのに。

 

その結論に、安心が伴わない。

 

さとりはゆっくり広間を見渡す。

 

長い石卓。

 

高い天井。

 

閉ざされた扉。

 

視線が、ある扉で止まる。

 

見慣れているはずだ。

 

だが、用途が曖昧だ。

 

無意識に、歩み寄る。

 

扉に触れる。

 

冷たい。

 

「そこ、何の部屋?」

 

霊夢が問う。

 

さとりは答えるまでに、わずかに時間を要する。

 

「……使っていない部屋、だったと思います」

 

確信がない。

 

第三の目が開く。

 

扉の向こうを読む。

 

静かな空間。

 

家具は少ない。

 

使われた形跡は薄い。

 

それだけだ。

 

それだけのはずだ。

 

だが胸の奥で、強い否定が生まれる。

 

違う。

 

違うはずだ。

 

その否定を、読もうとする。

 

読めない。

 

白い。

 

空白。

 

さとりは手を離す。

 

指先が、わずかに震えている。

 

魔理沙が低く言う。

 

「顔色、悪いぞ」

 

「問題ありません」

 

即答する。

 

だがその声は、ほんの少しだけ遅い。

 

もう一度、人数を数える。

 

霊夢。

 

魔理沙。

 

自分。

 

三人。

 

正しい。

 

なのに。

 

心の奥に、確かに“喪失”がある。

 

喪った対象が分からないまま、

喪失感だけが残っている。

 

さとりは初めて、恐怖を覚える。

 

他人の心が読めないことはある。

 

拒絶も、虚無も、経験してきた。

 

だが。

 

自分の心が読めないのは、初めてだった。

 

第三の目が、わずかに痛む。

 

読むのを、やめる。

 

これ以上追えば。

 

自分の中の何かまで、削れてしまいそうだった。

 

霊夢が言う。

 

「行くわよ」

 

さとりは頷く。

 

歩き出す。

 

三人の足音が、石床に響く。

 

一定の間隔。

 

違和感は、形にならない。

 

ただ、胸の奥に残る。

 

広間の扉が閉まる。

 

その向こうの部屋が、何の部屋だったのか。

 

もう一度考えようとする。

 

だが、思考は自然に逸れる。

 

炉心の鼓動が、遠くで弱く鳴っている。

 

地底は静かだ。

 

そしてさとりは、

 

自分の心の中にあるはずの“何か”を、

 

ついに言葉にできなかった。

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