また、楽しんでいただければ嬉しいです。
「ピナさん、今日は暖かいですね……」
春先のある日、私はいつも通り侵食型ラプチャーの調査及び侵食コードのサンプル採取を外でしつつピナさんの頭に話し掛けていた。
先週まで人間なら寒そうな気温だと思えば、今はジャンバーが要らなそうな気温になっているため、地球とは不思議なものだ。
「はくしっ……!」
まあ、そんな自然の神秘よりも全身がナノマシンで出来た機械生命体にも拘わらず、何故か花粉にアレルギー反応を起こしているラプチャーの神秘の方が意味が分かりません。おのれスギ花粉……! 今ならニヒリスターに近郊の杉林という杉林を焼き払わせる代わりにクイーン殺しに協力してしまいそうです……!
真面目に考えれば、人間だった頃の
お陰で唯でさえカスみたいな人相に花粉対策用に作った特殊な黒マスクが追加されて、それはそれは酷いことになっている。
そんなことを考えつつ、私は自我を得てから全く変わらず存在し続ける青空を見上げた。
「もう10年は経ちましたか……」
10年とどれぐらい経ったかは覚えていないというか意識的に考えないようにしている。
はっきり言って時が流れる速度が遅過ぎて狂いそうだ。1日、1日が余りにも長過ぎる。何をしていても流れる速度はそう変わらないし、寝ても起きている時よりも長い上に面白くもない夢を見るので、最近は無意味に感じて眠るのも止めた。ついでによくよく考えれば吐くので食べられない作物を育てるのも無駄なためそれも止めている。それとなんだか逆に腹が立ち始め、ドロシーの襲撃も100回を越えた辺りで数えるのを止めた。
後、最低でもこれの10倍の時間を? その前に私は狂うだろう。まあ、思考転換出来ないから狂いようもないんですが、えへへ……。デカパイと世界を天秤に掛けて前者を取ったカスの精神が無駄に強靭で……へへ……えへへ……。
そして、ひたすら侵食コードの研究をした結果――侵食耐性NIMPHというモノが出来上がり、私の研究が迷走していることを犇々と感じるばかりだ。
どうにか、侵食された脳とNIMPHを正常化させようと四苦八苦し続けていたが、それよりも初期段階にそもそも至らない対策を講じる方が楽だった。つまりは侵食の治療方法を探していたら先に予防手段が完成してしまったのである。これでは本末転倒だろう。
例えるのなら"迷惑メールをアドレスごとにイチイチ個別で拒否するより、ドメイン拒否した方がどう考えても早くないですか?"などと考えてしまい、侵食されないNIMPHを作る方が早かった。
デメリットとして侵食の大部分である行動原理そのものを干渉されない様にした関係で、NIMPHに転写してニケ化した瞬間から行動原理の書き換えが不能となるため、人間にとってはとてつもなく扱い難いニケになる。当たり前だけれどNIMPHそのものの構成が既存のNIMPHとは異なるため、新たに製造されるニケにしか適用されない。事実上の新人類の創生であり、改造NIMPHと言うよりも改悪NIMPHですね。まあ、記憶の保存・消去・上書きさえ出来れば機能としてはいいですし、ヘレティックな私には今更何も関係のないことです。
NIMPHが人類には解析不能な自転車のサドルなのではないのかという問いには簡単に答えられます。何せ、私は天才ですから。それも世界のターニングポイントになるレベルの人類でも指折りの天才です! えっへん!
世が世なら歴史に残るような天才ですよ? ヘレティック化技術を確立する過程で、NIMPHの構造なんてとっくに把握済みです。その改良型を作るだなんてちょっとしか難しくはありません。そうでなければ実用化などそもそも出来るわけがないですからね!
……どうしてニケになってヘレティックに成り果てても研究者としての自尊心と傲慢さだけは捨てられないんでしょうね、私は……本当になんでこの才能をニケのために使わなかったんですか前世のカスは……?
逆に言えば、これだけの技術力を持つ私が侵食の予防ではなく、根本的な治療は果てしなく無理に近いと断言していると言うことに自分自身で日々絶望しつつ治療方法を模索している状態であり、そのことを考えると――おそらきれい。
何でもいいですが、私の中ではカスと言えば前世の自分ことスリーピングビューティーのことを指し、レッドシューズのことはレッドシューズです。私に直接的に加害したのは一応カスだけですから。
「………………」
そんなことを考えていても考えてしまうものは考えてしまうため、私は最近ずっと頭の片隅にある後ろめたさの原因――カスが残したエイブ博士宛の謝罪状のことが頭を過る。
「エイブ博士……」
ピナさんの頭と同じく肌身離さず持っているカスが残した私宛でない羊皮紙の手紙に少しだけ目を向ける。ちなみに羊皮紙とは動物の皮で出来たモノを指すため、これは豚の革で出来ているようだ。何故、態々羊皮紙なのかと言えば、長期保存を想定した場合に石板の次ぐらいには保存に優れるからだろう。そのため、なんだかんだ言いつつカスはこの手紙を渡して欲しいように思える。
まあ、その謝罪状と言えばいいのか何なのか、人を煽りつつ一応謝罪はしつつもやっぱり罵倒もしているという頭の可笑しい文章が書かれており、それなりの仲だったことだけは伝わって来るが、そんな仲の人間にあの仕打ちをしたのかと思えば、私がそんな事後処理を好きでやりたい訳がない。
エイブ博士は、前世のカスとレッドシューズを含めた第2世代フェアリーテールモデルの直接的な開発者であり、母親のような存在であり、なんやかんやあり100年ほどで知能も記憶も人格も擦り減らしながらアナキオールじゃないです、アナキ……アナキオー……アナ――シ、シンデレ……ラ……を守り続けた間接的なレッドシューズ最大の被害者です。名前すら忘れてグレイブになりました。
そんな末路を辿る途中の彼女に
「はぁ……」
私は溜め息を吐きながら博士宛の手紙と共にあった小物とその説明書を取り出し、説明書に目を落とす。
:グレグレーダー
エイブの位置情報をリアルタイムで知れる観測装置。エイブが量産型ニケになる施術時に大脳皮質へと勝手に埋め込んだ亜種NIMPHのナノマシンを感知する。感知範囲は半径1700km程。
※通信が不可能な程のエブラ粒子濃度の場所にエイブが居れば流石に感知できないが、途絶えるまでの移動経路まで全て記録している。
人の心とかないんですかコイツ? 何さらっと博士がニケになった時に関わっている上、脳になんか埋め込んでいるんですか?
ちなみに見た目はグレイブとして付けていたバイザーを象ったようなフェイスパウダーケースだ。鏡の代わりに仏頂面のプロダクト23のデフォルメ絵が貼られ、パウダーの代わりにドラゴンレーダーのような円盤状の画面がついたこの世の終わりのような物体である。
ちなみに移動経路を記録するためか、起動したままで半永久的に動き続けており、叩き壊す以外に停止の方法がない。無駄に高度な技術がこれでもかと使われており、まるで私が必ず謝罪状を渡すと言わんばかりだ。
画面を眺めると、どうやらレーダーが探知出来ない場所にいるらしく反応がなかったため、移動経路の記録に切り換える。
「え……?」
博士が移動した経路と反応が消えた位置を見れば――それは丁度、人類最後の砦であるアークで途絶えていることが分かった。どうやら流石にアークほど地下深くまで潜られると探知出来なくなるようだ。
「………………」
それなら私にとっては都合がいい筈でしょう。
何故なら博士は壊れて眠るアナキオー…………おっ、えっぐッ……シ、シシ……シンデレラを担いで修復しながら地上でラプチャーから逃げ回る途中で、ラプチャーの攻撃により頭脳を損傷し、14年振りに地上から出たアーク所属のニケに助けを求めた結果、地上で生存していたニケとして1年間ほど解剖や実験をされた上で地上に破棄されます。それにより、脳機能が更に破壊され、数字の概念と記憶の大部分の喪失、言語機能の低下、顔面損傷などにより最早彼女は天才でも何でもなくなってしまう。ある意味、鉄屑になるという言葉は彼女の状況にこそ相応しいかも知れませんね。
そもそも博士が自分の名前すら忘れるほど壊れて摩耗した果てがグレイブというニケのため、何もしなければ博士は私という存在を忘れるのです。
つまり時間が全てを解決します。私は何もする必要はなく、流れで言えばそれが自然なことなのでしょう。
「…………そうですね、ピナさん。私は悪くないんです。悪くないんですよ」
だから私が気に病む必要なんて何処にもありません。
私はただ、今まで通り侵食の治療のことだけ考えて過ごせばいいんです。自分ことですら手一杯なのに他者をどうにかしようなど烏滸がましいことこの上ありません。人間は余裕がある時にしか他人に優しくはできないのですよ。
「誰も助けてくれないのに……」
だいたい、博士を助けてこの先どうする気なのですか? 彼女がグレイブにならなければ様々な歯車が狂いに狂ってしまう。それだけのことをする意味なんて何処にもないんです。
「うふふ……あはは……」
ああ、邪魔な記憶ですね。
なんで前世の私は裏切る予定のクセに博士と人付き合いなんてしていたんですか? どうしてその記憶を私が断片的に覚えているのですか?
私はレッドシューズと世界を天秤に掛けて前者を取るようなイカれた精神を持った奴の成れ果てなんですよ? 何が善性ですか、そんなものに今更何の意味があるのですか? 何が罪業ですか、私が何故背負わなければならならないのですか?
ええ、だからいつも通り私は耳を塞ぎ、目を閉じて何もしなければいいんです。後は時間が全てを解決してくれます。今この瞬間にも博士は壊されているのですから。
それでいいんです……それで――。
◇◆◇◆◇◆
「人類へ告げます」
その日、アークは未曾有の危機に直面していた。
アークの人々が生活する居住区は大混乱となり、数多のニケがそれを排除するために全力を注いでいる。
それはエレベーターをハッキングすることで侵入して来たため、数千mの高さからエレベーターを墜として対処するも衝突の瞬間にエレベーターを凍り付かせ、無傷で這い出て来た怪物――ヘレティックであった。
「私はコムニス、交戦の意志はありません」
ヘレティック――コムニスは巨大な赤い異形の脚をして、背中から多数の触手が伸び、周囲に数十、数百に及ぶ無数の赤い三角形のビットを浮かべたニケのような何かであり、移動する度に彼女を中心とした周囲の数十mの空間が瞬時に凍り付く。
四方八方からアークのニケによって撃ち込まれる弾丸は無数のビットが個々で形成するエネルギーシールドで受け止め、一発足りとも届くことはない。
「1年以内にエイブ博士だの、第2世代型フェアリーテールモデルの開発者だのと名乗る量産型ニケを地上で回収しましたね?」
その言葉の直後、コムニスは背中の全ての触手を瞬時に数百m伸ばし、周囲にいるニケのコアを槍のように串刺しにするか、剣のように薙いで胴体をコアごと完全に切断する。
また、全体の1割程のビットはエネルギーシールドを展開したまま近くのニケまで飛んで行くと、速度を落とさずにニケの首を通り過ぎ、玩具のように容易く首を斬り落とした。
「今すぐにそれを出しなさい……でないと――」
彼女は立ち止まり――凍結範囲が数十mから数千m程まで瞬時に拡大し、コムニスの対象をしていたほぼ全てニケたちを区画ごと凍結させ、大量の氷像が立ち並ぶ。
「――でないと、えっと……どうにかなっちゃいます……よ? 行政区は……あっちですね、はっくしっ……!」
明らかに兵器としての性能が桁違いなど表現では生温いほど過ぎるため、戦いにすらならない虐殺だけがそこにあり、コムニス自体が緊張感の欠片もないような様子が却って絶望を煽るばかりだった。
コムニス「誓って殺しはやってません! 皆頭部は無事ですから問題ないじゃないですか!」
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カスの片鱗
Q:この人、なんでこんなに強いの……?
A:エイブ並みの頭脳の奴がニケになる前から自分を最適な部品兼原料予定にした上で、才能の全てを注ぎ込んで作ったこの世の終わりのようなヘレティックです。