関口と少し話過ぎてしまった。
お茶出しにしては時間が経ちすぎている。
(まぁ、祐奈とタツだし別にいいか)
お客さんとはいえ、そう気を使うような奴らでもない。
やましいこともないのだし、普通に持っていけばいいか。
「よし、じゃあ……こっちのコップを持って行ってくれ。俺がペットボトル持っていくからさ」
「わかりました! コップですね。慎重に運ばないと……!」
「あぁ、いやガラス製とか陶器のコップじゃないから落としても大丈夫」
「いえ、そういう問題じゃないんです! 先輩にコップを落とすような不器用な子って認識されるのは嫌ですから」
4つのコップをおぼんに乗せて運ぶ関口の表情は真剣そのもの。
腕をプルプル揺らして、ものすごく集中している。
ちょっとイタズラしてみたいな。
……いや、さすがにやめておこう。
そんなことをしたら、今度こそ合鍵を奪われそうだ。強制的に。
「ここから階段だから気をつけろよ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
足元が見えない関口に代わって教えてあげる。
加えて、転んでも受け止められるように関口を先に行かせて階段を上る。
これ、プラス1万先輩ポイントは確実な行動じゃないか? そんなポイントないんだけど。
階段が終わり、俺の部屋の前についた。
だが、声が何も聞こえない。
(おかしいな……話をしていたら声が聞こえるはずなのに)
出ていくときのタツの様子は少しおかしかったし……祐奈と何かあったのか?
関口を後ろに立たせ、そーっと扉を開けると——2人は黙々と宿題をしていた。
(いや、宿題かよ)
集中している最中にベラベラお喋りするわけがない。
それに、両者とも頭が良い。宿題のわからない部分を教えあう、なんて交流も必要ないだろう。
考えてみれば当然のこと。心配して少し損した気分だ。
「すまん、ちょっと遅くなったけどお茶だ」
「コップどうぞー!」
ここまで一度も落とさず、見事にコップを運びきった関口が配る。
俺の仕事はそれに中身を入れること。
全員のコップにお茶を注いでいく。
「ひろくん、ありがとう」
「ありがとうな」
「おう、どういたしまして」
うん、タツの声色も普通だ。顔にしわも寄っていない。
この様子ならさっきのことを聞いても変な感じにはならないかもな。
「なぁ、タツ」
「どうした……って、そうか。さっきのことだよな」
「あぁ。さっきは何であんな変な感じだったんだ?」
「そうだな……簡単に言えば、ありえないことが起きていたからだな」
「ありえないこと……?」
「その通り」
タツが鋭い目つきで俺を睨んでくる。
しかし、その視線は俺だけに向けられたものではない。
未だにシャーペンを滑らかに走らせ、宿題を手早く片付けている祐奈にも向けられていた。
「ありえないんだよ。宏樹が海で溺れるなんて」
「えっ! 先輩溺れたんですか!」
俺が溺れたと聞いたその瞬間、関口が俺に飛びついてきた。
すごいな、まるで瞬間移動みたいだったぞ。
俺の隣に祐奈がいて邪魔だろうに……なんて速さだ。
「祐奈から聞いていないのか?」
「はい! 祐奈先輩、なんで教えてくれなかったんですか?」
「受験生に余計な心配をさせるわけにはいかないでしょ? まぁ、今度ちゃんと説明してあげるわ」
「……ちょっと納得はできないですけど、わかりました」
関口が立ち上がり、おずおずと自分の席に戻っていく——わけでなく、俺の膝の上に座りなおした。
重くはないが、宿題には限りなく邪魔である。普通にどいてほしい。
「少し、ここに居させてください。話が終わるまででいいので」
「……まぁ、いいか。すまんな、タツ。話を遮ってしまった。続きを聞かせてくれ」
俺の言葉にタツは手を顎に当て、しばらく考え込んだ後に首を横に振った。
「……いや、話はここまでだ」
「嘘つけ! 絶対何かあるだろ」
「ないと言ったら嘘になるが……もう少し様子見してみたいからな」
「よ、様子見? ヒントだけでもいいから言ってくれよ」
「クイズじゃあるまいし、ヒントなんてない。いつか宏樹にも話すだろうからそれで我慢してくれ」
釈然としないが、タツにこれ以上話す気はないのだろう。
シャーペンを持って宿題に向かってしまった。
しかし、ありえない、か。この言いぶり、まさかタツも未来人とかだったりして。
……そりゃないか。さすがにそういうのは祐奈だけで十分。
周りに2人も常識外の存在がいてたまるか。
まぁ、いいや。答えを教えてくれない以上、この事を考えても仕方ないし。
「……俺も宿題やるか」
「なんかよくわかりませんでしたけど、そうしましょうか」
「関口……」
いや、どいてくれよ。
このまま宿題をしたら座りながらのバックハグになってしまう。
すっぽりとフィットして離れがたいのはわかるが、居座らないでほしい。
「祐奈」
「はいはい、翼ちゃんはこっちで受験勉強しましょうねー」
「あー! ずるいですよ、先輩! 話すぐ終わったせいでまだ堪能しきれてないのに!」
「その文句は俺に言うな。話さなかったタツに言え」
「言えるわけないでしょう! 初対面の、それも先輩になるかもしれない人にそんなこと!」
祐奈に抱きかかえられた関口がズルズルと連れ去られていく。
こうしてみるとやっぱり小動物っぽくて思わず笑ってしまう。
「そっか、そういえば自己紹介してなかったな。俺は朝隈龍文。宏樹や東川さんのクラスメイトだ」
「はじめまして、関口翼です。今、ちょっとだけ朝隈先輩のこと恨んでます。よろしくお願いします」
タツの自己紹介に、運ばれながら関口が答える。
いや、言ってるじゃねぇか。恨んでますって。それ、シンプルに暴言だぞ?
さっきの言えるわけないとはなんだったのか。
「関口がごめんな、許してやってくれ」
「大丈夫、この程度で怒りはしない。それに、面白い子だね。久しぶりに新鮮な出会いって感じがする」
「新鮮か……言われてみればそうだな。クラスに関口みたいな人はいないし」
元気な奴もいるにはいるが、関口みたいにコロコロ表情が変わることはない。
唯一無二の魅力といっても過言じゃないだろう。
さすが関口だ。先輩として鼻が高い。
当の本人は自分の席に戻らされて不満そうに問題集を解いているけど。
「よしっ! もう話は終わりにして、宿題と受験勉強に取り掛かりましょ。ひろくんも早くシャーペン持って」
「……わかったよ」
どうやら遊びの時間はここまでらしい。
ここからはきっと、ほとんど休憩なしに宿題をさせられることだろう。
この予想は正しく、この後は夕方になってみんなが帰るまでずっと宿題漬けだった。
祐奈とタツという頭の良い2人から教えてもらえるのではかどったが、さすがに疲れた。
チラリと横にある問題集の束を見る。
(こんなにやったのに、まだあるのか……)
終わりの見えない壁に気が沈む。
タツはたまたま来ただけだし、祐奈も関口の受験対策で忙しく、俺と一緒に宿題をしてくれる時間は限られている。
つまりは、ほぼ独力でこの量をこなさなければならないのだ。
俺が再び自由に夏休みを過ごせる日は来るのだろうか。
……今のところは、来ない可能性のほうが高いと思う。