今回は甘めです。
「そこら中カップルだらけだな。日本のクリスマスは」
「そうね。でも、あなたもその一員よ?」
「まあ、そうなんだけど」
十二月二十四日、水曜日。午後五時過ぎ。
今日は二学期の最終日だったため、午前の掃除と終業式を終えた俺と詩乃は、午後から何する? という話になり、せっかくのクリスマスイヴだしどこかに出かけましょう、という話になった。一度マンションに帰って着替えてから、話し合いの末、俺たちは上野公園に来ていた。マンションからは歩いて十五分ほど。今まではあまり立ち寄ることのなかった場所だが、クリスマスのイベントが開催されているというので、二人で来ることにしたのだ。
「にしてもすげぇ人だな」
「そりゃあクリスマスだもの。当然じゃない?」
「そんなもんか」
公園口から続く並木道は、人で埋まっていた。腕を組む男女。子どもの手を引く家族。学生の群れ。誰もが、白い息を吐きながら、同じ方向へ流れていく。裸の枝に巻きつけられた電飾が、頭上で金色に瞬いている。
——そこでつい、周囲を見回してしまう。人の流れ、動線の確認。死角の有無。
「——また、周り見てる」
詩乃が、横目でこちらを見ていた。俺は肩を竦めた。
「癖でね。これはもう治んねぇよ」
「分かってるわよ。私も時々、真似しちゃうし」
「へえ、そうなのか?」
「見様見真似でね」
そう言って笑う詩乃を見て、今度気にして見てみるか、と思ったところで——詩乃の肩が、人波に押されて揺れた。
俺はとっさの反射で、その手を掴んだ。
「あぶね。大丈夫か」
「う、うん。ありがと」
そのまま、詩乃の指に俺の指を絡める。いわゆる、恋人繋ぎ。
「危ねえし、はぐれるからな。こうした方が安全、だろ?」
「……そうね。はぐれるから、ね」
詩乃がマフラーの中で笑ったのが分かった。言い訳の透けた手を、彼女はぎゅっと握り返してきた。
俺たちはそのまま、広場まで並んで歩いて行った。
◇
袴腰広場は、別世界だった。
木造の小屋——ヒュッテというらしい——が、広場を囲むように立ち並び、その全部に暖色の電飾が巻かれている。屋根の縁から吊るされた光の粒。どこかで鳴る鈴の音と、オルゴールみたいな音楽。焼き菓子と、スパイスと、何かを煮込む甘い匂い。
「……ヨーロッパ?」
「東京よ。まあ、モデルはヨーロッパのクリスマス市らしいけどね。福岡で人気のイベントが、今年初めて東京に来たんだって」
詩乃の言葉に納得しつつ、辺りを見回すと——広場のど真ん中に、明らかに異質なそれはいた。
「なんだあれ。異質すぎるだろ」
「……大きいわね」
横五メートル、高さ三メートル。座った巨大なサンタクロースが、広場の主のように鎮座している。その前には、撮影待ちの列。
「並ぶわよ」
「マジで?」
「並ぶの」
有無を言わさず、列に引き込まれた。十分ほど待って、順番が来る。詩乃がスマホを構えようとしたところで、後ろの家族連れの母親が、にこやかに声をかけてきた。
「撮ってあげましょうか?二人で写った方がいいでしょ」
「あ……、お願いします」
スマホを渡す詩乃。俺は、巨大サンタの前に詩乃と並んで立った。
「はい、彼氏さん、もっと寄って寄って」
——彼氏さん。
初対面の人間にも、俺たちは恋人に見えるらしい。ま、そりゃそうか、と考えていると、詩乃が腕を組んできた。詩乃の方を見ると、こちらを見て笑っていた。
「恋人らしく、撮りましょう?」
「……仰せのままに、お姫様」
「はい、チーズ!」
シャッター音。返ってきたスマホの画面には、楽しそうに微笑む詩乃と、妙に顔が強張っている俺と、巨大サンタが写っていた。
「暁、変な顔」
「写真なんて慣れてねぇんだよ。どういう顔していいか分かんねぇんだわ」
「待ち受けにするわね」
「……まあ、いいけどよ」
詩乃は、本当に嬉しそうにスマホを胸に抱えた。
それを見て——俺も、妙に嬉しくなった。
◇
「これ、限定のマグカップなんだって」
小屋の一つで、詩乃が両手に一つずつ陶器のマグカップを持って戻ってきた。中身はリンゴとシナモンの匂いのする、湯気の立つ飲み物。ホットワインのノンアルコール版だという。
「マグは持って帰れるらしいわ。お揃いね」
「へえ。丁度欲しがってたから、良かったな」
「うん。デザインも可愛いしね」
受け取ったマグは、手のひらにじんわりと熱かった。一口飲むと、甘さとスパイスの辛さが、喉を通って落ちていく。冷えた体の芯に、火が灯る感じがした。
「お、美味いなこれ」
「ほんと、飲んだことない味だけど、美味しいね」
詩乃が自分のマグを両手で包んで、白い息と一緒に息を吐いた。電飾の光が、その頬を橙色に染めている。広場の奥のステージから、オペラの歌声が流れてきた。太くて、温かい歌声。
(クリスマス、か)
今までのこの日は、ただの一日だった。何も変わらない日。生きる為に過ごした日。こんな風にいつもと違う時間を過ごすのは、いつぶりだろうか。きっと、もう思い出せないぐらい前だ。
ふと、いつだかのルカとの一幕を思い出す。
『キョウ、クリスマスだぜ』
『それがどうしたよ』
『なんか、めでたいらしいじゃん?俺らも祝っとこうぜ』
作戦終わり、荒野の岩壁に背中を預けて、ルカはそう言った。十二月の、あの国の夜は乾いて冷たく、空には馬鹿みたいに星が出ていた。俺たちは十二か、十三か。もう、正確には覚えていない。
『祝うって、何でだよ。飯もねぇのに』
『あるぜ、ほら』
ルカはポケットから溶けかけたチョコレートを一欠片取り出した。どこかで、誰かの物資からくすねてきたものだろう。それを二つに割って、片方を俺に押し付けた。
『Buon Natale、キョウ』
『……ぶおん、なんだって?』
『メリークリスマス、だよ。イタリア語で』
ルカは、それから小さな声で、何かの歌を歌った。子供の頃に世話になっていた教会で覚えたのだと言っていた。俺には歌詞の意味は分からなかった。でも、その歌声だけは、やけに綺麗だったのを覚えている。
『なあ、キョウ。戦争が終わったらさ』
歌い終わった後、ルカは星を見上げながら言った。
『平和な国で、クリスマスやろうぜ。飯たらふく食って、綺麗な光を見てさ。……女、連れて』
『女だぁ?お前、この状況で何言ってんだ』
『俺達普通なら中学生ぐらいだぜ。女の一人や二人ぐらい欲しいだろ。……ま、お前には無理だな。その目つきじゃ、女に逃げられる』
『はっ倒すぞテメェ』
そう言って、俺たちは笑った。あの夜、あの場所で、俺たちは確かに、笑っていた。叶うはずもないと、どこかで思っていた。
そんな俺が今、光の溢れる広場に立って、恋人の隣で、温かい飲み物を飲んでいる。
「……はっ」
思わず、笑いが漏れた。
本当に俺が、恋人とクリスマスを過ごしているとは。ルカが見たら、腹を抱えて笑うだろう。
「どうしたの?」
詩乃が、不思議そうにこちらを見上げた。
「いや。何でもねぇよ」
「なによ、教えなさいよ」
「何でもねぇって。……このマグ、いいな。大事にするわ」
詩乃は少しだけ怪訝な顔をしたが、それ以上は聞かなかった。目を閉じ、思い浮かべる。もう二度と会うことのない、唯一人の親友を。
(よう、ルカ。悪くねぇぜ、平和な国のクリスマスってのは)
◇
「腹減ったな」
「向こうに屋台があるらしいわよ。不忍池の方」
袴腰広場を抜けて、坂を下る。人の流れは相変わらず多いが、こちらは少し空気が違った。ヨーロッパ風の市から、一気に下町の祭りの匂いになる。醤油と、ソースと、出汁の匂い。不忍池の畔に、屋台が並んでいた。
「…雰囲気違いすぎるな」
「でも、悪くないわね」
屋台に並んで食べ物をいくつか買い、近くの空いていたテーブルに並んで座って食べる。不忍池の水面に、対岸のイルミネーションが映って、ゆらゆらと揺れている。近くの小さなステージでは、ギターを抱えた誰かが、知らない歌を歌っていた。
「見て、あれ」
詩乃が指さした先に、電飾を纏ったパンダのオブジェが立っていた。上野らしいというか、なんというか。
「あの巨大サンタといい、妙にデカいもん置きたがるな」
「ふふ。そうかもね」
そんな他愛のない話をしながら、俺は大量に買った紙皿を次々と空にしていった。詩乃は、おでんを三つ食べたところで満足したらしく、あとは俺の食いっぷりを、半ば呆れ、半ば楽しそうに眺めていた。
「……なんか、いいわね。こういうの」
「何が?」
「こうやって外で、寒い中であったかいもの食べて。……普通の、デート」
「普通、ね」
俺は最後のホットドッグを飲み込んでから、言った。
「普通ってのは…悪くねぇな」
詩乃は、少しだけ驚いた顔をして——それから、嬉しそうに笑った。
◇
屋台の賑わいから少し離れて、不忍池の畔を歩く。弁天堂へ続く道の途中、人の流れが薄くなる場所があった。街灯の光と、対岸のイルミネーションだけが、水面に映っている。
「……静かね」
「ああ」
俺たちは、池を見下ろす柵に並んで寄りかかった。
冷たい風が、水面を撫でていく。それに合わせて、水に映った光の粒がばらばらに崩れて、また集まる。詩乃はマフラーに顎を埋めて、その光をずっと見ていた。
そんな詩乃を見て、一つ大きく息を吐いてから、コートのポケットに手を入れた。指先が、小さな箱に触れる。
「詩乃」
「ん?」
「……これ。やる」
ポケットから箱を出して、詩乃の方へ差し出す。飾り気のない、小さな紺色の箱。
クリスマスに、恋人に、何をあげればいいのか。俺には、まるで見当がつかなかった。過去にそんな経験はないし、参考になる記憶もない。仕方なく、まずキリトに相談した。
『……いや、俺に聞かれても』
『彼女持ちだろうがお前』
『そうはいっても、俺もいつも悩んでるんだよ。…そうだ、隣にアスナがいるから代わるよ』
そう言ってキリトは、隣にいたアスナにスマホを渡した。アスナは、少し考えてからこう言った。
『アルバ君から貰ったものなら、しののんは何でも喜ぶと思うよ!』
それは答えになっていない、と思ったが、アスナは本気でそう思っているようだった。
次に、立川に聞いた。身近な大人はアイツぐらいしかいなかった。
『……お前が、俺に彼女のクリスマスプレゼントの相談を?』
電話の向こうで、立川はしばらく笑い続けた。死ぬ程イラッとしたが、相談している手前、何も言えなかったので笑い終わるのを待った。で、一言。
『何でもいいんじゃないか?お前が、詩乃ちゃんのことを考えて選んだものなら』
——結局、誰も、具体的なことは教えてくれなかった。
だが、二人とも同じことを言っていた。俺が、あいつのことを考えて選ぶ。それが全部だと。
だから俺は、何件か店を回って直感的に選んだものにした。
詩乃は、箱と、俺の顔を交互に見た。
「……開けていい?」
「そのために渡してんだよ」
詩乃が、箱を開ける。
街灯の光の下で、細い銀の鎖の先に、小さな空色の石が、揺れた。ネックレス。八月。詩乃の誕生月。その誕生石は、スピネルというらしい。石の色は、いくつかあった。その中に一つだけ——スカイブルーのものが、あった。
俺が最初にあの荒野で出会った時の、彼女の色。
「……」
詩乃は、しばらく、何も言わなかった。
「アクセサリーなんか、重いかと思ったけどな。でも、他に思いつかなかった」
「……これ」
「あ?」
「これ、なんて石?」
「…スピネルって石だと。八月の、お前の誕生石」
「知ってたんだ。……私の、誕生日」
「いつだかの昼休み、チラッと言ってただろ」
「そんなこと、覚えてたの?」
「記憶力はいいんでね」
詩乃の声が、少し掠れた。
「色は、なんでこれ?」
「お前の、シノンの色。……なんとなく、それがいいと思ったんだよ」
詩乃は、石をじっと見つめて——それから、小さく、息を吐いた。白い息が、光の中に溶けていく。
「……つけて」
「ん?」
「つけて。あなたが」
詩乃が、こちらに背を向けて、マフラーをずらし、髪を片手で持ち上げた。白いうなじが、街灯の下に晒される。
俺は、不器用な指で、鎖の留め具と格闘した。銃の分解より簡単なはずなのに、今はやたらと指が震える。三度目で、ようやく留まった。
詩乃が、こちらを向く。
マフラーの上、コートの襟元に、小さな空色が収まっていた。
「……どう?」
「似合ってるよ」
「それだけ?」
「…ああ、綺麗だよ」
詩乃は、耳まで赤くなって、それでも目を逸らさなかった。
「……ありがとう。一生、大事にする」
「一生って。大袈裟だな」
「大袈裟じゃない。…ずっとずっと、大事にする」
詩乃は、それから、自分のバッグの中から、小さな包みを取り出した。
「これ、私からも」
「お前も、用意してたのか」
「当然でしょ。恋人なんだから」
受け取った包みを開けると、中には——ブレスレットが入っていた。細い、銀色の。飾りはほとんどない、シンプルなもの。
「……銀か」
「あなたの、アルバの目の色」
詩乃が、少し得意げに言った。
「私も、同じこと考えてたみたい。……あなたの色を、あなたに」
俺は、少しだけ、笑ってしまった。同じことを考えて、同じ理由で、互いの色を選んでいた。
詩乃が、俺の左手を取った。袖を、少しだけまくる。
そこには、古い白い線が、何本も走っている。詩乃の指が、その上を、一瞬だけ、なぞった。何も言わずに。それから、その手首に、銀のブレスレットを、留めた。
古傷の上に、銀色が一本、光っていた。
「……似合う」
「そうかよ」
「うん。すごく」
詩乃は、俺の手首を、しばらく、両手で包んでいた。冷たい指だった。でも、その冷たさが、なぜか、心地よかった。
◇
「ね、暁」
「なんだよ?」
詩乃が、俺の目を見上げた。街灯の光が、その瞳と、胸元の空色の石に、同じように映っている。
「ん」
目を瞑り、顔を少しだけ前に出してくる詩乃。ああ、これはアレだ。キスして、という詩乃の合図だ。
「……」
「ん」
催促する詩乃。少し、周囲を見廻す。とりあえず誰もいなさそうだ。俺は観念して、一秒だけ、目を瞑る詩乃の顔を見て、それから——顔を寄せた。
短い、触れるだけのキスだった。
顔を離すと、詩乃は、まだ目を閉じたままだった。それから、ゆっくりと目を開けて——笑った。
「暁、大好き」
「…ああ、俺もだよ」
◇
帰り道。人の流れは、来た時より少しだけ減っていた。
俺たちは、手を繋いで、マンションへの道を歩いた。今度は、はぐれるから、なんて言い訳はしなかった。
「暁」
「なんだよ」
「メリークリスマス」
「……ああ。メリークリスマス」
——Buon Natale、か。
ルカの歌声を、少しだけ、思い出した。あの荒野で、あいつが歌ったあの歌。歌詞の意味は、今でも分からない。
でも、あいつが祝おうとしていたものが何だったのかは——今なら、少しだけ分かった気がした。
繋いだ手を、少しだけ強く握った。
隣で、詩乃が笑った。
十二月の夜空に、星は少ない。東京の空は、あの国の空より、ずっと明るくて、ずっと星が少ない。
それでも——
今夜の空は、あの夜の空より、ずっと温かかった。
頑張って10月中にはオーディナルスケール編を書きたいなと思ってます。