私の世界には色彩はなく、常に灰色。生まれたその瞬間から施設に入れられ、戦闘を叩き込まれる。戦闘力が施設の決めたラインを越えれば、今度は会ったことも、話したこともない男に引き渡される。
初めて私を引き取った男は体が身体が太く、豚の様だったのを覚えている。彼は複数のホルダーを抱えていた。確かにホルダーが1人よりも2人、3人の方がアレストを倒すスピードが速い。実際、複数のホルダーを抱えることが珍しい訳ではない。ただ、結論から言えば、この男はその利点を活かさなかった。私は彼と一緒にアレストを殺したことはない。
男の家では常に、全てのホルダーがまるで下着の様な服を着せられ、生活させられた。その上で彼の元では毎日様々な訓練を行った。粘度の高い液体の中で、他のホルダーと組み合ったり。厳重な拘束をされた上で自分でも触ったことのない場所を男とホルダーに様々な道具で攻撃されたり、私たち同士で、その道具で戦うこともあった。痛みはそれほど無かったけれど、どの訓練よりもその後が疲れたのを覚えている。そして男はその全てを復習のためと録画し、毎日私たちに見せた。
ただ、そんなある日、ホルダーの中で最年長の子が男を殺した。理由を聞くことはできなかった。彼女はすぐに警察に捕まってしまったから。
私はその後、再度施設に入れられた。少しして、私たちの受けていた訓練は男の欲を満たす行為でしか無かったことにニュースを見て知った。特に何も思わなかった。強いて言うならアレストを殺せなくて残念だった。
施設でいろいろな検査を受けた後、また別の男と共同生活する事になった。今度の男は私より少し大きいくらいで、話を聞くと、最近になってこの仕事を始めたらしく、まだ歳も20になっていないらしい。
それからの日々は退屈だった。依頼を受けてアレストを殺すことができたのは良かったけれど依頼のない日は暇だった。そんな日に、男は決まって私を外に連れ出す。美味しいご飯を食べようだの、私に服を買ってあげるだの。私はアレストを殺すこと以外に興味がないと言うと、困った顔をしてから訓練だと言って連れ回す。それからは私が嫌そうな顔をすると仕方なさそうにこれも訓練、と口癖の様に言う様になった。半年くらい経った時、そんな男が少し可笑しくなって笑った瞬間を男にスマホで撮影された。何故かわからないけど、少し頬が熱くなってそのスマホを取り上げようと頭上の男の手を掴もうとした時、ふと、満開の桜が目に入る。青空の下に咲き誇るその花はとても綺麗で、初めて景色を見て感動したのを覚えている。
そこからも男の訓練と称したわたしとの外出が続いた。時折アレストとの戦闘もあるが、問題なくこなせている。そんなある日だった、帰ってきた男の表情が曇っていた。何事かと尋ねても彼はなんでもないと答えてくれない。ただ、その日から彼の顔から笑顔が減って、アレスト討伐の依頼をこなすことが増えた。その分お金が手に入っているはずなのに、徐々に彼は痩せていく。その影響はすぐに出始め、彼の動きは鈍くなり、アレスト討伐の依頼でケガを負うようになった。
日毎に増えていく彼の生傷、彼は人間なのでホルダーである私のような回復力はない。最初は少し傷の回復を待っているようだったが、ある日まだ包帯に血が滲んでいるような状態で依頼を受けると言い出したので流石に止めた。
私の目的はアレストを殺すこと。でも、いつかそれ以上に彼に傷ついて欲しくないと思うようになっていた。彼の体から赤い血が滴るたびに心臓のあたりが締め付けられるような痛みがあった。最初は私がなんらかの病に罹患したのかと思ったけれど、どれだけ確認しても、バイタルに異常は見られない。ある日の依頼の前の検査の際にそれを検査官に打ち明けると困ったように笑って、それはあなたが彼を心配しているんですよと教えてくれた。
心配している。私自信心配という感情を知らないわけではない。ただ、実際に感じるのは初めてだった。なかなかに苦しい。ので、少しでも解消すべく、彼に何故こんなにも頑張るのかを聞き出す事にした。思い立ったが吉日、逃げられないように男が風呂に入った際に突入する。男はひどく驚いた顔をして視線を逸らした。
「何で、急にお風呂に突入してきたの」
優しい声色だ。私に訓練を伝える時と同じ。私はその質問を無視して続ける。
「何で最近依頼を増やしているんですか。別に生活には困っていなかったはずです」
「なるほどね。確かに君に話していなかった私が悪いね...。話そうと思うから、お願い。服を着て、外で待っていてね」
男は視線を逸らしたまま、少し頬を赤て困ったように笑っている。それを見て、約束ですよと、それだけ言い残して、風呂場を後にする。彼の体は傷だらけだった。まだ瘡蓋のような状態の物もあった。実は、初めて会った時も彼が風呂に入ろうとした時に突入して今後はやめるようにと言われた事がある。ただ、あの時はこんな風に、私の心臓が早鐘を打つ事はなかった。体温も上がっている。やはり私は、おかしくなっているんだろう。
少しして出てきた男。その表情に笑顔はない。何かの覚悟を決めていた。
「実はね。私には、妹が居るんだ。ただ、数年前に未知の病にかかってしまって、あっという間に自分で歩くのも厳しくなっちゃった。私がこの仕事を始めたのはその医療費を払うためなんだ」
この世界ではありふれたような悲しい普通の話。なのに何故こんなにも心が軋むような感覚を覚えるのか。
「ご両親はいないんですか?」
「いないよ。両親は妹が幼い頃にアレストに殺されちゃった」
ありふれた話。両親がアレストに殺された場合、政府から補助金が支給される。それによって生きている子供も山のようにいる。なのに何で。
「あれ、泣いてるの?」
涙が止まらなかった。理由は本当にわからない。ただ、これまで、彼と見たどの映画よりも、これまで私の人生で経験した何よりも、悲しいと感じた。
「でもごめん。それに君を巻き込むべきじゃなかった」
そう言って男は一つの紙を出してくる。そこには契約破棄書と記されていた。彼が一体何を言おうとしているのか、それは理解している。ただ、それを信じたくなく、聞く他なかった。
「これは...?」
「これ以上君を危険に晒したくない。私も無理をしているけど、君も無理をしているはず。私は死ぬだけかもしれないけど、ホルダーの君は違う。だから、君をもっと幸せにしてくれる人を探すべきだ」
涙が止まらない。悲しいはずなのに、心の中で勝る感情がある。私はそれがよくわからないままに、出された紙を受け取る。男が嬉しそうに笑ったのも束の間、感情に任せて、めちゃくちゃに破いてやった。そして。動揺する男の顔も見ぬままになんでと、叫びに近い声を上げる。ただ、その威勢は続かずに徐々に涙に呑まれていく。
「私を幸せにしてくれたのは貴方だけです。だから、どうかそんな事は言わないで下さい。私にも、貴方の妹を助けるのに協力させてください」
「でも、君は俺たちとは関係ない赤の他人。だから、君だけでも幸せになってくれ」
「私には、もう貴方がいない世界なんで想像できないんですよ...」
感情という液体で満たされた瓶から限界を強え溢れてしまった言葉が漏れる。
「私は、アレストを殺すだけで良かったんです。なのに貴方に色々訓練をされたせいで、もう戻れない。だから...」
しばらくの逡巡。男からは言葉が発される事がなかった。でも、男もこれ以上は無駄だと察したらしい。涙を拭う私を優しく抱きしめる。
「本当にいいの?きっと、君も危ない目に遭う。それでも?」
「それでも、私はこよみと一緒にいたいです」
その後、どのくらいだろうか。私は男の胸の中で泣いた。そんな私を抱きながら、男も震える声で何度もありがとうと言い続けていた。そしてこの日が、私が初めて男を本名であるこよみと呼んだ日だった。
その日から、私達は受ける仕事をさらに増やした。こよみの妹の写真も見せて貰った。赤と白の花畑を背景に白いワンピースに麦わら帽子、飛ばされない様に必死に帽子を押さえているので顔は見えない。どこでもいそうな純朴な少女という印象。実際に写真を見せてもらうと助けたいという思いも一層強くなる。
私もこよみと一緒にここに行ってみたいと思ったけれど、それは流石に土足で踏み込み過ぎている。思っても、とても言葉にはできなかった。
私も少しずつ侵食率が上がっているけれど、そんなことは彼と一緒にいられるというだけで気にならなくなった。ただ、こよみは気にしているようで私の数値を見ては難しい顔をしている。まだまだ数値としては安全圏。40%ならまだまだ戦える。ただ、もしも限界を超えてしまったら、私は...
そんなことを続けていたある日だった。こよみがいつもよりもずっと明るい調子で戻ってきた。
「どうしたんですか」
「次の依頼が達成できれば妹の治療費が足りるんだ!」
まるで子犬の様に喜ぶこよみ。そのままの勢いでありがとうと言いながら抱き上げ、回転している。彼は見えていないようだけど、周りのものを壊してしまわないかと私は内心ヒヤヒヤしている。
「それは本当に良かったです。でも一旦回るのはやめましょう。それにどんな依頼なんですか?」
私の知る限り、彼の妹の治療費はまだかなり残っていた。それを一回で補える依頼など少し怪しい。
「いつも少し高い値段で依頼をしてくれる人がいるんだけど。その人と話した時に、少し難しいけどやってみるかと紹介されたんだ。今回は洞窟探索だよ。すでに一度内部は確認したけど、何か漁り残しがないかを確認して欲しいんだって」
「でしたら他にもチームがいるはずですね。打ち合わせはいつですか?」
「居ないんだって。ただ、通信機でいつでも通信できるそれに地図も貰ったからいつでも帰還できる」
洞窟という言葉に引っかかる。洞窟は本来Aランク以上であれば単独。それ以下であれば複数コンビがチームを組むことになっている。
「待ってください。洞窟は本来Cランクの私達が単独で向かっていい様なところでは...」
「だよね。私も同じことを思った。だから聞いたんだけど、すでに一度内部を確認してその危険性と中にいるアレストの種類が確認できれば問題ないらしい」
そう言って男はアレストの情報を書かれた紙を見せてくる。確かに、そこに書かれているアレストはどれも低級。私たちでも十分対応できるだろう。ただ、問題もある。それはここが洞窟だという事。平地であれば危険になった瞬間に逃走できる。けれど、洞窟はそうはいかない。逃げようとした先にアレストがいる可能性もあるし、そもそも洞窟は壁が壊れたりで内部構造が変わることがよくある。
「でもやっぱり危ないと思います。まだ私の侵食率も余裕があります。コツコツと行きませんか」
「それも...確かにそうだね。わかった。明日依頼主に人に伝えておくね」
こよみは少し迷っていたようだけど、応じてくれた。良かった。彼にとっては妹だけが重要かもしれないけれど、私は彼も大事だった。
ただ、結論から言えば、私達はこの依頼を断れなかった。依頼者は、既にこよみの情報を調べており、妹の存在を知っていた。そして、この依頼を受けなければ、妹を殺すと脅してきた。
「まだ、私は死んでない!」
どうしてこんなことになったのか。そんなことを思い出していた。私たちは依頼を断れず、依頼を受けた。こよみは私を置いて行こうとしたけど無理矢理着いてきた。渡された地図は出鱈目だったけど、怪我をしながらも依頼はなんとかこなせた。ただ、帰ろうとしたとき、爆発音が聞こえた。急いで戻ったけれど、既に出口はふさがっていた。その場で救援依頼を出し、こよみと相談する。
洞窟なら、出口がいくつもある筈。ここにいると、爆発音に惹かれたアレストが大量に集まってくる。洞窟性のアレストは目が見えない代わりに音や匂いに敏感。そんな環境で爆発音など出せば一気に集まってくる。
すぐに逃走を始めたものの、ここは洞窟。どうしてもすれ違う。最初のうちはなんとかできた。ただ、ほぼ無限に湧いてくるアレストに対して私たちの体力は有限。徐々にアレストの攻撃が当たる様になり、こよみの脇腹が抉られる。
「こよみ!」
目の前のアレストの心臓をショートソードで突き刺し、すぐに反転。こよみに駆け寄ろうとする私の背に何かが突き刺さる。そして何かが流し込まれる感覚。体を捻って切り落とし、背中から引き抜く。強烈な渇き。私もどうやら限界。
致命傷は避けているけれど、血を浴び過ぎているし入れられ過ぎた。施設でも、一般社会でも常識。私たちホルダーがアレストの攻撃を受けすぎるとアレストになる。
でも、それは今じゃない。私がを殺すことだけは私が許さない。倒れるこよみを背負って洞窟の奥へ走る。途中何度か攻撃を受けたけど致命傷さえ避ければまだ私は動ける。
「リリア、逃げて」
「逃げません。妹に会うんでしょう?!」
背中で弱気な声をあげるこよみを叱責して走る。目の前には十字路、迷わず右を選択。それが良くなかった。爆発で脆くなっていたのかそこには穴があり、足場を失った私たちは重量に従って落ちていく。運の良いことにどれほどの深さはなかったので着地するが、足場が悪かった。足首まで透明な液体につかった。何かの泉。それを把握した瞬間に足に激痛が走る。酸性の湖だった。何かが焼ける様な音がする。筋肉まで溶ける前に跳躍、泉から脱出。その瞬間、背後に何かが落ちる音。アレストが追ってきている。
振り返ることもなくさらに洞窟の奥へ、ただ、長くは持たなかった。人を背負ったままでは動きが鈍くなる。それに私にも限界が来た。背中から滴る彼の血液に別の感情が沸き起こっている。
どれくらい走っただろうか、奇跡的に出口が見つかればいいなとも思ったが、そんなことはなかった。光一つ刺さない洞窟が続く。
「リリア...君だけなら逃げられる。俺なんか置いて幸せになって」
背負われたこよみがそんなことを言っているが、全て無視する。もう、こよみのいないあの色のない世界に戻りたくない。
「君だけでも、幸せになるんだッ!」
初めて聞いた彼の荒げた声。非常に弱々しいものではあるが、明確な意思を感じた。
「いやです!私はあなたと生きる」
でも、そんなこと聞かない。なんてわがままなんだろう。自分でも笑ってしまう。
そのまま彼を背負って走る。何度かアレストの攻撃が当たったけど、もう気にしない。死にかけのはずなのに、体がどんどん軽くなる。侵食率が上がっているからだろうか。走っていると目の前が行き止まりだった。後ろから迫るアレストの音が近くなっていて、攻撃も最初よりも当たるようになっている。もう、逃げられない。ただ、どうやら神様は私を完全に見放したと言うわけではなかったらしい、人1人が入れそうな穴がある。そこに、彼を押し込んで振り返る。
「私は、リリア!アレストを殺すの!」
震える足に喝を入れ、サイドポーチから注射器を取り出して打ち込む。一瞬の激痛と、体の発熱。体から湯気が上がり、魔法のように傷が治る。
「彼には触れさせない」
洞窟では私のショートソードは取り回しが悪い。その上、相手は職触手で手数が多い。場所も悪ければ相性も最悪。ただ、ここで倒れるわけにはいかない。アレストの触手が腹に突き刺さる、それを無視して相手の体を両断する。腹から触手を引き抜いてもう一度武器を構える。激しい痛み、ただ、もう血は止まった。飛んでくる触手を体を捻って避けて次のアレストに遠心力を乗せて切り掛かる。目の前に塞がる2体が4つになった。そのアレストごと突き刺すように針が伸びてきて私の腹に刺さった。無理やり引き抜いて武器俺投げつける。その武器を追いかけるように跳んで、アレストに突き刺さった瞬間に振り抜き、数体のアレストを巻き込んで切り払う。もう攻撃は避けない。致命傷になりそうな攻撃を貰うたびに薬を打ち込む。
そんな中、視界の端に、触手が映る。それは私を狙ってはいない。私の後ろに向かって伸びていく。考えるよりも先に体が動いた。武器も持たずに、彼の前に立ち塞がった私に大量の触手が刺さる。そして、大量の血が流し込まれた。視界が狭窄し、真っ赤に染まる。どれだけ抜いても、私の腕は2本しか無い。刺さるスピードの方が速い。
後ろからこよみの叫びにも似た声が聞こえる。そんな中、私は私はこれまであった色々なことを思い出していた。初めて買ってもらった服。初めて買ってもらった髪留め、つけ方がわからなかった。初めての料理。なかなかに酷いものができた覚えがある。
どの記憶にも色があった。買ってもらった服は白いキャミソールだった。私にまともな部屋着がなかったので彼が買ってくれた。彼に買って貰った髪留めはラベンダーの装飾が綺麗だった。つけられずに困っていると彼がつけてくれた。少し髪型が変わっただけなのに、自分が別人に思えた。料理は酷かった。クッキーを作ろうとして黒い塊ができた、それを見て彼と笑った。
私の思い出す、色鮮やかな記憶、その全てに彼がいた。こんな状況なのに笑ってしまう。確かに検査官が困ったように笑うわけだ。
「まだ」
まだ死ねない。自分でも驚くような獣の雄叫びをあげて刺さる触手に腕を振り落とす。ただの手刀にも関わらず、簡単に触手が切り裂けた。そのまま、身体に残った触手を引き抜く。
「死ねないんですよ」
体がどんどんと軽くなる。もう私に武器なんて要らなかった。振り下ろす腕が凶器になり、まるで綿菓子のように簡単にアレストの身体を引きちぎる。それに対応するかのように、視界も赤く染まって行く。私ももう手遅れらしい。どれだけ戦ったかはわからない。ただ、気づけば周囲にアレストは居なくなっていた。
「こよみ。勝ちましたよ」
振り返る。そこにはこよみがいる。彼は洞窟の中で静かに眠っていた。彼に触れると少し濡れた気がするけれど、どうやら血は出ていないらしい。そして、次に感じたのが急激な空腹。
眠るこよみから離れ、少し遠くから見守る。
「よかった。守れたんですね。私の愛しい人」