まるで天を目指して手を伸ばすように高層ビルが立ち並ぶ。しかし、その手は空に敷き詰められた見えない壁によって防がれていた。願いに手の届かなかった彼らは、その当てつけとでも言いたげに、眼下に並ぶ家家を監視している。一方、その眼下で生活を行う市民はそれを知らないように日常を謳歌していた。いや、正確には理解しているが、それを知ったところで何かできるわけでもないため、諦観することを決めたのかもしれない。または、考えるだけ意味のないことと見切りをつけているのかもしれない。
知識として、色々なことを知ろうとする人間もいるが、真実を知れたとして、幸福というわけではない。無知であり続けるというのは一種の救いにもなる。
そして残念なことに、この世界には、知らないほうが幸せなことの方が多い。
陽光が直接届くことはなく、まるで晴天に一筋の雲が掛かったような気持ちの良くない明るさ。天を見ればそこに太陽はあるが目を焼かれるような眩しさはない。これがこの世界の日常だった。
この都市は半透明なドームで覆われている。正式名称は東部最終都市。ただ、多くの人間は昔の名残でただ東京と呼んでいる。十数年前、この世界に突如生まれたアレストという化け物。最初は健闘していたが、ある敗戦を境に人類は再興を諦めて、このドームの中での停滞を選択した。
左右にはアパートが並び、その一階は住宅や店になっている。商店街とまでは言えず、大通りとも言えない、人通りもそれほどない。そんな道を1人の男が、呑気に鼻歌を歌いながら歩いていた。
服装は白シャツに黒いチノパン。服はシワもなく綺麗だが、おそらく直すのを諦めたのであろう寝癖が清潔感を台無しにしている。男の手には白いビニール袋、中にはいくつかの飲料。そして、煙草が入っていた。そんな彼に気づいた小学校高学年くらいの少年が背後から駆け寄ってくる。
「ねぇ!アッさん。今日は仕事ないの?
声をかけてきた少年を見て、アッさんと呼ばれた男はにこやかに振り返る。
「無いよ。だから土産話もなしだ」
わしゃわしゃと少年の頭を撫でて母のところ行け、と背を叩く。それを遠くから親と思われる女性が見ていた。しかし、その男を好意的には捉えていないようだ。事実親の元に走った子供が戻り次第手を引いて足早に去っていく。しかし、男はどうとも思っていないようで、少年を見送ると鼻歌を歌いながら歩き始める。
「アッさん今日は武器は良いのかい?」
そんな店の中で、ショーケースに様々な形の銃器の入れられた店の店主が男に声をかける。基本的な銃もあるが一部、銃口が複数接続された銃など、芸術方向に振り切ったような物もある。
「今日は買い物帰りなんでパス。まーたミアに怒られたくないし」
ひらひらと手を振って歩き続ける。男にとって見慣れた道を何度か曲がると看板に対アレスト事務所wishと書かれた看板が立っていた。一回は飲食店の様だが、時間が早いこともありシャッターが閉まっている。お世辞にも綺麗とは言えない字で18:00開店と書かれた張り紙を確認し、少し古くなっているのか、男が一段を登るたびに鉄の軋む音がする階段を登る。
ドアの前には外出中と書かれた看板が掛けられている。それをひっくり返し、受付中にした後に、鍵を開けて、扉を開く。するとまるで月の様な髪を肩まで伸ばし、白いワンピースを着た少女が出迎える。彼女はルミア。男とは既に長い付き合いになった。
「ヒロト、お帰りなさい。また、寝癖を直さなかったんですね」
「ただいま。なんか依頼はあった?」
「一件電話がありました。折り返す旨を伝えてあります」
「ありがとう」
ヒロトと呼ばれた男は後手に扉を閉めて靴を脱ぎ、ルミアと共にまっすぐにリビングに入る。そのまま右手に配置されたキッチンの少し立て付けの悪い冷蔵庫を無理やり開けて、飲料などの購入してきたものをしまっていく。冷蔵庫の手前の味噌を手に取ってそれが残り少ないことを確認すると、スマホにメモを取った。
そんな状態の男に、少女が本当に寝癖は直したほうがいいんですよなどと言っているが男には聞こえていないのか、聞いていないのか。何もなかったかの様に必要なことを聞いていく。
「因みに電話は誰からだった?」
「橘さんでした」
少女は冷蔵下に入れられたリンゴジュースを取り出してコップに注ぐ。一方それを聞いた男は明確に肩を落とす。
「うわ、マジかよ。あいつの依頼か」
男のあまりにわかりやすい態度に少女は呆れた様にため息を吐いた。
「そんなに嫌そうにしないでください。橘さんが仕事をくれるおかげで今の生活が出来るんですよ」
「まぁね。じゃ、一本吸ってから折り返すよ」
男は来客用の机の上に放置したライターを手に取ってベランダに出る。その背を見送りながら少女はコップに注いだリンゴジュースを飲み干し、ソファーの上に置かれた鞄から雪のような刀身の短剣を取り出して手入れを始めた。
「やりたくねぇなぁ」
ベランダにて、タバコを箱から取り出して、再度ため息をした後に火をつける。眼前には住宅街。その中にある公園からは放課後になったからか、子供の笑う声が聞こえる。平和な世界。と言いたいところだが、残念なことにこの世界はそれほど平和ではない。住宅街のさらに奥、地平線の先から天を覆うように半透明の何かが空を覆っている。
まるで何かにこの世界が見えないようにするかのように。
「行くか」
景色をぼんやりと眺めている間に気付けばほぼ灰になっていたタバコを換気扇の上に置かれた灰皿に擦り付けて部屋に戻る。短剣の手入れをしているミアを片目にスマホを手に取り、橘(マッド)という名前で登録された電話番号に掛ける。数回のコールの後、気怠そうな女の声がした。
「もっと早く連絡は返したまえよ。ミアちゃんから聞いているだろうけど仕事の依頼だ。私の研究所においで」
言いたいことだけ言い切って電話が切られる。男は何度目かの特大のため息をついてミアの方を見る。だが、着替え中だったため脳に情報が認識される前に目を逸らし、部屋の隅に置かれた二つの棚に向かって歩く。
「研究所に来いだとさ。直行だろうから武器は持っていこう」
「わかりました。あとそんなにため息をつかないでくださいよ。幸福が逃げますよ」
「俺が排出した分をお前にあげてるんだよ」
軽口を叩きながら部屋の隅に向かい、2つあるうち片方の棚を開く、中にはいくつかの銃器が並べられている。取り回しの良さそうな拳銃が多いが、中には狙撃銃のような長物もある。そのどれもが汚れひとつなく雪のような白。少し迷った後に取り回しの良い2丁の拳銃を選ぶ。合わせて取り出したホルスターにしまい。弾の詰められた弾倉をいくつかサイドポーチに入れる。
その様子を見ていたミアが不思議そうに言う。
「今回もそれで行くんですね」
「結局銃が楽よ。まぁ、護身用で一本は刃物も持っていくけど」
先ほど開いた棚の横の棚を開く、中には槍や剣から歪な形状をしたものまで、多くの武器が並べられている。そんな棚からミアの持っていたものとよく似た短剣を取り出し、鞘に収める。
振り返ると既にルミアは着替えを終えていたようで白のワンピースから大きめの白のパーカーにジーパンに着替えていた。
「じゃ、行こうか」
棚を閉じて、玄関にかけてある黒いコートを羽織り、一見武器が見えないようにしてから2人は外に出る。銃については公的機関の発行した許可証はあるので銃刀法違反にはならない。ただ、それでも一般市民からすれば市街地を武器の持った奴が闊歩するのはいい気がしないのだろう。
実際、過去に何も考えずに出歩いて面倒ごとになったので以降、武器は極力隠すようにした。
しっかりと武器が隠れていることを確認してヒロトがミアに声をかける。
「ミア、そういえばちゃんと薬持った?」
「勿論です」
「よし、なら行こうか」
2人、敢えて人通りの少ない道を選び、幾たびか角を曲がる。十数分ほど歩くと、白い壁に赤い屋根。特段特徴のない住宅の前で止まり、玄関に設置されたインターホンを鳴らす。
「毎回思うんだけど、研究所のイメージとは違うよなぁ」
「それは私も思いますよ」
数コールの後インターホンからの応答はなかったものの、扉が開かれ、SO HOTと赤字で書かれた黄色のオーバーサイズのパーカーを着た女が出てくる。
「おや、いらっしゃい」
「相変わらずダサい服だ」
「ですね」
「なんでそこだけそんなに息が合うのかね...まぁいい。内容を伝えるから中に入るといい。合わせて簡単なバイタルチェックもしよう」
少しばかりのショックを受けている様子の橘の後に続いて2人が家に入る。外観はただの住宅だが、中は全く異なる。一面白の空間、その中央に口を開けているエレベーターに乗り込む。
全員は中に入ったのを確認し、橘が中央に配置されたパネルに暗証番号を入力すると扉が閉まりどこかへと動き始める。それに合わせるかのように橘は懐から一枚の封筒を取り出し、ヒロトに手渡す。
「今回の依頼は、救難信号を発したコンビの救出。救難信号が出ているのは、外部のとある洞窟の内部」
依頼の内容を聞いたミア。その表情が曇る。一方ヒロトは手渡された紙に目を通す。名前、ランク、経歴。救助要請者の情報にざっと目を通して、舌打ちする。
この世界で、外部・洞窟・救難とくれば大方結果は見えている。助かる可能性が0というわけではない。ただ、目を通した情報では、助かる可能性が低かった。それでも可能性が0でない以上、助けに行かない理由にはならない。ただ、今はそれよりも気になる情報があった。
この世界には色々な職業がある。書店、飲食店、宝飾店、ホテル、アイドル、作曲家、ただ、依頼を解決するのはこの世界において、弁護士や探偵、そして彼らの様なアレストハンターであり、アレストに関する依頼は彼らの専売特許になる。
そんな彼らが依頼を受ける方法には大きく二つある。一つは個人が依頼を行い、政府を経由して政府が公認した機関にて提示されているもの。もう一つは政府から直接依頼を受けるもの。
最初は依頼に関するルールが全く決まっておらず、犠牲者が相次いだため、政府によるルール決めが行われた。そして、そのルールに従うのであれば、この依頼には不審な点があった。
「なんで、洞窟探索に単独でいったんだ?情報を見る限りは単独はダメだと思うんだけど」
本来、洞窟探検は単独では行ってはいけないというルールになっていた。一部例外はあるものの、少なくとも2ペア以上、突入時には事前連絡も必要。ただ、今回は事前連絡もなく、1ペアのみで依頼を受けていた。
その問いには橘が答えた。
「おそらくだが、違法依頼だ」
「違法依頼ですか?」
聞き覚えのない言葉にミアが資料を確認しているヒロトの顔を覗き込む。しかし、回答したのは橘の方だった。ヒロトは難しい顔をしながら次の紙に目を通している。
「最近増えている政府のアレスト管理局を挟まない依頼者不明の依頼のことだよ。基本的に依頼は管理局の監査の下出てきているのは知っているね。でも、管理局は、その依頼を出すまでにかなり綿密な調査をするんだ。事故を防ぐためにね。ただ、その分報酬金が低くなる。そこに目を付けた奴らがいたんだ」
「でも、それなら普通受けないんじゃないですか」
「そう。わかっていれば受けない。多くのコンビがそうすると思う。ただ、依頼を出している業者の中にその依頼者とつながっている輩がいるらしくてね。初心者やお金に困ったコンビに斡旋しているらしい」
「結局世の中は金だからね。その結果、アレスト化っていう最悪のエンディングを迎えても自分が儲かればいいのさ」
資料を読み終えたヒロトが資料を橘に返却すると同時に扉が開く。まず目に入ったのは巨大な水槽に浮かぶ何か。人の形は取っているが、一部が他の生物に入れ替わっている。腕が蛇に、頭が鮫に、下半身は馬。その周囲では様々な機械の前で白衣の研究者が各々の作業を行っている。
アレスト。そう呼称される化け物。ある日突然、まるで岩の下から這い出す虫の様に発生した、人類にとっての明確な外敵。これらが現れてからというもの、人類は同族同士ではなく初めて明確な外敵に向けての戦争を開始した。しかし、従来の兵器は有効打にならず、異常な身体能力と回復力を持つアレストに対して、人類は苦戦を強いられた。だが、ある日転機が訪れる。それがホルダーの誕生だった。彼女たちは生まれつき人間以外の生物のDNAを持っており、超人的な身体能力を持っていた。さらに、特殊な血液を持っておりアレストの回復を阻害することができた。彼女たちの誕生以降、人間は様々な方法で彼女たちを利用して戦線を有利に進めた。だが、ある大敗をきっかけに勝利を諦め、生存に徹することにした。
ただ、当然アレストがいなくなる訳でもないため、発生する問題に対処する存在が必要になった。それが、ヒロトとミアをはじめとするアレストハンター。また、アレストの研究を行っている施設が、橘の所属するアレスト対策研究所だった。
そのうち作業をしていた研究者の1人がこちらに気づいたようでバインダーを二つ手に持って歩いてくる。
「アベレージのお二人ですね。出動前のバイタルチェックを行いますのでルミアさんは私に、ヒロトさんは橘さんについていってください」
「じゃ、また後でね。ミア」
バインダーを受け取り、研究員の後を追ってミアは研究室の奥に消えていく。ヒロトも橘の先導の下、研究室の一室に案内される。
白い部屋の中に歯医者で置かれるような椅子。その周囲には様々なパネルが黒い画面を映したままに浮いている。慣れた様子でヒロトが座ると画面に様々な数字が表示される。橘は慣れた様子でそれらを確認しながら手に持った資料に何かをメモしていく。
「問題ないようだね」
「ミアの情報を見せてくれ」
しかし、ヒロトは全く興味がないとでもいいたげに立ち上がるとミアの情報を求める。それに頷き、橘が一つの画面を見せてくる。みたことのない数字が並んでいるが、ヒロトが見ているのは一つの数字だけだった。そこには20%と表示されている。
「20か」
「悪くない数字だよ。今回の戦闘にも問題なく参加できる。ただ、救難信号を出した方は...」
「70オーバー、もしくは80オーバーの可能性もあるか」
「君のことだから、再度言っておくけれど。この数字が70を超えていたら即帰還。80を超えていればその場で処刑。君がそんなことをしたくないのは重々承知の上だけれど、殺してあげることが救いにもなる」
橘は、そう言って手に持ったスタンガンのような見た目の機械を手渡す。ヒロトはそれを受け取ると、ポケットに入れる。
「分かってる。それにこれまでも同じような依頼は受けた」
少しの静寂、それを切り裂くように橘に携帯もバイブ音が響く。橘はポケットから慣れた手つきでそれを取り出し、画面を確認する。
「ミアちゃんの検査も終わったようだから君達を依頼場所に送ろう」