東方幻忘霧   作:居酒屋の枝豆

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「失名」ーさとりも、消えてー

地霊殿の廊下は、やけに長く感じられた。

 

炉心の鼓動は、さらに弱い。

 

霊夢と魔理沙は少し前を歩いている。

 

その背中を、

古明地さとり は静かに見ていた。

 

第三の目は、閉じている。

 

読まなくても分かる。

 

二人は不安を抱えている。

 

だが、それを言葉にはしない。

 

さとりは、自分の歩幅がわずかに軽いことに気づく。

 

足音が、薄い。

 

石床に響く音が、少し遅れて消える。

 

人数を数える。

 

霊夢。

魔理沙。

自分。

 

三人。

 

正しい。

 

そのはずだ。

 

胸の奥が、またざわつく。

 

さとりは立ち止まる。

 

霊夢が振り返る。

 

「どうしたの」

 

「……少しだけ」

 

さとりは目を開く。

 

第三の目が、ゆっくりと開く。

 

自分の心を読む。

 

流れる思考。

 

地底の静寂。

消えた妖怪たち。

弱まる炉心。

 

そこまでは明瞭。

 

だが。

 

思考の輪郭が、薄い。

 

まるで紙の上の文字が、少しずつ擦れていくように。

 

「……なるほど」

 

小さく呟く。

 

魔理沙が怪訝な顔をする。

 

「何がだ」

 

「私も、例外ではないようです」

 

霊夢の心が強く揺れる。

 

否定。

 

拒絶。

 

だがその言葉は出ない。

 

さとりは静かに続ける。

 

「読めなくなっています」

 

「何が?」

 

「自分の、存在が」

 

廊下の空気が重くなる。

 

さとりは再び自分を読む。

 

名前。

 

古明地さとり。

 

地霊殿の主。

 

心を読む妖怪。

 

言葉はある。

 

だが、像が薄い。

 

過去を辿る。

 

旧都。

 

橋。

 

妹。

 

――。

 

そこで思考が滑る。

 

“妹”という単語は浮かぶ。

 

だが顔がない。

 

声がない。

 

第三の目が強く震える。

 

痛みが走る。

 

それでも読む。

 

削られていく輪郭。

 

消えていく細部。

 

自分という存在が、紙の上のインクのように、少しずつ滲んでいる。

 

「止められません」

 

さとりは静かに言う。

 

霊夢が一歩近づく。

 

「まだいる」

 

強く言う。

 

「見えてる」

 

魔理沙も続ける。

 

「ちゃんと立ってる」

 

その言葉で、像が一瞬だけ濃くなる。

 

だが安定しない。

 

さとりは、二人の心を読む。

 

恐怖。

 

喪失の予感。

 

そして。

 

――三人。

 

その認識が、既に揺らいでいる。

 

さとりは微笑む。

 

「ありがとうございます」

 

声は穏やかだ。

 

第三の目が、最後に大きく開く。

 

読む。

 

自分の心を。

 

そこにあるのは、

 

静かな理解。

 

消える。

 

それだけ。

 

恐怖は薄い。

 

むしろ、観察に近い。

 

「ああ」

 

小さく息を吐く。

 

「こういうものなのですね」

 

足先が、わずかに透ける。

 

だが痛みはない。

 

存在が、軽くなる。

 

霊夢が何かを言おうとする。

 

だが言葉が遅れる。

 

魔理沙が手を伸ばす。

 

触れられない。

 

指が空を切る。

 

さとりは最後に、もう一度だけ人数を数える。

 

霊夢。

 

魔理沙。

 

自分。

 

三人。

 

正しい。

 

だがその“正しさ”が、崩れる。

 

自分という数が、自然に引かれていく。

 

霊夢。

 

魔理沙。

 

二人。

 

それが、正しい形になる。

 

さとりは理解する。

 

ああ。

 

今、消えたのだ。

 

最後に読めたのは、

 

自分が消えるという事実だけだった。

 

第三の目が、ゆっくり閉じる。

 

そこに立っていたはずの少女の輪郭が、

 

赤い廊下の空気に溶ける。

 

音はない。

 

光もない。

 

ただ、そこにいたはずの位置が、自然に空く。

 

霊夢と魔理沙は、廊下に立っている。

 

二人。

 

最初から、二人だったかのように。

 

遠くで炉心が、弱く脈打つ。

 

地霊殿は静かだ。

 

そしてもう、

 

心を読む妖怪はいなかった。

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