もしも、ロキファミリアに闇深系少女が入ったら。   作:匿名。

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第16話

 時は少し遡る。

 

 地下18階層で英雄候補たちが死闘を繰り広げているその裏で、地上の戦局は完全に一人の小人族(パルゥム)の手のひらの上でコントロールされていた。

 

 大抗争が勃発した直後。

 

 フィン・ディムナが最初に行ったのは、敵への攻撃ではなく「内部の掃除」だった。

 

 「……ギルド職員の中に潜む闇派閥(イヴィルス)の犬は、これで全員か」

 

 「ああ。リストアップされた数名、全て拘束した」

 

 フレイヤ・ファミリアの本拠地にて、ヘディンから報告を受けたフィンは冷徹に頷いた。

 

 彼は最初から、ギルド本部すら信用していなかった。オラリオの心臓部であるギルドに敵の息がかかっていれば、防衛線は内側から崩壊する。だからこそフィンは、この大抗争における全指揮権をギルドから剥奪し、唯一「絶対に敵と内通しない」と確信できるフレイヤ・ファミリアのみを信用して、彼らと共同で戦線を構築したのだ。

 

 結局のところ、この状況で指揮官ができるのはフィンのみである。これまでの闇派閥との争いも全て指揮をとってきた。そんな彼にとってギルドの公認があろうがなかろうが関係なかった。フィンは圧倒的な支持を冒険者から受けているのである。

 

 指揮官としてのフィンの権威の源泉は、その圧倒的な冒険者からの支持である。つまり、ギルドからの公認あるいは依頼といったものは必要がなかった。むしろフィンの下にあるのがギルドという構図になり変わっていた。非常時であるが故とは言え、今のフィンはギルドすら、動かす権限を有しているのである。

 

 そして、フィンが打った次の一手。

 

 それは、彼自身の圧倒的な暴力による「戦力差の是正」だった。

 

 「地下にアイズやリヴェリアたち精鋭を五人も送って、地上の防衛は保つのか?」

 

 かつてガレスはそう懸念した。

 

 だが、地上には十分すぎるほどの第一級・第二級冒険者たちが残されていた。

 

 なぜか。

 

 一つは、大抗争の序盤において、フィーナとアイズが闇派閥の重要幹部である『ディース姉妹』を討ち取っていたこと。

 

 そして最大の理由は、フィン自身がこの二日間、夜の闇に紛れて単独で「闇派閥の上級冒険者狩り」を行っていたからだ。

 

 (……敵の最大の脅威は、Lv.7のザルドとアルフィア。彼らに遭遇すれば、僕でも殺される)

 

 だが、逆に言えば、闇派閥の中でLv.6のフィンを止めることができるのは、その二人しかいない。

 

 フィンは、自らの戦術眼と親指の直感をフル稼働させ、敵の陣形とモンスターの配置から「ザルドとアルフィアが絶対にいない場所」を完璧に読み切った。

 

 そして、夜の闇に紛れて敵陣の隙間を縫い、前線で指揮を執る敵のLv.3やLv.4の上級冒険者だけをピンポイントで強襲。

 

 槍の一閃で首を刎ね、敵の増援――特にザルドたちが駆けつける前に、即座に離脱する。

 

 このヒット・アンド・アウェイによる闇討ちを二日間、狂ったような精度で繰り返し続けたのだ。

 

 結果として、闇派閥は部隊を指揮する「手足」を削られ、進行速度が大幅に低下。

 

 これにより、冒険者側はある程度、自由に第一級冒険者を防衛の要所に配置することが可能となった。

 

 闇派閥の最大の強みは「狂信者とモンスターの圧倒的な数」だ。数には数で、そして面には面で対応しなければならない地上戦において、フィンのこの冷酷な暗殺行は、オラリオの首の皮を繋ぐ最大の決定打となっていた。

 

 そして大抗争最終日。

 

 フィンは市民を都市の各所に点在する『防衛砦(急造のシェルター)』に収容し、地上戦力の総配置を完了させた。

 

 作戦本部の天幕。

 

 そこに呼び出されたのは、二つのファミリアの主神と、その団長たち。

 

 ヘルメスと、団長のアスフィ・アル・アンドロメダ。

 

 アストレアと、団長のアリーゼ・ローヴェルを中心とする『正義の眷属』たち――リュー・リオン、カグヤ、ライラ。

 

 「君たちに、この地上戦における最も重要な役割を任せたい。君たちが上手くやるかどうかでこの戦いの趨勢が決まるといっても過言ではない。」

 

 フィンは地図を指し示し、彼女たちに二段階の作戦を立案した。

 

 「第一段階(フェーズ・ワン)。……闇派閥の『伝令』の暗殺、および成り代わりだ」

 

 「伝令、ですか?」

 

 アリーゼが首を傾げる。

 

 「ああ。これから闇派閥がとる作戦は、地上に外から連れてきたモンスターを大量に放つことだ。……だが、それは結果として、彼ら自身の情報伝達網も阻害されることになる」

 

 フィンは地図上の建物を指でなぞる。

 

 「だから奴らは、情報をいち早く伝達するため、建物の『屋根の上』を跳び回って移動する伝令部隊を使ってくるだろう。……屋根から屋根への立体機動。当然、伝令役には高いステイタスを持つ上級冒険者が割り当てられているはずだ」

 

 「なるほど。だから、機動力に長けた私たちアストレア・ファミリアの出番というわけですね」

 

 リュー・リオンが、真剣な眼差しで頷く。

 

 「その通りだ。君たちの機動力で、闇派閥の伝令を狩ってくれ。そして――」

 

 フィンは、隣でひどく疲れた顔をしている青髪の魔女、アスフィを見た。

 

 「アスフィが用意したマジックアイテム『透明化の布』や、姿を偽装する道具を使い、君たちが敵の伝令になり代わるんだ」

 

 「……全く、人使いの荒い勇者ですね」

 

 アスフィが深いため息をつく。

 

 「ヘルメス様も何か言ってやってください。私の睡眠時間はもうずっとゼロなんですが」

 

 「あはは……アスフィの作ったアイテムなら、敵の目を欺けるさ。頑張れ、僕のペルセウス」

 

 主神ヘルメスは飄々と笑って躱した。

 

 「第一段階の最終目的は、司令部へ帰還する伝令を捉え、その進行ルートから『敵の総司令部』の正確な位置を炙り出すことだ。伝令が向かう先にこそ、敵の頭脳がある」

 

 フィンは親指を噛み、冷たく目を細めた。

 

 「そして、司令部の位置が特定でき次第、第二段階へ移行する」

 

 フィンは、アリーゼたちを真っ直ぐに見据えた。

 

 「僕の合図が出たら……アストレア・ファミリアは、敵司令部への奇襲を敢行してくれ」

 

 「奇襲……つまり、敵の親玉の首を狙えってことかい?」

 

 小人族のライラが、ニヤリと笑って小刀を回す。

 

 「そうだ。目標は、敵の総指揮官……おそらく『ヴァレッタ』だ。彼女の捕縛、不可能であれば殺害を許可する。いわゆる斬首作戦だ」

 

 フィンの言葉に、室内の空気がピンと張り詰める。

 

 「考えてもみてほしい」

 

 フィンは言葉を続ける。

 

 「闇派閥(イヴィルス)は、今回のオラリオ壊滅という目的のために、複数の悪神の派閥が一時的に手を組んだだけの『烏合の衆』だ。僕たちのように、長年迷宮で連携を積み重ねてきた冒険者たちとは、組織としての練度が根底から違う」

 

 それは、指揮官としての絶対の確信だった。

 

 狂信と憎悪で結びついた暴力の集まりは、勢いがあるうちは恐ろしい。だが、その暴力を統制する「知能」を失えば、ただの自滅する群れに成り下がる。

 

 「あの狡猾なヴァレッタの指揮さえ断てば、闇派閥の連携は早晩成り立たなくなる。末端の狂信者どもは命令系統を失い、自爆や同士討ちを始めるだろう。……そうなれば、我々の勝利だ」

 

 「ふふん、わかったわ」

 

 アリーゼが、腰の長剣に手を当てて明るく笑った。

 

 「巨悪の根源を絶ち、混乱に乗じて一網打尽にする。……まさに『正義の鉄槌』を下すには、うってつけの役目じゃない!」

 

 「ええ、アリーゼ。……この都市の平穏を脅かす悪は、私たちが必ず討ち滅ぼします」

 

 リューもまた、静かな闘志を燃やして深く頷いた。極東出身のカグヤも、黙って太刀の柄に手を添える。

 

 「頼むよ、君たち」

 

 フィンは彼女たちの頼もしい顔を見て、わずかに口角を上げた。

 

 「僕たち冒険者側が、地下の怪物を討つのが先か。それとも君たちが、地上の悪の首を落とすのが先か。……どちらにせよ、今日で全てを終わらせる」

 

 勇者の盤上で、駒はすべて配置された。

 

 アストレア・ファミリアの少女たちは、正義の炎を胸に宿し、アスフィの魔道具を受け取ると、戦火に包まれたオラリオの屋根へと飛び出していった。

 

 敵の心臓を穿つ、致命の刃となるために。

 

 それは、文字通りオラリオを揺るがすほどの轟音だった。

 

 ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 都市を囲む強固な市壁。その東西南北に位置する四つの大門が、内側からの爆破によって一斉に吹き飛んだ。

 

 粉塵が天を衝き、防壁が崩れ落ちる。

 

 地上における最終決戦の火蓋が、ついに切って落とされた。

 

 「ヒャハハハハ! 門が空いたぞォ!」

 

 「行けェ! オラリオを蹂躙しろ!」

 

 開け放たれた四つの大穴から、闇派閥(イヴィルス)が手引きして外に待機させていた大量のモンスター群が、黒い津波となって市街地へと雪崩れ込んでいく。

 

 「――報告します! モンスター群、市街へ侵入! ですが、無差別に暴れ回るのではなく、市民が収容されている各所の『防衛砦』へ一直線に向かっています!また、砦にいる冒険者は少数。」

 

 都市の城壁に設営された敵の総司令部。

 

 息を切らせて駆け込んできた伝令の報告を聞き、闇派閥の幹部、ヴァレッタ・グレーデは口元を醜く歪めて嗤った。

 

 「何?さすがは小人族(パルゥム)の勇者様だ。守るべき一般市民の恐怖と匂いを『撒き餌』にして、知能の低いモンスターを一箇所に誘導しやがったな!」

 

 ヴァレッタは机を蹴り上げ、地図を睨みつける。

 

 「だが、市民を餌にして各所の砦にモンスターを集めて、そこに冒険者どもがいないってことは、冒険者どもの『主力』は別の場所に伏せているってことだ。……狙いは、都市の中央(バベル)だな。あそこに大量の伏兵を隠して、ザルドを打ち取る気だろう」

 

 ヴァレッタは即座に別の伝令を呼びつけた。

 

 「だがそんなものは関係ねぇ。『暴食』のザルドをバベルへ向かわせろ! あそこに伏せている冒険者共を、あの化物にまとめてすり潰させろ!」

 

 最強の駒の一つ、Lv.7のザルドの投入。

 

 巨大な大剣を担いだ暴食の怪物が、悠然と都市の中央、バベルへと歩みを進める。冒険者の大軍を期待して。

 

 だが。

 

 ガギィィィィィィィンッ!!!!

 

 「……あァ?」

 

 バベルの広場に足を踏み入れたザルドの眼前に、突如として不可視の超巨大な『結界』が展開され、彼の歩みを強引に弾き返した。

 

 そこに冒険者の大軍などいなかった。あったのは、フレイヤ・ファミリアの魔導士たちとアスフィの魔道具が連動して作り上げた、目隠しをするだけの結界。そして、ただ一人の冒険者。

 

 その一人こそ、猛者オッタルである。

 

 最初から、ザルドを戦いの主軸から排除することこそがフィンの狙いだったのだ。

 

 確かにオッタルが負ければ、勝敗が一気に尽きかねない。だが、これが最も可能性があるとフィンは判断したのだ。

 

 さらに、ヴァレッタの誤算は続く。

 

 「ほ、報告ゥッ!! 各所の砦で、背後から冒険者の伏兵が一斉に襲いかかってきました! 我々の部隊が、一方的にやられています!」

 

 次々と駆け込んでくる伝令たちの悲鳴。

 

 砦に群がったモンスターと闇派閥の背後を突いたのは、バベルではなく、地の利を活かして最初から砦周辺の路地裏や地下水道に潜んでいた冒険者たちだった。

 

 「なっ……バベルじゃなくて、砦の周りに伏兵だと!?」

 

 ヴァレッタは舌打ちをした。

 

 「クソッ、配置を変えろ! 東の部隊を南へ回せ! 早く伝令を走らせ――」

 

 ヴァレッタは怒鳴り散らそうとして、ふと奇妙な違和感に気づいた。

 

 報告は上がってきている。伝令も帰ってきている。

 

 だが――**「帰ってくる数が、少なすぎる」**のだ。

 

 「……おい。西区画からの第三報はどうした? 北の部隊からの増援要請の返答は?」

 

 魔道具を持たない闇派閥は、情報伝達の全てを「屋根の上を跳び回る伝令役」に依存している。

 

 全てが帰ってこないわけではない。しかし、情報のパズルに決定的な「穴」が空き始めていた。情報伝達の速度が、致命的に遅延している。

 

 (伝令が……狩られている……!?)

 

 ヴァレッタの背筋に、冷たい汗が流れた。

 

 自分が今、ひどく不利な状況――目隠しをされた状態で盤面に立たされていることを、彼女は本能で直感した。

 

 ヴァレッタの直感は正しかった。

 

 オラリオの屋根の上。立体機動で情報を伝達しようとする闇派閥の伝令たちは、今まさに『正義の死神』たちによって狩り立てられていた。

 

 「そこッ!!」

 

 ザシュッ!!

 

 剣が一閃し、屋根を飛び移ろうとしていた闇派閥の伝令が気絶させられる。

 

 「これで……何人目か」

 

 激戦の最中、息を切らせたリュー・リオンが周囲を警戒する。

 

 「よーし、ひん剥けひん剥け! 服を借りるよ!」

 

 小人族のライラが、手際よく倒れた伝令のローブや装飾品を剥ぎ取っていく。

 

 激戦に巻き込まれ、多くの伝令がすでに命を落としていた。全ての伝令を無力化できたわけではない。網の目を潜り抜けて司令部へ帰還した者もいる。

 

 だが、アストレア・ファミリアとヘルメス・ファミリアの働きにより、闇派閥の「目と耳」は確実に機能不全に陥っていた。

 

 「アスフィさんの『偽装の魔道具』、起動するよ!」

 

 団長のアリーゼ・ローヴェルが声をかけ、魔道具が光を放つ。

 

 彼女たちの顔の輪郭や声帯の波長が歪み、倒れた伝令たちと見分けがつかない姿へと変装が完了した。

 

 「すごい……これなら、敵陣に紛れ込んでもバレませんね」

 

 「ああ。これで私たちは勇者の命令通り『偽の伝令』として、敵の指揮系統をさらに混乱させる」

 

 そして、狩り取った伝令たちの進行ルートの偏りから、ついに決定的な情報が弾き出された。

 

 「アリーゼ団長! 敵の『総司令部』の大まかな位置が判明しました! 南の城壁の上です!」

 

 「ビンゴ!」

 

 アリーゼが嬉しそうに手を打つ。

 

 「ここからは別行動だよ。ヘルメス・ファミリアのみんなは、変装を使って偽情報を流して! 私たちアストレア・ファミリアは、本命をいただきに行く!」

 

 アストレア・ファミリアの少女たちは、アスフィから受け取った『透明化のマント』を身に纏い、その姿を景色の中へと完全に溶け込ませた。

 

 オラリオ南の城壁。

 

 周囲に物々しい警備が敷かれた敵の総司令部の近辺。倉庫の屋根に、透明化したアストレア・ファミリアが息を潜めて陣取っていた。

 

 (……すごい数ですね。あれが、敵の本拠地)

 

 リューが、透明なマントの下で愛剣の柄を握りしめる。

 

 (ええ。でも、私たちは待機だよ。フィン団長の『合図』があるまでは)

 

 アリーゼが、念話で答える。

 

 じっと待つ。

 

 地上の各所から響く悲鳴と爆音。今この瞬間にも、多くの冒険者が血を流している。

 

 すぐにでも飛び出して敵を討ちたい衝動を、彼女たちは「正義の鉄槌」を下す最高の一瞬のために、必死に抑え込んでいた。

 

 そして。

 

 空が、赤色に染まった。

 

 カッ!!!!

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 遥か遠く、都市の別区画から、作戦の第二段階(フェーズ・ツー)への移行を告げる、特大の爆発音が鳴り響いた。

 

 「……合図だ」

 

 ライラがニヤリと笑い、腰のポーチから特製の煙幕弾を取り出した。

 

 「行くよ、ライラ!」

 

 「おうさ! 視界(おめめ)を拝借!」

 

 ライラが、城壁の入り口を固める警備兵たちの中心に向けて、煙幕弾を全力で投げつけた。

 

 ボフゥゥゥゥンッ!!

 

 「な、なんだッ!?」

 

 「煙幕!? 敵襲かッ!?」

 

 闇派閥の兵士たちが混乱し、咳き込んだその瞬間。

 

 透明化のマントを脱ぎ捨てたアリーゼ・ローヴェルが、真紅の長剣を抜き放ち、太陽のような笑みを浮かべて屋根から跳躍した。

 

 「さぁ、正義の執行だよ!! みんな行くよ! ごー、ごー、ごー!!」

 

 「「「おおォォォッ!!」」」

 

 アリーゼの底抜けに明るい号令と共に、リュー、カグヤ、ライラ、そしてアストレア・ファミリアの少女たちが、一斉に敵の総司令部へと突入していく。

 

 闇派閥の心臓部を食い破る、正義の乱戦が幕を開けた。

 

 

 

 南区画でアストレア・ファミリアが「正義」の名の下に敵総司令部へと突入しようとしていた頃。

 

 都市の西側にある防衛拠点――急造の巨大な砦において、もう一つの、そして極めて「泥臭く、血生臭い」作戦が進行していた。

 

 (……アリーゼたちアストレア・ファミリアも、うちの団員たちも、この作戦の本当の『中身』は知らない。いや、知らせるわけにはいかない)

 

 空を飛ぶ靴を操り、激戦区の上空に到着した『万能者』アスフィ・アル・アンドロメダは、眼下の惨状を見下ろして苦い息を吐いた。

 

 若く、純粋で、正義を信じる者たちには、決して背負わせられない「業」。

 

 この砦を守っているのは、都市の暗部も酸いも甘いも噛み分けてきた、各ファミリアの歴戦の『老兵(古参兵)』たちのみであった。

 

 「ギャアアアアアッ!!」

 

 「殺せ! 冒険者どもを皆殺しにして、中の市民を嬲り殺せェ!」

 

 砦の周囲は、他のどの拠点よりも異常な数のモンスターと、殺戮に飢えた闇派閥(イヴィルス)の狂信者たちによって幾重にも包囲されていた。

 

 防衛網は今にも決壊しそうだ。老兵たちは血と泥に塗れ、必死に武器を振るっているが、多勢に無勢。明らかに戦況は闇派閥が優位に進めていた。

 

 (……勇者も、本当に恐ろしい絵図を描く)

 

 アスフィは、懐から取り出した照明弾の魔道具を起動し、上空から砦の中庭に向けて、特定の赤い光を三度点滅させた。

 

 ――『作戦(フェーズ)移行。速やかに後退せよ』。

 

 その合図を見た老兵たちは、誰一人として文句を言わず、しかし絶妙な技量で「崩された」ふりをしながら後退を始めた。

 

 「くそッ、持ちこたえられねぇ! 中へ退け!」

 

 「陣形を縮小しろ!」

 

 背中を見せれば即座に狩られる極限状況。ゆっくりと、敵に怪しまれないように、少しずつ砦の奥へ、そして砦の裏門へと後退していく。

 

 その神業のような遅滞戦闘の最中にも、何人かの老兵がモンスターの爪牙にかかり、命を落としていった。

 

 だが、彼らは味方の死体すらも障害物として利用し、無言のまま、フィンの冷酷な注文に応えきってみせた。

 

 「ヒャッハー! 門が破れたぞォ!!」

 

 「中にいる市民(エサ)は全部俺たちのモンだァ!」

 

 老兵たちが裏口から脱出した直後。

 

 ついに砦の正門が破られ、波のようなモンスター群と闇派閥の信者たちが、歓喜の叫びと共に砦の内部へと雪崩れ込んだ。

 

 彼らの頭の中には、恐怖に震え、逃げ惑う一般市民を惨殺する甘美な光景しか浮かんでいなかった。

 

 だが。

 

 砦の広間に踏み込んだ先頭集団は、そこに広がる異様な光景に、ピタリと足を止め、思わず眉を顰めた。

 

 「……は? なんだ、こりゃあ……」

 

 広間の中央。

 

 そこに転がっていたのは、市民などではなかった。

 

 「うぅ……あぁ……」

 

 「た、助け……て……」

 

 手足を鎖で厳重に拘束され、猿轡を噛まされ、死なない程度に徹底的に痛めつけられた者たち。

 

 彼らが身に纏っているのは、血と汚物に塗れた『黒いローブ』。

 

 そう、それは大抗争が始まる直前、あるいは序盤に冒険者たちによって捕縛され、ギルドの地下牢に留置されていた『闇派閥の捕虜』たちだったのだ。

 

 彼らから発せられる強烈な血の匂いと恐怖の感情。それこそが、周囲のモンスターを異常なまでに惹きつけていた「最上級の撒き餌」の正体であった。

 

 「おい、こいつら……俺たちの仲間じゃねェか!?」

 

 「なんで市民じゃなくて、捕虜がこんなところに……」

 

 血に飢えた狂信者たちの思考が、一瞬だけ停止する。

 

 そして、その異質すぎる状況が意味するものを理解した瞬間、彼らの背筋を爆発的な悪寒が駆け抜けた。

 

 「ま、まさか……罠(ワナ)だァッ!! 逃げろォォォォッ!!」

 

 だが、気づいた時にはすでに遅かった。

 

 広間の吹き抜け、二階の回廊部分に、ただ一人だけ逃げ遅れた――いや、自ら残ることを志願した隻腕の老兵が立っていた。

 

 「……地獄で待ってるぜ、クソ野郎ども」

 

 老兵は、手にした『クロッゾの魔剣』を起動し、広間の四隅、そして地下室に山のように積まれた木箱に向けて、全力で炎を放った。

 

 その木箱の中身は、全て純度100%の『火炎石』。

 

 カッ!!!!

 

 直後、太陽が地上に墜落したかのような、絶対的な熱と閃光が砦を包み込んだ。

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 砦そのものが、巨大な爆弾と化して弾け飛んだ。

 

 中に雪崩れ込んでいた数百のモンスターと闇派閥の信者たちは、悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして超高温の業火に焼かれ、炭化し、吹き飛んだ。

 

 その爆発の規模は凄まじく、オラリオの全域から目視できるほどの巨大な火柱を空に打ち上げた。

 

 それこそが、アストレア・ファミリアが作戦開始の合図として認識した『特大の爆発音』の正体だった。

 

 「なっ……なんだあの爆発は!?」

 

 周囲で生き残った闇派閥の信者たちは、吹き飛んだ砦の跡地を見て、恐怖に顔を引き攣らせた。

 

 「仲間ごと……爆破しやがったのか!? 冒険者が!? 正義を気取る連中が、あんな真似を……!?」

 

 彼らは悪だ。殺人など日常茶飯事のテロリストだ。

 

 だが、その彼らをして「悪魔の所業」と言わしめるほどの非情な罠。

 

 この瞬間、闇派閥の末端部隊に、かつてないほどの『疑心暗鬼』と『恐怖』が植え付けられた。

 

 結局のところ、彼らの大半は自分自身が、残虐な方法で殺されるかもしれないという本能的な恐怖に打ち勝てるほどの意志も決意すらもないのだ。多くの信者は、勝ち戦だと思っているから戦えているだけに過ぎない。

 

 命令が錯綜する。「他の砦も罠かもしれない」「不用意に攻め込めば、自分たちも焼かれる」。

 

 そのわずかな躊躇こそが、冒険者側に圧倒的な優位をもたらす最大の劇薬であった。

 

 この悪魔のような罠が立案されたのは、大抗争が激化し始めた、ある日の夜のことだった。

 

 フィン・ディムナは、作戦の草案を練るため、フレイヤ・ファミリアのヘディン・セルランドの私室を訪れていた。

 

 同じ知将として、彼からの忌憚のない意見を聞きたかったからだ。

 

 「……よく来たな、パルゥム。入れ」

 

 ヘディンが部屋に招き入れると、そこにはもう一人、意外な人物がソファにちょこんと座っていた。

 

 「フィーナ?」

 

 フィンは一瞬、目を丸くした。なぜ、こんな高度な戦略会議の場に、Lv.3の少女がいるのか。

 

 だが、フィンはすぐに、フィーナがアイズと共に『ディース姉妹』を討ち取った事実を思い出した。彼女の時折見せる「常識外れの合理性」は、耳を傾ける価値があるかもしれない。

 

 フィンは地図を広げ、砦に市民を収容し、防衛戦を行うという作戦の全貌を説明した。

 

 その話を聞き終えたフィーナが、ぽつりと手を挙げた。

 

 「あの……フィン団長。一つの砦を『罠』にしませんか?」

 

 「罠、かい?」

 

 フィンは顎に手を当てた。

 

 「魅力的ではあるけど……罠として機能させるには、中に『本物の市民』がいると思わせるだけの強烈なデコイが必要だ。敵はモンスターを放つ可能性が高い。モンスターは、より人が多く、匂いが強い場所を本能的に狙う」

 

 フィンは首を振る。

 

 「効果があるかわからない罠の砦に割くほどの余剰兵力はないし、何より、囮のために市民の命を危険に晒すわけにはいかないよ」

 

 それは、オラリオの冒険者としては当然の、倫理的な判断だった。

 

 だが。

 

 「なら、ギルドで捕まえている『闇派閥の囚人』を使えばいいじゃないですか」

 

 フィーナは、まるで「明日の天気」でも語るような、悪気一つない無垢な表情で即答した。

 

 「……なっ」

 

 フィンが絶句する。

 

 「囚人を縛って砦の中に置いておけば、血の匂いや恐怖でモンスターを誘引する完璧な餌になります」

 

 フィーナの淡々とした声が、夜の部屋に響く。

 

 「それに、もし一つでも『大規模な爆殺罠』が仕掛けられていると分かれば……闇派閥は他の砦を攻める時も、必ず疑心暗鬼になります。足を止めて、慎重にならざるを得ない。その隙に、冒険者が背後から叩けばいいんです」

 

 「そして、囚人がいなくなった後のギルドの地下牢……そこなら、一番安全で頑丈ですよね。そこに本物の市民あるいは神々を匿えば、一石二鳥です」

 

 「…………」

 

 部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。

 

 それは、捕虜を人間の盾、あるいは撒き餌として使い潰すという、明確な『虐殺』の提案だった。

 

 「……だめだ」

 

 フィンは、血を吐くような声で絞り出した。

 

 「それは……一線を越えている。彼らが大罪人であろうと、無抵抗の捕虜を爆弾代わりに使い潰すなど……発覚すれば、ロキ・ファミリアの名誉は地に墜ちる」

 

 フィンの脳裏に、自身の悲願がよぎる。

 

 一族(パルゥム)の復興。衰退の一途を辿る同胞たちに希望を与えるため、自分は『作られた勇者』として、穢れなき光で在り続けなければならない。

 

 光たる勇者が、非道な虐殺に手を染めたと知れれば、パルゥムの聖女(フィアナ)の誇りは泥に塗れ、一族の希望は永遠に失われる。

 

 「僕は……パルゥムの光にならなければならないんだ。この手は、どこまでも正しく、綺麗でなければ……」

 

 フィンの親指が、ギリギリと嫌な痛みを放つ。

 

 その勇者の苦悩を、フィーナは静かに、けれどひどく冷徹な瞳で見つめていた。

 

 「フィン団長。……命には、明確に『重さの違い』があるんじゃないですか?」

 

 「……何だって?」

 

 「犯罪者の命も、確かに大切かもしれません。でも、何の悪いこともしていない善良の一般市民の命と比べれば、その優先度は比べるまでもないはずです。色々な考え方があるのはわかりますけど、私はそう思います」

 

 フィーナは立ち上がり、フィンの真っ直ぐな碧眼を見つめ返した。

 

 「ここで私たちが負ければ、オラリオは消滅し、世界規模で億単位の命が失われます。……団長の『綺麗な手』を守るために、何億もの命を、同胞のパルゥムたちを見殺しにするんですか?」

 

 「っ……」

 

 フィンの息が詰まる。正論という名の、あまりにも鋭利な刃。

 

 「フン……小娘の言う通りだぞ、パルゥム」

 

 ソファで腕を組んでいたヘディンが、冷酷な笑みを浮かべて口を開いた。

 

 「歴史を作るのは『勝者』だ。どれほど崇高な理想を掲げようと、ここで負けて死体になれば、貴様の復興の夢もただの妄言として灰に帰す」

 

 ヘディンは立ち上がり、フィンの胸ぐらを掴む勢いで顔を近づけた。

 

 「貴様が真の英雄になりたいのなら、いずれ『隻眼の黒竜』を討伐し、その首を世界に掲げてみせろ。……誰にも文句を言わせない、人類最大の功績だ。それさえ成し遂げれば、今日の泥被りなど、歴史の闇に揉み消される」

 

 ヘディンの言葉は、覇道を往く者の絶対の真理だった。

 

 「そのためには、今日この日、オラリオを救ったという『結果』だけを死に物狂いで残せ。……綺麗事で億の命が救えるほど、この世界は甘くないはずだぞ、小人族(パルゥム)の勇者」

 

 「…………」

 

 フィンは、自らの震える両手を見下ろした。

 

 パルゥムの光。穢れなき勇者。

 

 だが、その仮面を守るために世界が滅ぶなら、それはただの傲慢な自己満足だ。

 

 (……ああ、そうか)

 

 フィンの中で、何かが弾けた。

 

 自分の理想を捨てるのではない。より巨大な目的(黒竜討伐と一族の真の復興)のために、自ら進んで泥を被り、血に染まる覚悟を決めたのだ。

 

 「……君たちの言う通りだ」

 

 フィンが顔を上げた時。その顔からは「善良な勇者」の面影は消え去り、冷酷にして冷徹な、一人の『最高司令官』の顔が完成していた。

 

 「罠を張ろう。……そして、闇派閥の捕虜には、その命をもって市民への贖罪を果たしてもらう」

 

 フィンの決断に、ヘディンは満足げに鼻を鳴らした。

 

 「だが、ただ爆発させるだけでは足りんぞ。その罠の存在と恐怖を、他の闇派閥の部隊に『効率的に』伝染させる必要がある」

 

 ヘディンが作戦の穴を指摘する。

 

 「だから、あえて逃げ延びる余地を残し、敵陣に恐怖の伝道師を作らなければいけない」

 

 フィンが即座に応じ、二人の知将による血も涙もない戦術の構築が始まった。

 

 こうして、一人の少女の提案は、パルゥムの勇者に「修羅の道」を歩ませる決定打となり、地上の闇派閥を恐怖のどん底に叩き落とす『正義の業火』となって結実したのであった。

 

  特大の火炎石爆発によって砦ごと吹き飛ばされた西区画。

 

 生き残った闇派閥(イヴィルス)の末端信者たちは、黒焦げになった仲間の死体と、舞い上がる火の粉の中で完全にパニック状態に陥っていた。

 

 「な、なんだよこれ……! 冒険者の連中、イカれちまったのか!?」

 

 「逃げろ! こんなところにいたら殺される!」

 

 命令系統は崩壊し、狂信者たちの間にあった「殺戮の熱狂」は、圧倒的な「死の恐怖」へと塗り替えられていた。烏合の衆が自壊を始める、まさにその時である。

 

 「――落ち着けェッ!! 貴様ら、見苦しいぞ!」

 

 瓦礫の向こうから、血と煤に塗れた黒ローブを纏う数人の男たちが駆け込んで来た。

 

 闇派閥の伝令部隊だ。

 

 ……いや、正確には、アスフィの魔道具によって『伝令の姿に偽装したヘルメス・ファミリア』の団員たちである。彼らには、この砦には市民はいないと教えられている。ただ教えられていることはこの砦は罠であることだけだ。あとは、フィンが用意した台本通りの台詞を言うだけだ。

 

 「司令部からの通達だ! ヴァレッタの命令を伝える!」

 

 偽の伝令は、動揺する信者たちに向けて堂々と、かつ威圧的に叫んだ。

 

 「この砦は完全に冒険者どもの罠だ! 生き残りの部隊は直ちに分割し、他の砦を攻めている味方部隊へ合流しろ!」

 

 「ご、合流……!?」

 

 「そうだ! そして合流先の部隊に伝えろ!『冒険者どもは市民を囮にした爆殺罠を仕掛けている可能性がある、十分に警戒せよ』とな! 急げ、命令に背く気か!」

 

 恐怖でパニック状態にあった信者たちにとって、上層部からの明確な「指示」は、まさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸だった。

 

 自分で思考することを放棄した狂信者たちは、伝令の言葉に安堵し、たちまち冷静さを(あるいは別の狂気を)取り戻す。

 

 「わ、わかった! 今すぐ別部隊と合流する!」

 

 「罠があることを伝えなきゃなんねェ! 行くぞお前ら!」

 

 我先にと、生き残った信者たちは散っていく。

 

 これが、ヘディンたちが仕掛けた「恐怖の伝染」だった。彼らが別部隊に合流し、罠の存在を喧伝することで、闇派閥の全軍が疑心暗鬼に陥り、進軍速度は致命的に低下する。

 

 「……待て。モンスターを操る『調教師(テイマー)』たちは残れ」

 

 走り出そうとした信者の一部を、偽伝令が鋭い声で引き留めた。

 

 「司令部から、お前たちテイマーには『別の特別指令』が出ている。……ここに整列しろ」

 

 「は、はいッ!」

 

 モンスターを統率する要であるテイマーたちは、何の疑いも持たずにその場に留まり、偽伝令たちの前に並んだ。

 

 他の信者たちが完全に視界から消え、足音が遠ざかったのを確認して。

 

 「……特別指令の内容を伝える」

 

 ヘルメス・ファミリアの団員は、黒いローブの下で、ギラリと冷たい刃を抜いた。

 

 「――そのまま、誰にも知られずに消えろ」

 

 鮮血が舞う。

 

 テイマーたちが悲鳴を上げる間もなく、ヘルメス・ファミリアの暗殺術が彼らの喉笛を正確に掻き切った。

 

 モンスターを制御する「手綱」をここで完全に断ち切る。残されたモンスターたちは統制を失い、やがて同士討ちを始めるか、冒険者の各個撃破の的となるだろう。

 

 欺瞞と暗殺。ヘルメスの眷属たちは、動乱に紛れて完璧にその役割を完遂したのである。

 

  一方、オラリオの南端。

 

 巨大な市壁の上――本来は都市防衛の要であるはずの『南の城壁』の防衛塔が、現在、闇派閥の総司令部として占拠されていた。

 

 「……西の砦が、吹き飛んだだと?」

 

 城壁の上から、燃え盛るオラリオの全景を見下ろしながら、ヴァレッタ・グレーデはギリッと歯を鳴らした。

 

 高所から全体を見渡せるこの場所だからこそ、遠く西区画で上がった異常な火柱と爆煙がはっきりと確認できた。

 

 「あの爆音……間違いねェ、大量の火炎石を使った爆発だ」

 

 ヴァレッタは手すりを殴りつける。

 

 「だが、うちの末端信者どもにあれほど大規模な爆発を起こせるだけの物資は持たせちゃいねェ! 誰がやりやがった……!?」

 

 冒険者側がやったのか? だが、あの砦には市民が収容されているはずだ。

 

 思考を巡らせようとしたその時。城壁の下層へと続く石造りの階段の方から、激しい剣戟の音と悲鳴が響き渡ってきた。

 

 「なんだ!? 今度は何だ!」

 

 「ほ、報告ゥッ! 城壁の下層から、冒険者の強襲部隊が……ッ! ぐぁッ!?」

 

 駆け上がってきた伝令の背中が、真紅の炎に焼かれて吹き飛んだ。

 

 「みんな、止まらないで! 一気に最上階の指揮所を落とすよ!」

 

 「隙だらけだな。そんな鈍足で、私の太刀筋が見切れるとでも?」

 

 「ほーら、足元注意! ドカンといくよー!」

 

 アリーゼ、カグヤ、ライラ、そしてリュー。

 

 アストレア・ファミリアによる強襲部隊が、城壁の内部構造を駆け上がり、防衛線を次々と突破してヴァレッタのいる最上階へと肉薄していたのだ。

 

 「正義の眷属(アストレア・ファミリア)だと!? クソッ、そっちに手を回さなきゃならねェのか!」

 

 ヴァレッタは忌々しげに舌打ちをした。

 

 「すみません失敗しました…」

 

 怒号が飛び交う最上階の指揮所に、隠し扉を開けて二人の人影が転がり込んできた。

 

 一人は、ひどい火傷を負い、ボロボロになった幹部のヴィトー。

 

 そしてもう一人は、煤まみれになった派手な衣装の男――邪神エレボスだ。

 

 「なっ……!?」

 

 ヴァレッタは目を見開いた。

 

 「ヴィトー!? テメェ、それにエレボスまで……ふざけるなよ! なんでテメェらがこんな所にいんだよ。地下はどうした!」

 

 神である彼が、泥と煤に塗れ、怪我まで負っている。

 

 「仕方ないじゃないか」

 

 エレボスは、自嘲気味に、だがどこか楽しそうに両手を広げた。

 

 「殺されそうになったんだよ、俺。もうちょっと労わってくれないかな?」

 

 「……はァ? ふざけるなよ」

 

 ヴァレッタは青筋を立てて怒鳴った。

 

 「テメェは神だぞ!? この下界で、誰が『神殺し』なんて禁忌をやらかせるってんだよ!」

 

 「それが、いたんだよね。……異邦の価値観を持った、本気の殺意を持った少女がね」

 

 エレボスの目は、冗談を言っているようには見えなかった。真剣そのものだ。

 

(神殺しを、躊躇なく実行する狂人……?)

 

 ヴァレッタの脳内で、バラバラだったピースが急速に繋がり始めた。

 

 砦の異常な大爆発。

 

 市民(だとヴァレッタは信じている)を囮に使い、砦ごと大量の闇派閥を焼き殺すという、冒険者にあるまじき非道な罠。

 

 そして、神殺しすら厭わない、目的のためなら手段を選ばない異常者の存在。

 

 「……ッ!!」

 

 ヴァレッタは、ゾッと肌を粟立たせた。

 

 (違う。……あの爆発罠を考えたヤツは、フィンの野郎じゃない!)

 

 フィン・ディムナは冷酷だが、同時に「パルゥムの光(勇者)」としての矜持に縛られている。

 

 だからこそ、市民を爆弾の囮に使うような『正義に反する悪手』は絶対に打てない。

 

 その前提があったからこそ、彼女は「市民が収容されている砦にモンスターを向かわせれば、冒険者側は必ず守る戦いを強いられる」と計算したのだ。

 

 だが、現実は違った。

 

 勇者の隣に、正義や矜持など欠片も持ち合わせていない『別の頭脳』がいる。

 

 フィン以外の人物の作戦が採用されることなど、ヴァレッタは完全に想定から外していた。

 

 「……クソがッ!!」

 

 ヴァレッタは、指揮所の机を思い切り蹴り飛ばした。

 

 苛立ち。それは、フィンとの純粋な知恵比べ(ゲーム)を、どこかの見ず知らずのイレギュラーに邪魔されたことへの激しい怒りだ。

 

 結局のところ、彼女は「フィン・ディムナが全権を握って作戦を立てる」という固定観念に囚われすぎていた。勇者が取らないような「文字通り何でもする」という可能性を、自ら切り捨ててしまっていたのだ。

 

 「――そこまでよ、闇派閥!!」

 

 ドガァァァンッ!!

 

 ついに指揮所の重い鉄扉が蹴破られ、真紅の剣を構えたアリーゼ・ローヴェルが、アストレア・ファミリアの仲間たちと共に突入してきた。

 

 重い鉄扉を蹴破り、最上階の指揮所に踏み込んだアリーゼ・ローヴェルが、真紅の長剣を構えて高らかに宣言する。

 

 リュー、カグヤ、ライラ、そしてアストレア・ファミリアの少女たちが扇状に展開し、一柱の邪神(エレボス)と二人の幹部(ヴァレッタ、ヴィトー)を完全に包囲した。

 

 退路はない。

 

 圧倒的な武力を持つ正義の眷属たちを前に、満身創痍のヴィトーとエレボス、そしてLv5のヴァレッタ。

 

 「……クソがッ! 舐めるなよ、小娘共がァ!」

 

 ヴァレッタは、血走った目で包囲網を睨みつけながら、懐から一つしかない通信用の長距離魔道具(オクルス)を引き抜いた。

 

 それは、彼女が「最後の切り札」を動かすためだけに温存していた、特別な魔道具。

 

 「使え!! 『あれ』を使って、バベルを攻め落とせェッ!!」

 

 ヴァレッタの絶叫が魔道具を通して響き渡ると同時。

 

 オラリオの空高く、一直線に赤い信号弾が打ち上げられた。

 

 それは、闇派閥が隠し持っていた「最悪のジョーカー」の封印を解く合図。

 

 「……最後まで足掻くわね。でも、もう遅いわ」

 

 アリーゼが剣を構え直す。

 

 「貴女たちの企みは、ここで私たちが全て終わらせる!」

 

 空に放たれた赤い信号弾。

 

 それを、都市の中央寄りにある高台から冷徹な碧眼で見つめている男がいた。

 

 フィン・ディムナである。

 

 「……やはり、動かしてきたか」

 

 フィンは、指揮を執っていた高台から静かに降り、前線へと歩みを進めた。

 

 彼が単身で向かったのは、都市の南区画にある、あるファミリアの跡地だった。今回の大抗争の序盤で闇派閥の奇襲を受け、全滅させられた中堅ファミリアの拠点。

 

 すでに略奪され尽くし、誰も寄り付かないその廃墟の地下室には、異様な光景が広がっていた。

 

 「ん、ぐぅ……ッ!?」

 

 「あぁ……っ」

 

 両手両足を太い鎖で拘束され、猿轡を噛まされた数十人の男たち。

 

 彼らは全て、冒険者たちによって捕らえられた闇派閥の末端信者たちだった。

 

 なぜ、西の砦のように、彼らは今までモンスターに襲われなかったのか。

 

 それは、フィンがこの地下室の四隅に、モンスターが嫌う強烈な匂いを発する『忌避の匂い袋』を設置していたからだ。

 

 フィンは無言のまま、部屋の隅に置かれていたその匂い袋を一つずつ回収していく。

 

 忌避の匂いが消え、代わりに淀んだ空気が流れ込む。

 

 フィンは、槍を手にして、怯える信者たちの間をゆっくりと歩き出した。

 

 「……恨むなら、僕を恨んでくれ」

 

 ザシュッ。

 

 槍の穂先が、無慈悲に信者たちの肩や太腿を撫でる。

 

 「ぎ、いぃぃッ!?」

 

 致命傷ではない。だが、動脈を掠める絶妙な刺突により、大量の鮮血が石畳の上に溢れ出していく。

 

 むせ返るような、濃密な血の匂いと、死の恐怖。

 

 西の砦で起きたことと全く同じ「極上の撒き餌」が、今ここに完成した。

 

 フィンは、闇派閥が『強化種』というジョーカーを隠し持っていることを予見し、強く危惧していた。

 

 (規格外のイレギュラーは、戦局を容易くひっくり返す)

 

 アイズやフィーナは、嬉々として強化種を作って経験値としている。ならば、闇派閥なら当たり前のようにしてくるだろうと(実際にはダンジョン産のモンスターだが)フィンは考えていたのだ。

 

 だからこそ、この強烈な血の匂いで、都市に散らばるモンスターと『強化種』のヘイトをコントロールする必要があった。

 

 盤面を支配するには、敵の最強の駒の動きを強制的に誘導しなければならないのだ。

 

 そして、フィンの策は「モンスターの誘導」だけには留まらない。

 

 同時刻。ヘルメス・ファミリアの偽伝令たちは、オラリオの各所で足を止めている闇派閥の侵攻部隊に対し、致命的な『甘言』を囁き回っていた。

 

 「伝令だ! 砦の攻略は包囲できるだけの最小兵力を残し、残りの全軍は『北』と『南』に集結しろ!!」

 

 偽伝令の声が、爆発の恐怖で及び腰になっていた信者たちに響く。

 

 「目標はバベルだ! バベルを落とせば俺たちの勝ちだ。一気に攻め入れ!!」

 

 その命令は、パニックに陥っていた信者たちの心に、水が染み込むようにすんなりと受け入れられた。

 

 なぜなら、それは彼らにとってあまりにも『合理的で甘美な響き』だったからだ。

 

 (砦の防衛があれだけ厚く、さらに爆殺罠まで仕掛けられているなら……逆に、手薄になっている場所があるはずだ)

 

 (それが、冒険者の総本山であるバベルだ! 砦を守るために、バベルの守りが薄くなっているに違いない!)

 

 一兵卒であっても容易に理解できる、単純な論理(ロジック)。

 

 いつ爆発するか分からない砦を怯えながら攻め続けるより、手薄なバベルを一気呵成に攻め落とせば、この大抗争(ゲーム)はクリアできる。

 

 宿願を達成する道が目の前に転がっていて、それを放棄できる者など闇派閥にはいなかった。

 

 「おおぉぉッ!! バベルを落とせェ!!」

 

 「北と南に集結しろ! 数で押し潰せ!」

 

 偽伝令の罠に見事に嵌まり、闇派閥の大軍勢がオラリオの北と南のメインストリートへと怒涛のように集結し始めた。

 

 一方で、狂信の度合いが強すぎる一部の部隊は「俺たちは砦の市民を殺す!」と命令を無視して砦への特攻を続けたが、それもフィンにとっては想定の範囲内でしかなかった。

 

 フィーナ、フィン、ヘディンの描いた最悪の絵図。

 

 それは、自軍の血でモンスターを釣る、悪魔の二段構えだった。

 

 南と北のメインストリートに、勝利を確信した闇派閥の大軍が密集する。

 

 そして、その『南の集結地』のすぐ背後には――フィンが先ほど血の海に変えた、廃墟のファミリア拠点がある。

 

 (匂いに釣られたモンスターは、まずあの廃墟に群がり、拘束された信者たちを食い殺す)

 

 高台に戻ったフィンは、冷静な目で街の動きを見下ろしていた。

 

 (そして、地下室の肉を食い尽くしたモンスターが次に狙うのは……すぐ近くにある、最も人の密度が高い場所)

 

 すなわち、バベルへ向かって進軍しようとしている『闇派閥の南集結部隊』の無防備な背後である。

 

 「……やると決めたからには、どのような泥でも被ってみせる…。そして、結果を出す…」

 

 フィンの呟きを合図にするかのように。

 

 廃墟の地下室で血の晩餐を終えたおびただしい数のモンスター群が、地鳴りのような咆哮を上げながら、無防備な闇派閥の背中へと凄惨な牙を剥き始めたのであった。

 

 都市の南区画。

 

 廃墟となったファミリア拠点の地下室から、おぞましい咀嚼音と断末魔が響き渡っていた。

 

 「ギャ、アァァァァァァッ!!」

 

 「やめろ、俺たちは味方だ! 同じ闇派閥(イヴィルス)だぞォォッ!?」

 

 ヴァレッタが「最後の切り札」として南の城壁から解き放った『ダンジョン産』を含む大量のモンスター群。彼らはバベルへ向かうのではなく、フィンが周到に用意した「極上の血の匂い」に誘われ、一直線にこの廃墟へと殺到していた。

 

 拘束され、逃げることすら許されない闇派閥の末端信者たちは、皮肉にも自らが引き入れたバケモノたちの鋭い牙と爪によって、生きたまま臓腑を引きずり出され、貪り食われていく。

 

 「ヒィッ……! バカな、なんであっち(地下)に行きやがる! 止まれ、言うことを聞けェッ!!」

 

 その地獄絵図を地上から見下ろしながら、闇派閥の調教師(テイマー)である猫人のジュラは、滝のような冷や汗を流して震え上がっていた。

 

 本来なら、彼らテイマーが鞭と魔道具を使ってモンスターの群れを制御し、バベルへと誘導する手筈だった。

 

 だが、テイマーの数が決定的に足りない。ヘルメス・ファミリアによる事前の暗殺工作によって、熟練のテイマーの多くがすでに喉を掻き切られていたのだ。

 

 残された数少ないテイマーの指示など、血の匂いに狂った飢餓の群れには届かない。

 

 「ふざけんな……冒険者(あいつら)が、こんな策を立てるのかよ……!?」

 

 ジュラの背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。

 

 捕虜を囮にし、自軍の拠点に敵の切り札を誘引して同士討ちさせる。

 

 それは、誇り高き正義の体現者であるはずの「冒険者」が絶対に選ばない、泥に塗れた悪魔の盤上だった。

 

 ジュラの恐怖は、それだけでは終わらない。

 

 地下室に詰め込まれていた肉(信者)をあっという間に平らげたモンスターたちは、血の味を覚えてさらに興奮状態に陥っていた。

 

 そして、狂乱する群れが「次の餌」として振り返った先。

 

 そこには、偽伝令の罠によって南のメインストリートに密集し、バベルへと進軍を開始しようとしている『闇派閥の南集結部隊』の、完全に無防備な背中があった。

 

 「あ……あぁっ……」

 

 ジュラの喉から、絶望の音が漏れる。

 

 「逃げろォォォォッ!! 後ろから喰われるぞォォッ!!」

 

 だが、その警告は遅すぎた。

 

 「なんだ!? 後ろから地鳴りが――」

 

 バベルへと進軍していた闇派閥の信者たちが振り返った瞬間。

 

 路地裏から、廃屋の壁をぶち破って、血塗れのモンスター群が雪崩れ込んできた。

 

 「グォォォォォォォッ!!」

 

 「ひぎぃッ!? な、なんでモンスターが俺たちを襲って……ぎゃぁぁぁっ!」

 

 味方であるはずの怪物の群れが、最後尾の部隊に猛烈な勢いで噛み付く。

 

 陣形は瞬く間に崩壊し、悲鳴と怒号が飛び交う。

 

 「前へ出ろ! 前へ逃げろォ!」

 

 背後からの理不尽な殺戮に恐れをなし、闇派閥の部隊は押し出されるようにしてバベル方面へと雪崩を打って逃げ出した。

 

 だが。

 

 その地獄を抜けた先、彼らが逃げ延びようとしたメインストリートの正面(前方)。

 

 そこに、ただ一人。

 

 黄金の槍を携えた小人族(パルゥム)の男が、静かに立ちはだかっていた。

 

 「――ようこそ。待ちくたびれたよ」

 

 『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナ。

 

 闇派閥の信者たちは、前方に現れた小柄な冒険者を見て、恐怖よりも先に狂信の火を燃やした。

 

 「ふざけるな、たった一人で何ができる! 踏み潰せェ!!」

 

 何百という信者が、武器を振り上げてフィンへと殺到する。

 

 だが、フィンはその冷酷な碧眼を一切揺らさず、ただ手首を返した。

 

 「シッ――!」

 

 神速の一閃。

 

 先頭にいた十数人の信者の首が、一瞬にして宙を舞った。

 

 血の雨が降り注ぐ中、フィンは止まらない。小柄な体を活かして敵の死角へと潜り込み、まるで舞踏のように槍を振るう。

 

 「ひ、ひぃぃッ! 化け物だ!」

 

 「なら俺ごと吹き飛べェ!!」

 

 一人の狂信者が、腹に巻いた火炎石の起爆装置に手をかけ、フィンへと特攻を仕掛ける。自爆攻撃だ。

 

 だが、フィンの親指がピクリと跳ねた。

 

 「……見え透いているよ」

 

 ドンッ!

 

 フィンは自爆兵を殺すのではなく、その鳩尾に強烈な蹴りを叩き込み、密集する闇派閥の中心へと「砲弾」のように蹴り飛ばした。

 

 「なっ――」

 

 「やめろ、こっちに来るなァァッ!?」

 

 ドガァァァァンッ!!

 

 信者たちのど真ん中で火炎石が炸裂し、数十人が消し飛ぶ。

 

 自らの仲間の自爆を利用され、肉片となって散っていく様を見て、残された者たちの心は完全に折れた。

 

 後ろからは血に狂ったモンスターの群れ。

前からは全てを無に還す冷酷な勇者。

 

 一人、また一人と、フィンは逃げ惑う信者を屠っていく。

 

 彼にとって、モンスターも闇派閥も等しく「狩るべき標的」でしかなかった。都市を守り、未来を切り開くための絶対的な障害排除。

 

 その槍に、一切の迷いはなかった。

 

 「……なんという、凄惨な有様だ」

 

 しばらくして。

 

 フィンの元に、ロキ・ファミリアの古参兵であるノワールら、爆発させた西砦から駆けつけてきた『老兵』の部隊が援軍として駆けつけた。

 

 だが、彼らが到着した時に見たものは、すでに戦闘と呼べるものではなかった。

 

 血の海。死体の山。

 

 その頂に、返り血で金髪を赤く染めたフィンが、呼吸一つ乱さずに立っていた。

 

 「……フィン」

 

 ノワールは、息を呑んでその光景を見上げた。

 

 強大なモンスターも、狂気に満ちた闇派閥も、全てがフィンの槍の前に平伏している。

 

 その姿は、悪鬼羅刹のように恐ろしく、それでいて――神々しいほどに『英雄』だった。

 

 (俺たちじゃあ、決して届かない場所……。だが、彼なら。この男なら、俺たちがなれなかった本物の英雄に、なれるかもしれない)

 

 老兵たちの胸の奥で、燻っていた誇りの残火が赤々と燃え上がった。

 

 フィンは、駆けつけた老兵たちを振り返り、黄金の槍についた血を振り払って短く命じた。

 

 「来てくれたか、老兵(みんな)。……悪いが、休む暇はない。挟撃の要は完成した。あとはこの袋小路で、闇派閥とモンスターの殲滅を手伝ってくれ」

 

 それは、死地に飛び込めという非情な命令。

 

 だが、ノワールをはじめとする老兵たちの中で、それを断る者は一人としていなかった。

 

 「応ッ!!」 

 

 「老兵の意地、見せてやろう!」

 

 老兵たちは雄叫びを上げ、勇者の背中を追って、残党が蠢く死の海へと嬉々として突撃していった。

 

 南区画の戦いは、冒険者側の完全な殲滅戦へと移行したのである。

 

 一方で、オラリオの北区画。

 

 バベルへと続くもう一つのメインストリートでは、全く異なる様相の防衛戦が展開されていた。

 

 幸いにも、北側に流れ込んだダンジョン産のモンスターの数は少なかった。

 

 だが、その代わりに集結した闇派閥の信者の数は、南を凌ぐほどの圧倒的な大群だった。偽伝令の言葉を信じ、狂信の牙を剥き出しにして押し寄せる漆黒の波。

 

 その波を、少数の冒険者たちが決死の覚悟で堰き止めていた。

 

 「――消え失せろ、ゴミ共がァァァァッ!!」

 

 金色の残像。

 

 都市最速にして、フレイヤ・ファミリアの幹部、アレン・フローメル。

 

 彼は単騎で敵の大群に突っ込み、八つ当たりのような怒号と共に長槍を振り回していた。

 

 自らの身を顧みない、連続した魔法の行使。

 

 光を帯びた槍の一撃が放たれるたびに、数十人の闇派閥が肉塊へと変わる。魔力枯渇(マインド・ダウン)のリスクなど無視した、純粋な殺戮の嵐。

 

 そのあまりに狂暴な戦いぶりに、狂信者たちですら後ずさる。

 

 「ガッハッハッ! フレイヤの所の小僧は、相変わらず元気が良くて助かるわい!」

 

 そして、アレンが暴れ回るその後方。

 

 分厚い大盾と大斧を構え、絶対に崩れない防波堤として君臨しているのが、ロキ・ファミリアの重鎮、ガレスであった。

 

 「オラァッ!!」

 

 ガレスが地面を蹴り上げ、大斧を横薙ぎに振るう。

 

 現在、彼のステイタスは『Lv.5』。

 

 ドワーフ特有の規格外の筋力と耐久値は、たった一振りで、突撃してきた信者たちの武器ごと、十数人の体を纏めて吹き飛ばす。

 

 「抜かせはせん! ここから先は、一歩たりとも通さんぞォ!」

 

 傷を負うことすら厭わない、泥臭くも雄々しいドワーフの重戦士。山そのものが道を塞いでいるかのような絶望感が、敵の足を完全に止めていた。

 

 その後方上空から、アスフィ・アル・アンドロメダが空飛ぶ靴で飛び回り、爆発性の魔道具を投下して戦況をコントロールしていた。

 

 だが、彼女の顔には焦燥が浮かんでいた。

 

 アスフィ率いるヘルメス・ファミリアは、元々の人数が少ない上、各所への伝令工作や暗殺任務で部隊を細分化させていた。そのため、この北の防衛線に残っている者はごく僅かしかいない。

 

 「……くっ、数が多すぎる。このままでは、二人のいずれかが魔力とスタミナの限界を迎える……!」

 

 抜け出そうとする信者たちを、少数のヘルメス・ファミリアが必死に足止めし、討伐していくが、防衛線が決壊するのは時間の問題かと思われた。

 

 その時である。

 

 「――持ちこたえろォッ! 北の各砦から、援軍だァ!」

 

 「アレンとガレスを死なせるなッ!」

 

 背後から響き渡った雄叫び。

 

 それは、北の各砦で防衛任務に就いていた冒険者たちだった。

 

 闇派閥の主力がバベル(中央)へと進軍先を変更したのを見て、彼らは部隊を割いてこの北のストリートに援軍に来たのだ。

 

 「援軍……! 間に合った!」

 

 アスフィが歓喜の声を上げる。

 

 「ガァァッハッハ! 待ちくたびれたぞ若造どもォ! さァ、一気に押し返すぞ!」

 

 ガレスが豪快に笑い、合流した冒険者たちと共に、闇派閥の波を力任せに押し返し始めた。

 

 北の防衛線は、増援を得たことで完全に持ち直した。

 

 これで、地上の闇派閥の掃討は事実上、時間の問題となった。

 

 だが。

 

 上空から戦況を見下ろすアスフィの表情は、決して晴れてはいなかった。

 

 彼女の視線は、逃げ惑う闇派閥ではなく、都市の中央――バベルの広場へと向けられていた。

 

 ズドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 北の戦場までビリビリと空気を震わせる、特大の衝撃波。

 

 地上の戦いは、まだ終わっていない。

 

 雑兵の掃討が終わろうとも、都市の中央には、オラリオの命運を分ける『頂上決戦』が残されている。

 

 南の城壁、最上階の指揮所。

 

 煙幕が晴れたその空間で、正義の女神(アストレア)の眷属たちと、闇派閥の首魁たちとの、退路なき死闘が幕を開けた。

 

 「――顔無し、お前は私が斬る。首を洗って待っていろ」

 

 「極東の女剣士……! 私を一人で止められるとお思いですか?」

 

 真っ先に動いたのは、カグヤだった。

 

 彼女は白刃を閃かせ、闇派閥の幹部ヴィトーへと単騎で肉薄する。ヴィトーと闇派閥の幹部ということもありかなりの強敵である。短剣の二刀流による変幻自在の暗殺術は、まともに打ち合えばカグヤの手に余る。

 

 だが、カグヤは一歩も引かず、極東特有の剣術と足捌きで、ヴィトーを指揮所の隅へと強引に押し込んでいった。

 

 「カグヤ、無理はしないでね!」

 

 「無駄口を割くな、団長! 私がコイツを押さえている間に、あの薄汚い女(ヴァレッタ)を仕留めろ!」

 

 カグヤは血を吐きながらも、ヴィトーの凶刃を紙一重で弾き返し、笑って見せた。

 

 彼女の献身。それは、主戦力であるアリーゼとリューたちを、最大の脅威であるヴァレッタに集中させるための、文字通りの命懸けの隔離だった。

 

 「生意気なガキ共がァ……! Lv.5の私を、たかがLv.3の群れで狩れるとでも思ったかァ!!」

 

 ヴァレッタが、血走った目で咆哮する。

 

 彼女が振るうのは、その細身に似合わぬ巨大な大剣。Lv.5の圧倒的な「力」と「敏捷」から放たれる一撃は、かすっただけでもアリーゼたちの骨を砕く破壊力を持っていた。

 

 ガギィィィィィィンッ!!!!

 

 「く、うぅぅッ!?」

 

 アリーゼが真紅の剣で大剣を受け止めるが、その圧倒的な重力に膝が折れそうになる。

 

 Lv.3とLv.5。その間にある『2』というレベル差は、ダンジョンにおいては「神の奇跡」でも起きない限り覆せない絶対的な絶望の壁だ。

 

 「死ねェッ!」

 

 ヴァレッタが大剣を押し込み、アリーゼの体を両断しようとしたその瞬間。

 

 「ルミナス・ウィンドッ!!」

 

 リュー・リオンの並行詠唱から放たれた緑光の星屑(魔法)が、ヴァレッタの視界を覆い尽くすように炸裂した。

 

 「チッ、目障りなエルフが!」

 

 ヴァレッタが顔をしかめ、大剣を振って魔法を弾き飛ばす。

 

 そのわずかな隙を突き、ライラがヴァレッタの足元に特製の起爆薬を滑り込ませた。

 

 「そらよッ、ドカンと行きな!」

 

 ドガァンッ!!

 

 爆炎がヴァレッタを包むが、Lv.5の強靭な『耐久』は、その程度の爆発では致命傷にならない。

 

 「小細工ばっかりしやがって……! おい、外の護衛部隊は何をしてる!! 中に入れェ!」

 

 ヴァレッタが怒号を上げると、通路から生き残っていた闇派閥の兵士たちと、飼い慣らされた数匹のモンスターが雪崩れ込んでくる。

 

 「邪魔はさせません!!」

 

 「アリーゼ団長とリューには、指一本触れさせないよ!」

 

 それを迎え撃ったのは、アストレア・ファミリアの他の団員たちだった。

 

 彼女たちは盾を構え、自らの肉体を壁にして、増援の兵士やモンスターがヴァレッタの元へ合流するのを死に物狂いで食い止めた。

 

 血飛沫が舞う。

 

 アストレア・ファミリアの少女たちは、一人、また一人と傷ついていった。

 

 ヴァレッタの規格外の蹴りを喰らい、肋骨を砕かれて壁に激突する者。

 

 増援のモンスターの爪に肩を深くえぐられながらも、決して道を譲らない者。

 

 カグヤもまた、ヴィトーの毒を帯びた刃に太腿を浅く斬られ、冷や汗を流しながらも執念で刀を振るい続けている。

 

 痛い。苦しい。全滅の恐怖が常に背中を撫でている。

 

 だが、誰一人として、その瞳から『正義』の光を絶やす者はいなかった。

 

 「……なんでだ」

 

 ヴァレッタは、自分の大剣を幾度も叩き込まれ、ボロボロになりながらも、何度でも立ち上がってくるアリーゼたちを見て、底知れぬ恐怖を覚えた。

 

 「なんで、心が折れねェ……! テメェらと私の間には、覆せない力の差があるだろうがッ!」

 

 「力の差なんて、関係ないよ」

 

 アリーゼは、額から血を流し、息を荒らげながらも、太陽のように笑った。

 

 「悪を討ち、正義を為す。……そのための覚悟の重さが、私たちの背中を押してくれる。それだけだよ!!」

 

 「アリーゼ!!」

 

 「うん、リュー! 決めるよ!!」

 

 ライラが最後の煙幕を放ち、ヴァレッタの視界を完全に奪う。

 

 その煙の海を切り裂いて、リューの剣がヴァレッタの死角から太腿を痛打し、Lv.5の巨体をわずかに崩した。

 

 「アァァァァァァァッ!!」

 

 そこへ、アリーゼ・ローヴェルが自身の持ち得る全ての魔力と炎を真紅の長剣に纏わせ、流星のごとき一撃をヴァレッタの胸元へと叩き込んだ。

 

 ズガァァァァァンッ!!!!

 

 「が、はァッ……!?」

 

 ヴァレッタの大剣が砕け散り、炎の刃が彼女の体を切り裂いた。

 

 巨体が宙を舞い、指揮所の壁を突き破って、崩れ落ちる。

 

 「ッ!?」

 

 カグヤと交戦していたヴィトーが一瞬だけ余所見をした。

 

 その隙を、極東の剣鬼は見逃さなかった。

 

 「よそ見をするなと言ったはずだ、三下」

 

 カグヤの刃がヴィトーの武器を弾き飛ばし、その首筋に冷たい刃を突きつけた。

 

 「……そこまでです」

 

 リューが、壁際で大人しく成り行きを見守っていた邪神エレボスの前に立ち、剣を向ける。

 

 エレボスは、肩をすくめて両手を高く上げた。

 

 「降参、降参。……いやはや、君たちは本当に面白いね」

 

 今回の大抗争の首魁、邪神エレボスの捕縛。

 

 終わった。

 

 指揮所に雪崩れ込んできた増援のモンスターたちも、団員たちの決死の抗戦によって全て物言わぬ骸へと変わっていた。

 

 「……はぁっ、はぁっ……」

 

 アリーゼが、折れた剣を杖代わりにして、その場にへたり込む。

 

 リューも、カグヤも、ライラも、そして他の団員たちも。

 

 全員が血と泥に塗れ、立っているのが不思議なほどの満身創痍だった。骨折、裂傷、魔力枯渇。代償は、決して安くはなかった。

 

 だが、互いの無事を確認し合った彼女たちの顔に、後悔は微塵もなかった。

 

 その表情は、どこまでも澄み切っており、オラリオの空に輝く星々よりも美しく、「やり切った」という純粋な達成感に満ち溢れていた。

 

 「……勝ったわね、私たち」

 

 アリーゼの震える声に、全員が涙交じりの笑顔で頷いた。

 

 正義の眷属たちが、勝利の余韻に浸っていたその時である。

 

 ――――『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!』

 

 空気が、世界が、ビリビリと悲鳴を上げた。

 

 南の城壁にまで届いたそれは、物理的な衝撃波を伴う、途轍もない『咆哮』だった。

 

 都市の中央。バベルの方角。

 

 それは、フレイヤ・ファミリアの頂点に君臨する都市最強の『猛者(オッタル)』が、闇派閥の最大戦力にして、かつての最強の象徴である『暴食(ザルド)』を打ち倒し、その勝利を天地に轟かせた鬨(とき)の声であった。

 

 「……オッタルの、声……」

 

 アリーゼが、城壁の崩れた壁から、バベルの方角を見つめる。

 

 その咆哮は、オラリオ中の全ての者に、たった一つの絶対的な事実を伝達した。

 

 『敵の最強は、オラリオの冒険者によって討ち果たされた』と。

 

 「バカな……ザルド様が、負けただと……!?」

 

 「終わりだ……俺たちは、負けたんだ……!!」

 

 覇王の咆哮は、冒険者たちに最高の歓喜と力を与え、同時に、生き残っていた闇派閥の信者たちの心を完全に、そして修復不可能なまでにへし折った。

 

 司令部(ヴァレッタ)からの命令はすでに途絶え、最強の象徴すらも崩れ去った。

 

 「逃げろ! もうダメだ!!」

 

 「オラリオから出ろォォォッ!!」

 

 残された闇派閥の信者たちは、完全に戦意を喪失し、武器を放り出して我先にとオラリオの出口や地下水路へと逃げ惑い始めた。

 

 オラリオを火の海にした、史上最悪の大抗争。

 

 その地上戦において、ついに冒険者側の勝利が確定した瞬間であった。

 

 空を覆っていた黒煙の向こうから、一筋の眩い光が、血に濡れた英雄たちの顔を照らし出していた。




最新21巻を読み、アストレアレコードを読み直しました。
21巻を読んだ上で、黒龍戦を考えるとして、アルフィアがいうゼウス・ヘラファミリアの挑戦を考慮すると、少なくとも、Lv9が複数いてそこにステータス上昇系のスキル(アーディのスキルとか)や魔法が複数必要なのでは?という思いが… 。
そもそも、最高の装備やメンバーが揃っていたはずで、レベルブーストはないにせよ、強化魔法などはあったはずでLv8,9が何も出来ずに負けてますから… 。
21巻を見ると…。
このままでは、ifルートと同じ運命を辿りそうで…
アニメや小説を見返して、あまり無理ない理由で、強化イベントを起こせそうな要素を探してみます。
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