おやすみ、灰かぶりの眠り姫。   作:彩白 莱灯

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第8話

 駆けだしていた。人の流れで擦れる派手ではない格好の彼女を、必死に追いかけた。移動しようとしている。けれど、その動きは遅く、ふらふらと定まっていない。

 

 

「辛城!」

 

 

 もう一度呼んだ。彼女は振り向いて、前髪の隙間から目を見張る。

 辛城の反応は置き去りに、肩を組んでいる男を引き剥がした。支えを失った酒臭い男はしりもちをついて、何か喚いている。聞こえているのに、まるで頭に入ってこない雑音。辛城の手を強引に引いて走り出した。人の流れに乗って紛れ。大通りに出てタクシーを拾う。

 

 

「どこまででしょう?」

「とりあえず真っ直ぐ!」

「は、はい」

 

 

 閉まった扉の景色が動いて行く。俺は。いや。俺も、辛城も。足りなくなった酸素を補うことに一生懸命になっていた。回りにくい頭で考える。

 

 

 ―― どうしよう……。

 

 

 殆ど考えなしだった。正直言えば彼女の姿を探していた。けれど、本当にいるとは思わなかったし。いたとしてどうするかなんて、もちろん考えていなかった。

 連れてきちゃった。

 言い訳ともいう建前が思いつかない。ひねり出さなきゃ。彼女の呼吸が治まって、聞かれる前に。考える時間のために、わざと呼吸が荒い様子を振る舞う。彼女も大分長い間、呼吸を整えている。荒すぎても怪しまれるだろう。理由が思いつかないまま、二人して息遣いが落ち着いていった。

 

 

「次の信号で右に曲がってください」

「あいよー」

 

 

 肩が揺れた。俺ではない相手にかけられた声に、再度息が上がるかと思った。彼女はどこに行こうとしているのか。なんとなく予想がつくが、俺は予想を当てられる程、彼女のことを知っているだろうか。

 窓を見ると、景色が大きく曲がった。明確な目的地を得た車は、器用に車線をずらしながら進んでいく。

 

 

「……どうして」

 

 

 景色の手前に映る、彼女の広がった黒い髪。窓を見ている俺と同じように、彼女も窓の外を見ている。その状態で呟いた言葉は、おそらく俺に向かっていた。鏡に反射して届いた声は、集中しないと聞き取れないほどに小さい。

 

 

「どうして、いたの?」

「……たまたまだよ」

 

 

 浮かんだ言葉は音にならず、喉から胃へ流れ、溶けた。

 景色に混ざる黒い髪を見つめながら、あくまで独り言を呟く。

 

 

「上手くいかなくて、家出した」

 

 

 少ししてから、そうなんだ、と聞こえた気がした。興味があるのかないのかわからないが、それ以上の話はどちらもなく。ただただ移り変わる景色を見続け、運転手に声をかける低めの声を盗み聞きして。なんとなく既視感のあるところで扉が開く。

 

 

「ありがとうございました」

「あいよー」

「あ、お金」

「いいよ。どうせ帰り道だし」

 

 

 踵を返し、足早に進んでいく。栄えていた場所から、閑散とした住宅街へ。その中でも外れだろう。街灯がぽつりぽつりと少なく、目の前は畑で、虫の鳴く声がよく響く。

 影に融けてしまいそうな辛城の輪郭を、ギリギリのところで視界に収めなが追いかけた。拒否する様子はない。俺としては少し遅く感じる歩調で、振り返らない。ただただ前を、下向きに歩いては、アパートの段差に足を引っ掛けた。

 

 

「っ!?」

「あっ、ぶな……」

 

 

 足を上げる動作が異様に遅く見えた。その間に追いついたおかげで、傾いていく体を支えられた。触れた体は、柔らかさはなく、細く、弱い。同世代の女性の体がこんなか弱いだなんて、他を知らなくとも、なんとなく違うと思う。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 弱々しく突き放された。流れる髪から、柑橘系の甘い香りがした。姿勢を立て直し、1階の通路を進んで角の部屋の鍵を開ける。

 ここで、いつぶりかに目があった。

 

 

「来るならどうぞ」

 

 

 投げかけられた言葉は投げやりで。でも、半分だけしか見えない体が、どこかほんのりと温かみがあって。手にわずかに残る、冷たく不健康そうな辛城の感触。五感で確かめた、『辛城』という人。

 確かに存在している。みすぼらしく、儚い。

 暗い部屋の中で、一筋だけ垂れた蝋がじわじわと融かされている。そんな、微かな灯火のような姿。

 触れたい、と、思った。

 

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