供養します
希望ヶ峰学園の空気は、もはや呼吸するだけで肺が腐りそうなほどに重く、淀んでいた。「内通者」というレッテルを貼られた大神さくらへの迫害。それは、閉鎖空間で理性を失った「猿」たちが、自分たちの恐怖を正当化するために作り出した、最も醜悪な儀式だった。
禪院直哉は、そんな地獄のような光景を、まるで特等席から眺める観客のように楽しんでいた。
「ハハッ、傑作やな。昨日まで『仲間や』『信じとる』言うてた連中が、正体がバレた途端に石を投げ始める。……十神、お前も楽しそうやな。その冷たい眼鏡の奥で、次は誰をドブに沈めようか考えとるんやろ?」
食堂の片隅、直哉は優雅に椅子に深く腰掛け、扇子を弄びながら十神白夜に語りかけた。十神は不快そうに視線を外したが、直哉の言葉を否定はしなかった。
「……フン、禪院。僕を同類にするな。僕はただ、無能な内通者を排除すべき対象として処理しているだけだ。お前のように、他人の苦悶を肴に愉悦に浸る悪趣味な男とは違う」
「排除、なぁ。……格好ええ言い方するやん。けど、やってることは陰湿なイジメと変わらんで。……まぁ、僕も反対はせえへんけどな。主(あるじ)を裏切った犬は、例えどれだけ強かろうが、処分されるのが世界の道理や」
直哉の視線は、食堂の隅で孤立し、険しい表情で座る大神さくらへと向けられた。彼女の周囲には目に見えない壁が築かれ、誰も近寄ろうとはしない。唯一、朝日奈葵だけが彼女の側に寄り添おうとしていたが、その瞳には隠しきれない怯えと悲しみが滲んでいた。
「……なぁ、大神。お前、その岩みたいな体で、いつまでそこに居座るつもりや? 内通者として情報を売っとったんやろ? どんな事情があろうが、僕ら禪院家から見れば、裏切り者は『存在自体が不潔』やねん。……さっさとその辺の壁にでも頭ぶつけて、消えてくれへんか? 視界に入るだけで、僕の美的センスが汚れるわ」
「……禪院、貴様ッ! さくらは、さくらはみんなのために……!」
朝日奈が立ち上がり、食卓を叩く。だが直哉は欠伸を一つして、彼女を冷たくあしらった。
「……朝日奈。お前、さっきからうるさいねん。
『みんな』? ハッ、笑かすな。その『みんな』がお前から石を投げさせとんのが、お前の親友の正体や。……お前が必死に守ろうとしとるもんは、もう中身が腐り落ちとるゴミやねん。猿が猿を庇うて、共倒れになるんも一興やけどな、見てる方は退屈やわ」
「……禪院殿」
大神さくらが、地を這うような重厚な声で口を開いた。
「……貴殿の言葉、甘んじて受けよう。内通者であったことは事実だ。だが、我には成さねばならぬことがある。……武道家として、そして友を持つ者としてな」
「武道家? ハハッ、笑わんといて。呪力も練れん、ただ筋肉を肥大させただけの女が、どの口で武道を語るんや。お前のやってるんは『力自慢の猿回し』やろ。……格の違い、理解しとけや」
直哉は立ち上がり、彼女の横を通り過ぎる際、わざとらしく鼻を抑えた。
「……汗臭いねん。獣の匂いがするわ。……三歩後ろ。いや、お前は僕の視界から一生消えとけ」
それから数日、学園内の緊張は頂点に達していた。
十神、腐川、葉隠による大神への「糾弾」は激しさを増し、遂には暴力的な衝突の予感さえ漂い始めていた。直哉はそれを焚きつけるように、各所に毒を撒き散らしていた。
「葉隠、お前みたいな占いでしか物事決められんザコが、あの化け物に勝てると思うてんのか? ……せいぜい、後ろから不意打ちでもせな、お前の薄汚い血が床を汚すだけやで」
「腐川。お前の中の殺人鬼(ジェノサイダー)、あの大神の首、ハサミで切れるんか? ……無理やろな。あんな鋼の筋肉、お前みたいなジメジメした女の刃じゃ、傷一つ付かんわ」
直哉の言葉は、周囲の猜疑心と恐怖を確実に煽っていた。彼にとって、この「最強」という駒がどう動くかは、最高のエンターテインメントだった。
そして、運命の時間が訪れた。
モノクマアナウンスが響き渡る。だが、今回の声はどこか、いつもより弾んでいるように聞こえた。
「死体発見! 死体発見! 娯楽室にて、大変なことが起きちゃいました! うぷぷぷ……! まさか、あの『最強』がねぇ……!」
直哉が娯楽室に到着したとき、そこには既に苗木、朝日奈、そして霧切響子がいた。
中央のソファに座るようにして、大神さくらは絶命していた。
その姿は、苦悶に満ちた死というよりは、何かを成し遂げた後の「彫像」のような静謐さを湛えていた。だが、口元から一筋流れる吐血の痕が、それが暴力的な終焉であったことを物語っている。
「……さくら……さくらぁぁぁぁ!!」
朝日奈の絶叫が、鉄板の壁に反響する。
直哉は、その絶叫を「騒音」と切り捨て、優雅な足取りで死体に近づいた。霧切が「不用意に触らないで」と制止するが、直哉はそれを無視し、扇子の先端で大神の肩を軽く突いた。
「……硬いなぁ。死んでまでこんな筋肉の鎧、脱ぎ捨てられんのか。
おい、霧切。こいつ、毒やろ。青酸系か?
鼻を突くこの匂い……禪院家の暗殺術でもよう使われる、安っぽくて確実な薬や」
「……ええ、おそらくは。でも、不自然だわ。密室だったこの部屋で、彼女はどうやって毒を摂取したのか。……そして、なぜ彼女の足元には、この『プロテインの粉末』が散らばっているの?」
霧切の冷静な観察を、直哉は嘲笑で遮った。
「……プロテイン? ハッ、最期まで筋肉バカらしいわ。
けどな、霧切。お前は一つ、大きな見落としをしとる。
……こいつの拳、見ろ。
血がこびりついとる。……けど、自分の血やない。
これは、誰かを殴った後の『戦果』や」
「……誰かを、殴った?」
「……そうや。この部屋には、こいつ以外の『猿』がおった形跡がある。
隠しとるつもりやろうけどな、空気の動きでわかるねん。
一秒を二十四分割して世界を見とる僕には、この部屋の淀みが、誰のせいで生まれたか……手に取るようにわかる」
直哉は、娯楽室の隅に転がっている「黄色い飴の包み紙」を、扇子の先で拾い上げた。
「……これ、誰の好物やったかな。
……あぁ、そうや。あの占いバカやな。葉隠とか言うたか。
……フン、傑作やな。最強の武道家が、あんな道端の小石みたいな男に、後ろから頭を割られたんか?
それとも……」
直哉の瞳が、ギラリと獲物を狙う蛇のように細まった。
彼の視線は、泣き崩れる朝日奈の背中を、鋭く射抜いていた。
「……朝日奈。お前、さっきから泣きすぎやねん。
悲しいんか? 悔しいんか?
それとも……『計画通り』に進まんで、焦っとるんか?」
「な……!? 何を言ってるのよ! 私は、さくらが、さくらが……!」
「……ええよ、今は吠えとけや。
学級裁判という『選別』の場で、お前のその薄汚い化けの皮、僕が全部剥がしたるわ。
……十神、お前も来い。
この『最強の死』が、どれほど滑稽で、どれほど無価値なもんか。
僕が直接、地獄の特等席で見せてやるわ」
直哉は、死体には一瞥もくれず、悠然と娯楽室を後にした。
彼の背中には、呪力こそないものの、かつて禅院家を恐怖させた「天賦の傲慢さ」が、禍々しいオーラとなって渦巻いていた。
捜査が進む中、直哉は協力など一切せず、生き残った者たちの動揺を観察して回った。
資料室では、十神が自分の行動が原因で大神が自殺したのではないかと疑われ、プライドを傷つけられていた。
「……十神。お前、さっきから顔色悪いで。
『自分の言葉が大神を殺した』とか、一丁前に罪悪感でも感じとるんか?
笑かすな。お前ごとき言葉で死ぬような奴やないやろ、あの化け物は。
……もっと質の悪い『毒』を、あいつは飲まされたんや」
「……黙れ、禪院。お前は何を知っているというんだ」
「……何も知らんよ。けどな、お前らみたいな『凡夫』の考えることなんて、大体予想がつくねん。
……なぁ、苗木。お前はまた『信じたい』とか言うんやろ?
その『信じる』という行為が、時に一番残酷な毒になることも知らんと。
……大神が何を思って死んだか? んなもん、どうでもええねん。
大事なんは、誰がこの死を一番『利用』しようとしとるかや」
直哉は、朝日奈が独りで娯楽室に戻っていくのを目撃していた。
彼女の手には、何か小さな瓶が握られていた。
(……ハッ、わかりやすい。
弱者が強者の死を背負おうとする時の、その必死なツラ。
……見苦しいなぁ。不細工やなぁ。
……ええよ。最高に絶望的な『裁判』にしたるわ)
直哉は懐から自分の生徒手帳を取り出し、モノクマファイルを確認した。
「死因:毒殺」。
だが、彼は確信していた。
これは単純な殺人ではない。
これは、大神さくらという「最強の駒」が、自分の意志で盤面をひっくり返そうとした、最後にして最悪の「術式」なのだと。
「……さて。エレベーターの時間や。
ドブネズミ共の葬送行進曲、聴きに行こうや」
直哉は鼻歌混じりに、裁判場へと向かうエレベーターへと乗り込んだ。
その瞳は、これから始まる「全方位罵倒」への期待に、妖しく輝いていた。
地下裁判場へと降りるエレベーターの中で、直哉は隣に立つ苗木誠の震える肩を一瞥した。
「苗木。お前、さっきから小刻みに震えて、子犬の真似事か? 怖いんか。仲間がまた一人減って、自分もいつドブに沈むか分からんのが……」
「……違うよ。僕は、さくらちゃんの死を無駄にしたくないだけだ。犯人が誰であっても、僕は……」
「……『信じる』、か。反吐が出るわ。その安い信頼ごっこが、大神を死に追いやったんやで。……ええか、よう見とけ。お前が信じとるその『絆』が、どれほど薄汚いもんか、僕が今から教えてやるわ」
裁判場に到着し、演台に着く。正面には、虚ろな目で宙を見つめる朝日奈葵。
モノクマの開廷宣言と共に、議論は紛糾した。
十神白夜が、娯楽室で大神を襲撃した可能性のある葉隠浩子と腐川冬子を追い詰める。
「……大神さくらは毒を飲まされた。そして、その前に彼女の頭部には二度の打撃が加えられている。一度目は葉隠、二度目は腐川。内通者への制裁……当然の帰結だな」
「……ひっ! だ、だから私はやってないって言ってるじゃない! あの化け物が、急に私を襲おうとしたのよ!」
直哉は、その醜い擦り付け合いを、扇子で口元を隠しながら眺めていた。
「ハハッ、傑作やな。十神、お前も。……証拠、証拠って。そんなもん、犯人が用意した『おやつ』みたいなもんや。……なぁ、朝日奈。お前、いつまで黙っとんねん。お前が一番、この茶番を楽しみにしてたんやろ?」
「……何……? 何を言ってるの……?」
「……白々しいわ。お前、娯楽室の『青い小瓶』……あれ、どこに隠した?
お前がやったんは、殺人やない。……『死体の化粧』や。
大神は、自分で毒を飲んだ。……内通者としての責め苦に耐えかねて、自分を『供物』にしたんや。
それを、お前は『みんながさくらを追い詰めたせいだ』と勝手に逆恨みして、現場を偽装した。
……やり方がセコいねん。お前、僕ら全員を道連れに死のうとしとるやろ?」
裁判場に、冷ややかな沈黙が流れる。
苗木が絶句し、霧切が鋭く直哉の言葉を裏付ける証拠を探し始める。
「……禪院、お前は何を根拠にそんな妄言を!」
十神が苛立ちを露わにするが、直哉は柳に風と受け流す。
「根拠? んなもん、朝日奈の『ツラ』見ればわかるやろ。
こいつは、大神が残した『遺書』を読んだんや。……けど、その内容を隠しとる。
モノクマから渡されたんやろ? お前が絶望するように、中身を書き換えられた偽物の遺書をな。
……アホやなぁ。黒幕の用意した安っぽい嘘に、まんまと乗せられて。
自分を犠牲にした親友の意志を、お前が一番汚しとるんやぞ。……朝日奈」
「……う、……うわああああああ!!」
朝日奈が、演台を拳で叩き、泣き叫んだ。
「……そうだよ! 私は、あんたたちが、さくらを追い詰めたあんたたちが許せなかった!
さくらは……さくらは独りで死んでいったんだよ!
なら、みんなで死ねばいい! 私も一緒に死んであげるから、みんなで、地獄に行けばいいんだよ!!」
その凄まじい憎悪を、直哉は心地よい音楽でも聴くかのように、目を細めて受け止めた。
「……ハッ、最高やな。
友情だの絆だの言うてた奴が、最後は心中を望む。
……ええか、よう聞け。お前みたいな、頭の中まで水が詰まったような猿に、大神の『格』は理解できんかったんや。
大神はな、死ぬことでこの学園の争いを止めようとしたんや。
自分を殺しに来た葉隠や腐川を恨むこともせず、ただ、自分が『内通者』という役割を終わらせるために、誇りを持って毒を煽った。
……それを、お前が復讐の道具に書き換えた。
最強の武道家の最期を、ただのドブ川のドロ試合に貶めたんは、他でもない、親友のお前やねん」
直哉の言葉は、証拠以上に残酷に、朝日奈の「独りよがりの正義」を抉り取った。
「……朝日奈。お前、さっきから『さくらが可哀想』みたいなツラしとるけど。
一番可哀想なのは、お前みたいな『寄生虫』を親友やと思って死んでいった、あの大神自身やで。
……格の違い、理解しとけ。お前は、大神さくらの隣に立つ資格なんて、最初からなかったんや」
「……っ、……ぁ……あぁ……」
朝日奈が、その場に崩れ落ち、嗚咽を漏らす。
裁判場は、直哉の苛烈な言葉の暴力によって、モノクマすらも入り込めないほどの絶対的な「静寂」に包まれた。
霧切響子が、大神さくらが残した真実の遺書――部室のロッカーに隠されていた、学園の物理的な壁を壊すための決意表明を読み上げる。
そこには、自分を襲った仲間を許し、生き残った者たちの希望となるための言葉が綴られていた。
「……うぷぷぷ! 残念! 本物の遺書はこっちでしたー!」
モノクマが騒ぎ立てる中、直哉は鼻で笑った。
「……フン。壁を壊した、か。
不細工な死に方やと思うたけど。……最後くらい、少しは『格』を見せたみたいやな。
十神。お前、さっきから顔真っ青やけど。
『自分は悪くない』って、心の中で唱えとるんか?
……お前も、大神の爪の垢でも煎じて飲めや。
お前ごとき言葉で、あの筋肉の化け物は死なん。……けど、お前のその卑屈な自尊心が、この学園を停滞させとったんは事実や」
「……貴様……!」
「……苗木。お前もや。
『信じれば道は開ける』? ハッ、その結果がこれや。
強者が死に、弱者が生き残り、その弱者が復讐のために毒を撒く。
……これが、お前の望んだ『希望』の成れの果てか?
笑かすな。……この世界にはな、生きてるだけで汚点になる奴がおんねん。
朝日奈、お前、今すぐその辺の壁に頭ぶつけて消えてまえ。
……あ、無理か。お前、死ぬ勇気もない、ただの『流されやすい猿』やもんな」
直哉は、パサリと扇子を閉じ、自分に注がれる憎悪の視線を全て浴びながら、悠然と髪を整えた。
「……大神さくら。
お前、僕に対して『三歩後ろを歩け』と言うたんを、最後まで守れんかったな。
……けど。
この閉鎖空間で、唯一、僕という存在に一瞬でも『脅威』を感じさせたこと。
……その誇りだけは、認めたるわ。
禪院家の当主になる僕が、一瞬でも『こいつを殺さんと、僕の格が揺らぐ』と思わせたんやからな。
……あぁ、安心せえ。お前が壊した壁の先、僕が一番乗りで行ってやるわ。
お前が守りたかったこの『ゴミ共』を引き連れてな」
クロが存在しない、稀有な裁判が終わった。
大神さくらの死は「自殺」と確定し、お仕置きは彼女が遺した「意思」を破壊するための理不尽な演出……部室の壁の破壊によって執行された。
轟音と共に、学園を閉ざしていた物理的な壁の一つが崩れ落ちる。
直哉は、誰よりも早くエレベーターへと乗り込んだ。
背後で苗木誠が、震える声で呟いた。
「……禪院くん。君は……君は本当に、誰も愛していないんだね。
さくらちゃんの死さえも、君にとっては『格』を測るための道具でしかないの……?」
直哉は振り返らず、冷徹な声で応えた。
「……愛? んなもん、甚爾くんみたいな化け物にしか抱かんわ。
お前らみたいな『猿』に、僕の情を分けると思うなや。
……三歩後ろ。忘れるなよ、苗木。
お前が次に泣く時は、僕がその涙、ドブに沈めてやるからな」
エレベーターの扉が閉まる。
上昇する閉鎖空間の中で、直哉は自らの手のひらを見つめた。
呪力はない。投射呪法も使えない。
だが、彼は確信していた。
この学園で、最も「絶望」を理解し、かつそれを「格」の力でねじ伏せることができるのは、自分だけであると。
「……さて。壁の先には、何がおるんや。
黒幕さん。お前、今どんなツラして僕を見てるんや?
……そろそろ、引導を渡しに行ってやるわ」
黄金の髪を揺らし、直哉は一人、薄暗い廊下へと消えていった。
大神さくらという「最強」が遺した穴から、禅院直哉という名の「呪い」が、いよいよ核心へと突き進み始めていた。