【急募】『蜘蛛の巣』から生きて脱出する方法   作:θΟθ

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久しぶりの投稿の割に、短くて大変申し訳ないです……。もっと投稿頻度上げれるように頑張ります。



【急募】これからの身の振り方

 

 リアンの刻む、カツン、カツン、という乾いた靴音。そして、自分のものとは思えないほどか細い、俺の呼吸音。それだけが、静まり返った辺りに反響していた。

 

 リアンに引かれるがままに足を動かしながら、ふと後ろを見る。

 白い床の上には、あの凄惨な部屋からずっと、赤黒い足跡が二列になって続いていた。ひとつはリアンの、もうひとつは俺の。

 さっきまでのパニック寸前の精神が、嘘のように落ち着いていくのを感じる。時間が経てば、人間はこんな状況でも適応してしまうものらしい。……いや、正確にはまだ、現実味を感じられていないだけかもしれないが。それでも、心臓の騒ぎはいくらかマシになっていた。

 

 視線を正面に戻し、周囲を観察する。

 

 そこは、どこか現実離れした研究所のような場所だった。頭上をうねる大量の配線、清潔すぎてかえって息が詰まる白い壁。そして、定期的に配置された窓の向こうには、何のために動いているのかも分からない、異様な形状の機械が冷たく佇んでいた。

 

 迷いのない足取りで進むリアンの背を、俺は必死に追いかける。十歳前後の子供の歩幅では、大人の一歩についていくだけで息が切れた。それを察してか、リアンは時折、双眸をわずかに下げてこちらの歩調に合わせる。

 

「……」

 

 前を歩く黒い背中を凝視しながら、思考の泥沼に沈んでいく。

 この世界は、本当に俺の知っている『Limbus Company』の世界なのだろうか。……いや、もうそういう事にしておこう。そう無理矢理にでも結論づけておかなければ、頭がおかしくなりそうだ。いつの間に子供になっていたこの身体も、あの部屋に転がっていた無数の──

 

「っ……」

 

 突如、視界が遮られ、固い肉の壁に額がぶつかった。

 歩きながら考え込んでいたせいで、完全に静止したリアンの太ももに顔を埋めていたらしい。

 痛む額を押さえながら見上げると、リアンは微動だにせず、ある一点を見つめていた。その視線の先にあるのは、周囲のコンクリートと同化したような、他と何の変哲もない白色の扉だ。

 しかしリアンは、迷わずその無機質な扉へ手をかけた。

 

──ギィ、と重苦しい音を立てて扉が開く。

 

 差し込んできたのは、それまでの薄暗い廊下とは対照的な、白々しいほどの眩い光だった。思わず目を細める。

 次に目を開いた時、視界に飛び込んできたのは、果てしなく広大な、そして狂気じみた空間だった。

 天井と床を埋め尽くす、整然とした格子状のタイル。その天井の隙間から、まるで舞台のように幾条ものスポットライトが厳かに床を照らしている。遥か奥の壁には、小さな扉のついた白い立方体が、まるで子供の積み木のように不規則に、歪に積み重なっていた。

 だが、何よりも異様だったのは、その光の真下に鎮座するものたちだ。

 

「ぅ、ぇ……」

 

 脳がそれ以上見るなと激しい警報を鳴らした気がして、俺は咄嗟に目を逸らした。実際、それは正解だったのだろう。直後、激痛のような吐き気が胃の底からせり上がってくる。

 ほんの一瞬、網膜に焼きついてしまったのは、コンクリートの台座の上に展示された、おぞましい赤と白の塊。

剥き出しの肋骨。捻じ曲げられた肉。いくつも並んだ人間の頭蓋骨。

 

……ここがどこか、そしてこんな悪趣味な真似をする奴がどんな存在か、俺の頭はすでに理解していた。

 

 呼吸を乱しつつも、必死に視線を床のタイルへ縫い付けて耐えていると、耳障りな音が近づいてくる。

 カチャ、カチャ、と精密機械が噛み合うような、あるいは剥き出しの鉄骨がぶつかり合うような、不気味な駆動音。それに伴って、床の白いグリッドの上を、奇妙に幅の広い、巨大な帽子の影が這うように伸びてくる。

 

「リアン。この方が、例の子供ですか?」

 

 リアンのものじゃない。大人の男の、少し掠れて高く、それでいて妙に優しげで、温厚さすら感じさせる声が空間に響き渡った。

 

「そうだ。」

 

 淡々とリアンが応じる。

 顔を上げたくない。……上げたくないが、いつまでも床を睨みつけているわけにはいかない。俺は意を決して、震える首をゆっくりと持ち上げ、その声の主を視界に収める。

 

 見上げた直後、視界に飛び込んできたその異様な姿に、俺の息が止まった。

 神官を思わせる装束に、蜘蛛の巣のような穴の穿たれた巨大な大帽子。衣服の隙間から覗く剥き出しの機械の身体。その手は、赤黒い血で染まっていた。

 

──カリスト。

 

 その特徴的な輪郭を捉えた瞬間、記憶の中にあるゲームの立ち絵と完全に一致していく。

 

 そして、目が合った──そう思ったした瞬間、ゴト、と静かな駆動音を立てて、カリストはずいとこちらへ顔を近づけてきた。

 表情の読めない冷たい金属の頭部が、俺の顔をまじまじと見つめてくる。

 心臓が、耳の奥でうるさいほどに暴れ狂う。

 

──殺されるのか? あの台座の上の作品にされるのか?

 

 今にも吐き出しそうな胃の不快感と、生存本能の警報が脳内をぐちゃぐちゃにかき乱す中、俺は思わず一歩、後ろへ後ずさった。

 しかし、カリストから返ってきたのは、こちらの狂いそうな警戒を肩透かしにするような、どこまでも穏やかな問いかけだった。

 

「名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「……ロウ、エ」

 

 喉の渇きを堪えながら、与えられたばかりの名前をどうにか絞り出す。

 

「ロウエ、ですね」

 

 カリストは満足したように小さく肯くと、すっと上体を起こして元の正しい姿勢に戻った。その一連の動作には、俺を怯えさせよう、あるいは傷つけようという悪意は微塵も感じられない。むしろ、上質な紳士のような気品すら漂っている。

 

「本当は今からにでも、あなたに私の芸術を教えてあげたいところですが……」

 

 カリストはチラリと隣のリアンへ視線を走らせ、すぐにまた俺へと戻した。どうやら、目の前の幼い観客を今すぐに自分の世界へ誘えないことが、純粋に名残惜しいらしい。

 

「用事があるようなので、今は諦めるとしましょう」

 

 彼はどこまでも丁寧で、この地獄絵図の創造主とは思えないほど温厚だった。俺を傷つけるつもりなど、最初からこれっぽっちも無いのだと言わんばかりに、その声音には奇妙な優しさが含まれている。

 

「また私の展示会へいらしてくださいね、ロウエ。芸術とは、感想を紡いでくれる者の数が多ければ多いほど、より深く輝くものですから」

 

 その言葉の直後、彼は優雅に一礼した。カチャ、と再び衣服の奥から微かな駆動音を響かせながら、カリストの白い異姿は、広大なギャラリーの奥へと静かに消えていき。

 

「行こうか。」

 

 その姿を横目に、リアンは先程とずっと変わらない静かな笑みを浮かべながらそう言うと、俺を連れてまた歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だいたい四、五分ほど歩いただろうか。

 コンクリートの床を叩いていたリアンの靴音が、いつの間にか、しっとりとした木肌の響きへと変わっていた。

 周りの景色は、いつの間にか和風なものへと移り変っていた。無限に廊下が続き、左右には定期的に襖がある。

 

「……」

「……」

 

 その間、リアンが言葉を発することは一言もなかった。

 静寂の中、俺を引きずる彼の足音と、俺の頼りない足音だけが交互に鼓膜を揺らす。

 

……今になって、疑問が頭をもたげてくる。

 結局のところ、俺はなぜここに連れてこられたのだろうか。あの大量の死体は何が目的だったのか。あの指令は、どうしてあの中から俺という存在を選び、わざわざロウエなどという新しい名前を与えたのか。

 画面の向こう側の知識として、指令の理不尽さは知っている。けれど、いざ実際に俺がそれに悩まされることになるとは思いもしなかったが。

 

……いや、今は考えるだけ無駄か。

 

 相手はあの『人差し指』だ。そこに理由や整合性を求めること自体が、命取りになる可能性だってある。今はただ、流されるしかない。

 

 なんて考えていると、不意に、リアンの足が止まった。

 

 目の前には、周囲の壁に埋没するような、一枚の襖。それを見ると同時に、引き止められていた右手の緊張が、ふっと消えた。リアンが、俺の手を静かに離したのだ。

 

「……どう、すれば」

 

 俺がリアンを見上げながら小さく零すと、彼は何も言わず、ただ貼り付いたような微笑を深くするばかりだったが、その底知れない沈黙が、中へ入れと促しているような気がした。

 

……この向こうに、誰がいるのか。

 

 確証なんてどこにもない。けれど、俺の脳裏には奇妙な確信があった。

 この部屋の向こうには、きっと彼女がいる。

……本当は、行きたくない。最初から分かっていたことだが、これから始まることに、少なくとも安寧は無いだろう。

 ただ、仮に拒絶したとしても、その先に用意されているのはあのコンクリートの部屋にあった冷たい死体の山だけなのは分かっている。だからこそ、前に進むしかない。

 

「……はぁ……」

 

 肺の空気をすべて吐き出すように、深く、重く呼吸を整える。

 幼い、小さな手のひらの汗を衣服で拭い、指先を木枠にかけ、俺は静かに、その襖を横へと滑らせた。

 

 





次回:【急募】この地獄での過ごし方
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