長く感じられた夏休みの時間も、太陽の熱に抗えない氷のようにとけていった。
私にとっては、複雑な夏休みだった。
ひろくんと海に行けた喜びもあれば、ひろくんが溺れそうになってしまった悔しさもあるからだ。
すぐに助けられたし、何の後遺症もなかったから良かったとはいえ、危うく水難事故として夕方のニュースになるところだった。
ひろくんはこれで運命が変わったといっていたが……果たしてそれは本当なのだろうか。
私にはわからない。何が正解なのか、見当もつかない。
だから、私はひろくんを軟禁した。宿題をやらせる、なんて下手な理由をつけて。
家から出なければ、危険な目にあうこともない。
危険な目に合わなければ、健康体のひろくんは当然死なない。
私ながら完璧な作戦だなって思っている。
しかし、今日からはもうその手を使えない。
だって、今日は2学期の始業式。
昨日ギリギリで夏休みの宿題を終えたひろくんを強制的に休ませる理由はどこにもない。
「はぁー……憂鬱だ……」
考え事しながら歩いていたらいつの間にか学校についちゃうし。
ひろくんと登校したかったのにな。
「ため息なんかついちゃって。東川さん、どうかした?」
「ん? なんだ、朝隈くんか。おはよう」
「おはよう。それで……何か悩みでもあるのか?」
「まぁ……ちょっとね。でも、大丈夫。これは私が解決しないといけない問題だから」
あと数か月で死ぬ幼馴染を助けたいんです、なんて当事者のひろくん以外誰にも言えるわけがない。
まぁ、翼ちゃんには言っちゃったけど。
でも、彼女はひろくんの後を追って死んじゃう子。例外にしていいだろう。
一方で朝隈くんは違う。将来、自動車の完全自動運転技術の確立といった大偉業を成し遂げる彼は、当然この先も生きていく。
中二病っぽい子だなんて思われるわけにはいかない。だから、絶対に言わない。
「そうか。なら話は変わるんだけど……ちょっと時間貰っていいか? 話したいことがある」
「え? うん、いいけど……」
話ってなんだろう……
ひろくんの家であったことかな?
ひろくんたちがお茶出ししに出て行ったとき、朝隈くんの様子はおかしかった。
こちらをチラチラと見たかと思いきや、何度も首を捻っていた。
その様子がおかしくて思わず笑ってしまった。
どうやらバレていないようだったので、その後は宿題に集中して落ち着こうとしたけど。
(もしかしたら、あの奇行の弁明とかかな? 誰にも言わないから安心していいのに)
ひろくんがやっていたとしたら皆にこんなことがあったって言って回るかもしれないが、正直朝隈くんとはそこまで交流がない。
そんな人をいじり倒せるほど私の度胸は強くないのだ。
そんなことを考えているうちに、空き教室についた。
整然と机が並べられたこの教室は、私たちの教室とは離れている。
そのうえ、今は朝のホームルームすらまだ始まらない時間。私たち以外の足音以外何も聞こえないほど静かで、誰もいない空間だ。
「それで、こんなところに連れ出して何の話? ひろくんの家でのことなら誰にも言わないから安心して」
「宏樹の家での出来事は関係——しているか。でも、東川さんが想像しているのとは少し違う」
「……? じゃあ、本当に何の用なの?」
朝隈くんが目を閉じる。
走ってもいないのに肩を大きく揺らすほど深呼吸を繰り返し、呼吸を整えている。
最後に一度大きく息を吐いて、鋭く真剣なまなざしを私に向けた。
(これ、もしかしたら告白……だったりする?)
同じような光景は何度も見てきた。
校舎の裏。体育館倉庫前。公園の中。みんなが帰った放課後の教室。
ほかにも色々な場所でこんな感じの男子を目の当たりにしてきた。
揃って彼らの用事は告白だった。当然断ったけど。
そして今、朝隈くんもその男子の一部になるのだろう。
でも、なるべく傷つけないように断るから……許してね。
「まず、俺の話を聞いてくれ」
「もちろん、いいよ」
このパターンね。
いきなり告白するのではなく、好きになったエピソードから語り始める形式。
私が覚えていないこととかを思い出として語ってくれることもあって、案外面白くて好きなパターンだ。
でも、それとこれと話は別。告白の返事は変わらない。ただ、断るまでの時間が長くなるだけだ。
「1つ目。教室の花瓶」
「花瓶ね。私が大切にしているあの……花瓶?」
「東川さんはあの花瓶にそこまで執着するような人ではないはずだ。そんな変人がいたら俺が覚えていないわけがない」
……何?
「2つ目。宏樹の様子がおかしい」
「おかしいって……いつもこうでしょ?」
「いや、違う。こんな宏樹は初めてだ。俺が見たことのない反応や行動をしている」
彼は……
「3つ目。東川さんの様子もおかしい」
「……私は何も変じゃない」
「だったら、なんで宏樹への好意を隠し切れない行動をしているんだ? 教室で見つめあうなんてしていなかっただろ」
……何を。
「4つ目。夏休みに宏樹は溺れない。命を落としかけない」
「……」
「あいつはそんな危険な目に遭わないままあの日を迎えるはずだ。ありえないんだよ、何もかもが」
彼は何を言っている……?
告白なんかじゃなかった。
予想外の事態に焦っているはずなのに、心臓が冷えていく。
「教えてくれよ。東川さん……お前は何者なんだ?」
「……私は東川祐奈。普通の女子高校生よ」
「普通? 笑わせるな。そんなわけがない。言い当ててやろうか? 東川さん、アンタは——」
私は考えていなかった。
だって、ありえないから。
タイムマシンを作ったのは私が人類史上初のはずだから。
技術も秘匿し、データも破棄した。過去に戻るときも失敗したように見せる細工をした。
誰もタイムマシン発明の神髄にたどり着けないようにしたんだ。
でも、目の前の状況はそれを否定している。
朝隈くんが言っていることは、1度の人生で理解できるような程度のものじゃない。
私を鋭く睨みつけてる彼の口が開き、声を放つ。それは……
「——未来人だろ」
今の私にとって一番馴染み深い——いつもひろくんに言っている言葉だった。
「……っ!」
私は思わず足を動かしていた。
朝隈くんに背を向け、ただひたすらに走った。
朝隈くんは追いかけてこなかった。
というより、追いかける必要がなかったのだろう。
だって、この逃げは肯定を意味しているんだから。言葉での返事はもう必要ない。
朝隈くん……1周目のときからひろくんの友達だった男。
何者なんだ、なんて聞きたいのはこっちのほうだ。
……心の整理がついたら、また話してみるか。
私にとって、ありえないのは彼の方なのだから。