話始める前に、タツがやっと頭から手を放してくれた。
ジーンとした痛みが頭に残る。
「まず、そもそもの話だ。宏樹の分析は甘すぎる」
タツが腕を組んでこちらを見下ろしてくる。
まだちょっと怒りが残っているのか、威圧感たっぷりだ。
「甘いってことはないだろう。幼馴染ドン引き恋愛対象外確定ルートだぞ?」
「幼馴染ドン引き……なんて?」
「幼馴染ドン引き恋愛対象外確定ルート」
「……まぁ、いい。その幼馴染ドン引き恋愛対象外確定ルートが甘いって言っているんだ」
……は?
これでも考えうる限り最悪なルートなのだが……もっと最悪なのか?
「じゃあ、まずはもしそのルートだった場合を説明してやる」
「よろしく頼む」
「大前提として、ルートの大筋は正しい。急に知りたいなんて言われたら、そりゃ誰だって引くからな」
やっぱりそうだよな。
俺も誰かに同じこと言われたら引いてしまうし。
「でも、宏樹のやらかしはこれだけじゃない」
「いやいや、さすがにこれだけだろ。後はといえば、話しかけたぐらいなもんだぞ?」
俺たちは幼馴染。
小さいころから一緒にいて信頼関係もあるし、仲もいいと思っている。
赤の他人でもあるまいし、話しかけること自体がアウトなわけがない。
ただ、タツは首を横に振っている。
「あのな、宏樹が話しかけたとき、東川さんは花瓶を洗っている最中だったんだろ?」
「あぁ、そうだった」
「そして、あれだけきれいに洗うんだ。その花瓶は東川さんにとって大切な物なんだろう」
「理由とかは聞いてないけど、なんかそうっぽいよな」
俺たちはそろって、教室の前方を見る。
窓から入ってくる太陽光を浴びた花瓶は、名工の一品といわれても信じてしまうほどに光り輝いている。
入れられた草花もなんだか生き生きとしているような気がする。
「そんな思い入れのある花瓶を洗う時には絶対集中するはずだ」
そりゃそうだろう。花瓶は割れ物。一瞬の気のゆるみが花瓶を壊すことにつながってしまうのだから。
俺だってあの花瓶を洗うときは落とさないよう集中するのだ。
祐奈はどれほど集中しているか——
……あれ?
「その顔、ちょっと気付いたようだな」
……もしかして、俺、ヤバいことしてる?
「そんなにも集中しているのにもかかわらず、急に話しかけられたら……どうなると思う?」
血の気がさっと引いた。
そんなの、ブチギレされたって文句は言えないじゃないか。俺の考えが浅かった。
俺は祐奈が大切にしている花瓶を壊すところだったのだ。
それも、祐奈自身の手で。
あまりにも残酷すぎるではないか。
「お、俺は何てことを……」
「わかったようだな」
冷や汗が止まらない。
これでは祐奈のことを知るどころか、もう知れなくなっても不思議じゃないぞ……
これは、幼馴染ドン引き恋愛対象外確定ルートなんかじゃない。
幼馴染大激怒絶縁確定サヨナラルートじゃないか。
勝つための行動を早くしたいがあまり、全ての選択肢をミスってしまった。何をやっているんだ、俺は。
いや、今はこんな自責の念に駆られている場合じゃないよな。
「早く祐奈に……!」
祐奈に謝るために勢いよく席を立とうとした……が、タツが俺の肩を抑えて全く立てない。
「なにすんだよ! 謝るなら早いほうがいいだろ!?」
「おい、落ち着けって。さっきの俺の話、聞いていたか? これはもしそのルートだった場合の話、単なる仮定にすぎん」
「仮定……」
「そう、東川さんを見てみろ。あれがこの最悪なルートを辿った人の顔か?」
タツに言われ、恐る恐る祐奈のほうを見てみる。
すると、祐奈と目が合った。
まさか、祐奈がこっちを見ているとは思わず、俺は祐奈を見つめたまま固まってしまう。
祐奈も祐奈で目をそらすことなくじっとこちらを見てくる。
まるで、俺たちの時間だけ凍り付いたかのようだ。
だが、その氷は永遠のものではない。
祐奈の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
その熱で凍てついた俺たちの時間を溶かしていく。
パッと顔を友達のほうへ戻したことで、ようやく俺も氷の中から脱した。
「見つめあえ、なんて言ってないぞ」
「いや、それはその……ごめん」
ため息をつき、俺から手を放すタツ。
「まぁ、いいんだけどさ。これでわかったろ? 東川さんは引いてないし、ましてや怒ってもいない」
「……みたいだな」
こんなの、俺だってわかる。
恋愛経験がなくたってわかる。
「恋愛作戦、やっぱり悪くないな」
「そうか? なら良かった」
俺のアタックが効いてる。
それもまだ「知りたい」といっただけなのに。
——この勝負、勝てるかもしれない。
勉強やゲームといった今までの戦いよりも手ごたえがいい。
しかし、勝負は始まったばかり。
祐奈にはまだ俺に対する恋愛感情はないだろう。
良くて異性として意識し始めた、ぐらいなものだ。
あとは俺が祐奈のことを好きになって、祐奈を惚れさせたら——
……ん?
「なぁ、タツ。気になることがあるんだけどさ」
「急にどうした?」
「これ、俺の負けじゃないか?」
恋愛は先に好きになったほうが負け。
このルールに当てはめると、祐奈を惚れさせる前に俺が好きになる時点で負けが確定する。
あまりにも良さそうな作戦だったから、今の今まで全然気が付かなかった。
行動する前にちゃんと考えるべきだったな……
「やっと気付いたか。まぁ、どうする? この作戦やめるか?」
やめるか、か。
この勝負はまず、俺が好きになることから始まらなければならない。
つまり、敗北から始まる勝負なのだ。
勝ち負けだけを考えるのであれば、まだ負けていないここで終わる方がいいだろう。
でも——
「いや、やめない。絶対に」
さっき感じた手ごたえ。
俺はこの感覚を信じたい。
先に好きになったほうが負け?
そんなもん知るか。
だったら、幸せの度合いで勝負するだけだ。
惚れさせたうえで、愛を深め、幸せにする。
その「幸せ」まで行くには年月が必要そうだが、それでいい。
俺たちはまだ高校一年生、時間は何十年もある。
「幸せにするからな、覚悟しとけよ」
「……お前もう好きじゃん」
「いや、恋愛的な好きになるのはこれからだって」
……多分。
呆れ顔のタツを尻目に、俺は再び祐奈の方を見る。
今度は目が合うことはなく、顔色も元通りになっているが——
祐奈の赤い耳にはまだ熱が残っているようだった。