祐奈がコーヒーを片手に持って俺の隣に座る。
俺たちの正面に座る関口はちょっと気まずそうだ。
ただでさえ小さい体がさらに小さくみえる。
「で、関口。これはどういうことなんだ?」
「ほんとよ、翼ちゃん。なんでここにひろくんがいるの?」
「そのー、ですね。今日祐奈先輩と会う約束をしてたじゃないですかー……」
「ええ、そうね」
「その時に先輩と会って、別の場所行こうって誘われちゃいまして……」
その言葉を聞いた瞬間、祐奈から軽くパンチを受けた。
「ひろくん、女子中学生をナンパしたの!?」
「誤解だって! 校門でしゃべっていたら色々噂されそうだから場所を変えただけ」
「そ、そんな……私、先輩と放課後デートと思って……」
顔を手で覆う関口。
こいつめ、泣き真似で乗り切るつもりだな?
「ほら、翼ちゃんも泣いちゃったじゃない!」
「おい、どう考えても泣き真似だろうが! 見ろよ、指の隙間からチラチラ覗いているぞ!」
関口は指をもにょもにょと動かしながらこちらの様子を伺っている。
泣いているようには到底思えない。
「ふぅ……まぁ、そんなことはいいんですよ」
一瞬で泣き真似が看破された関口は顔から手を放し、真剣な表情で俺たちを見つめる。
「ごめんなさい! 私が先輩方に伝えるのを忘れていました!」
勢いよく関口が頭を下げる。
……勢い良すぎてテーブルにぶつかりそうだった。
「まぁ……ビックリしただけだからそこまで謝らなくてもいいんだけどさ」
「そうね。顔を上げて、翼ちゃん」
「先輩……!」
顔を上げた関口の目が輝いている。
尊敬ポイント増加したかな?
「でも、それはそれとして……今年の夏休みはしっかり勉強してもらうわよ。そうね……いつもの5倍は覚悟していなさい」
「ぐっ……! 先輩……」
「こっち見るな! 関口のためになるし、いいじゃないか。一緒の高校に行きたいんだろ?」
「そうですね……ガンバリマス」
また片言になってる。
でも、これはかわいい後輩のため。
心を鬼にして祐奈に預けよう。
「そういうことだからさ、ひろくん。ごめんけど、夏休みの約束は……」
「え、あぁ……」
そっか、みっちりやるぐらいだったら時間ないか。
残念だけど仕方ない。
2学期や冬休み……も関口の勉強がありそうだな。
来年の楽しみに取っておくか。
「海に行くぐらいにしようか」
「う、海!?」
いや、遊べるんかい。
遊べないことを覚悟していただけにめちゃくちゃ嬉しいぞ。
「海ですか!? 私も……」
「翼ちゃんはダメよ。ボーダーギリギリの受験生のどこに海で遊ぶ余裕があるの?」
「ですよね……」
関口が肩を落としてしまった。
表情が暗くなっていく。
……いかんな、祐奈よ。
こういうのはモチベーションが大切なんだ。
「関口、来年はどうだ?」
「らい、ねん……?」
「そう、来年。合格したら、来年の夏休みに海でもどこでも一緒に行こう!」
「……! その言葉、絶対忘れないでくださいね! 後から覚えてないとか無しですよ!」
「わかってるって。絶対だ。絶対どこかに行こう」
「ありがとうございます、先輩! やる気が出てきました!」
意気消沈していた先ほどまでとは打って変わって、関口の顔が活気に満ち溢れる。
どうだ、祐奈。モチベーションアップってのはこうやるんだ。
ドヤ顔をするために祐奈のほうを見ると——
「……」
震えた祐奈の姿がそこにあった。
非常階段の時と同じで、何かに怯えているのがわかる。
「祐奈……?」
「祐奈先輩、どうかしたんですか?」
「……大丈夫よ。えぇ、大丈夫。私がその未来を見せてあげるからね、絶対」
「何を……って関口のことか。プレッシャーなのはわかるが、俺と同じようにすればいいじゃないか」
「え、先輩何してもらったんですか?」
「言ってないっけ? 祐奈に入試問題の予想を——」
言おうとしたところで、祐奈に口をふさがれる。
その手には力がこもっている。
「ど、どうしたんですか? 祐奈先輩、先輩を放してあげてください」
関口の助けもあり、俺はすぐに解放された。
「祐奈……」
「それはもう、できないの。来年の入試問題は知らないから」
「知らないって……だってあれは予想じゃ……」
祐奈が首を振る。
「私、未来人なのよ」
「みらいじん……?」
「おい、関口が混乱してるだろ。いつもの冗談はよせ」
「冗談じゃないわ。ましてや、中二病でもない」
祐奈が俺の顔をつかみ、顔を近づける。
まずい、このままじゃ——
互いの唇が触れ合う。
ついに、キスをしてしまった。
ファーストキスの味はコーヒーの味だった。
だが、苦みは感じない。
離れていく祐奈の吐息の熱さが、脳に苦みを忘れさせた。
「せ、先輩……? キス……してる……」
「祐奈! 関口が見てる前でなんてことを……!」
「これは私のファーストキスよ」
「それは俺もだ……って答えになってないぞ」
「そして、誓いのキスでもある」
「先輩たち、結婚するんですか……?」
ほら、関口が混乱して変なこと言い出した。
どう見たって由奈は暴走している。止めなければ……
「この際だから言ってあげるわ。ひろくん、私が何かを気にしていたのって気付いているよね?」
「それは……そうだな。さっきも震えてたし」
「それね、ひろくんが死ぬのを怖がっていたんだよ」
「死ぬ……? 俺が?」
「そんな、先輩が死んじゃったら私……」
「ホワイトデーの日にひろくんは死ぬ。私を……みんなを置いて」
唐突に告げられた死の宣告に血の気がスッと引くのを感じた。
祐奈の顔は本気そのもの。冗談とかドッキリとかではないのだろう。
(にしたって……未来人だなんてそんな……信じられるかよ)
タイムリープなんてありえない。
そんなもの夢物語だ。現実世界では起こりえない。
わかっているはずなのに……こんな悲壮感あふれる祐奈を嘘つきとは言えない。
「でも、安心して。私はそれを変えるためにいるの」
「変えるって……できるのか?」
「できる。というか、できなきゃ困る。そのためにこの時代に戻ってきたんだから」
「キス……未来人……死……私はもうダメです……」
キャパオーバーした関口が倒れる。
わかるぞ、その気持ち。俺だって倒れそうだ。
「とにかく、変えるために私は動いているから。海に行くのもその一環よ」
「海で何が変わるんだ?」
「行くこと自体に意味があるの。本来なら、今年ひろくんと海に行く予定はない。でも、それを変えたら運命も少しずつ変わっていくでしょ?」
「その程度じゃ何も……」
「変わるわ、絶対。現に1周目の世界じゃこんなこと起きなかったし」
1周目の世界……俺が死ぬ世界のことか。
「そういうことだから、よろしくね。まぁ……深く考えなくてもいいよ。私は絶対にひろくんを救うから」
「そ、そうか……ありがとう」
「いいの。これは私の自己満足だから」
それじゃ、と祐奈が席を立つ。
あわてて俺が関口を起こすと——
関口の唇が俺のをめがけて突撃してきて、ぶつかった。
「関口……?」
「つ、翼ちゃん!?」
「ごめんなさい、でも死ぬなんて聞いたら我慢できなくて」
ほぼ無表情だった祐奈とは違って、関口の顔は赤い。
関口の輝く瞳はいたずらっぽく俺を射抜いた。
してやったり、とか思っているんだろうな。
「ファーストキスは譲りましたけど、私……先輩のことを譲るつもりはありませんよ」
「翼ちゃん……」
「でも、今は私も受験生です。先輩とのいちゃらぶ生活は来年まで取っておいてあげます。だから——」
関口が祐奈の手を取って額につける。
関口の足元に水がこぼれる。
今度は本当に泣いてしまっている。
「だから、お願いです。先輩を助けてください! それが本当なんだったら……!」
「……わかった」
祐奈が関口を抱きしめる。
放課後の誰もいない喫茶店で関口の泣き声だけが響き渡る。
俺の死を想像して。
俺は2人を撫でることしかできなかった。
ファーストキスとセカンドキス、それを不意に奪っていった彼女たちの頭を。
そうして、夏が始まる。
——運命を変える夏が始まる。