目の前には白いドーム。荒野の中にポツンと立つそれはは明らかに周囲の風景に溶け込んでいない。言うなれば、真っ白な画用紙に落ちた墨汁のような。
その異物に一台のバイクが向かっていく。白い壁が眼前に迫り、しかして止まることはなく、だが事故になることはなかった。まるで雲に入った飛行機の様に突き抜ける。視界が真っ白に染まり、何も見えなくなって数秒後、一気に視界が開ける。まだ、周囲には荒野が広がっているが、少し先には赤と白の花畑が広がっている。まだしばらくバイクを飛ばし、花畑の前でバイクを止める。ミアを先に下ろして、ポーチからスマートフォンを取り出し、橘に電話をかける。数回のコールの後、橘が応答する。
「結果報告を」
「依頼完了。どちらも手遅れだった。救助申請者の男は出血多量、ホルダーもすでに虹彩の変化まで侵食が進んでいたため処分した。以上」
「そうか。依頼の件は残念だった。すぐに迎えを向かわせる」
極めて機械的なやりとりだった。正直なところ橘も結果については想像がついていたのだろう。スマホをしまってミアを確認すると、ヘルメットを外して花畑で座り込み、花を見ていた。
「ミア、橘が迎えに来てくれるらしい。一旦ここで待っていよう」
回答はない。花をあまり踏まないように気をつけながら、進んで、ミアの横に座る。
「やっぱり慣れません」
「慣れなくていいんだよ」
元々それほど口数が多いタイプではないけれど、俺がホルダーを処分した後はいつもこのようになる。ただ、それが正常な反応。俺としても、そんなことに慣れて欲しくはないので、それでいいと思っている。
「死には慣れて欲しくないし、慣れない方がいい」
「ヒロトは慣れてるんですか」
「大人だからね」
風が吹き、赤と白の花弁が空を舞う。ぼんやりと視線で追っていると遠くに黒い車が見える。
「もう来た。さっさと乗っちゃおうか」
立ち上がり、まだ座っているミアの頭を撫でる。
「最初は撫でられるの嫌がってたのに、もうなんも言わないね」
「何いってもどうせ撫でてくるので諦めました」
少し笑って車の到着をまつ。数分もせずに車が到着した。運転席から痩せた白衣の男が降りてくる。顔はやつれており、僅かにエナジードリンクの甘い匂いがする。わかりやすく苦労人という様相。この男は佐々木と言いい、橘の研究補佐をしている。橘がかなりの変人で、同時にかなりの天才でもあるため補佐する彼はいつも苦労している。
「お疲れ様です。バイクはこちらで回収するのでお乗りください」
「ありがとう佐々木さん。今日はなんのエナドリ?」
佐々木が車のトランクを開き、バイクにパッドで指示を送ると自動でバイクが車に入っていく。
「いつものビーストですよ。ただ、今日は新発売のマンゴー味です」
そこまで言って、チラリとミアを見る。ミアはまだ花畑で花を見ていた。いつもはエナジードリンクを飲ませてくれとせがむのでそれがないのを不思議に思った様だ。だが、俺と目線を合わせると何かを察したようで頷く。
「ミアさん。エナジードリンク、飲みますか」
「のみます」
車にバイクが入ったのを確認して、佐々木が助手席から一本のエナジードリンクを取り出す。それを見るとこちらに走ってきてありがとう。と言いながらエナジードリンクを受け取った。
佐々木が迎えにくる時はミアはいつもエナジードリンクをもらう。佐々木曰く、コーヒーなんかよりもずっと効率の良いカフェインの取得方法らしいが、俺はコーヒー派なのであの甘さがキツく、イマイチ気持ちは理解できない。
ただ、その甘さはミアにとって丁度いいらしい。前にコーヒーを飲ませた時はまるで毒でも盛られたような表情をしていた。
「では、帰りましょう」
「ありがとう」
佐々木が後部座席の扉を開き、中に案内する。俺が先に乗り込み、乗り込むミアに手を貸す。
高級志向の黒い内装。窓はスモーク加工と言ったか、外部から見えないように加工されている。俺たちが乗り込んだのを確認して、佐々木が運転席に乗り込んで車を動かす。と言っても基本は自動操縦。佐々木はハンドルに手を置いているが、自分で動かすことはない。左右に流れる花畑を眺めている。横ではミアがちまちまとエナジードリンクを飲んでいる。相変わらず表情は暗いが、一口飲むたびに少し顔が綻んでいる。
俺はこの瞬間が好きだった。依頼の結果はなんであれ、俺もミアも無事で帰って来れていることを実感できる。そして俺はこの瞬間を脅かす存在を絶対に許さない。
ミアを撫でたりしたいると、気付けば周囲の景色は花畑から街になっていた。
「いつも通り、家の前でミアさんだけ降ろされますか?」
片目でミアを見るとまだ少し表情が暗いが、先ほどよりは幾分かマシになっている。あとひと押しと言ったところか。
「そうだね。お願いする。こら、そんな顔しないの。アイス食べてていいから」
どこかの漫画で学んだのか、ものすごい顔をしていたミアを注意する。ただ、アイスという言葉の魔力には負けたようで渋々頷く。
しばらくして事務所兼家に到着、降りるミアにすぐに戻ると言って車を出させる。
「お疲れ様でした。依頼者は残念でしたが、」
「俺も橘もなんとなく手遅れだというのは感じてた。問題はこの依頼を出している輩だ。これ以上被害者を出すわけにはいかない」
正面だけを見ている佐々木に淡々と言葉を返す。もし、俺が被害者と同じ立場だったら。きっと危険だとわかっていても依頼を受けていた。彼らは救えなかったが、残された物がある。
「一旦橘に話がある。ついたら一対一になるように調整してほしい」
佐々木は静かに頷くと、手元のパッドを操作し始める。しばらくして佐々木が問題なく情報を取れたことを教えてくれるとほぼ同時に車が停止する。
「ありがとう。行ってくる」
そこは地下になっており、一台のエレベーターが敷設されている。空は見えず、地面は冷たく硬いアスファルト、点灯している灯だけが頼り。そんな中を彼は迷わずに進み、一台のエレベーターの前に着き、ボタンを押して乗り込む。内部はなんの変哲もないエレベーター、彼が目的地を押下すると僅かな機械音声が聞こえ、彼は簡単に応答する。動き始めたエレベーターがしばらくすると停止、扉が開く。そこには暗闇が広がっている。どれ程の広さかもわからない空間。ただ、彼が足を踏み入れた瞬間に、明かりが灯り、部屋の全容が明らかになる。部屋は広く無い。ただ、窓もなく、なんの装飾もない。ただの四角形。その中央に机が置かれている。そして、そこには橘が座っていた。
「君から呼び出しとは驚いた」
「別に、それほど特別というわけでもないだろ」
後ろでエレベーターの閉まる音が聞こえると同時に彼が椅子に座る。まるでゲーミングチェアのような椅子。やけに座り心地がいい。背もたれに身体を預け、目を瞑る。
「違法依頼について、情報を手に入れた。有意義に使ってくれ」
ポケットから彼女から渡された証拠を取り出して橘に投げる。紙を開く音がしたのでおそらく内容を見ているんだろう。
「なるほど。捜査が進みそうだ」
「これ以上、救助する側にリスクもかけられない。早く捕まえた方がいいぞ」
ヒロトは目を開き、橘を一瞥すると立ち上がり部屋を後にしようとする。その背に橘が言葉を投げる。
「手伝ってくれないのかい?」
「
ほぼ嘲笑とも受け取れるような声でヒロトは橘を笑い、エレベーターのボタンを押す。そして、何かを思い出したかのように振り返る。
「あと、遺体については
「そうだね。頼むよ」
「了解。じゃ、また依頼があれば」
都合よく開いたエレベーターにヒロトが乗り込み。部屋には1人橘が残る。
「私としても許せない。ただ、」
橘は再度渡された紙に目を落とす。真偽はさておき、彼から渡された紙に記された情報は彼女の悩みを増やすには十分すぎた。