おやすみ、灰かぶりの眠り姫。   作:彩白 莱灯

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第3話

「模試の結果を返すぞー。一石」

「……うげ」

 

 

 ひどい……ボロクソだ。得意の数学ぐらいは何とか思ったけど、平均よりちょっと上って程度だ……。むしろ苦手強化は平均しかない……。

 いつもより早く終わったと感じる塾の授業を受けて、家に帰りたくない気持ちだけが残ってしまった。こういう時は遠回りして帰る。直で帰るときの倍の時間をかける。

静かな住宅街ではなく、賑やかな繁華街。明らかに二十歳以上の男女。親世代の人たちも多く、俺のような学生は遠巻きに見ているしかできない、遠い世界。

 

 

「あ……」

 

 

 また、いた。まさかと思っていたけど、本当にいるとは。

 昼に見るいじめられっ子とは違う、綺麗にまとめられた髪。本当に人が変わったような化粧。愛想の良さそうな笑顔……いや、口元。

 

 

 ―― やっぱり、あの目は、辛城だ。

 

 

 昨日見たおそらく同じ男と腕を組んで、仲良さそうにしてる。

 高校三年生だから、それがいけないことであることも、そこに踏み入れてはいけないということもわかってる。わかっていたからこそ。辛城の姿を見失うまで、見続けていた。

 

 

・♢・

 

 

「あはははははははっ!!!」

 

 

 翌日。今日も上靴とは思えないような音を立てながら、辛城は教室に入ってきていた。しかし最近にしては珍しく、授業前も授業中も、昼休みも移動教室でも、あの耳障りな高い笑い声は聞こえなかった。教室で見る分には、いつもと変わらないぼさぼさ頭。見えない顔。陰気な雰囲気。何一つ変わったところはない様子。

 しかし、俺は。俺だけは。あのネオン煌めく場所での姿を知っている俺だけは。その姿に強い違和感と、優越感を感じていた。

 

 

「あーあー! くっついちゃったねー! もうこのまま泊まるしかなくね?」

「じゃあついでにあたしらの宿題やっといてよー。帰る時間いらないんだし、ちょうどいい暇つぶしだよね?」

「よろー!」

 

 

 あははは、あはははは。

 廊下に木霊する声と、教室内の声は反比例。何もないと思っていたが、何もないわけがなかった。

 そういえば、今日は一度も立ち上がっていなかったように思う。移動教室はなかったし、昼食も普段から自席にいるし。トイレ……は、行ってないと思う。

 

 

「うーわ。あいつらえげつないな」

「そうだな」

「なーそれよりさ。模試返ってきた? どうだった?」

 

 

 ぎくり。そうか。こいつも別校舎で受けてるのか。

 

 

「まあまあ、かな」

「そうか! 俺もまあまあよかったんだぜ。全教科平均越え! 志望校も射程に届きそうだ!」

「……ハハ、やるじゃん」

 

 

 もう、高三の夏が終わる。こいつと同じ学部を目指している俺は、出来の違いに頭を抱えたくなった。

 俺も努力してるはずなのに。まだ、足りないのか。

 反射的に笑って、笑いあった。こいつは本当、俺のことをよく信じている。

 

 

「帰ろーぜ。今日は塾ないだろ?」

「あ、うん」

「成果が出ると塾も悪くねーんだけどな」

 

 

 とても。ひどく。上機嫌な友人。本当のことを言えない相手のことを友人というのは、滑稽だろうか。気持ちにも、教室内の出来事にも蓋をした。

 

 

・♢・

 

 

 今日は塾はない。学校で少し自習して、特に寄る所もなく帰ってきた。

 

 

「ただいまー」

 

 

 電気がついたままの玄関。俺が返ってくることを想定して、母がつけておいたのだろう。靴を脱いで、自分の汚いスニーカーとは対照的な、艶やかな革靴二足が目に入る。

 

 

 ―― 今日は、帰ってきてるんだ。

 

 

 途端に、帰ってきたことを後悔した。もっと自習して、もっと遅くに帰ってくればよかった。

 

 

「おかえり」

「……ただいま」

 

 

 正面の扉から、エプロンを付けたままの母が出迎える。

 

 

「ご飯すぐできるよ」

「あー……うん」

「帰ってきたのか」

「……ただいま」

 

 

 割り込んできた、低く、不機嫌そうな声。釣られたわけではないのに、自然と俺の声も低くなる。言葉のわりに「邪魔」と言われているわけではないと判断できるのは長年聞いてきた成果。今の声は、「さっさときて現状を報告しろ」という父親の圧だ。

 渋っていたのも虚しく、玄関からリビングに直行する。六人掛けの広いテーブルに椅子は五脚。咀嚼中の兄は、こちらを見ながら軽く手を上げる。同じように返せば、その隣に仏頂面で座する、父親。

 

 

「座りなさい」

「……はい」

 

 

 父親の正面に座らされる。何を読んだのか、兄も母も、動いているだけで物音は極力立てないようにしている。余計なお世話だ。どうせならどっかいってほしい。叱責される場面なんて、どんな相手でも見られたくはない。

 

 

「あの模試の結果はなんだ?」

 

 

 背もたれに寄りかかっているだろう。腕を組んでいるだろう。眉根を寄せているだろう。今の父親の状況は予想がつく。たとえ見ずとも。今までの経験上、こんな感じ。

 

 

 ―― もうやめたい。

 

 

「……すみません」

「謝れと言っているんじゃない。何だと聞いている」

 

 

 ―― 頑張った。けど、だめだった。

 

 

「……努力が、足りませんでした」

 

 

 そう。努力が足りなかった。世の中には同じ問題でも満点を取る奴らもいる。満点じゃなくても、いい点数を取る奴はもっといる。同級生にすらいるんだ。よくわかってる。

膝の上に置いた拳が痛む。肩が上がって、なぜか、少し息が苦しい。

 俺とは逆に、父親は大きく息を吐いた。

 

 

「今の時期にこんな成績でどうする。遊び歩いてるんじゃないだろうな」

「……毎日、塾にも、自習室にも、行ってる」

「じゃあなんだその髪は。気付かないとでも思ったか? そんなことやってる暇がある立場な――」

「たっだいまー」

 

 

 俺としては福音ともとれる場違いな明るい声が、嫌な音をかき消した。

 

 

「飾。お前、まだいたのか」

「またその話? 年内には出て行くわよ。こっちは計画的にやってるんだから、いちいち突っつかないで。あれ、アンタ髪染めたー!? いいじゃんいいじゃん! 似合ってるよー」

「あ、ありがと……」

「……もういい。次の試験では今の倍以上の評価をとるんだ。そうでないと医学部なんて到底無理だぞ」

「……努力するよ」

 

 

 話がひと段落してくれたおかげで、静かに差し出された夕飯に手を付ける。

 母は気にかけてはくれるが、助けてはくれない。

 父は気にかけすぎて過干渉。そして、医学至上主義。医者が何よりも偉いと思っていると思う。

 兄は言いなりではないが、事なかれ主義。俺と兄は似ていると思う。いや、優秀だから、俺とは似ていない。

 姉は自由主義。父の過干渉に嫌気がさして、やりたい放題やっている。

 俺は兄と姉がうらやましい。望まれたものを手に入れることができ、周りを安心させられる兄が。自由に、意思を貫いて自分のやりたいことをやっている姉が。

 

 

 ―― 味がしない。

 

 

「母さん、このチキン南蛮、美味しいね。タルタルソースは手作り?」

 

 

・♢・

 

 

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