そこは、灰色の空と、砕け散った部室の机が宙に浮く、音のない世界だった。
俺(キョン)は、かつての「心中」の記憶がヘドロのように足元に絡みつくのを感じながら、瓦礫の山の中央に座り込む少女の背中を見つけた。
「……ハルヒ」
彼女は、前回のループで俺と一緒に世界を壊した時の「異形の腕章」を握りしめ、震えていた。
その瞳には、40年分の孤独と、二度の滅亡を経験したキョンの記憶が、カオスヘッダーの手によって「自分たちの罪」として強制的に同期されている。
「……来ないで、キョン。……わかっちゃったわ。……私、あんたをこんなに苦しめてたのね。……私が『何か』を願うたびに、あんたは地獄を歩いて……。最後には、私と一緒に化け物になって……」
ハルヒが顔を上げる。その顔は、絶望という名の毒に侵され、透明な虹色の涙を流していた。
「……もう、終わりにしましょう。……私たちが存在すること自体が、この世界の『損失』なのよ。……ここで二人で、ずっと、この闇の中に沈んでいれば……」
俺は、一歩ずつ彼女へ歩み寄った。
胸の奥が痛む。だが、今の俺には40年間の沈黙の中で考え抜いた、冷徹で、かつ確固たる「管理会計的論理」がある。
「……ハルヒ、計算が間違っているぞ」
「……え?」
「お前は、これまでのループで失われた命や時間を『取り返しのつかない損失』だと考えている。だが、それは会計学で言うところの『埋没原価(サンクコスト)』だ」
俺は、彼女の目の前に膝をつき、その冷たい手を握った。
「俺たちが二度世界を壊したことも、俺が40年地下にいたことも、それはもう変えられない『支出済み』のコストだ。それに引きずられて今の意思決定を誤るのは、経営者失格だぞ、団長」
「……でも、……だって、……私は……!」
「お前が今ここで消えることを選べば、その瞬間、これまでのコストは全て『無駄な損失』として確定する。だが、もしお前が俺の手を取って、この地獄を『糧』にして新しい日常を作るなら、これまでのループは『未来の平和のための費用』に資産計上されるんだ」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「ハルヒ。俺は40年待ったんだ。お前と、またあの下らない、何の事件も起きない部室でお茶を飲むための機会を。俺は一生分支払ってきた。……その投資を、ここで紙屑にするつもりか?」
「……キョン……」
「『連帯保証人』なんだろ、お前は。……俺の絶望の半分を背負うって決めたんなら、俺が望む『退屈な未来』の利益も、半分受け取ってもらうぞ」
ハルヒの目から、どろどろとした虹色の光が消え、元の、勝気で眩しい光が戻り始めた。
カオスヘッダーの論理回路が、キョンの放つ「未来への投資」という名の執念に焼き切られていく。
「……ふん。……あんた、……相変わらず、……理屈っぽいのよ」
ハルヒが、俺の手をギュッと握り返した。
その瞬間、灰色の世界に、校庭のセミの鳴き声が、遠くから紛れ込んできた。
「……わかったわよ。……サンクコストだか何だか知らないけど、……あんたの40年、……私が責任持って『黒字』に変えてあげるわ!!」
精神世界の出口は、目前で虹色の檻へと変貌した。
キョンとハルヒが手を取り合い、光の中へ戻ろうとしたその刹那、カオスヘッダーの残骸が『共犯の記憶』を核として急速に再構築(リストラクチャリング)を行った。
「……っ、ハルヒ、伏せろ!!」
キョンの叫びも虚しく、二人の意識は再び、灰色の廃墟――心中した世界の残骸へと叩きつけられた。
外の世界では、二人を分離しようと全エネルギーを注ぎ込んでいたウルトラマンコスモス(エクリプスモード)の胸元で、カラータイマーが悲鳴を上げていた。
「……ムサシさん、逃げて……っ! 早く、逃げてくれ!!」
キョンの声が、カオスウルトラマンカラミティの巨躯を通じて外へと漏れる。
だが、ハルヒの「キョンを独りにしたくない」という剥き出しの執着と、キョンの「全てを終わらせたい」という深層心理がカオスヘッダーにハッキングされ、『コスモスを捕食することで、この閉鎖的な幸せを永続させる』という凶暴な意志へと変換された。
『……光よ、……糧となれ……。……この絶望に、……終わりはない……』
カラミティの右腕が、コスモスの首を強引に掴み上げた。
エクリプスモードの輝きが、漆黒の霧に浸食され、泥のように濁っていく。
ムサシの絶叫は、西宮の焦土に響くこともなく、虹色の粒子の中に消えた。
慈愛の勇者は、二人の放つ「40年分の質量」に押し潰され、カラータイマーの光と共に、その存在をこの時空から抹消(デリミット)された。
西暦2026年、2月15日。
世界は、一際大きな虹色の輝きを放ち、そして――音もなく、霧散した。