おやすみ、灰かぶりの眠り姫。   作:彩白 莱灯

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第7話

 二時間ぐらいで外は暗くなって、B5サイズの問題集を見開き一ページ解いた。今日の授業で出た問題と似た問題を、また間違えた。ルーズリーフは捨てた。今日のことはなかったことにしてしまいたかった。

 机に突っ伏したら、外も仲も内も真っ暗。ゆっくり、のろのろと家路に着く。辺りが暗くなっても蒸し暑さは健在。さらに気も重くなる。

 

 

 ―― ここまで沈んだ日……今まであったかな。

 

 

 夜になって星を数えながら、無気力のくせに足を運ぶ余力を割く。

 

 

 ―― 帰りたくない。

 

 

 漠然と思う。家に帰るのが嫌な理由は特にない。塾から帰る時間と同じぐらいだ。バレないだろう。罪悪感が足を重くさせるのか。気力がないからなのか。暑いからなのか。こんなことも、わからない。

 見慣れた建物の前に着いた。携帯を見れば、いつもよりも遅い時間。けれど、体感としてはいつもより早く着いた。着いてしまった。通り過ぎようか。

 

 

 ―― 腹減った。

 

 

 三大欲求に突き動かされて、玄関に向かう。足元の仕切りを目視しながら。

 

 

「ただい……っ」

 

 

 言うが早いか。正面のリビングの扉が、激しい音を立てて開く。一瞬、視界に入った、革靴。考える間も、理解する間も、情報処理をする間もなく。

 顔……頬に衝撃を受けて、視界と地面が揺らいだ。

 

 

「お前は今までどこにいたんだ!」

 

 

 大声にはっとする。俺は殴られた……らしい。それらしき場所に手を当てて、引くどころか追いかけてくる痛み。帰り道で感じた非現実を打ち消していく。

 

 

「この大事な時期に……金を無駄にして遊び惚けて……何様のつもりだ!」

 

 

 父親の奥で、扉に隠れながら心配そうに様子を探る母親の姿がある。この父親の剣幕だ。母親だって怖いだろう。

 

 

「そんなことをしている場合か!? 遊んでいられる程、お前は優秀か!? 模試の結果を見てそう思えるならお前は寝ぼけているだけだ! 現実から目を背けて都合よく解釈しているだけの、夢を見ているただの弱者だ!」

 

 

 ―― ……。そんなこと。言われなくても。

 

 

「……っ」

 

 

 ―― 俺が一番、わかってる。

 

 

「次にまた塾をサボるようなら、この家から出ていけ!」

 

 

 ドタドタと治まっていない荒い気持ちを階段にぶつけて行った。

 どんな顔をしていたのか。そういえば見ていなかった。まあ、予想はつくけど。

 

 

「……大丈夫? どこに行ってたの? 心配、したのよ……?」

 

 

 空気を読み切った母親が、近くに寄ってきていた。すごく心配している顔をしている。

 冷たい玄関から立ち上がろうともしない俺に、母親は狼狽える。

 

 

「ほら。冷やせ」

 

 

 そんな母親の横から腕が伸びてきた。腕の主である兄は、眼鏡の奥の目で俺の頬を見て言った。

 

 

「……ありがと」

 

 

 ひんやりと冷えたそれを受け取った。頬に当てると、冷たさと熱さが交わって何とも言えなくなる。

 兄は役目を終えたとでも言うように去った。母はすごく心配そうな顔をしたまま、目の前に佇む。すごく、居心地が悪い。

 

 

「……ちょっと、出てくる」

「えっ、どこ行くの?」

「忘れもん」

 

 

 口から出まかせで、適当に歩き出した。

 頬はまだ痛む。貰ったタオルはまだ冷たいが、どうにも当てる気にならない。見当はずれの右手だけが冷えて、体は汗ばむ。帰り道よりも重い足は、当てもなく夜の道を彷徨っている。と、思っていた。

 

 

「……えぇ……」

 

 

 時計台。どうしてここに来たのか。そんなのわかるはずもないと自問自答。

 

 

「あ」

 

 

 あの見覚えのある姿は。警察だ。悪いことはしていなくても、背中から一筋の汗が流れる。一度見たら忘れようもない制服。あちらは同じ人か、覚えられているかわからないが、こちらもあの時とは同じ制服だ。

 条件反射で固くなった身を無理矢理捻り、青い人たちが向かっている方と反対方向へ行く。塾の方向で知っている道だから、体も素直に言うことを聞いてくれた。

 

 

「あ」

 

 

 今度は。以前と逆の流れだが、あの人がいた。

 黒い髪の。黒い瞳の。あの人。

 随分とタイミングのいいことだ。と、思ったが、見かけるのは大体、塾の後の時間。つまり今だ。タイミングが良いのは今日の俺だろう。

 そして今日の俺は、殴られたからなのか。右手に持った冷たいタオルのおかげなのか。茹だるような暑さの夜のおかげなのか。その人と目が合っても、声をかけることはしなかった。

 珍しく一人でいた彼女は、派手ではないものの生足を大胆に見せる格好をしていた。買い物でもしていたのか、ビニール袋を提げていた。

 彼女を避けて、また方向を変えた。どうしてか足取りが重くて、近くの花壇に腰を掛ける。

 なんとなく周囲を眺めた。一人。二人。三人。男。女。スーツ。私服。制服。ズボン。スカート。金。黒。白。灰。赤。黒。黒。灰。青。黒。……。十人十色の相貌が目の前を通り過ぎる。

『人間』は楽しそうに、忙しそうに、暑そうに、うざそうに、気持ちよさそうに、苦しそうに、足並みをそろえようとはせずに所謂マイペースに前へ進んでいる。行きたいのか、行きたくないのかは……わからないけれど。どこかしらには進んでいる。

 止まっているのは。俺くらい。

 はぁ、とため息が漏れる。頬に当てていたタオルを下ろす。ズボンが濡れていく。頬は風が当たってひんやりする。

 

 

 ―― 帰ろう……。

 

 

 立ち上がって、くるりと反対を向いた。すると、一際目立つ人物たちがいる。ド派手な格好をしているわけではない。ただ、近すぎる距離でいるのに、それは仲良さげではない。むしろ逆で、何やら言い争いをしているようにも見える。

 

 

「……辛城っ」

 

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