おやすみ、灰かぶりの眠り姫。   作:彩白 莱灯

1 / 34
 息を溜めた。
 貯めて溜めて、溜め込んで。けれどいくら溜め込んでいても、吐き出さなければ呼吸はできない。水の中に潜ったときのように、どれだけ息を貯めても、いずれは吐き出さなければならない。出したくないのと、出してしまいたいのと真逆の欲求の戦いに、俺は今まで抱えていた『我慢』と名のついた空気を吐きだした。


「俺だって辛いことぐらいあるさ!! あるけど見せないように努力してきた! 見せないようにするのも辛い!! だけど「辛い」と言ったところで何になる! 誰に伝わる! 誰が助かる!? 誰が何をしてくれるっていうんだ! 誰に何を言ったらいいかわからない! 言った側はなんて思うかわからない! そこまで言うほどの間柄なのか!? そう思ってるのは俺だけじゃないのか!? 言ったところで負担になるだけかもしれない! 言ってみないとわからないだろうけど! 言ったところでもう遅いんだよ!!」


 貯め込んだ息以上の言葉を吐き出して、息切れが止まらない。
 頭がボーっとする。酸欠だ。息を吸わなきゃ。


「……ある程度の理解力がある。だからこそ、自分が中途半端なんだって自覚できるんだ。どれだけ努力しても、成功者を参考にしても、その域には行けない。それがわかってても受け入れたくない。足掻いてることを知られたくない。だから虚勢を張って、ただ笑ってるんだよ。誰にも頼らず、ただ自分が悪いって思ってるのが、一番息がしやすいんだ」


 荒らげた呼吸をただ静かに聞いている、俺に囚われている君。ただ見つめるだけなのに。いつもの、光を宿さない死んだ目をしているそれが、何事も吸い込んでいくような黒い渦にも見える。感情がないようにも、なぜか満たされているようにも見えてしまって、より悔しく、恥ずかしく、嫌だった。
 まだまだ呼吸は落ち着かない。肩で息をして、体が酸素を求めてる。
 のに。


『苦しいね』


 そう言って、君は黒く淀んだ瞳で俺を見つめる。


 ―― わかった気になるな。わかってほしくなんてない。


 胸元の、少し乾燥した肌を口元に押し付けられる。頭の後ろから両腕で抑えられ、呼吸がしにくくなる。体が密着して、温かいような、冷たいような温度を、全身で感じとる。
 ベッドの上は、静かだった。声も、涙も、息も。何も聞こえず。ただ、耳元にだけ、心臓の音がゆっくりと聞こえてた。
 息を吸う音が、聞こえた。


 ・♢・



自分が悪いって心に代入するのが、一番楽な人生回答だ。
第1話


 

 彼女を知ったのは、夏休み明けの九月、高校三年生の塾帰り。

 夜の闇にネオンが輝く、大人しか入ることが許されない場所。そこに、大人っぽく化粧をして、黒く肩下まである長い髪を巻いて、色っぽい恰好をした彼女がいた。

 背が高くて髪色が明るくて、アクセサリーをジャラジャラつけて、とんがった靴を履いていて、いかにも「遊んでます」といった出で立ちの男と腕を組んでいた。

 その時は、ただ目を奪われただけだった。年上の綺麗なお姉さんが、危ない遊びをしている。ただそれだけだったのに。ちらりと見えた彼女は、そこらへんに輝いているネオンの光を一切受け付けず……いや、すべてを飲み込むような、黒い瞳をしていた。

 その瞳に、俺の目も吸い込まれた。

 

 そんなことがあった次の日。いつも通り夜更かしした結果のあくびを噛み殺しながら、学校の下駄箱についた。内履きと外履きを履き替えると、ふと泳いだ視線が、一際目立つ下駄箱に漂流する。

 『来るな』『バーカ』『死ね』

 見慣れたそれは、いつも自己主張が激しい。誰も消そうとせず、むしろ重ねて書いているから。黙認。それは俺に限らず、周りも、本人もだった。

 眠気で開ききらない目に、バサバサの黒髪が映る。制服。手が伸びて、漂流先の下駄箱が開く。

 どろっ。隙間から、何かが垂れてくる。透明だけどどこか白っぽい。嗅いだことのある匂い。技術室? 自室? トイレ?その垂れ出たものを目で追う。重力に逆らわずに落ちたそれは、足元の簀子にシミを作る。

 

 

 ―― あーあ。さすがにやりすぎじゃね?

 

 

 間違いなく、同情。他人事だからこそ思うし、思うだけ。余計なことに首は突っ込まない。他人に自分のキャパを割いている余裕なんてない。巻き込まれるなんてごめんだし、巻き込まれたくもない。見なかったことにして通り過ぎようとした。

 その時。風が吹いて、手入れなんてほとんどされていないような髪に隙間ができた。

 

 

 ―― お。

 

 

 普段から、この人のことは知っていた。陰気で、顔が見えなくて、声も聞いたことがないけど。名前は知ってても『下駄箱の人』という認識でしかなかった。興味がある、と考える前に、反射的に曝け出された顔をガン見する。

 青白くて不健康そうな肌。カサカサの唇で、一本に結ばれた口。黒縁眼鏡。顔の半分は眼鏡が覆っている。深いクマと、眠そうに半開きの目。

 

 

 ―― すべてを飲み込むような、黒い瞳。

 

 

 息を飲んだ。頭で考えるよりも早かった。こいつは。この人は。このいじめられっ子は。

 辛城(しんじょう)は。

 

 

 ―― 昨日の夜に目を奪われた、あの人だ。

 

 

「あのさっ」

 

 

 すぐ、しまったと顔に出たことだろう。得意の猫被りは突然のことには対応不可能。すでに陰気を完璧に纏った彼女は、億劫に、鬱陶しそうに体を捻る。

 

 

「……なんですか」

 

 

 初めて聞いた声は思ったよりも……いや、見た目通りに綺麗ではない、掠れていた。

 

 

「あ、いや……だ、大丈夫?」

 

 

 それこそ、何が、だ。大丈夫じゃないことぐらい、見てわかるだろうに。もしかしたらそう顔に書かれていたかもしれないが、生憎、顔は見えない。俺の顔を見ているのだろう、頭の向きを向けたまま、しばし沈黙。少し溜息のような、欠伸のような呼吸音が聞こえた。

 ぐちゃ、と、嫌な音がする。

 

 

「気にしないでください」

 

 

 手に取ったベタベタな内履き。持つ。下ろす。履く。歩く。内履きとは思えない粘液の音をさせ、通りかかる人に避けられながら、まっすぐ教室に向かって行った。

 あの人に話しかけた俺も、珍しいものを見るような目で見られる。気恥ずかしくなって、図らずしも足跡を追うことになった。

 甲高い笑い声が響いている。周囲の目線から避けるように下を向いていた目線を上げると、目的地の教室の扉付近に、前を歩いていたその人がいる。

 ……足元は、さっきとは違う様子で濡れている。

 遠巻きに背後に回って、奥の扉に向かう。

 

 

「なんでその靴でくんだよ! きったねーな!」

「バケツ用意しておいて正解だったねー!」

「一昨日の雨水とか誰が用意しておいたんだよ!」

「用意はしてねぇよ。バケツ置いただけー」

「それだよ!」

 

 

 甲高い声の発生源が、一際大きく空気を揺らす。見慣れた光景のはずなのに、何故かいつもと感じ方が違う。教室を照らす日が眩しいからか。いつもより人数が多いからか。声がうるさいからか。扉から離れているからか。

 

 

 ―― わからない。

 

 

 その人は雫を垂らしながら教室に入る。周囲の人間に避けられながら、自身の机に荷物を置いた。後ろのロッカーから、体操服を入れる指定のバッグをとりだす。それを持ったまま、教室を抜けていった。

 

 

「……ぷっ、アハハハハハ!!」

 

 

 笑い声が鼓膜を突き抜ける。彼女がいたところは水が溜まっている。足早に、後ろの扉から教室に入った。

 

 

「おー、いっちーおはよー」

「おはよ……」

 

 

 クラスメイトに声をかけられる。何とか取り繕って挨拶を返すが、「どうした?」とバレバレだった。

 

 

「いや、目の前で辛城がいじめられてるの見ちゃって……」

「あーなるほどなー。あいつら今日も変わらずひっでーよなぁ」

「な……」

 

 

 教室に入っても、テレビの中の出来事でしかない。クラスの一番派手なグループは、辛城が置いていったカバンの周りに集まっている。それを見て見ぬふりして着々とカバンの中身を出す。

 

 

「そういえば髪色いいじゃん」

「ん、あぁ、気分転換にな」

「大丈夫か? 親厳しいんだろ?」

「まあ……あんまり会わねぇしな」

「ふーん。今度俺にもやってよ」

「任せろ」

 

 

 扉付近の水たまりに驚いて、しかしそのままクラスの中に入ってきた教師が号令をかける。なぜ水たまりになっているか、疑問にも思わず。というより、疑問に思わずもとも、理由なんてわかってるんだ。辛城は、クラス全員からイジメられている。数カ月、もしかしたら数年前からの事実。見て見ぬ振りも、また同じぐらい。

 一人が欠けたまま、今日の日常は進んでいく。

 

 

 ・♢・

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。