ゴォォォォォン……ッ!
地鳴りと共に、北高の旧館が大きく傾いた。
ひしゃげた鉄骨と崩れ落ちるコンクリートの雨の中、俺(キョン)は無我夢中で朝比奈さんの小さな身体に覆い被さっていた。
「いやぁっ……! ひぃぃっ……!」
腕の中で、朝比奈さんが悲鳴すら声にならない過呼吸を起こして震えている。彼女の柔らかい髪には真っ白な粉塵が降り積もり、俺の背中にはソフトボール大の瓦礫が何度も叩きつけられていた。痛い。肺の中まで埃まみれで、息をするたびに血の味がする。
「大丈夫です、朝比奈さん! 目を閉じて、息を……ッ!」
励ます俺自身の声が、情けないほど震えていた。
空を見上げれば、そこにあるはずの天井は跡形もなく消え去っている。代わりに視界を埋め尽くすのは、夕闇の空を覆い隠す巨大な青と赤の悪魔の背中だった。
ズンッ……! ズンッ……!
一歩、また一歩。
あの巨人が足を踏み出すたびに、俺たちのいる地面がトランポリンのように跳ね上がる。その度に遠くから、ビルが砕け散る轟音と、人間のものとは思えない凄惨な悲鳴が風に乗って聞こえてきた。
遠くの空で、オレンジ色の爆炎が上がった。自衛隊の砲撃だろう。だが、あの巨人の足元にチカチカと小さな火花が散るだけで、何の意味も成していないことは、素人の俺にだってわかった。人類が何十年もかけて作り上げた最新鋭の兵器が、ただのオモチャのようにあしらわれている。
『……ハルヒ』
乾いた唇から、無意識にその名前が零れ落ちた。
数時間前まで、あの理不尽の塊みたいな巨人は、この狭い部室で俺にくだらない命令を下していた女子高生だったのだ。
「俺は……止められたんじゃないのか……?」
胸の奥から、どす黒い後悔が込み上げてきた。
ここ数日、ハルヒの様子がおかしいことは誰の目にも明らかだった。彼女の口から語られる世界への呪詛、物を浮かせる異常な力。俺はそれに怯え、ただ目を逸らしていただけだ。
「いつものハルヒの思いつきだ」「そのうち飽きるだろう」と、都合の良い言い訳を並べて、彼女が抱え込んでいた致命的な絶望――カオスヘッダーという得体の知れないウイルスに付け込まれるほどの孤独に、気づかないフリをしていた。
俺があの時、彼女の手を無理やりにでも引いていれば。
いや、違う。俺に何ができた? 俺は宇宙人でも、未来人でも、超能力者でもない。ただの平凡な高校生だ。巨大ロボットを呼ぶスイッチも持っていなければ、魔法の呪文も知らない。
「……ッ、くそったれが……!」
俺は血の滲む拳で、床の瓦礫を思い切り殴りつけた。
圧倒的な無力感。神様気取りで世界を踏み潰すハルヒと、その足元で瓦礫に埋もれ、ただ震えることしかできない虫ケラのような俺。
だが、それでも。
「……長門! 古泉! 無事か!」
俺は粉塵で霞む視界の中、必死に声を張り上げた。
俺に世界を救う力なんてない。ハルヒのビンタを止めることすらできなかった俺に、50メートルの怪獣を止めるすべなんてあるはずがない。
それでも、腕の中で震える朝比奈さんを、そしてこのふざけた状況に巻き込まれた部員たちを、見殺しにしていい理由にはならない。
巨大な悪意によって日常が木っ端微塵に粉砕されても、俺はただの凡人として、凡人の意地を見せるしかないのだ。この理不尽な瓦礫の底で、1秒でも長く生き延びてやる。
俺は朝比奈さんを抱え直すと、絶望の空に向かって、届くはずもない睨みを利かせた。