ある寂れた喫茶店の店長と怪しい少女のお話。
バレンタイン✖️宝生マーゴss

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*********

 

さて死のうか。

シワだらけの手でカップを掴み、コーヒーを飲んでいるとふとそんな考えが浮かんだ。

慣れ親しんだカウンター。コーヒーの香り。自分の店という城にて一息ついていると、突然ふっとそんな思考が湧いてきたのだ。

思い立ったら吉日。重い腰を上げ杖を持ち喫茶店を出てから私は外に出る。

目の前に広がるのは寂れた商店街。私が若い頃は活気があったが、今では見る影もない。

延命措置とでもいうような、季節のイベントに沿ったピンク色の広告が貼られているがチンケな物だ。

この商店街も私と同じ時代に取り残されたババアである。

 

だがそんな商店街でも私と同じ生き汚い連中がチラホラと店をまだ構えている。

死ぬための道具を揃えるぐらいできるだろう。

 

そんな考えをしながら足を動かす。

若い頃と違い思い通りに動かない足に苛立ちを覚える。

傍に主人がいた時は何にも思わなかったが、彼が旅立った今、余計に自身の体の不甲斐なさが強調された気がする。

この錆びついた時計のような体のせいで、昔の様に働くこともできず、遅く店を開け早く店を閉じる様になってしまった。

昔は用意していた軽食もケーキも暇は知り合いの店からの貰い物。

その内あれだけ年月を費やして修行したコーヒーも淹れることはできなくなるかもしれない。

現に本気のコーヒーを用意するのも辛くなった。今出しているのも悪い物では無いが、本気か?と言われると首を横に振ってしまうだろう。

 

そんな事実に私は耐えれそうにもない。

そして何よりも、これが一番の理由なのだが、----心残りがないのだ。

 

伴侶も死に、惰性で店を続けてきたが、もう続ける意味も無くなってしまった。

続けて欲しいと言っていた常連達は1人2人と天へと旅立ち、先日最後の常連が満足しながら永遠の眠りへと落ちていった。

常連もいなくなりほとんど店に客も来ない。

来るのは物好きな少女のみ。

何となくで続けている店。子供もいない。友人も旅立った。何となくで生きている人生。

惰性で続けるのならやめたほうがいいだろう。店も人生も。

 

ならもう終わりでもいいじゃないか。

 

そんな考えと共に歩みを進めるが、ふと困ったことに気がついた。

 

どうやって自殺をすればいいのだろう?

 

自死など今まで一回も考えてこなかったが故に見当もつかない。

流石に周りに迷惑をかけて死にたくはないし、苦しみながら死にたくもない。

うまく楽に迷惑かけずに終えたいところなのだが、相談に乗ってくれる場所もないだろう。市役所などに相談した瞬間病院に投げ込まれるに違いない。

だが、インターネットとやらも結局何がなんやらでやった事もない。

はてさてどうしたものか...

 

 

「あら?マスターさん。お店は空いてるかしら?」

 

後ろから声が聞こえた。

 

こんな寂れた場所で声をかけられるとは思わず、驚きながらゆっくりと振り返る。

 

そこには1人の少女がいた。

妙に大人びた雰囲気。まだ若いのに色気とミステリアスな雰囲気を漂わせた少女。

 

例えるのならば蜘蛛。

子供に似合わぬ例えだが、彼女にぴったりな表現に思える。

そんな少女、もとい私の店に来る物好きなお客さんがそこにいた。

 

「マスターさん、こんな昼間からどうしたの?お店は?」

 

「それはこっちのセリフだよガキンチョ。学校は?」

 

私の返答に学生はクスクスと年齢に見合わぬ笑みと共に言葉を紡ぐ。

 

「今日はお休みよ」

 

嘘をつけ。

 

 

 

*******

 

 

「はい、ゆっくり食べな」

 

学生の座るテーブルにコーヒーカップとケーキを並べる。

 

結局何を買えばいいのか分からなかった私は、店を開けろとせがむ学生によって店にUターンすることとなった。

 

おかげで今日初めての客に商品を提供している。

そんなわざわざ提供してやった商品を前に学生は眉を顰める。

 

「ケーキセット?」

 

「そうだねチョコケーキだよ。喜びな」

 

「注文間違っていないかしら?」

 

「どうせもう客は来ないからね。サービスだと思って受け取りな」

 

「あら嬉しい。でも私が頼んだのは紅茶だけなのだけど?」

 

「ケーキ含めてサービスにしといてやる。ガキが遠慮するんじゃないよ」

 

「遠慮とかじゃなくて、目の前にあるものわかるかしら?」

 

「コーヒーとケーキだね」

 

「紅茶は?」

 

「この店の売りはコーヒーだよ」

 

私のサービスという名の押付けに文句を垂れてくるが無視をする。

今まで、うちの店に来て一度もコーヒーを頼まないこいつが悪い。いつか無理矢理でも飲ませてやると思ってたからちょうどよかった。

 

意地でもコーヒーを飲ませたい私の意地に観念したのか、「あらひどい」なんて戯けながら学生は一口コーヒーカップに口をつけた。

するとさっきまでニヤついていた顔がスッと変わる。

 

「...美味しいわね」

 

目をパチクリとさせ年相応に驚いてるその表情を見て思わずしてやったりと笑みを浮かべてしまう。

その顔が見たかった。

本気の豆や焙煎したものでは無いとはいえ、今あるもので最高の出来のコーヒーしか私は出さないんだよ。

私は使い古したメニューを手に取り、ある一文を指差す。

 

「メニューに書いてるだろ?一押しの品って」

 

そこにはデカデカと達筆な文字で『この店はコーヒーが一押しです」と筆文字で書かれている。

旦那の置き土産だ。見えないとは言わせない。

そんな文字を学生はチラリと横目で見た後、また一口カップに口をつけて喋る。

 

「私、物事を額面通りに受け取るほど素直じゃないの♡」

 

「達観するほどまだ生きてないだろガキめ。ちょっとはガキらしく大人に騙されな」

 

「あら、子供は意外と賢いのよ?おばあさん」

 

そう言ってまたニヤリと笑った。

まったく口が減らないガキだ。 

 

そのまま私は踵を返し、いつもの定位置であるカウンターの席に座った。

そしていつも通りまだ読み終わってない文庫本と老眼鏡を取り出す。

そして栞を挟んでいたページを開き読み進んでいく。

1ページ2ページと読み進んだところで、ふと気がついた。

 

なぁにやってんだい私は

思わずため息をつく。

さっきまで自死を考えていた人間とは思えない自分の行動に自身のいい加減さが明確になった様で嫌になる。

 

「あまりため息ばかりついてると、幸せが逃げていくわよ?」

 

余計な一言に眉を顰めながら、そちらに目を向けるとそこにはコーヒーを美味しそうに味わうガキの姿。なお、ケーキを見ると一口しか食べてない様である。

それにしても今日はよく喋る。いつもは最低限の会話しかせず紅茶一杯で閉店まで居座るくせに。

いつもと違う違和感を感じながらも生意気なガキの忠告に返答してやる事にした。

 

「老い先短いとあまり自身の幸せなんて考えなくなるんだよ。それよりケーキ食べてないようだが気に入らなかったのかい?」

 

「いいえ?別に不味くは無かったけどコーヒーの方が美味しかったからこれだけで楽しみたいの」

 

「それは嬉しい物言いだね。ため息で逃げた幸せが帰ってきたよ」

 

「ずいぶん尻軽な幸せなのね」

 

「幸せなんてそんなもんさ。ふとした瞬間に消えたり現れたり。深く考えないのが長生きの秘訣だよ」

 

「そんなものなのね」

 

冗談を交えた言葉に対してガキは、まるでその言葉をゆっくりと咀嚼するかの様に考え始めた。まったく、深く考えるなと言ったばかりなのに...

 

「それで?なんか悩みかい?」

 

聞くと面倒だと思っていたが、流石に口に出すことにすると、ガキはキョトンとした表情をした。

 

「いつもは喋らない客が今日は店を開けろとせがみ、よく喋る。何か勘ぐるなと言う方が無理というもんさ」

 

私はそう言うとパタンと本を閉じた。

そしてガキをじっと見つめる。

このガキの事は殆ど知らない。だが碌な人生を送ってない事は何となくだがわかる。

こんな寂れた喫茶店に1人できて、夜遅くに帰る習慣。年齢に見合わない佇まいと精神。意図的に隠された肌。そして年頃の学生なのに1人でこんな寂れた喫茶店の常連になっている。

 

まだ生まれて20も経っていないのに、どれ程の苦難に飲まれて乗り越えたのだろうか。

いや、乗り越えていないのだろう。多分だが、乗り越えず、苦難と共に沈んでいっているのかもしれない。

 

そんな勘繰りをしてしまう。

だがそれを直接聞くわけにはいかない。

若い頃ならまだしも、こんなおいぼれには1人の少女の人生なんて背負いきれそうにない。

 

とはいえ無視するのも夢見が悪い。

だから聞いた。

少しぐらいなら相談に乗れるだろうと言う思いと、どうせガキも友人ですら無いババアにおそらく話す事は無いだろうという打算込みで尋ねたのだ。

 

そんな私の問いにガキは俯き考え始める。

私はそんな姿を横目に視線を本に戻した。

 

別にこのまま喋らなくてもいい。喋らない方が私も楽だ。

そんな感情と共に視線で文字を追い、1ページ2ページとページを捲っていく。

そうして4ページ目に指が触れた時だろうか。

 

「ねぇ店長さん、明日何の日か知っているかしら?」

 

 

ガキの声が耳に入る。

再び顔を上げると、そこには腕を組み俯きながらも私に言葉を投げかけるガキの姿があった。

 

明日、つまり2/14日。

 

「バレンタインだろう?」

 

私は商店街のチンケな広告を思い出しながら返答した。

ガキは言葉を続ける。

 

「そうね、それでバレンタインは何を思い。何をする日かしら?」

 

伺うような声色で尋ねられた質問。

私も耄碌してるわけじゃ無い、こんな質問日本人なら誰でも答えられる。

質問の意図が分からず、私は首を傾げながら口を開いた。

 

「何って?最近はチョコレートを渡すんだろう?愛でも囁きながら-----」

 

「そう。チョコレートは愛の証なの」

 

無機質な声が喫茶店を覆い尽くした。

 

失敗した。

その声とガキの顔をみて私は自分の過ちを自覚した。

私はちょっとぐらい相談に乗ってやろうなんて年の功に身を任せて聞いてみたが、身の程を知った方が良かったらしい。

 

「チョコレートは、バレンタインで貰うものは『愛の証』」

 

そう語るガキの表情は笑顔だった。妖艶な笑顔だ。

それ以外の感情は一切見えない。年齢に対して酷く不相応な大人の笑み。

長年使い慣れ、違和感を感じさせないほどの、その笑顔は水商売を長年やっている女達よりも遥かに淫で、今まで見てきた詐欺師や嘘つきよりも精巧な嘘の仮面。

まだ馬鹿をやって青春を楽しめるはずの子供がそんな表情をするもんじゃ無い。

そう言ってやりたいが、そんな軽い言葉、目の前の少女に届くわけがないのはひと目見てわかった。

 

『愛の証』

それが何を示すのか、想像もしたくない。

 

「だから私、明日とってもいっぱい愛の証を貰うの」

 

少女は楽しそうにしか見えない笑みでそう語る。

 

嘘だ。

そう言うのは簡単だ。

だが、その言葉を、ただの知り合いのババアは、私は口にする事ができない。

 

 

「だから楽しみで...楽しみで...ね」

 

少女はそう言い、チョコレートケーキを一口食べた後、こくりとコーヒーに口をつけた。

 

「ふふっ、美味しい♡」

 

ペロリと彼女は唇を舐める。

その姿は先ほどの目をパチクリとさせた年相応な表情からかけ離れた物であった。

 

重く、重厚な仮面。

もはや彼女自身それが本当の自分なのか嘘の自分なのか認識できてはいないのかもしれない。

 

そんな仮面子供がするべきではない。

だが、ただの知り合いのババアの言葉如き届くわけがない。

もし届けられるとするのなら、それは酷く荒療治が必要になるだろう。

 

ゆえに私ができるのは、ただ無言。

目の前の少女の言葉に耳を傾けるだけ。

 

だってそうだろう?

目の前の少女はただの知り合いで、わざわざ手を貸してやる必要など...

 

 

「やっぱりコーヒーは甘い物...特にチョコレートがないとダメね♡」

 

「あ?」

 

パァン!!

 

そんな破裂音のような音が手元から聞こえた。

...どうも勢いよく文庫本を閉じてしまったらしい。

そういえば同時に自分の口からドスのきいた低音が溢れ落ちた気もする。

 

「あ、あら?」

 

予想と違う反応をされたせいなのか、ガキが困惑した声を上げている。

 

...どうも年齢を重ねると我慢が効かなくなるらしい。

若い頃だとブチギレていたが、私も婆さん。

たとえ相入れぬコーヒーの楽しみ方を聞いてきれる年齢では無い。

 

そんな考えをしながら私は席を立ち、ガキの机へ足を進める。

 

「店長さん...?気に障ったかしら?」

 

ガキが伺うように尋ねてくる。

幾分か、先ほどよりも年相応に見える。

だが、今はそんな事どうでもいい。

 

私はガキの目の前に立ち、口を開いた。

 

「ガキンチョ...今なんつった?」

 

「私、ガキンチョと呼ばれるほど小さくは無いのだけど?」

 

「今なんつった?」

 

「...もしかして『コーヒーは甘いとダメね』って言ったことを怒ってるのかしら?」

 

「怒っては無い」

 

「そ、そう」

 

「気に食わないだけさね」

 

「それは怒っているのでは無いかしら?」

 

ただでさえ皺まみれの顔にさらに皺がよった私の表情を見てガキンチョが慄いている。

こんな皺がれたババアに詰め寄られてさぞ混乱しているだろう。

年相応の反応だ。さっきのこのガキの態度こそ、おかしいのだ。

 

私にはこのガキは助けれない。

だがやれる事はある。

そんなガキに私は言ってやることにした。

 

「私はコーヒーは単体で楽しむものだと思ってるんだよ」

 

そう、コーヒーとは一つで完成されたもの。

決して甘いお菓子の口直しでは無い。

これは私の信念であり、生前夫に何回も叩き込んだ事でもある。

そんな私の主張にガキンチョは口を挟んできた。

 

「なら、なんでケーキセットなんてこの店にあるのかしら?」

 

「斜向かいのケーキ屋の倅がよこしてくるんだよ。在庫処分さ」

 

「私は今、処分品を食べさせられているってことかしら?」

 

「そうさね」

 

「...あっさり認めるわね」

 

「そんなどうでもいい事より」

 

「どうでもよくは無いのだけど?」

 

いちいち口を挟むガキを睨む。

するとガキは楽しそうに口を噤んだ。

 

「そんなどうでもいい事より、私はさっきのお前の発言で決めたよ」

 

「決めた?...何をかしら?」

 

「お前に本物のコーヒーを飲ませてやる」

 

私は罪状を突きつける裁判官のような心構えで、信念を持ってその言葉を宣言した。

ガキはそんなことを知ってかしらずか首を傾げる。

 

「本物のコーヒー?」

 

「ああ、今お前の目の前にあるコーヒーじゃ無い。前から焙煎方法まで馬鹿みたいな手間暇かけて作る採算度外視の本物のコーヒーさ。味が奥深く濃い。それ単体で完成しているコーヒー」

 

「...それは興味深いわね」

 

「そうさ、デザートと一緒に出されなんてしたら塗りつぶしてしまうよ」

 

「塗りつぶす?」

 

「そうだ。塗りつぶす。そんな生半可なデザートなんて塗りつぶすコーヒーさね」

 

「...」

 

「特に...チョコレートだなんてもってのほかだね。」

 

「...」

 

「全部だ...全部塗りつぶしてやる。その証明のためにもそうさね...持ってきてみな」

 

「持ってきてって、何を...ってまさか...」

 

ガキンチョが目を見開く。

私は口を開いた。

 

「ああ、お前の言う『愛の証』ってやつ...明日たくさん貰うんだろう?----そんな大量の在庫不良品、私のコーヒーで全部塗りつぶしてやるよ」

 

そう私はガキに伝えた。

ガキはポカンと口を開けた後------可笑しそうにクスクスと笑い始めた。

 

「『愛』を潰すなんて、バレンタイン前日なのに酷いこと言うのね」

 

「知ったこっちゃ無いよ。私が若い頃はそんな習慣なかったからね」

 

「ふふっ...」

 

ガキが楽しそうに笑う。

 

そうさ。

私はただの喫茶店の店長。ガキ1人救う行動も言葉も作れはしない。

 

だけど...こうして何かのきっかけになるかもしれないモノぐらい提供してやるつもりだ。

 

「じゃあ...楽しみにしていてもいいかしら?」

 

ガキがそう私に尋ねてくる。

まるで試すかのような言い方。

 

まったく可愛げがないったらありゃしない。

 

「ああ、楽しみにしてきな。別に友達連れてきてもかまわしないよ」

 

「それは無いわね。ここは私の特別なの...だから1人でくるわ」

 

「寂しい女だね」

 

「私しか客がいない寂しい店にはちょうどいいんじゃ無い?」

 

「生意気言うんじゃ無いよ」

 

捻くれたガキの言葉に思わず苦笑いする。

ガキは楽しそうにクスクス笑い、ケーキとコーヒーを嗜む。

そうさね。

 

ガキンチョはこんぐらい生意気なのが丁度いいのさ。

 

私はそんな考えをしながら、定位置に戻り始める。

なお、ガキに背を向けながら私は少し冷や汗をかきはじめた。

 

さてはて、豆の在庫があったかな?

 

ガキンチョに大見得切っていながら、明日作れるか不安になったのは秘密だ。

 

 

 

 

 

なお、ガキはそれから店に顔を出さなくなった。

 

 

 

*****

 

一年後

 

今日も店を開ける準備を始める。

肌寒い気温が肌をさす。

早く暖房が効けばいいのだが、オンボロは中々部屋を暖めてくれない。ついに死んだか?

勘弁してほしい。死ぬのは家主のババアが死んでからにしてほしいものだ。

 

ため息をつきながら、焙煎の準備を始める。

 

ガキと最後に会ってから一年と1日がたった。

あれからガキにはあっていない。

これが、ガキが約束を忘れてしまった、最初から守る気がなかったのなら別にそれでいい。

だが最悪の場合。もう約束を果たす事ができなくなったなどの最悪の場合を想像をし、去年の2月から3月にかけては新聞を事細かく見たものだ。

とはいっても、あのガキの名前すら知らない私にはどうしよもない。

 

はぁ、とため息をつく。

あのガキには言いたい事がそこそこある。

 

あのガキにいいコーヒーを出すために、軋む体を無理やり動かして、練習がてら店で再び本気のコーヒー提供するようにしてから、客の数が馬鹿みたいに増えてしまった。

 

おかげで銭は増えるが、忙しくなるばかりだ。

寿命も近い老人がなんでこんなに忙しく働らかなきゃいけないのだ。

 

それもこれも、あのガキに本気のコーヒーを出すと約束したからだ。

 

なら約束を守りに来い。

 

そんな思いでこの一年働いてきた。

 

だが一年立ってしまった。

 

ならもうこの約束は...

 

開店を告げる看板を外に出すために店の扉を開ける。

 

目の前に広がるのは一年前と変わらぬ寂れた商店街。

安っぽいピンクの広告。

 

 

開店を待っているグループ客。

 

 

「...」

 

「... あら?マスターさん。お店は空いてるかしら?」

 

「...今開けるところだよ」

 

「それは良かったわ。それにしても...随分賑やかなお店になったって聞いたけれど?」

 

「ああ、この一年でなったよ。ちょうど今のお前にちょうどいいぐらいの雰囲気じゃないかい?」

 

「ふふっ、そうかしら?」

 

私はそんな年相応の笑みを見ながら、看板を外に出し背を向け、一年と1日前の時と同じように宣言した。

 

「全員分用意してやる。覚悟しな。甘っちょろい物なんて塗りつぶしてやるから」

 

今日の仕事は特段に気合いが入る。

さてはて、こんな大人数のコーヒー同時に淹れるなんて、いつぶりだろうか?

 

思わずニヤけてしまう口角を隠しながら、そんな事を私は考えるのであった。

 

全く今日はいい日だね。ハッピーバレンタインさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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