しかしきつい最期だったな内海 作:蛇足なんですけど
「……あれぇ?」
呆けた声が響き渡る。
手には学生鞄、はみ出しているのは万能レンチ。
術式による構築物ではない、使い込まれた、作業用の工具だ。
状況が飲み込めない少女を乗せて、古めかしい列車は闇を進む。
「……」
カン、カン、カン。
がたん、がたたん。
やがてトンネルを抜け、ありきたりな景色が光のもとに晒された。
端の席、無人の車掌室、踏切、各駅停車。
隣の車両には幾人か人がいたが、少女の乗る車両には不思議と人が来なかった。
しばらく走って、また踏切がよぎって、少し遅れて、停車駅。
乗り込んできたその人を見て、少女が間抜けな声を漏らす。
「あ……」
あるはずの傷も無く、ただ無表情の女。
「あのっ」
「いい」
遮るゼスチャー、互いに口を噤む。
隣に無造作に座ったその女は、ぼんやりと天井を見つめていた。
「……」
「……」
穏やかな沈黙を、出発を知らせる汽笛が遮る。
ゆっくりと動き出す車体に合わせて、少女の肩が軽く、女の腕に押し付けられる。
「硬い、ですね」
「だろ?」
くすりと笑い合う。
と、その時。
「おい」
「え?」
女が少女を肘で小突く。
外を見ろという仕草に従うと、そこには。
「……あっ」
遮断機の向こうに、緑の髪を結った男の背中。
のろのろと動く列車に一瞥もくれず、ただ黙々と、どこかへ向かって歩いていた。
「いいのか?」
「……はい」
「そうか」
そんなやりとりも知らん顔、がたたん、がたんと列車は進む。
その間にも下車と乗車が繰り返されて、次の停車駅は──空港、空港ターミナル。
響き渡る無機質なアナウンス。
「私は、ここで」
「ですね」
木の引き戸を挟んで少しの逡巡、互いに告げるべきことは無いかと見つめ合う。
やがて。
「ふふっ」
「ははっ」
どちらともなく噴き出した。
「もしも、だな」
「はい。あれば、ですけど」
揃って似たように頬を掻いて。
互いに言いたいことは同じだった。
いつかは殺し合っても、かつては憎しみを抱いていたとしても。
今は穏やかに通じ合えたことが、ただ嬉しかった。
「またね」
「ああ」
一見淡白な、友達同士の別れの挨拶。
どこか誇らしい気分、名残惜しさも感じなかった。
(晴れやかなお別れも、あるんですね)
アンニュイに窓枠をなぞってみる。
――キィィィン。
列車を追い越し、飛んでいく飛行機を見て……はっとして身を乗り出す。
「さよぉ――ならぁ――っ!」
あらんかぎりの大声で、北へ行くあなたへ手を振って。
(届かないと、わかっていても)
ただ、そうしたいから、そうした。
心の整理、自己満足のための発露に、深い理屈は伴わなかった。
「……ふぅ」
とすん、と腰を落とし、一息。
かたたん、かたん。
その間も、休まず列車は進んでいた。
窓から吹き込み、髪をかき上げる緩やかな風は、次第に収まりつつある。終点が近付いているようだった。
旅の終わりを前に、満足感と期待が胸の内で膨らんでゆく。
(また、ああいう旅ができたら)
『――その先で、無数の命が消えるとしても?』
その身から消えて久しかった、内なる声が問いかける。
『この力のせいで、こんな、どうしようもない結末が訪れた』
「それでも、とても素敵だと思うんです」
突然の再会、少女の返事に、動揺はなかった。
その声の持ち主が本当に「あの人」なのか、あるいは自問が形を変えただけなのかは……もはや少女にとっては、どうでもよいことであった。
『母を殺され、夢は潰えて、肉親と殺し合った。残された者達の未来は暗い、悪意の煮凝りのような結末だ』
「そう、ですね……悪趣味で、救いようがないと思います」
『……それでも、なのか』
戸惑う声に微笑む。
(はい)
カン、カン、カン。
死線の中で幾度も聴いた、既に懐かしいような音を聞き流しながら、笑って続ける。
「この世界は、嫌なことばかりだと思っていました。でも」
流されるままだった、感情のままに生き抜いた。出会って、見知って、殺し合った。
退屈なルーティンから抜け出して、運命の歯車が粉々に砕けた日々。
悲劇があって、憎悪があった。
だが、その先で再会し、笑いあって、さよならを言えるのなら……。
「必死に毎日生きて、頑張って助け合って……確かに結末は、悲しいものだったけれど」
いつかひと時交わった道を、出会った人々を振り返っては思うのだ。後悔は数あれど、またあの道を歩くのも、悪くはないのではないかと。
期せずして訪れた非日常に、常に心躍らせていたことは、隠す必要もない事実なのだから。
「私は、あなたのおかげで、『知らない私』を、やり切れたから」
だから、感謝こそすれど、恨みはしないのだと少女は笑んだ。
かつての絶望していた少女は、もう居ないのだと……。
今もどこかで微睡んでいる共犯者に向けて、微笑んで。
自分なりの、ささやかな結論を伝えた。
「私には、もったいないくらいですけど」
『――そうか』
どこか悟ったような、寂し気な声。
『内海は、強いな』
幻聴はそれきり聞こえなくなった。
(何かに背を押されても、選んだのは私)
きっとその声は、糾弾を求めていたのだと、少女は思う。
少女が去った世界で、人を、世界を……己を憎む後押しになるから。
(大切なあなたを傷付けるお手伝いは、したくないんです)
だから、ごめんなさいと、恩師とも呼べる存在へと別れを告げた。
「……わぁ」
そうこうするうちに、一体、何度目の洞窟を抜けただろうか。
鞄を膝に置き、工具をその手で弄びながら、少女は窓から顔を出す。
音は無い、風も無い。むせ返るような青葉の匂いが心地よい。
蔦は線路を這い回り、木々は青々と茂っていて、木漏れ日に交じる群青の空とのコントラストで目が痛かった。
こうして知的好奇心を刺激されると、やはり未知とは素晴らしいものだと、少女は思う。
(やっぱり、ワクワクしちゃうんですけど)
短いカーブに差し掛かる、レールの先にはまたトンネル。
朽ちかけの先頭車両、暗がりに消えたその影に、歩む背中を幻視する。
(あなた達は、どこに行くのかな)
錆びた鉄扉を労わるように、そっと指を添えて撫ぜた。
がたん、がたたん。
やがて長い洞窟を抜け、光が少女の瞳に飛び込む。
たった一人の整備士を乗せて、おんぼろ列車が汽笛を鳴らす。
この物語の行先は──。