学年末試験。それは、一年間の総決算となるもの。
……まぁ、実際は三学期に習った内容に関する問題が出るだけなんだけど。それは置いておいて、だ。
試験開始を数分後に控えた教室は静まり返っている。みんな集中力を高めているのだろう。
(ついにきたか……!)
もちろん、俺も例外ではない。この試験の目的はただ1つ。2学期の期末試験の借りを返すことだけだ。心の中の闘志が静かに燃えているのを感じる。
前の生徒から問題用紙と回答用紙が回されてきた。俺の分を受け取り、流れるように後ろの席の人に渡す。
伏せられたこれらの紙をちらりと見る。これが、今から俺と対峙する敵か。一体どんな問題が出されているのだろうか。
今回、俺は試験対策を一切していない。時間があれば運命の日について話し合っていたからだ。時間は有限、試験対策に注力する時間は物理的に取れなかった。
でも——
(俺は解ける。絶対に)
——俺は一切心配していなかった。
運命の日が迫る。そんな状況でも、もはや日常と化した祐奈との勉強会は行われていた。この勉強会のおかげで、俺は基礎をしっかりと固められたのだ。これは大学入試ではなく、高校の定期試験。いくら進学校とはいえ、基礎を固めていたら解ける。それは2学期の期末試験で証明済みだ。
本当に、祐奈様様だ。一緒に勉強して本当に良かった。この勉強会、1学期の期末試験あたりから始まったんだっけか。嫌がっていた時期がもう懐かしく感じるな。あの時はまさか俺が死の運命に襲われているなんて思いもしなかったな。未来人ってことも信じていなかったし。
「解答始め!」
チャイムの音とともに、試験監督役の先生が指示を出す。一斉に紙をめくり、シャーペンを動かす音が狭い教室内のあちらこちらからこだましてきた。
俺もシャーペンを手に取り、試験問題を解き始める。
(これは……あの公式を応用すればいけるか?)
2学期の期末試験と同じようにスラスラと解けていく。だけど、俺は同じ轍を二度も踏まない。しっかりとケアレスミスがないかのチェックも並行して行う。
(これは……いけるぞ!)
多少わからないところもあったが、俺はほとんどの問題に自信のある解答ができた。残りの時間でもう一度見直しをするが……どれも俺の中では完璧といえる内容だった。途中式などの誤字脱字すらもない。納得のいく答案用紙が完成した。
「解答やめ! シャーペンはもう持つなよー」
チャイムが鳴り、まず1科目が終わった。答案用紙が先生に回収されていく。
この手ごたえの立役者たる祐奈の方を向くと、彼女もこちらの様子を見ていた。小さく頷くと、祐奈は微笑み、頷き返してくれた。
(ここが学校じゃなかったら……!)
今すぐにでも抱き着いてありがとうをたくさん伝えたい。祐奈が良いと言ってくれるなら、感謝の気持ちを込めたキスをしたっていい。
でも、公衆の面前という障壁が俺を邪魔する。キスはおろか、抱き着くだけでも騒ぎになるだろう。そんなことになってみろ。ぼっちの俺とは違って、きっと祐奈は質問攻めにされる。祐奈に感謝しているからこそ、祐奈の迷惑になるようなことはしたくない。
(……切り替えよう)
まだまだ試験はある。この勢いで点数を取りまくらないとな。その点数こそが、祐奈への感謝の印となるのだから。
♢
試験が終わって1週間後。3月に入り、外は春の訪れが少しずつ感じられるようになったが、俺の部屋の光景は変わらない。隣にはいつも通り祐奈がいる……のだが、もじもじしていて少し落ち着かない様子だ。
「ひろくん、結果……どうだった?」
祐奈は心配そうにこちらを見てくる。眉が下がり、若干上目遣いになっている彼女を、俺は何も言わずに抱きしめた。
「わわっ! ちょっと、何するの——……って、そっか」
祐奈は俺の頭をなでて、
「結果、悪かったんだよね? 大丈夫、2年生で巻き返そうよ。ひろくんは生き延びるんだし……」
何か勘違いされてるな。これは感謝のハグであって、慰めが欲しいという感情は1ミリも入っていない。
……でも、なでられるのは気持ちいいからこのままでも——ってわけにはいかないよな。さすがに。
俺は祐奈から離れる。それに伴い、頭で感じていた彼女の温かな熱も消えていった。なかなか良かったからまた今度やってもらおう。
……じゃなくて、だ。今は祐奈の名残りを惜しんでいる場合じゃないだろ。気を取り直して、俺は彼女に返却された答案用紙を見せつける。
「これ、今回の結果だ」
「……うん。点数が低くても、私はひろくんが生きているだけで大丈夫——」
受け取った祐奈の表情がみるみるうちに変わっていく。彼女を覆い隠していた雲が消え、まっすぐな陽光が部屋中に溢れ出していった。
この笑顔。俺はこの笑顔がずっと見たかったのだ。頭の上に残っていた温かな熱が、今度は全身に駆け巡った。心臓の鼓動も強く感じられる。女の子の——想い人の笑顔ってすごいな。人の体温すら変えてしまうのだから。
「ひろくん、すごいよ!」
今度は祐奈が抱き着いてきた。俺はしっかりと彼女を受け止める。
俺の腕の中ではしゃいでいる祐奈の姿や声、動くおかげでより漂ってくる甘い匂い、そして、彼女の身体の柔らかさ。俺は今、五感のうち4つで祐奈を感じている。
あとは味だが……さすがに味を確かめるというのは変態的すぎてドン引きされるのでやめておこう。普通にハグしているけど、俺たちはまだ付き合えていないのだから。わざわざ嫌われるかもしれない行動をとるわけにはいかない。
「これも全部、祐奈のおかげだ。俺の勉強を見てくれて本当にありがとうな」
「いやいや、私は知っていることを教えただけ。ここまで伸びたのはひろくんの努力だよ。それに、ほら見て!」
祐奈が俺の腕から離れ、答案用紙を見せてくる。どれもが80点越え。中には90点以上とれた科目もある。もちろん全科目平均点以上で、このまま頑張れば学年の上位を狙えそうな点数だ。
「ほら、数学とか見てみてよ! 96点なんて、私以上じゃん!」
「…………は?」
今、祐奈は何と言った? 俺が祐奈を超えたって言ったのか……?
「未来人に勝つなんて、ひろくんもやるじゃん」
「勝っ、た……?」
「そうだよ? さすがに総合点は私の勝ちだけど、数学はひろくんの勝ち。……ちょっと悔しいけどね。無敗記録、終わっちゃったし」
祐奈への勝利。それは俺が掲げていた生涯の目標だ。
これまで幾度となく負けを重ねてきた彼女との勝負。あまりにも勝てなさ過ぎて、恋愛作戦なんてものをタツから教えてもらい、恋愛で勝負を仕掛けたのも懐かしい。その作戦の欠陥と俺が好きになってしまうという自爆があったけど。
まぁ、そのおかげで今があるからいい。想い人が隣にいるというのは、やはりとてつもなく幸せだ。好きな人がいない状態では決して味わうことができない。
「そうか……やっと、勝てたんだな」
「……ひろくん?」
待ち望んでいた勝利を得られたからだろうか。ふいと俺の頬に冷たいものが伝う。拭ってみると、それは涙だった。続いて、小さな嗚咽が俺の口から漏れ出る。それがだんだんと大きくなり、やがて俺は祐奈の胸に顔を押し付け、幼い子供のように声を上げて泣き始めた。
「でも、でもっ……! もう二度と、勝てないかもしれない……死ぬかもしれないっ、から……!」
「……………………」
祐奈に勝てた。やっとつかめた初勝利。それ自体は心の底から嬉しい。砂漠の砂から1粒の金塊を見つけた時のような達成感にいつまでも浸っていたい。
しかし、浸るにしてはこの勝利は遅すぎた。もう3月。運命の日まで時間はない。この勝利が冥途の土産になってしまいそうで……涙がとめどなく出てくる。
「……大丈夫。大丈夫だから」
祐奈は俺を抱きとめ、優しく背中をさすってくれる。ただ、服越しに感じられる彼女の熱は俺の涙を溢れさせるポンプにしかならなかった。
「大丈夫、ひろくんは死なない。——絶対、私が死なせないから」
繰り返し大丈夫、と言ってくる祐奈。運命なんて誰もわからない。だから、これは根拠のない励ましに過ぎない……はずなのに、俺の心は少しの安心感を抱いていた。
なぜか、彼女がそう言うなら、俺は生きられる気がする。……これも根拠のない自信か。
「ホワイトデーの日はずっと一緒にいよう? 文字通り、最後までずっと」
最後まで、か。それが最期にならないように頑張らないといけない。
抱きしめてくれる祐奈の温度を、もっと感じていたいから。