華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
きっとこの場を表現するには嵐が去った後の静けさと言うのが一番似合っているだろう
まるで妹に守られるかのように去っていた雫の後を睨むように考え込む遥に、何か知っているかのように苦々しい複雑な顔を隠しきれない愛莉。そしてまたしても何も知らない花里みのり
彼女たちの内心は三者三様。考えることは違えど共通しているのは先ほどまでの雫について
相変わらず、というには若干一名関わりが少ないが彼女たちにとって日野森雫とは『美しい人』だった。それもとびっきりの、同じ仕事をしている愛莉や遥が嫉妬も湧かないほどの…そう。分かりやすくいうのなら
次元が違うのだ
ヒトならざる『妖精』や『精霊』と美しさを競い合うほど愚かなことはない
「ねえ。桐谷さん」
「…どうしましたか?桃井先輩」
だがそれでも雫を『日野森雫』を名実ともに『妖精』にしたいわけがない
……なんて二人の考えている焦燥感は同じだった。元からどこか浮世離れている雰囲気を持っている雫だったがここ最近のそれはより一層を増して激しく、そして鮮烈に輝かしく『日野森雫』だけを切り離して浮かび上がらせている。
本当の雫は木漏れ日の中で優しくほころぶかのような微笑みを浮かべて人懐っこいフレンドリーな人だと知っている愛莉や雫にとって今の雫はあまりにも痛々しくて見ていられなかった
「最近の雫の仕事での様子を知っているでしょう?詳しく教えて」
「多分、桃井先輩の方が学校での雫の様子を知っているでしょう。それと引き換えなら」
愛莉はこの原因を仕事にあると考えた。家族との仲は分からないが少なくとも雫の妹である志歩との仲は悪そうには見えない。あの場で真っ先に姉を庇うように自分の背中に隠した姿も愛莉にとってはとても好印象に映った。雫の『怒』を任されているのが私なら『喜』か『楽』を任せているのがあの子なのだろうと確信するぐらいには
遥はこの原因を学校にあると考えた。最近の、つい先日の雑誌の表面を飾る共演をした時の事を朧げに思い返す姿だったり名前ではなく名字で呼ばれたりとあまりにも『酔っているような仕草』は決して仕事中の雫とは似ても似つかない姿だ。だからこそこの学校の、それこそクラスメイトとかに原因があると確信した
「あ、のーぉ……」
「え、えーっとそうね。アンタは……」
とは言え、そんな雫の話を部外者であるみのりがいる場所で出来るはずがない
アイドルの中でも半分アンタッチャブルへとなっている『日野森雫』の素顔に迫れるのはそう多くない。それは雫の人間関係は広く浅くが殆どだったためある意味必然的に『桃井愛莉』と『桐谷遥』の二名だけが雫と仕事以外での関係を築けていると言っても過言ではない
そんなプライベートの話を花里みのりと言う部外者の前で言っていいものか。
もちろんダメというかそういう線引きが絶対的なまでにある雫の話などしてしまったら最後、雫は愛莉を最初っから無かったものにするだろう。そういう確信があった…と同時にだ
(『はじめまして、みのりちゃん!』)
思い出すのは先ほどみのりの中から出てきたバーチャルシンガーである初音ミクの姿に愛莉の直感は強く激しく訴えた。…そう、それはこれを逃してはいけないという説明もできない野生の勘じみた『何か』
従うべきはどちらか。或いは現状を打破できる可能性はどちらか
信じるべきは過去か可能性か。一瞬の逡巡、そして愛莉は迷うことなくそっちを取った
「…………誰にも口外しないって誓える?この場にいる私たちに」
「!桃井先輩!」
過去じゃダメなんだった、過去じゃあ雫を笑顔にすることは出来なかった
ならもう賭けるしかない。全てを得るか、はたまた全てを失うか。愛莉自身自分はそこまで幸運な方ではないと自覚している。だが
声を荒げる遥を手で制して愛莉はみのりの瞳の中まで覗くつもりで強く見つめる。
もしもそれで間違ったのなら、もう腹でもなんでも切って詫びるつもりで覚悟を決めた愛莉の姿は一言で言うのなら凄みがあった
「え、ええ~~!?!?」
覚悟を決めた愛莉にみのりはただ現状が吞み込めないと言わんばかりに声を上げる。それもその筈でいつもなら画面の向こう側で輝いている推しの遥と、それに並ぶアイドルたちの話だ。本来ならば近づくことさえ許されない話が目の前で繰り広げられるなんて
正直言うのなら夢のようだと好奇心や物見高さの考えがみのりの中に無かったと言われれば嘘になる。
生粋の文字通りのドルオタであるみのりにとってアイドルが人間らしく悩んでいるところも好きになるタイプというか、比較的地雷や解釈違いが少ないタイプのオタクであった
だけど、それはあくまでファンとしての花里みのりだ。アイドルに憧れて追いかけている花里みのりは足踏みをしていたのもまた事実。触れてはならない境界線、その上で愛莉はその覚悟を問いた。この先に待ち受けているモノを知って尚、何も知らぬ顔は許されないとばかりの姿に怖気づく。
「私が…………けど」
(「けど挑戦は素晴らしい事よ。
その時、浮かんだ顔─────それは雫の微笑み
あの一瞬だけの微笑み。だけどまるで今にも壊れてしまいそうな
笑っているようでその実、一切笑っていないようなあの微笑みの意味を知りたくて
どうしてそんな悲しそうな顔で応援するのか……聞きたくて
「私は、日野森先輩についての話を、聞きます」
「…………本気?」
覚悟を決めたみのりの前に立つのがいつから愛莉だけだと言っただろうか。いくら心が折れかけているとはいえ遥だって自分のこと並みに、いや。もしかしたらそれ以上に雫には誰も触れてほしくない幼気な独占欲。未だ遥はそれを自覚したことも、考えたことも無いが少なくともこんな出会って数分も経っていないような同級生、つまりは愛莉から見たら年下に委ねるなんて正気ではないと思っていた
「花里さんこれはね。私たちの中で最も触れてはならない秘密…そうそれはあまりにも甘すぎる秘密」
だからこそ止めなくてはならない。
かつてみのりのように踏み込んで、そして拒絶されたあの日の雫の言葉を遥はずっと覚えている
「……甘すぎる?」
「うん。甘すぎる、秘密。…これは雫からの受け売りなんだけどね」
甘い秘密には、恐ろしい代償が必要なんだよ
…愚かな好奇を忘れるような、ね
吹き荒れる風に乗って遥の言葉は微かな残響だけを残して過ぎ去っていく
遥にとってその言葉の意味はついぞ分からなかった。いや、むしろ遥の中で雫の話を理解できたことの方が少なかった…つまり、それほど雫と遥の見ている世界は違うのだと誰よりも何よりも自分で理解していた
ただ、分かることはひとつ。
雫は今まで本心から楽しんで笑ったところを見たことが無い。誰もが抱くような『完璧』で『理想』の日野森雫という壁を作って誰も彼も踏み込ませないように生きている。私たちが許されているのは少しばかり距離の取り方が上手かったからだ、きっと私たちが居なくてもあの人はきっと素足で氷雪の上を歩いていけるのだろう。血塗れになりながら、擦り切れながらそれでも
止めなければ、ならない。
貴方は決して一人ではないのだと、虚無だけを写すあのブルームーンの輝きに証明しなくてはならない
(……私が?本当に?)
仰いだ希望は嘘なのだとあの薄氷色の髪をたなびかせて一人で歩き出した。言葉にした希望は嘘なのだとかつて私に憧れたファンだった子に糾弾された。だからこそ今の遥は気が付いてしまった、そんな大層な言葉で雫を繋ぎとめられるのかと、
「……………はわわ…ぁ」
「?どうかしたの?みのり」
だけどそんな遥の内心とは裏腹に目の前では明らかに分かるほど目を輝かせてこちらを見ているみのりの顔が見える。遥にとっては先ほどの言葉は脅しのような物だった、あの時の雫の迫力は最高の親友(自称)である私じゃなかったら耐えられなかったと遥は思っている
だがまさかその脅しに屈するのではなく想定外のみのりの反応に遥の脳内はフリーズしてしまう。
目を椎茸よろしく大きく輝かせるなんて考えていなかったと代わりに同じように反応を訝しんでいる愛莉が横から口をはさむ
「いえ!けど……本当にそうなんだなあって」
「なにがよ」
雫はそもそも現代社会では類を見ないほどアナログな人間。通話も連絡も最低限な雫がSNSなど運用するはずもなく、それに引き摺られて愛莉も最近までは良くも悪くも影響が大きくなりつつあるネットを敬遠気味であった。だからこそ、愛莉は知らない。知る由もない
しずあい派か、しずはる派で盛り上がる界隈の話を
ちなみに最大派閥が前者で最近は後者の盛り上がりも凄まじいらしい。ちなみにみのりは後者側の有名なファンアカウントであることは秘密
「遥ちゃんと日野森先輩がとても仲良しだという事ですよ」
「それは……」
だからこそ、みのりにとって感動さえしても恐怖することはなかった。
もっと俗っぽく言うのならしずはるてぇてえである。影のある天然美少女先輩×無自覚独占マシマシ後輩とか誰得、私得ぅ!といわんばかりの内心で必死にまくし立てる
何を言っているのか自分でさえもよく分からない早口になってしまったがみのりの言いたいことはただひとつ
「だって
これだけ。こんな遥ちゃんの姿を見てはお茶碗5杯は行けるねと誰に弁解するまでもなく限界化するみのりにはもはや秘密の中身なんて重要ではない。確かに日野森先輩が悲し気に笑っているのが私だけではなく、私『たち』に向かってなのかは気にはなるがそれはそれとしてやっぱり推しには幸せになってほしい。それをみのりも望んでいる
なんなら愛莉でも良い。先輩後輩と言う理想的な関係だけではなく、クラスメイトそして研究生時代からの仲らしい二人も二人で妄想が捗るとこの場に来てからみのりのオタク心は興奮しっぱなしだった。え?日野森先輩が虐められている?それを桃井先輩も遥ちゃんも気にしている?
……あの日野森先輩を虐める奴にチェストするんは女々か?
名案にごつ
と…ついに刀を振り上げたみのり侍が脳内で暴れまわっているのを百面相にして考え込んでいるところだった。新手の広告だったはずのミクがまたみのりたちの前に現れる。あの白のアイドル服を纏ったミクの姿がまたスマホの中からホログラムのように姿を見せた
『みんな大切に思ってるからなんだよ。みのりちゃん』
「…………ミク!?」
「広告じゃなかったのね……」
だがその姿の装いは少し違う。白を基調に黒だった内レースの色が水色よりも深い青紫色になって、胸元にはあの白百合の偽花がまだ三部咲きのように微かにほころばせているのが見える。……遥にとってはその姿がまるで雫をなぞっている様に見えて先ほどのミクより好感が持てると沈黙を貫く
とは言え、先ほどまでは何かの広告か或いは雫と何か関係のあるプロモーションかと秘かに思っていた愛莉は、そんなミクの言葉を待つ。正直言って何が何だか分からないが既に場の空気はミクに支配されている。もうここまで来るのなら、なるようになれ。だ
『雫ちゃんもみんな、大切だと思っているから怖いの』
「大切に思うから、怖い……?」
語るはミクから語れる雫の姿、人也
雫はずっと何か自分を責めている。許せないでいる…幸せになろうと思えていない。その雫を塞ぎ込める『何か』をミクは知らない。けど、その『何か』を雫は抱きしめて誰にも手を伸ばそうとしない。
自分が溺れていることを知りながら手を伸ばせば、引きずり込んでしまうと思い込んでいるから
『うん。大切にされたら大切にしてしまう。雫ちゃんはどちらも傷つくと分かっているから』
「それは……」
だから雫は、誰から見ても浮世離れしている様に見えるのだ
雫自身が過去にも未来にも何一つ期待も、価値も感じていないから。現在を創るその全てが欠けて見えるのは生死にさえも執着していない、ある意味潔い未練の無さ
未練が無いから、『何か』だけを抱きしめるのか
『何か』を抱きしめているから未練さえも断ち切ったのか
いっそ傲慢ともいえるその在り方はハナから何もかも期待していないと言っているのと同じだ。
期待しなければ裏切られることも傷つくことも無い。ある意味理には適っているが、それは人間を見切っているのと同じだ。雫はきっと志歩が、愛莉が遥がいなければあっという間に自分を捨ててしまうだろう
「だから、雫はもう誰も傷つけないように…そして傷つかない事を選んだのね」
「けど。それはやっぱり寂しいよ」
雫の世界の中に雫自身さえもいないかもしれない。だがその話をするにはあまりにも急で過酷だとミクは口を閉ざす。願わくば、誰かが雫の憂いを払いのけ本当の想いを思い出してくれますようにと祈るように─────
『第二章 何でも無い』終了
───第三章を、再生しますか?