「ひろくん」
「ん……。あぁ……祐奈…………」
想い人の呼びかけで、俺の眠りは破られた。しかし、起きたとはいえ、まだ寝起きの状態。俺の脳は底なしの沼に半分沈んでいるように働くことを拒否している。
「…………あと5分寝かせてくれ」
「ふふっ、それは嫌かな」
無抵抗な唇に柔らかいものが触れる。当然、痛みはない。でもそれは、頭が働いていなくても感じ取れる衝撃だった。
反射的に目を見開くと、俺の視界全体を祐奈の顔が塞いでいる。吸うようにして祐奈が俺の唇を引き込み……離れていった。
「キ、キスって……」
「物語で寝ている人を起こすのは大体キスでしょ? 実際起きたし」
「起きたけどさ……それ、お姫様とかにやるやつだよな?」
「いや、ひろくんはお姫様かもよ。かわいいし」
かわいい、ねぇ……。個人的な意見だが、男にかわいいは褒め言葉じゃないと思う。
「あれ、なんか不満そうだね?」
「そりゃあな。俺は祐奈にかっこいいって思われたいし」
「それは無理かな。嘘ついてまで一緒に寝たがる人は……やっぱりかわいいになっちゃう」
痛いところを突いてくる。ここは男らしいところでも見せるか。
男らしいところ……。そうだ。
「んんっ……! あむ……っ、んう……」
俺は祐奈の顔を両手で持ち、無理やり唇を奪った。
訴えられたら普通に負けそうな行為だが……お互い様だろう。いつも唐突にキスしてくるのは祐奈なんだから。
祐奈は最初こそ驚いて声が漏れていたが、しばらくキスしていると、もう慣れてしまったみたいで声を出さなくなってしまった。
まぁ、声の有無はどうでもいいんだけどな。俺の全意識は唇に行ってるのだから。
「ぷはっ……、はぁ……はぁ……はぁ……」
お互いに唇をむさぼること数分。ついに祐奈がギブアップした。
少し息が切れているのは、呼吸かそれとも興奮か。
どちらにせよ、やり返すことはできて俺は大満足だ。
「キス……好き…………?」
「俺は好きだな。何度でもしたい」
「そっか、じゃあ……!」
「……え? うわっ!」
祐奈が起き上がり、俺の上に跨ってきた。ついでに腕も掴まれてしまい、抵抗ができない。押し倒された体勢、というのはこの状態のことを指すのだろう。
……いや、これ男女逆だろ!?
「ひろくん、もういいよね……?」
「お、落ち着け? なんか目がおかしいぞ……?」
祐奈の目はもう何らかの決意……というか欲望に塗れている。少なくとも、正気とは思えない。
「ひろくんが悪いんだよ? 私が逃げられない状態でキスしたんだから……」
「い、いや、キスでここまでなるわけない……よな?」
「大好きな人からのキスだよ? 理性の1つや2つ、簡単に飛んじゃう」
そういうと、祐奈はゆっくりと俺に顔を近づけていき、唇同士が重ね合わさった。まだ起きてから間もないのに、今日三度目。なかなかのハイペースだ。
(……ん!?)
キスしているはずの唇に何かが触れた。そして、それは口に侵入しようとしてくる。
これは……ディープなやつをしようとしているのか。
しかし、そうさせるわけにはいかない。この体勢でそんなことされてみろ。あっという間に主導権を取られて、気が付いたら30歳で魔法使いになる権利が失われているかもしれんぞ。
「……ひろくん、開けて」
一時キスを中断した祐奈の言葉に、俺は首を振ってこたえる。今口を開けば、そのままねじ込まれかねない。
「なるほど、あくまでも主導権を握りたいんだね。だったら、力づくでねじ込んでみせるよ……!」
どうしよう、祐奈がやる気を出してしまった。その言葉通り、祐奈は再び俺に覆いかぶさり、激しく隙間に差し込もうとしてくる。
男として好きな子とそういうことができるというのは喜ばしいが……主導権を永遠に失わないためにも、ここは我慢の時だ。
誰か、誰でもいいから助けに来てくれ……!
その時、玄関からチャイムの音が聞こえた。どうやら、願いは通じたようだ。
「…………いいところだったのに」
祐奈が不満そうに俺の上から退き、早歩きで部屋を出ていく。さっさと来訪者を片付けよう、という魂胆だろう。実際、今日は誰とも遊ぶ予定がないので、宅配便か何かだと思うし。
予想通り、祐奈の帰還は早いみたいで、階段を上る音が聞こえてくる。
俺は起き上がってベッドに座り、彼女の急襲に備えた。
「何が届いたんだ?」
「…………」
だが、部屋に入ってきた祐奈はまだ不満げな顔のままだ。
……なんでそんな顔をしているんだ?
祐奈の立場からすると、邪魔が入ったとはいえ、厄介ごとを片付けたら後はもうフィーバータイムだろうに。
「おっ、生きてる」
その答えは、祐奈の後ろから現れた。
「タツ……!」
「作戦は成功したみたいだな」
「あぁ。昨日はずっと祐奈とくっついていたからな。1秒も離れてないぞ、多分」
俺に生き残る術をくれた友人は、それは良かった、と言って俺の隣に腰掛ける。
「それで……東川さんはなんであんなに不機嫌なんだ……? 宏樹が生きているというのに」
「あー……それは、だな。……、まぁ気にしないでくれ。何とかしておくから」
俺たちの目線の先には、頬をぷっくりと膨らませた祐奈がいる。
祐奈は一切目をそらすことなく、俺を見つめてきた。怖い。
「あ、そういえば……関口さんだっけ? 後輩ちゃんに連絡はしたか?」
「そういえばしてないな。昨日も連絡なかったし……」
「じゃあ、早くしてあげな。きっと、待ってるだろうから」
タツがちらりとドアの方向を向く。こいつ、生存確認だけで帰るつもりなのか?
……まぁ、いい。それよりも関口に連絡を取るか。
スマホを取り、連絡先から関口の電話番号を見つけ、電話をかける。すると、数コールもしないうちに電話がつながった。
『は、はいっ! 先輩ですか……?』
「そう、俺だよ俺」
『オレオレ詐欺だ……!』
関口の反応に思わず笑みがこぼれる。
『って、違いますよね。先輩、こういうときくらいふざけないでくださいっ!』
さすがに怒られてしまった。
それにしても、関口の声色の変わり方は激しいな。おろおろしていたと思えば、怒りもする。
きっと、表情もころころと変わっているのだろう。
『そんなおふざけする余裕があるなら、今すぐ先輩の家に突撃しますからね!』
「おっ、来るか? いいぞ。待ってるからな」
『ほ、本当に行きますよ! 覚悟しててくださいね!』
そう言い放って関口は電話を切った。何も音が鳴らないスマホをベッドに置く。
「来るって?」
「おう。覚悟しててくださいね、って言われたわ」
「あー、そりゃ覚悟が必要かもな」
「おいおい、何言ってんだよ。ただ家に来るだけだろ? 何を覚悟する必要が——」
瞬間、誰も近くにいないのに、部屋の扉が勢いよく開いた。
何事か、と認識するよりも早く、開いた扉から何かが俺のほうに突っ込んでくる。
「ぐ、はっ……。な、何が起こった……?」
「ひろくん、大丈夫……?」
「なんとか……。ちょっと痛いけど」
その勢いは俺の目の前まで来ても止まらず、そのままお腹めがけて飛び込んできた。衝撃で思わず目を瞑ってしまう。ベッドに座っているから良かったものの、立っていたら普通に吹き飛ばされるところだった。
「先輩、覚悟してなかったんですか?」
「せ、関口……!? どうしてここに!」
飛び込んできた物体からいるはずのない後輩の声が聞こえる。目を開けると、そこにはやはりいたずらっぽい笑みを浮かべた関口がいた。
「覚悟もなにも……早すぎないか?」
「そりゃそうですよ! 私、先輩の家の前でずっと待ってたんですから!」
ポカポカと関口が俺の胸を叩く。しかし、先ほどの衝撃と比べたらこのくらい大したことない。むしろ、マッサージみたいなものだ。
「そうだな。俺が宏樹の家に来た時も電柱の陰に隠れてたし」
「えっ、あれ見えてたんですか!?」
「普通に見えるだろ。明らかに不審者っぽくて、嫌でも目に入る。宏樹の後輩、って知らなかったら通報してたぞ」
「そ、そんなぁ……」
宏樹に指摘され、肩を落とす関口。
そうか、2人は家の前で会っていたのか。だからタツは電話しろ、なんていったんだな。関口の話がタツから出るなんて珍しいと思ったが、こういうことか。
「翼ちゃん、大丈夫だよ。私は通報しないから……」
「祐奈先輩……! ありがとうございますっ!」
なんか祐奈と関口の間に新たな友情が生まれているが……とりあえずは気にしないでおく。
……いや、そういえばこの前は祐奈も隠れていたな。もしかすると、これは通報されそうになった2人の傷の舐めあいかもしれん。
しかし、俺の家の前にある電柱はなんで隠れスポットになっているんだ。2人も通報されそうになるなんてな。もう、あそこは不審者御用達スポットと化したのか?
「あ、そうだ。タツ……俺はもう大丈夫なのか?」
「……正直、初めてのことだからわからん」
「まぁ、そうだよな……」
これからのことを相談しようと思ったが……仕方ないか。相手は運命。答えも実体もないものなんだから。俺生存ルート自体今までなかったことらしいし、わからなくても無理ない。
「でも、東川さんとピッタリくっついていなくても大丈夫なら……多分これからも生きられると思うぞ」
「それは……なんでだ?」
「死者に運命なんてものはないから……だな」
なんか、わかるようなわからないような……
「宏樹はどのループでも昨日死んでいたんだ。ってことは、運命は宏樹に今日以降の日々を用意してないってことなんじゃないか?」
「……なるほど?」
少しだけわかった……ような気がした。
つまりは、運命が描く未来はもうないから、自由に生きられる、ってことなのか?
まぁ、答えは誰にもわからないんだろうけど。
「でもな、いいことばかりじゃないと思うぞ?」
「はぁ? 運命が消えるデメリットなんてあるのか?」
「そりゃあるだろ。例えば、良い出会いは少なくなるかもな。ほら、運命の出会い、とか言うだろ?」
何を言い出すと思えばそんなことか。
「なら、問題ないな。運命の出会いなんてもう必要ないし」
未だに関口と電柱トークをしている祐奈に目を向ける。
……って、電柱トークってなんだ。見つかりにくい隠れ方、とか議論してるんじゃねぇよ。普通に俺の家に来てくれ。いつか俺のほうに苦情が来そうで怖い。
まぁ、なんだ。俺には少し変だが、それでも大好きな幼馴染がいる。
俺のことを慕ってくれる、好きでいてくれる後輩がいる。
助ける術をくれた、友人がいる。
これほどまでに人に恵まれているんだ。もう、運命の出会いなんてなくてもいい。
これからの人生、運命の導きがなくても、俺は十分幸せなんだから。