西宮の焦土の地下、かつての防衛省が極秘に建設していた深度300メートルの核シェルター。
今やそこは、世界で最も危険な「被造神」を隔離するための、音のない檻となっていた。
「……ハルヒ、入るぞ」
厚さ3メートルの鉛の扉を幾重にもくぐり、俺(キョン)は防護服越しに声をかけた。
部屋の中央、無数の生体モニターと抑制フィールド発生装置に囲まれたベッドの上に、「それ」はいた。ハルヒだ。
見た目はかつての少女の輪郭を辛うじて保っているが、その皮膚の下では虹色の粒子が血管のようにのたうち回り、時折、装甲のような異形の突起が肉を突き破って生えては、また血を流しながら内側に沈んでいく。
コスモスの力でも完全に駆除しきれなかったカオスヘッダーは、その後もハルヒの体を蝕み続けていた。依代であるハルヒの精神を「破壊」という一点に固定するため、彼女の全神経を24時間、1秒の休みもなく灼熱の苦痛で焼き続けている。
「……あ、が……っ、キョン……? ……来ないで、……今、あいつが、……脳を、食べてる……っ」
ハルヒが歯を食いしばり、血を流しながら呻く。
彼女に特殊能力はない。ただの女子高生の精神が、ウルトラマンを凌駕する巨大な闇の出力を内側に封じ込めているのだ。その負荷は、本来なら一瞬で彼女を廃人にするはずだった。
だが、彼女の「自分がやったことの責任を取る」という狂気的なまでの意志の強さが、皮肉にも彼女の意識を保たせ、結果として苦痛を永続させていた。
「古泉が持ってきた、新しい抑制剤だ。……少しは楽になるはずだ」
俺は震える手で、彼女の細い腕――今は半分以上が黒く硬質化した組織に覆われている――に注射を打つ。
ハルヒが巨大化し、街を壊し、コスモスを殺した。その「負の因果」は、このシェルターの中でハルヒの絶叫と、俺たちの絶望的な管理作業として現在進行形で清算され続けていた。
扉の外では、古泉一樹が、かつての余裕を完全に失った顔でモニターを見つめている。
自衛隊も、米軍も、ハルヒを「殺す」ことができない。彼女の内部に蓄積されたカオスヘッダーは、彼女の死と同時に地球全土を汚染する情報爆弾へと転換される。……ゆえに、世界は彼女を「生かし続ける」ことを選んだ。
長門有希は、感情を摩耗させたまま、ハルヒのバイタルを24時間監視し続け、暴走の予兆があれば即座に神経ガスを流し込むボタンに指をかけている。
朝比奈さんは、地上でこの施設の存在を隠蔽するための工作活動に、その人生の全てを費やしていた。
これが、俺たちのSOS団の、本当の「活動」だ。
「……ねえ、キョン。……私、昨日は……街の夢を見たわ。……まだ、誰も死んでいない、……あの、退屈な部室の……夢」
ハルヒが、涙を虹色に光らせながら、俺の手を握る。
その手の熱さは、もはや人間の体温ではなかった。握りしめる力は、俺の手骨を容易に粉砕できるほどに強大な、暴力の残滓。
「……そうか。……また、お茶を淹れてもらう夢か?」
「ええ。……でも、目が覚めると、……全部、壊れた後の世界なの。……これが、私の……本当の……日常、なのね」
彼女は再び、身体を突き抜けるような激痛に襲われ、身体を弓なりに逸らして絶叫した。
部屋全体が、彼女の苦悶に呼応するように虹色の電磁波で震える。
管理会計の論理で言えば、この施設は完全に「赤字」だ。莫大な維持費、そして俺たちの人生という取り戻せない機会費用。だが、この損失を計上し続けなければ、世界という組織そのものが破綻する。
俺たちは、ハルヒという名の「終わらない絶望」を、死ぬまで管理し続けなければならない。
「……ああ、そうだ。これが俺たちの日常だ。……安心しろ、ハルヒ。お前がどんなに苦しんでも、どんなに化け物になっても、俺はここを動かない」
俺はハルヒの額に手を置いた。
虹色の粒子が俺の防護服を侵食し、皮膚をチリチリと焼く。
外では、何も知らない人々が、ハルヒが壊した街の跡地に新しいビルを建て、復興という名の「忘却」を始めている。
涼宮ハルヒは、世界を救ったのではない。
世界を壊した責任を、この地下深くで、独り、永遠に引き受け続けている。
俺は、彼女の苦悶の声を子守唄のように聞きながら、いつ終わるともしれない監視モニターの数字を見つめ続けた。
そこに、かつての眩しい太陽のような団長の姿は、もう二度と戻ってこない。