お湯を注いで3分が経ち、フタを開けて麺をすする。
お世辞にも健康にいいとは言えないジャンキーな味だが、定期的に食べたくなるのはなぜだろうか。
「美味しいね」
「あぁ、最高だな」
その感想は祐奈も同じようで、俺の膝に乗りながら感想を言ってきた。
こんな状態じゃかなり食べにくいが……命がかかっている今日ばかりは仕方ない。
それに、こんな手軽でおいしいラーメンが食べられているのだ。多少の不便は目を瞑ろう。
箸で麺を持ち上げ、またすする。
「ねぇ、テレビつけて」
「飲酒運転のやつか」
祐奈に促され、手元にあるリモコンでテレビの電源をつけ、ニュースチャンネルに変える。
ただ、飲酒運転関連のニュースはやっていなかった。
「……やってないな」
「そうだね……」
飲酒運転で人に危害を加えた、となると、それはもう全国のニュースで報道されるレベルだ。連日連夜やるほどではないかもしれないが、少なくともその日の夜はそのニュースの特集を組まれてもおかしくない。
「まぁ、飲酒運転がなくなったなら良かった——」
「……ちょっと貸して?」
「え? いいけど……」
起きるはずの事故が起きなかった。そのことに安堵していた時だった。
祐奈は俺の手からリモコンを奪うと、地方のニュース番組に変える。
「これは……」
「お、おい、祐奈……これって……」
その画面には、1台の車が駅前の木に突っ込んだ姿が映し出されていた。
中継のアナウンサーによると、運転手はケガで病院に搬送されたものの軽傷らしい。この言い方ってことは、この事故に巻き込まれた人はいないのだろう。
「……多分、1週目の世界でひろくんを轢いた車だと思う」
「そうか……。じゃあ、良かったな。俺の身代わりになる人がいなくて」
「え……? どういうこと?」
祐奈がテレビから目を離し、振り向いてきた。
「いや、俺が生き残った代わりに誰かが死んだら嫌じゃん。間接的に俺が殺したみたいで」
「そんなことないよ。殺したのは運命の方。もしそうなってたとしても、ひろくんが気に病む必要はないと思うけど……」
「理屈はそうだとしても、気分の問題だからな……これは」
最後の麺をひとすすり。俺に続いて、祐奈も遠慮がちにすする。
「まぁ、実際はそうならなかったんだし、これ以上考える意味はないけどな」
「…………」
ラーメンをすすってはいるが、祐奈が黙り込んでしまった。
「祐奈?」
「……………………」
食べ終わったカップラーメンの残骸をテーブルに置き、祐奈を抱きしめてみる。
が、反応はない。祐奈はただひたすらにすするだけの置物みたいになってしまった。
「……ごちそうさま」
ようやく喋ったと思ったら、食事後の挨拶だった。
そういえば、俺はしてなかったな。祐奈を抱きしめたままで行儀は悪いかもしれないが……一応手を合わせておこう。やらないよりははるかにマシだろうから。
「なぁ、どうしたんだよ」
「ひろくん、私はね……どんなことをしてでもひろくんに生きてほしいって思ってた。いや、思ってる。今も変わらず」
「どんなことでもってことは……」
「うん。誰かを身代わりにしてでも、って、本気で」
祐奈が顔だけでなく身体ごとこちらに向け、普通のハグの体勢になった。
彼女の目線は力強く、思わず少し後ろにのけぞってしまう。そんな俺を椅子の背もたれが支えてくれた。
「私にとってはね、ひろくんが生きてさえいれば後はどうでもいいんだよ」
「どうでもいいって、そんなこと軽々しく——」
「軽々しくなんかない。言葉通り、どうでもいいの。何もかも」
そういって、薄く笑う祐奈。目が合っているはずなのに、合っている気が一切しない。今、祐奈の瞳に俺は映っているのだろうか。
「ねぇ、知ってる? 私のタイムマシンはね、物体は遅れないんだよ?」
「……どういう意味だ? タイムマシンの話なんか今関係——」
「あるんだよ、それが。だって……それは私がタイムリープをするために自分の身体を捨てた、ってことだから」
「…………」
何かを言おうとしたが、何も言葉が出ない。蛇口を固く締められた水道のように、俺の脳と声帯が言葉を外に発するのを封じてしまっている。
……そういえば、考えたことがなかったな。祐奈がどうやってタイムリープをしたのか。
「まぁ、こんな身体なんか捨てられて当然だよね。肉体に縛られちゃ、ひろくんを助けられないんだから」
「…………そ、そんな……こと……!」
「うんうん、ひろくんの気持ち、わかるよ。自分の身体を捨て去るなんておかしいよね。狂ってる、なんて言われてもおかしくない」
まだ上手く喋れない俺に、祐奈が畳みかける。
「でもね、ひろくんを助けたいって目的を達成するためなら、そんなこと言われても耐えられるんだよね」
そこまで言うと、祐奈は元気なく笑った。
「ごめんね、こんな時に。でも、今話しておかないと、って思ったんだ。私たちが付き合っちゃう前に」
「……そうか」
「大丈夫、これで私が嫌いになったとしても責めたりしない。私はひろくんが生きていればそれでいい——」
俺は背もたれから離れる祐奈の唇を奪う。あまりのスピードに、柔らかい唇を越えて、歯同士がぶつかってしまった。ちょっと痛い。
かっこつかないな、と今度はこっちが自嘲する番だが……今はどこにもそんな余裕はない。
「俺が祐奈のことを嫌いになるなんてありえない。俺は祐奈の全てを受け入れる」
「……おかしな人と付き合ってるって、噂されるかもよ?」
「それこそどうでもいい。俺が誰と幸せになるかは俺自身が決めることだから」
「…………そっか。ふふっ、嬉しいな……」
ニュース番組が終わったテレビを消し、どちらともなく再び唇を重ねる。
息が苦しくなると離れ、酸素を補給し、また重ねる。
これを何度も繰り返した。
「……部屋、戻ろ?」
祐奈が耳元で囁く。
「それって——」
「違う違う! 誘ってるわけじゃないよ。むしろ逆。変な空気になったから、ちょっと雰囲気を変えないと、って思って」
だとしたら、もっと別の言い方をしたほうが良い。俺が聞き返すようなヘタレだったから良かったものの、陽の男とかだったら勢いよく部屋に連れ込まれてそのまま——なんてこともありえるぞ。かなり心配だ。
……いや、そもそも他の男とこういう雰囲気になっている時点で心配どころの騒ぎではないな。脳が破壊されてしまう。
そんな俺の心を知る由もない祐奈と一緒に、階段を上っていく。
そして、俺の部屋に入り、バックハグのままベッドに腰かけた。
時計を見ると、時刻はもうすぐ日付が変わるころだ。そこまで長くリビングにいた自覚はないんだけどな……。キスは時間を加速させるのか……?
「……なぁ、祐奈」
「どうしたの?」
「お姫様抱っこじゃなくても、普通に上り下りできたな」
「……確かに」
映画を見に下りてきたときは、階段で押すのが危ないからとお姫様抱っこをした。
しかし、よく考えれば、片方の手で祐奈と密着し、もう片方の手で手すりをつかめば何の問題もなく階段を上り下りできる。
「お姫様抱っこ、意味なかったな」
「ま、まぁ……私は嬉しかったし、いいんじゃない? 余計なリスクを抱えたっていうのはそうだけど」
「だよな……って、リスク……?」
リスク、という言葉を聞いて俺は1つ疑問を持った。
「今日の俺はどうやっても死ぬ日だよな。なのに、リスクをさらしても死んでいないって……」
「やっぱり、効果あるんじゃない? 私たちが一緒にいることに」
「そうかもしれん」
「ふふっ、私はひろくんを危険から守るお守りみたいな感じだね」
祐奈が横に揺れている。自嘲までしていた先ほどまでの元気のなさはどこへやら。メンタルが持ち直してくれたようだ。
「危険から守る……で思い出したけどさ。秋にキャンプ行ったとき、テント片付けようとしたらペグが緩んでたんだよ」
「えっ! なにそれ、危なすぎでしょ!」
「あぁ、やっぱり祐奈は知らないか。今思えば、いつテントが崩れてもおかしくないくらいだったな」
「私も翼ちゃんも触ってないはずなのに……」
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。今思えば、あそこで無事だったのも祐奈とくっついて寝ていたからかな、って思ってさ」
もちろんあの日は運命の日ではない……とはいえ、夏は海で溺れかけ、冬は車に轢かれたのだ。春の危機を今日だとすると、秋にも何か大きな運命の悪戯があった可能性も捨てきれない。
それがあのキャンプだとすると……あの時からこのくっつき作戦の効果は証明されていたのかもしれないな。
「ってことは……」
「あぁ、これで自信が持てた。タツの指示に間違いはない! 俺はまだまだ生きられる!」
その時、デジタル時計の数字が全て0に変わった。24時間ぶりの光景。ただ、日付の数字は3月15日を示している。ホワイトデーが終わったことを教えてくれているのだ。
「ひろくん……!」
祐奈もそれを確認したのか、膝の上でくるっと回り、抱きついてきた。
「運命、越えられたね!」
「祐奈がそばにいてくれたおかげだ、本当に」
俺も祐奈をしっかりと抱き返す。
と同時に、俺の口からあくびが出てきた。
「あれ、眠いの?」
「……確かに、ちょっと眠いかもな」
「きっと緊張がとれて疲れが一気に来たんだよ。じゃあ、今日はもう寝よっか」
祐奈が俺から離れ、電気を消してくれた。
祐奈とくっついていないというのに、何かが起きる気配はない。なんとなく、運命のくびきから解き放たれた感覚を覚えた。
その解放感のまま、俺は布団に入る。
「なぁ、まだ無事かわからないからさ……そのー……」
「いいよ、一緒に寝よっか」
俺は嘘をついた。直感的にもう離れていても大丈夫、って思っているのに。バレてなきゃいいけど……
「ひろくん、やっぱりかわいいところあるね」
「…………」
そういいながら、祐奈も布団に入ってくる。
隠し通すなんて無理。普通にバレてそうだ。
そりゃそうだよな、俺は祐奈に負け続け。こんな心理戦でも見抜かれてしまうのは当たり前か。
しかし、負けたというのに気分は悪くない。好きな女の子と2人きりで、運命なんか気にせず一緒に寝られる。……幸せだ。
「すぅ…………すぅ…………」
隣から、すぐに祐奈の寝息が聞こえてきた。祐奈も祐奈で、今日はとても神経をすり減らす一日だっただろう。ゆっくり夢の世界で休んでほしい。俺もすぐに行くから。
1つの運命が終わった。その定めを果たすことなく。
運命が奪おうとした命は、今もその心臓の鼓動が続いている。
運命のループは崩された。すべてを飲み込む闇に包まれた部屋の中。そこには、運命に踊らされた少年と運命に抗った少女だけが残された。