おやすみ、灰かぶりの眠り姫。   作:彩白 莱灯

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第32話

 先生に見守られながら書いた願書。そして必要な書類や写真を用意して、向かう先は郵便局。

 秋風が心地よく吹いている。のほほんと秋風と普段歩かない未知の景色を楽しむ。草木の音。仄かに香る花の香り。少し遠くまで見通せそうな空。子どもの楽しそうな声が聞こえて。窓を開けて通り過ぎる車。少し嫌なのは虫が飛ぶようになったこと。活動しやすい時期になったのは、人間も虫も同じ。

 そうこうしていれば目的地まではあっという間。赤い看板の郵便局。ちょうど人が出て……き……。

 

 

「うそ……」

 

 

 彼だった。どこか固い表情をした、彼がいた。

 まだ連絡入れていない。テスト結果という話題を手に入れてから連絡しようと思っていたから。普段からあまり触っておらず、さらには寝ている間に充電されていなくて、今現在は自宅にある。

 ここで避ける理由は、あるとすれば気まずいから。けれどそんな理由で避けてもいいのだろうか。むしろ連絡できなかったことを謝るチャンスじゃないか。

 一呼吸。大きく吸って、吐く。胸の高鳴りは鎮まらない。けれど頭の中は冷静に、足は少しだけ小股に。外壁に寄りかかった彼のすぐ側まで。

 

 

「水の中にいたみたいだ」

 

 

「ん?」という言葉は声に出ていた。手を伸ばせば触れられそうなほどの距離で呟いたお互いの声は、意図せずお互いに届けられた。同じように「ん?」と呟いた彼は私の方を見て固まる。

 

 

「しん、じょう?」

「びっくり。こんにちは」

「こんちは……」

 

 

 なんとなく強がって見せた。

 彼も郵便局に一人で来ていて、用はもう終わったらしい。じゃあ、と、私は彼に時間を貰うことを約束して、私の用を済ませるために建物内に入る。

 順番待ちの間、彼の呟いた言葉を思い出す。

 彼は『水の中』と言った。どういうことだろう。 冷たい? 浮遊感? それとも息苦しい? ……溺れてしまいそう?

 彼の顔は私が近寄るまで強ばっていた。受験の悩みだろうか。彼のような頭のいい人でも、受験で苦労しているのだろうか。いや、苦労しているからこそのあの成績なのか。勉強会のときも、私とやるようになって少し良い傾向にあると。

 ……ならば。勉強会を続ければ、彼の力になれるだろうか。

 本当は卒業までは申し訳ないと思っていたけれど、もし、もし彼の力になれるのなら。私は悪魔との戦いに身を投じることは、やぶさかではない。

 そして。

 それがたとえ、私が死ぬことになったとしても。

 

 

 ・♢・

 

 

 順番が来て、書類を提出した。おじさんが静かな声で「お預かりします」と大事に受け取ってくれた。大事に扱われていて、言い表せない気持ちになる。

 

 

 ―― 頑張れる? 頑張るしかない。

 

 

 唇を一本に結んで、出入り口へと足を踏み出す。なるほど、もう後戻りはできない重圧がある。

 彼が言った言葉はこういうことだったのだろうかと、自分の中で想像する。

 水の中。上手く動けないもどかしさ。息の吸えない切迫感。目先の水面(もくひょう)は見えているのに、距離が測りにくくて途方もない。それでも、足掻いて、水を掻いて、体に残した空気を吐きださないように。水が開けたら、深呼吸して良いのだから。

 自動扉が開いた。壁沿いにいる彼に声をかけた。

 

 

「お待たせ」

 

 

 その顔はまだ固かった。ならばと、まずは移動を提案。この場にいるのも息苦しいのであれば、いっそ景色を変えてしまおう。だってこんなにも清々しいのだから。

 秋晴れはいつもの鬱々とした気分を風化させてくれたようだ。乾いた唇が、自然と言葉を紡ぎだす。

 

 

「暫く連絡出来なくてすみませんでした」

 

 

 やはり心配させてしまっていた。体調を崩したことを素直に伝え、同時にもう回復したことも報告する。何かと体調を心配してくれる彼のことだ、おそらくは予想がついていただろう。次からは眠気を感じたら早めに連絡を入れておこうか。

 話題は変わって、テストのこと。伝えるより見せるのが早いだろうと、テスト結果を見せた。赤く差し込んだ色がないのがこんなにも綺麗だなんて、彼と知り合わなければ知ることはなかったかもしれない。彼も喜んでくれて、「よかった」と安心してもらうことができた。

 何時も迷惑ばかりかけている私でも、恩に報いたいとは思っている。結果が出て良かった。彼の努力を実らせることができて良かった。彼の嬉しそうな顔が見れて、良かった。

 丁度見つけたベンチに座る彼にコーヒーを手渡した。「お礼」と言えば「ありがとう」と言いながら、はにかみながら素直に受け取ってくれる。

 そんな顔を見ながら、やはり、と私は唾液を飲み込む。

 

 

「それで、相談なんですけど」

「うん?」

「たぶん、受験で忙しくなると思うんですけど、合間にまた、勉強を教えてくれませんか?」

 

 

 一瞬だけ目を丸くした彼は、次は口を開いた。

 

 

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