「松永さんは、まだか。……ちょっと早すぎたみたいだな」
なんて呟いてみたが、遅刻しないで済んだのはありがたいところ。
何せ相手が相手だ。もし遅刻などしていたら、もれなく皮肉以上の何かがついてきただろう。
関所近くに茂る竹藪の側に降りると、側に丁度良い大きさの石があったのでそこに腰を下ろした。
小太郎はというと、一瞬ばかり姿を消したと思ったら、いつもの忍衣装を身につけて戻ってきたので、黒江が眉を上げて笑う。
「何だ。着替えちゃったのか」
可愛かったのになー、などと軽口を叩けば、傍に立った小太郎が黒江の手の平を掴んでそこに筆答した。
『あれは視界が散逸しやすい』
「そうなの?」
こくりと頷く赤髪の忍。
羽根がある分、邪魔になるのだろうか? と黒江は考える。成程、忍というものは実に洗練されているようだ。
(伝説って呼ばれるだけあるなあ。……流石こた!)
などと、それで一応の理解はしたのだが……少しばかり、諦めきれないものがあるのもまた事実。
またモフモフしたいな、とか。
日光浴した後に顔を埋めてみたいな、とか。
とかく、ちょっとした執着が出るくらいにはあの衣装が気にいってしまったわけで。
「あっちの方が速度出てた気がするから、良いんじゃないかなーって思ったんだけど、実戦向きじゃないのか」
そうだ、と小太郎が頷く。
『少しでも軽装でいるほうが良い』
「そうだろうけど、んー……私はあの衣装も好きだなー」
「(……)」
黒羽の衣装に後ろ髪を引かれているらしい黒江を不思議そうに見つめながら、小太郎は己の言葉を伝える。
『貴方を確実に守る為だ。許してくれ』
「へっ!? え、あ」
小太郎からの予想だにしなかったストレートな好意に、黒江が面食らう。
心の中で不埒なことしか考えていなかった自分が、何だか恥ずかしい。
頬を赤らめ、わたわたと視線を彷徨わせ、居た堪れなさに目を伏せ、それでも小さな声で呟いた。
「その……あ、ありがとう」
この忍は声を持たない分だけ、実に饒舌に、かつ直球に言葉を伝えてくる。羽根が邪魔で動きにくいからとだけでも良いのに、黒江を守る為にわざわざ着替えたのだと堂々と言いのけてくれた。
嬉しいのだが、素直に信じきれないのは若くないせいだろうか。
「や、これは私の性根が捻くれてるだけだな!」
「(……?)」
「ああ、独り言だ。何でもない。あ、それよりもさ──」
松永さんがいつ頃来るか、賭けないか──と。
芽生えた悪戯心から浮かんだことを小太郎に持ちかけようとした黒江は、言葉を飲み込むことになる。
周囲の気配が、一段階ほど暗くなった気がした。
仮面越しに見えたのは、霧のように漂い始めたくすんだ金色。
少なくとも五人以上の人間に囲まれている。黒江が息を飲み、隣の忍を見上げようと頭を動かせば──。
「うわっ!?」
ザクザクッと、足元すれすれの地面に苦無が突き刺さった。動くな、という警告らしい。
「(……)」
小太郎が黒江を背後に庇いながら背中の対刀を抜き、身構える。
すると、周囲の気配が揺れて──。
──音が、消えた。
※
「──え?」
突如モノクロに変じた光景を見て、黒江は目を丸くする。
音が無い──どころか、金色の鱗粉のような何かがチラチラしているその空間は、何もかもが止まっているように見えた。
「何だコレ……っ、こた──小太郎!?」
思わず目の前に居る忍を見上げるが、それは対刀を構えたままの格好から動かない。むしろ彫像然としていて。
「小太郎っ!」
忍の名を叫び、肩を叩き、服を引っ張ろうとするも布は伸びず、凍りついたように動かない。……動いて、くれない。
「……っ、こた……っ」
何とも不可解で怖ろしい、この状況。
それでも黒江はその場から動かず──小太郎を置いてどこかへ行ける筈もなく。小太郎に寄り添ったまま辺りを見回していれば、じゃり、と砂を踏む音がした。
「……?」
音のした方を振り返った黒江は、ゆったりとした足取りでこちらに向かって歩いてくる男の姿を目撃する。
(……松永さん……じゃ、ないな。誰だ?)
真紅、漆黒、黄金、と。
実に優雅な気配を纏わせているせいか、仮面越しに視る男は酷く眩しい。堪らず視線を下方へずらせば、男の右手にある棒のようなものに視線が止まる。
しゃもじを一回り大きくして持ち手を伸ばしたソレは、座禅修行の僧が持つ棒状のものに似ていた。ただ、飯をよそうそれとは違い、両端が円形状になっている。
教科書で見たことがあるような。
名前は何というのだったか。
「……卒塔婆?」
「はははは。残念だが、此れは笏だ」
独白に返されたのは、闊達な声の訂正。
成程、と新しい知識を得た黒江は素直に頷く。敵意のない明るい声だったせいか、怯えが好奇心に勝ってしまったらしい。声に緊張を混じらせながら、黒江は男と会話を続ける。
「座禅の時に、背中を叩くやつとはまた違うもの……、ですか?」
「警覚策励のことかな。警策、ともいうが」
「けいかくさくれい? へー。あの棒ってそう言う名前かー」
初めて知ったなあと呟き、一人納得顔で頷く。
見知らぬ相手を前に普通に会話を進めてしまったのは、男から全く悪意も敵意も感じられないからだ。
それどころか、先程まで身裡に在った恐怖心が消えている。思ったよりも相手の気配と声が柔和なせいかもしれない。……絢爛すぎる雰囲気が若干気になるところではあるが。
小太郎の服を右手で掴んだまま、黒江は尚も男に話しかける。
「平安時代の貴族とか神主さんとかが持ってたりしますよね、ソレ」
「ははは。そうだな」
「じゃあ、貴方は貴族……じゃないな、華族? ええと、偉い人だったりします?」
「何故そう思うのだ?」
質問を質問で返された! と突っ込みたいのを堪えつつ、黒江は答えた。
「や、気配というか雰囲気が何となくそんな感じがして」
「ははは。此れは面白いことを言う」
他愛ない会話を交わしている間にも、男はゆっくりと近づいていて──。
──今や男は、黒江の眼前に居た。
胸の前で両腕を組むと興味深そうに黒江を見下ろし、口元を引き上げる。
「話には聞いていたが……うむ、軽快なやり取りが気に入った。其の方、名は何という」
「え? ……えーと」
人に名を訊ねるなら自分が先に名乗れ! と松永にそうしたように言い返したいのだが、黒江は言い淀んで口を閉ざしてしまう。胸中で鳴りっぱなしだった警報が大きくなってきたので、踏み込むのを止めたのだ。
相手の名前を聞くな! と、何かが警告している。もう一人の自分だろうか。黒江は、相手からそろりと目を逸らして小さな声で答えた。
「名乗るほどのものでは──」
「──名は何と申す」
柔和な声が被さった。
そこには妙な威圧感があり、有無を言わせぬ力があった。仮面越しに視える相変わらず眩しい三色の気配も手伝って、黒江は押し負けてしまう。
「……黒江、です」
観念して下の名前だけを明かせば、男は己の手の平にパシリと笏を打ちつけて笑った。
「そうか。予は──」
「あ、あ、いいです、自己紹介、要らないです!」
「うん? 何故だ。其の方が名を明かしたのだから、次は予の番だろう?」
「貴方の名前を聞いたら何か最後な気がするんで止めて下さい!」
一人称が「予」だという時点で嫌な予感しかしない。
黒江は相手の言葉を待たずに、硬化している小太郎の背後に隠れた。それを見て、男が首を傾げる。
「うむ? 何故隠れようとしているのだ」
「いや、あの、めちゃくちゃ今更なんですけど、この状況ってよく考えたらオカシイですよね!?」
「奇異なところがあるかね?」
「いやいや、だって、まわり全部固まってるのに動いているのが私と貴方だけとかオカシイでしょうよ! いや、この状態になってから危機感抱いた私自身の愚かさには毎度嘆くところなんですけど、成長時期は既に頭打ちしてるんで本当にもうダメ人間というか」
「……ふむ。すまぬが、少々落ち着いてはくれないか。斯様な状態からでは会話も成立しないぞ」
「むしろ私は貴方に問いたい! 何でこんな異常な中でそう平然としていられるのか──を?」
小太郎の影から喚いていた黒江はそこでふつりと言葉を切る。
視線の先、豪奢な気配を纏う男の足元に、模様めいた何かが広がっているのが視えていた。
※
「……ルーレット盤?」
眉根を寄せて、ぽつっと呟いた黒江に男が言う。
「ほう。廻天之賭が見えるのか?」
「かいてんのと?」
「そうだ。我が技の一つだ。ああ、説明しておくと、此れは時を『止めて』いるのではなく『遅く』しているだけだ」
「遅、えっ、なに」
何だか今とんでも無いことを言われたような。
戸惑う黒江の目の前で、男が手にしてた笏を垂直に持ち上げて笑んだ。
「ふむ。己が目で見てみるか? さすれば理解も出来よう」
そう言って、男が地面に浮かび上がっているルーレット盤──かいてんのと? ──に笏を突き立てようとするので、黒江はギョッとして小太郎の影から飛び出した。
「待て待て待て待て待て!」
思わず笏を持つ男の腕にしがみついたのは、嫌な予感がしたからだ。黒江は男の動作を制しつつ、叫ぶ。
「いい! 重ね掛けしないでいいから、先にこの状態を何とかしてくれ! 解除を! 先ずは解除を!」
「はははは。そう怯えずとも良い。案ずるな、此れは自然と元に──おや、もう戻ったか」
「えっ?」
男の言葉に併せるかのように、それは唐突に起こった。
白黒だった周囲に鮮やかな色彩が戻る。
それでも、黒江が静止していた時間が動き出すのを実感したのは、振り返った先にある「彫像」が動くのを目にしてからではあったが。
「(……っ)」
硬直が解けた小太郎がハッとしたようにたたらを踏んだところで、黒江は涙目になった。
「小太郎! 良かっ──」
走り寄ろうとして前に踏み出した足は、けれども軽く宙に浮いて前に進まなかった。
「え?」
視線を落とした黒江は、己の腰に巻き付いた腕が体を引き止めているのを見る。
「……え?」
肩越しに背後を──腕の主を見上げ、黒江は困惑顔になる。
「あの、これはどういう……?」
「其の方は、自ら予が元へ来た。なのに、すぐに離れようとするのはつまらぬではないか?」
「え、えぇー……」
黒江は、困惑の表情で男を見る。
仮面越しに見えるのは実にいい笑顔で、悪意も敵意も無い。
前方に居る伝説の忍が尋常では無い殺気を放っているというのに、にこやかな態度を崩さない男を見て、黒江は少し背筋が寒くなる。
「あの……あのですね。実は私、今日これから人と会う約束がありまして」
「ふむ」
「ですから、貴方の戯言……、遊興には付き合えないので、解放していただけないかと」
「そうか。だが予は、廻天之賭が作動する中で動いていた其の方に興味を持ったのだ」
「何かの手違いじゃないかなーと」
「うん? ならば、もう一度試してみようか──」と男が笑って笏を掲げようとするので、黒江は勢いよく首を振って叫ぶ。
「待て待て待て! そう言う小細工はなしで話を進めよう! というかその反則技なんか怖いから禁止ーっ!」
最早、口調を畏まらせる余裕はない。その腕にひしっとしがみついて引き止める姿はどこかじゃれついているようにも見えて。
「ははは。その方は逐一面白い反応をしてくれるな」
「面白がっているのは貴方だけだコンチクショウ!」
相手の男も分かってやっているのか、無礼な黒江の行動を咎めもせず、それどころか機嫌よく見下ろしている。
「(……)」
殺気を纏ったままの小太郎が、ついていけない展開に一人眉を顰める。かちん、と手にした対刀を軽く合わせて音を立てると、黒江の注意を己に引きつけた。
「小太郎? ──あ、悪い!」
それで黒江が直ぐに気づいて振り向いたので、幾らか小太郎の溜飲も下がったようだ。
「無視してたんじゃなくて、この人が何か、反則っぽいことしようとするから!」
「反則、とは酷い言い方だな。我が技は天帝──」
「アーアー聞こえないというか聞きたくないです! こた、この人が私と話したがってるみたいなんだけど、どうしよう!?」
「(……)」
小太郎は黒江を見て頷き、その腰を抱く男を見て──対刀を構え直した。
「待って、何で!?」
突然の迎撃態勢をとった小太郎に、黒江はぎょっとする。
「ソッチは無しの方向で! 話し合い! 話し合いでどうにかしよう小太郎くん!」
血を見るのは御免被りたい──そんな当たり前の思いから、とにかく必死になって説得する。
それこそ一生分の語彙と屁理屈を盛大に並べたて、ようやく小太郎が対刀を背中の鞘に納めた時には、初対面の男の腕の中で黒江はぐったりする羽目になっていた。
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ルーレット盤云々については、動画見ると分かるかも。