烏の王冠   作:西雲

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3.授業

1989年9月 ミネルバ・マクゴナガル

 

「いいですか。変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中でも、最も複雑で、そして最も危険な分野のひとつです。」

教室の空気が、ぴんと張りつめる。若い瞳が一斉にこちらを見つめているのを感じながら、私はゆっくりと言葉を重ねた。

「軽い気持ちで私の授業を受ける者は、今すぐ出ていきなさい。二度とこの教室の敷居はまたがせません。最初に、はっきり警告しておきます。」

静寂。

私は杖を静かに振った。机がきしり、と音を立て、みるみるうちに丸々とした豚へと姿を変える。小さな悲鳴とどよめき。豚は鼻を鳴らし、尻尾を振った。

再び杖を振ると、豚は一瞬で元の机へと戻る。

その瞬間、生徒たちの目が燃えるように輝いた。抑えきれない興奮。早く自分もやってみたいと、身体中で訴えている。
その初々しい情熱に、胸の奥がわずかに温かくなる。今年は、悪くない。

だが、理論を説明し始めると、彼らの顔には次第に戸惑いが浮かび始めた。家具を動物へ変える? そんな高度な変換に至るまで、どれほどの理解と精度が必要か。現実を思い知るのは早いほうがいい。

私は一人ひとりにマッチ棒を配った。

「これを針に変えなさい。完璧な金属の針です。先端、質量、硬度――すべてを意識すること。」

教室には集中の気配が満ちる。額に汗をにじませ、何度も杖を振る生徒たち。マッチ棒は半ば焦げ、ぐにゃりと曲がり、銀色に光りかけては木目を残す。惜しい。だが、まだ足りない。

そのとき、私は奇妙な静けさに気づいた。

一人の少年が、手持ち無沙汰に座っている。

机の上には完璧な針。

光沢、均整、先端の鋭さ。申し分ない。

「ミスターフィッツロイ。見事です。レイブンクローに2点。」

教室がざわめく。
ハーマイオニー・グレンジャーも上出来だったが、この少年はそれを軽々と超えている。

今年は豊作かもしれない。
思わず、教師としての好奇心が疼いた。

「ミスターフィッツロイ。ほかの変身もできますか?」

少年は、さして興味もなさそうに杖をひと振りした。

針が震え、形を崩し、羽ばたきを伴って鷲へと変わる。

鷲は低く鳴き、翼を広げ、羽を整える。まるで本物の生命が宿っているかのように。

息をのむ。

これは――異常だ。

教えることなど、もう残っていないのではないかと思えるほどの完成度。

「レイブンクローに20点。素晴らしい。皆さん、よくご覧なさい。これが正確な変身術です。」

だが、当の本人は加点にも歓声にも無関心だった。
ただ静かに鷲をマッチ棒へ戻し、視線を窓の外へ向ける。

誇りも、興奮も、喜びもない。

……この子は、本当に大丈夫なのかしら。

胸の奥に、言いようのない小さな不安が芽生えた。

 

しかし授業後の質問で、それまで抱いていた不安は一気に消れた。

「先生、この理論は5年前に発表された理論と異なります。しかし、変身術に応用すると、結論は同じになります。どうしてでしょうか?」

教室の空気が微かに震え、生徒たちの視線が一斉に注がれる。しかし、私は目の前の少年の真剣な瞳に釘付けになった。

最新の研究まで知っている…ただの知識量ではない。理論の背景、過去の研究との関係、変身術への応用まで、彼は理解している――教師としての好奇心が疼き、胸の奥が熱くなる。

「ええ、これはですね……」
私は説明を始める。しかし、少年の目にはすでに理解の光が宿っている。途中で追加の質問をされたが、授業の時間は限られている。
やむなく私は言葉を切り、こう告げた。

「この続きは授業後にしましょう」

彼は静かに頷き、まるでその瞬間から次の議論の準備を始めているかのようだった。

その姿を見て、私は心の底から確信した。この子はただの優秀な生徒ではない。典型的なレイブンクロー生だ――知識欲旺盛で、好奇心と洞察力に溢れ、冷静で、何より学ぶことそのものを楽しむ。安心した――これからの授業後の議論が楽しみだ。

 

 

1989年10月 ロベルト

 

ホグワーツに入学してからというもの時間が無さすぎる。

城は広大で、秘密に満ち、そして図書館は底なしだ。

このまま今までの速度で読んでいたら、卒業どころか一生かけても読み切れない。そんな未来、認められるはずがない。

だから――魔法を開発した。

まずは物体検知の術式で本の内容をスキャンする。だが単純に脳の視覚野へ映像として流し込むだけでは駄目だ。ただ“眺めている”のと変わらない。

そこで思いついた。
記憶抽出の魔法を逆回転させる。

抽出ではなく、圧縮。

文字情報を“理解可能な次元”まで折り畳み、脳に直接展開する。
成功した瞬間、100ページの本が――わずか1秒で終わった。

脳が焼けるように熱い。
でも、快感だった。

さらに真っ新な羊皮紙と自動筆記羽ペンを用いれば、本の完全複製も可能。

 

入学から一週間、空き時間はすべて読書と複製に費やした。
すると、ある日ふと気づいた。

思考が――分裂している。

並列思考。

右目と左目が別々の動きをし、右足で自転車を漕ぎながら左足で駆け足をするような感覚。最初は吐き気すらした。だが慣れれば、世界が倍速になる。

本を同時に二冊読める。

さらに魔法も同時展開できるようになった。
防御呪文《プロテゴ》を維持しながら、失神呪文《ステューピファイ》を放つ。
まだ粗い。だが鍛えれば三重、四重展開も夢ではない。

知識が増えるたび、世界の解像度が上がる。
幸せだ。

 

そして一ヶ月後、図書館で奇妙な本を見つけた。

太陽光をマンドレイクの葉に通し、それをエルンペントの角から削り出したレンズで観察すると、周囲の“魔法的機構”が視えるという。

試さない理由がない。

ペンに頼んで材料を取り寄せ、ホグワーツ中を歩き回った。

すると、壁の裏に走る術式の流れ、階段の変位構造、隠された部屋の封印……すべてが透けて見える。
塔の屋根裏にあるレイブンクローの書斎。
女子トイレの奥に続く秘密の部屋への痕跡。

ホグワーツは、巨大な魔法生物のようだ。呼吸し、脈動している。

そんなふうに城を彷徨っていると、声がした。

「そこで何してるの?」

「水星と金星の距離を測ってる」

「ここ屋内だよ」

「そうだね」

沈黙。

「ああ、セドリックじゃないか」

「ええと、誰?」

「ロベルトだよ」

頭に被っていた鉄バケツを外す。

「ロベルト!? そんな格好で何してるの?」

「本に書いてあったことを確かめたくてね。水星と金星の見かけの距離とキーキースナップの機嫌の相関について」

屋内でも天体観測ができるように鉄バケツを被っていた、と説明すると、セドリックは腹を抱えて笑った。

「君、“鉄バケツ卿”って呼ばれてるよ」

「いいね、鉄バケツ卿。語呂がいい」

「ほどほどにね。バイバイ」

「久し振りに人間と話せてよかったよ。バイバイ」

同じレイブンクローの同輩たちは、なぜか少し距離を置く。
だがセドリックだけは普通に接してくれる。

……悪くない。

 

だがやがて、最大の壁にぶつかった。

禁書。

どうしても読みたい。
何が何でも読みたい。

そこで、レイブンクローの書斎で視た遠隔共鳴魔法を再現することにした。二箇所に魔法的マーキングを施し、一方で発動すればもう一方でも発動する術式。これを改良し、中継機構を追加する。

単純な理屈。
だが完成まで二週間。

そして中継機を変身術で黄金虫に変え、禁書の棚へ送り込む。

鼓動が速い。

スキャン、圧縮、理解。

――闇の魔術は、ここまで体系化されているのか。

魂の分割理論。呪いの自律増殖。感情干渉術式。

危険だ。
だが、美しい。

知識が脳の奥深くへと沈み、結晶化していく。

怖さよりも、背徳よりも――ただ、圧倒的な歓喜。

ああ、知るということは、こんなにも甘美なのか。

幸せだ。




鉄バケツ卿は今日も謎の器具片手に走り続ける
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