剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」   作:アスピラント

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そして師と弟子は歩み寄る

 伯爵は無事――1回食われたが――確保されたその後、伯爵はすぐさま王都騎士団の管理下へと移送された。

 

 流石に今回の件は見過ごせる内容ではない。

 

 違法な傭兵の大量雇用、禁制品と思われる魔導具の使用、そして何より、正体不明の組織から受け取った魔物を操る杖の存在。加えて、その杖によって召喚された異形の怪物は、アストライア王国の治安を根本から揺るがしかねない危険性を秘めていた。

 

 王国貴族としてあるまじき行為である。

 もはや単なる職務怠慢や不正の域ではなく、国家に対する明確な背信行為だった。

 

「知らん! 私は何も知らんと言っているだろう!!」

 

 現在、伯爵は騎士団本部の取調室に拘束されていた。

 ちなみに消化液まみれだったので、まず風呂に放り込まれた後、治癒魔法を受けている。

 

 本人としては、化け物に丸呑みされた記憶が強烈すぎるのか、精神状態はかなり不安定だった。

 

「知らない、では済みません」

 

 机を挟んで向かい合う騎士は、冷たい声で告げる。

 

「その杖を誰から受け取ったのですか」

「知らん! 知らんと言っているだろう! フードを被った男だった! 顔など見ておらん!」

「名前は」

「知らん!」

「他に接触していた者は?」

「知らん!!」

 

 怒鳴る伯爵に対し、騎士たちは淡々と質問を繰り返す。

 

 伯爵の証言によれば、杖を渡した相手は全身をローブで覆っており、身元を示すような情報は一切なかったらしい。

 

  もし同じ杖が他所にも流れているのならば、被害は今回だけでは済まないからだ。

 

 伯爵の交友関係、資金の流れ、関係者の洗い出し。

 

 さらに屋敷の家宅捜索も並行して行われ、まだ協力者が残っていないか徹底的な調査が始まっていた。

 

 そんな中――

 

「……あれ?」

 

 新人騎士の一人が、不思議そうに辺りを見回した。

 

「そういえば……剣聖様の弟子の方々って、どこに行ったんですか?」

 

 その言葉に、周囲にいた新人たちも顔を見合わせる。

 事件が終わってから1日が経とうとしているが、任務に忠実なレクスディアの弟子たちが見当たらない。一部メンバーは自由人なため、いないのは違和感ないが、キアラまでいないとなると流石に気づく。

 

「確かに」

「任務は終わりましたよね?」

「報告とか、反省会とかあるんじゃ……?」

 

 誰もが当然の疑問だった。

 新人たちの中で、ざわめきが起き始める。

 

「ん? あの子たちは?」

「何か……どこにもいなくて……キアラさんたちが」

 

 すると近くで書類を整理していた女性騎士が、新人たちに声をかけた。

 

「プリメラさん!」

「やほやほ」

 

 声をかけた女性騎士はレクスディアと同期であるプリメラだった。柔和な雰囲気を持つ彼女は、新人たちの視線を受けると、ほんの一瞬だけ遠い目をする。

 

「何かあった?」

「剣聖様のお弟子さんたちは……今日出勤されてますか?」

「ん? 来ていないの?」

「はい……何かあったのかなと」

「……あー……あはは」

 

 プリメラは数秒ほど沈黙してから乾いた笑い声を漏らした。

 この反応に新人たちは首を傾げる。

 

「あの……?」

「どうかしたんですか?」

 

 プリメラは苦笑しながら額に手を当てた。

 

「えっとね……あの子たちは今、多分――」

 

 言葉を選ぶように一度区切る。

 

「任務より気合い入れてるかもしれないわ」

「……はい?」

 

 新人たちは揃って困惑した表情を浮かべた。

 任務は既に終わったはずだ。

 それなのに、任務以上に気合いを入れるとはどういうことなのか。

 

「あの子たちはほら……向上心の怪物だからさ」

 

 そう言ってプリメラが遠い目をする一方。

 レクスディアの弟子たちはと言うと――

 

 ◇◆◇

 

「――今日こそ、ぶった斬ってやる……キアラ」

「貴様には不可能だ、ゼヴル」

 

 言葉を交わした直後、二人は同時に地面を蹴った。

 

 次の瞬間――サーベルと刀が真正面から激突する。甲高い金属音が広大な空き地に響き渡り、衝突した刃から風と雷が同時に爆ぜた。

 

「ハァァアア!!」

 

 キアラはそのまま一歩踏み込み、サーベルを振るう。刃に纏わりついた風が唸りを上げ、一振りごとに複数の斬撃となってゼヴルへ襲い掛かった。速度に特化した彼女の剣技は、一撃を防いだ程度では終わらない。最初の一太刀を受け止めた直後には、すでに次の斬撃が迫っている。

 

「その程度か……」

 

 キアラの瞳が鋭く細められる。

 まるで獲物を見定める肉食獣のような視線だった。

 

「舐めるな」

 

 ゼヴルは鼻を鳴らすと、刀身に雷を纏わせたまま大きく踏み込んだ。彼の剣はキアラとは対照的だ。繊細さよりも豪快さを重視し、圧倒的な破壊力で敵をねじ伏せる。

 

「ゼァアアア!!」

 

 雷鳴と共に振り下ろされた一刀を、キアラはサーベルを交差させて受け止める。凄まじい衝撃が地面に伝わり、二人の足元から土が弾け飛んだ。しかしキアラは表情一つ変えない。

 

「遅い」

 

 受け流すように刀を逸らした瞬間、キアラは懐へ潜り込んだ。風を纏ったサーベルがゼヴルの胴を狙って閃く。

 

 だがゼヴルも予測済みだった。

 

 刀を片手で握り直し、強引に軌道を変える。雷を撒き散らしながら放たれた横薙ぎが、キアラの一撃と激突した。轟音と共に衝撃波が周囲へ広がり、近くに積まれていた木箱がまとめて吹き飛ばされる。

 

 二人は同時に距離を取ったかと思えば、再び一直線に駆け出した。

 

 激突。

 

 激突。

 

 激突。

 

 凄まじい速度で斬り結ぶ二人の姿は、もはや常人には追えない。一秒にも満たない間に幾度も剣戟が交わされ、その度に風と雷が空き地を荒らしていく。

 

 しかし、真剣勝負をしているのは彼らだけではなかった。

 

 ここはレクスディアの弟子たちだけが使用を許された専用の訓練場である。広大な空き地のあちこちで、弟子たちがそれぞれ組み手を行っていた。

 

「どらァァァ!!」

 

 ファングが大剣を振り下ろす。対するジズは巨大なハンマーを軽々と持ち上げると、真正面から迎え撃った。

 

 衝突した瞬間、大地が大きく陥没する。

 

「うわぁ、今日のファング……かなり元気だね」

「手加減してるだろ、もっと本気で来い!」

「んー、じゃあ少しだけ」

 

 ジズがにこりと笑った瞬間、ファングの表情が引き攣る。次の瞬間にはハンマーが唸りを上げ、ファングは大剣ごと数十メートル吹き飛ばされていた。

 

  一方その近くでは、ナハトとロラーナが向かい合っていた。

 

「だるいなぁ……何で僕が」

 

「文句を言う前に動きなさい」

 

 ロラーナが冷ややかに言うと同時に吹雪が巻き起こる。ナハトは舌打ちしながら影を操り、無数の黒い刃を放った。氷と影が激しくぶつかり合い、辺り一帯がたちまち極寒の戦場へと変わっていく。

 

 さらに別の場所では、トトとラフィが楽しそうに追いかけっこをしていた。

 

「ラフィちゃん速すぎー!」

「トト助が遅いだけでしょー!」

「むっかー! だったらビーム撃つ!」

「やめろって! また地面が消えるから!」

 

 そして周囲では新人騎士たちが、そんな弟子たちの訓練を戦々恐々としながら安全圏から眺めていた。

 

「……訓練、ですよね?」

「た、多分……」

「本当に同じ人間なのか……?」

 

 誰もが顔を引き攣らせる中、キアラとゼヴルの戦いだけはさらに激しさを増していた。

 

「どうした、ゼヴル。その程度か」

 

 キアラは鋭い眼光を向けながら、容赦なく攻め続ける。

 

「減らず口を……!」

 

 ゼヴルが雷を纏った一刀を振り抜く。しかしキアラは紙一重で躱し、その勢いのまま風を纏った斬撃を連続で放った。

 

 ――そんな弟子たちを、レクスディアは遠い目をしながら見物していた。

 

「……血の気が荒すぎるな」

 

 任務が終わってまだそんな時間が経ったわけじゃないのに、何故か彼らは任務の時よりも気合いを入れている。どうしてこうなってしまったのか――と言いながらも、実は思い当たる節もある。

 

(俺のせいか)

 

 彼らは単純に悔しいのだ。

 レクスディアが見せた剣技を見て、力不足を痛感したのだ。

 

「まだだァァァッ!!」

 

 激しい剣戟の中、キアラの叫びが訓練場に響き渡った。

 風を纏ったサーベルを振るいながら、彼女は真正面からゼヴルへと斬り込んだ。鋭い斬撃が幾重にも重なり、空気そのものを切り裂いていく。

 

「私は……あの人の下で強くなった!!」

 

 さらに一歩踏み込む。

 

「誰にも負けないくらい努力した!! 死ぬほど剣を振った!!」

 

 ゼヴルの刀と激突し、凄まじい衝撃が辺りへ広がる。

 

「それでも――まだ足りないッ!!」

 

 叫びには焦りも、怒りも、悔しさも全て混じっていた。

 あれほど努力しても、レクスディアが見せた一太刀には届かない。

 

 怪物を跡形もなく消し飛ばした、あの理不尽な剣技。

 あの背中は、あまりにも遠かった。

 

「当然だ」

 

 同じように悔しさを露わにしたゼヴルが刀を振り抜き、雷鳴を轟かせる。

 

「我も同じだ」

 

 雷光が一直線に駆け、キアラの風と真正面から衝突する。

 

「我らは剣聖の弟子だ! ならば、あの方を超えねば意味がない!」

 

 雷を纏った斬撃が唸りを上げる。

 

「今のままでは届かん!」

 

 その言葉に、周囲で組み手をしていた弟子たちも動きを止めなかったまま口を開く。

 

「そうだそうだ! もっと強くならねぇとなァ!!」

 

 吹き飛ばされながらファングが笑う。

 

「黒竜を倒すには、まだ全然足りないよね」

 

 ジズもハンマーを担ぎ直し、小さく頷く。

 

「だるいけど……負けるのはもっと嫌だし」

 

 ナハトは面倒そうにぼやきながらも、影を操る速度は一切落ちない。

 

「精進あるのみです」

 

 ロラーナは静かに氷を展開し、淡々と言い切ったりと、口々に思いの丈を述べる様を、高台からレクスディアは静かに聞いていた。

 

「……」

 

 誰も自分より強くなりたいと言っている。

 誰も現状に満足していない。

 誰も、昨日より今日、今日より明日と強くなることしか考えていない。

 

 その姿は頼もしくもあり、少しだけ危うくも見えた。

 

「……そろそろ頃合いか」

 

 レクスディアは空を見上げてから言った。

 

 レクスディアはゆっくりと高台を降り、そのまま訓練場へ歩いていく。そして、再び激突しようとしていたキアラとゼヴルの間へ、何気ない足取りで踏み込んだ。

 

「そこまでだ」

 

 その穏やかな一言で二人の身体が反射的に止まる。

 

「――師よ……!」

 

 キアラは目を見開くと、ゼヴルも一瞬だけ固まり、刀を下ろす。

 

「……教官」

 

 さっきまでの勢いはどこへやら、ほんの少しだけ気まずそうに視線を逸らした。周囲で戦っていた弟子たちも次々と動きを止め、師匠の方へ顔を向けると、レクスディアはそんな全員を一人ずつ見回し、小さく息を吐いた。

 

「悪いが、皆を一旦呼んできてくれるか」

 

 そして、いつもの落ち着いた口調で続ける。

 

「少し話がしたい」

 

 レクスディアの言葉を聞いた瞬間、それまで張り詰めていた空気がわずかに揺れた。

 

「師がお話を……?」

 

 キアラが静かに呟くその隣では、ミネルヴァが肩を震わせながら両手を胸の前で組み、頬をみるみる紅潮させていた。

 

「剣聖様が……わたくしたちに……直々にお話を……。はぁ……はぁ……非常に……激ってまいりましたわ……!」

 

 息を荒げながら恍惚とした笑みを浮かべる姿は、どう見てもまともな精神状態ではない。

 

「む……」

 

 それを見たアルバートは眼鏡をくいっと押し上げると、真剣な表情でミネルヴァの顔色を観察した。

 

「顔が赤い。呼吸も乱れている」

「そうですわ……剣聖様のお声を聞いただけで、わたくしの心は燃え上がって――」

「発熱だな」

 

 アルバートは最後まで話を聞かず、淡々と結論を出した。

 

「待っていてくれ。氷嚢を持ってこよう」

 

 そのまま本気で歩き出そうとした彼の肩を、ユアンが無言で掴む。

 

「アルバート」

「何だ」

「ミネルヴァは風邪じゃないから心配しなくていい」

 

 アルバートは少しだけ首を傾げた。

 

「違うのか?」

「違う――というか、金輪際しなくていい」

「……そういうものなのか」

「そういう生き物だと思ってくれればいい」

「理解した」

 

 アルバートは素直に頷くと、それ以上追及することなく列へ戻った。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 一方のミネルヴァはと言えば、「おほほほほ……」と上機嫌に笑いながら未だに頬を赤らめている。当人だけが別世界にいるような様子だったが、弟子たちは誰一人として気に留めることはなかった。付き合いが長すぎて、もはや日常の一部なのである。

 

  やがて全員がレクスディアの前へ整列した。

 

 先頭にはキアラとゼヴル。その後ろへ他の弟子たちも綺麗に一列ずつ並び、先程まで本気で斬り合っていたとは思えないほど姿勢を正している。

 

 レクスディアはそんな教え子たちを一人ひとり見渡すと、小さく頷いた。

 

「まずは伯爵確保……よくやった」

 

 その一言だけで十分だった。

 

「多少のイレギュラーはあったが、騎士団側の被害はほとんど出ていない。新人も無事で、ほとんど完璧と言っていいだろう」

 

 怪物が出現し、伯爵が丸呑みになるという想定外の事態は起きた。それでも弟子たちは冷静に役割を果たし、結果として最善に近い形で任務を終えている。

 

「今回の任務は十分成功と言える。胸を張れ」

 

 その評価に対し、弟子たちは一斉に頭を下げた。

 

「ありがとうございます!」

 

 しかし、次の瞬間にはキアラがすぐ顔を上げる。

 

「ですが、私はまだ未熟です」

「我も同じです」

 

 ゼヴルも迷いなく続いた。

 

「教官のお力添えがなければ、あの怪物を完全には討てませんでした」

「もっと強くならなければなりません」

「鍛錬不足です」

「努力が足りない」

「まだまだだよね」

 

 次々とそんな言葉が飛び交う中、レクスディアは内心で遠い目をしていた。

 

(……いや十分すぎるくらい頑張っただろ、もっとリラックスしろって……)

 

 今回集めた理由は、そんな反省会をするためではない。

 

 任務を終えた翌日だというのに、休まず朝から本気で組み手を始めた教え子たちを見て、このままではいつか身体か心を壊すと感じたからだ。

 

 だからこそ今日こそは、少し肩の力を抜けと言うつもりだった。

 

「確かに、お前たちはまだ強くなれる」

 

 弟子たちの背筋がさらに伸びた。

 

「だが、気を張り過ぎる必要はない」

 

 この間、レクスディアの脳内では凄まじい攻防が繰り広げられていた。

 

(頑張り過ぎるな.ちゃんと休め、飯を食べて、眠って、また明日鍛えればいい――これさえ伝われば……!)

 

 レクスディアは一度だけ全員の顔を見渡してから、話し出した。

 

「お前たちは努力を惜しまない。それは知っている」

「だが、それだけでは駄目だ」

「強くなる者ほど、自分の限界を知らなければならない」

 

 なお本人は労りのつもりだ。

 しかし弟子たちからしたら、ニュアンスは異なる。

 

「「「……!」」」

 

 弟子たちは自然と背筋を伸ばし、より真剣な表情になる。

 キアラは拳を握り締め、ゼヴルはわずかに視線を伏せる。ファングは先程までの荒々しさを消し去り、真っ直ぐ前だけを見つめている。普段は気怠そうなナハトですら、師の言葉を一つも聞き漏らすまいと黙って立っていた。

 

「昨日限界まで戦った。その翌日に同じような鍛錬を繰り返しているようでは、まだ甘い」

「身体を酷使すれば強くなると思っているなら、それは違う」

「疲弊した身体で剣を振っても、本来身につくものまで取りこぼす」

「休むべき時に休めない者は、自分を管理出来ていないということだ」

 

 本人としては、ごく当たり前のことを言っているだけだった。

 

 今日は休め、身体を労われ、明日からまた鍛えればいい。その程度の話をしたいだけだった。

 

 だけど弟子たちの表情は、徐々に引き締まっていく。

 

「鍛錬とは、ただ長く続ければいいものではない。無理を続ければ、いずれ必ず綻びが出る。その綻び一つで命を落とすこともある。だから、自分を律しろ……必要以上に剣を振るな、必要以上に身体を壊すな、休むべき時は休め」

 

 そして最後にこう言った。

 

「それも鍛錬の一部だ」

 

 本人(レクスディア)は優しく伝えているつもりなのだが、弟子たちからすれば、まるで「お前たちは鍛錬のやり方すら未熟だ」と言われているようにしか聞こえなかった。

 

「――以上だ」

 

 ようやく言いたいことは伝えられた――本人はそう思っていた。

 

(……これで少しは肩の力を抜いてくれるだろ)

 

 そんな期待とは裏腹に、目の前へ整列した弟子たちの瞳には、先程よりもさらに強い決意だけが宿っていた。

 

 ◇◆◇

 

  その日の夜。

 

 騎士団本部も昼間ほどの慌ただしさはなくなり、廊下には静かな空気が流れていた。各部署ではまだ灯りが残っている部屋も多いが、それでも昼間とは違い、人の話し声もまばらである。

 

 レクスディアは執務室で最後の書類へ署名を終えると、羽根ペンを置いて小さく息を吐いた。

 

「……終わったか」

 

 肩を回し、軽く伸びをして、長時間座りっぱなしだった身体をほぐしてから部屋を出ると、夜風でも浴びようと廊下の先にある開放されたバルコニーへ向かった。

 

「……ふぅ」

 

 王都の灯りを見下ろしながら静かに外を眺めていると、不意に後ろから聞き慣れた声が飛んできた。

 

「あれ? レクスじゃない」

 

 振り返ると、そこには書類の束を抱えたプリメラが立っていた。

 

「お前も仕事終わりか」

「ええ、やっとね」

 

 プリメラはレクスディアの隣まで来ると、そのまま手すりへ両肘を乗せ、大きくため息を吐いた。

 

「全く……ここって本当に労働環境改善すべきよね?」

 

 夜空を見上げながら、心底うんざりしたように続ける。

 

「いくら寮生活とはいえ、残業ばっかりじゃ気が滅入るわ。終わったと思ったら次の書類、次の報告書。たまには定時で帰るって文化を作るべきだと思わない?」

「……そうか」

「そうか、じゃないのよ」

 

 プリメラは苦笑しながら肩をすくめる。

 

「レクスは仕事が終わったら、そのまま鍛錬に行くような人だから分からないでしょうけど」

「鍛錬は必要だ」

「はいはい」

 

 呆れ半分に笑った後、プリメラはふと思い出したように首を傾げた。

 

「そういえば、お弟子さんたちはどう?」

「今日集めて話をした」

「へぇ?」

「気を張らずに、適度に休めと伝えた」

 

 レクスディアは無表情のまま答えると、プリメラは生暖かい目を向けた。

 

(……絶対伝わってないやつ)

 

 プリメラは心の中だけで断言した。

 あの弟子たちと、口下手のレクスディア――どう考えても、まともに伝わる未来が見えない。

 

(多分今頃、『もっと効率よく鍛えろって意味だ!』とか解釈してるんでしょうね)

 

 想像しただけで頭が痛くなるがら今さらそれを指摘したところで手遅れなのも分かっていた。

 

「ははは」

「……?」

 

 だからプリメラは何も言わず、ただ乾いた笑みを浮かべるだけに留めた。一方のレクスディアは、夜空へ視線を向けたまま静かに口を開く。

 

「弟子たちは全員強くなった」

 

 その声には迷いがない。

 

「間違いなく、この世界でも強者と呼ばれる領域にいる」

 

 どの弟子も王国屈指の実力者と肩を並べられるほど成長していることを、レクスディアは誰よりも理解していた。

 

 だが――それではダメなのだ。

 

「まだ……黒竜には届かない」

 

 その一言で空気が少しだけ引き締まる。

 

「あの子たちが最強になるには、弱体化した俺くらいは簡単に倒せるようにならなければならない」 

「いやいや、それハードル高すぎるから」

 

 プリメラは思わず呆れたような笑みを浮かべると、小さい子に言い聞かせるように言ったわ、

 

「弱体化してるって言っても、今の君でも王国中の騎士を集めても勝てるか怪しいわよ? そんな人を簡単に倒せるようになれって、基準がおかしいわよ」

「そんなことはない」

 

 レクスディアは迷いなく首を横へ振る。

 

「可能性は大いにある。才能もあるし、努力もしている。だから届く」

 

 その言葉には、自分への評価ではなく、弟子たちへの絶対的な信頼だけが込められていた。

 

「ふふ、そうかぁ」

 

 プリメラはそんな横顔を見つめ、ふっと柔らかく笑う。

 

「本当に、君って弟子の可能性だけは一切疑わないのね」

 

 少しだけ寂しそうに目を細めると、夜風で揺れる前髪を耳へ掛けながら静かに問い掛けた。

 

「だったら私はさ――剣聖として完全復活する貴方を見たいんだけど?」

「……復活した俺か……」

 

 レクスディアは目を細めながら、どこか遠いものを見るように呟いた。

 

「正直に言えば、俺はもうそこに戻ることは諦めていた」

 

 プリメラは黙って横顔を見続けた。

 

「右眼も、身体も、昔と同じには戻らない。戦える程度にはなったが、全盛期のようには動けない。なら、俺がやるべきことは自分が戻ることではなく、次へ繋ぐことだと思っていた」

「だから弟子たちを育てたもんね」

「ああ」

 

 レクスディアは迷いなく頷いた。

 

「あいつらには才能がある。俺より先へ行ける可能性がある。なら俺が戻ることに固執するより、あいつらを鍛えた方がいい」

 

 プリメラは小さく息を吐いた。

 

「レクス、キアラたちがあんなに頑張る理由、分かる?」

「俺を超えたいからじゃないのか?」

 

 実際、間違いではない。彼らは何度もそう口にしている。剣聖を超える、師を超える――そのために血反吐を吐くような鍛錬を重ねている。

 

 だがプリメラは、少し困ったように笑った。

 

「それもあるわ。でも、メインは違うと思う」

「違う?」

「ええ」

 

 プリメラは手すりに背を預け、夜空を見上げた。

 

「あの子たちはね、復活した貴方を見たいのよ」

「……俺を?」

 

 レクスディアは珍しく呆気に取られたような顔をした。

 

「どうしてだ。今さら俺が全盛期に戻ったところで、あいつらの成長に何か影響があるわけじゃないだろう」

「そういうところよ」

 

 プリメラは苦笑する。

 

「強さとか、合理性とか、成長効率とか、そういう話じゃないの。あの子たちは、ただ見たいのよ。自分たちが憧れた剣聖が、もう一度本当の意味で立ち上がるところを」

「……」

「貴方が諦めた場所を、あの子たちは諦めてないのよ」

 

 プリメラの声は、レクスディアにはっきりと響いた。

 

「だから、ちゃんと分かってあげなさい。どうしてあの子たちが復活した貴方を見たいのか。その心の機微くらい、師匠なら見抜いてあげなきゃ」

「……教えてくれないのか」

 

 レクスディアは静かに尋ねると、プリメラは少しだけ意地悪そうに笑う。

 

「駄目よ」

「何故だ」

「貴方自身で分からなきゃ意味がないわ」

 

 そう言われたレクスディアは黙り込むと、プリメラは優しく言った。

 

「貴方も……弟子から学ばないとね?」

「……」

 

 夜風が二人の間を抜けていく。遠くでは、まだ騎士団本部の灯りがいくつか残っている。誰かが働き、誰かが鍛え、誰かが明日のために眠っている。

 その中でレクスディアは、珍しく答えの出ない問いを抱えたまま、しばらく夜空を見上げていた。

 

◇◆◇

 

 翌日――レクスディアは珍しく休みだった。

 

 普段なら休みであろうと訓練場へ向かうところだが、この日は朝から執務室にも訓練場にも行かず、騎士団本部の敷地内をゆっくりと歩いていた。

 

「……弟子から学ぶ、か」

 

 昨日、プリメラに言われた言葉が頭に残っていた。

 復活した自分を見たい。弟子たちは、自分が諦めたものを諦めていない。そう言われた時、レクスディアはすぐには理解できなかった。

 

 自分は彼らを鍛える側だと思っていた。黒竜を倒せるほど強く育て、いつか自分を超えさせる。それが師としての役割であり、半ば折れた自分に出来る最大の務めだと考えていた。

 

 だが、よく考えれば分かることはあった。

 

 キアラの過剰な忠誠。ゼヴルの不器用な敬意。ファングの師の誇りになりたいという執着。ナハトの面倒臭い構って欲しさ。ロラーナの容赦ない世話焼き。ドラスケルやジズ、ミネルヴァに至っては、もはや重さの方向性が違うだけで根は同じだ。

 

 あいつらは、自分を見ている。

 ただ強い剣士としてではなく、師として、恩人として、時に人生そのものを変えた相手として。

 

「……愛されてる、のか」

 

 自分で口にすると妙に居心地が悪かった。

 だが否定はできない。

 

 ならば、自分がすべきことは発破をかけることだけではなかった。叱るだけでも、導くだけでもない。こちらもきちんと、親愛を返すべきだったのだ。

 

「……伝えるか」

 

 そう決めたレクスディアは、まず誰に会うかも決めずに歩き出した。すると、廊下の角を曲がったところで、真っ先に出会ったのは赤茶けた髪の少女だった。

 

「師よ!」

 

 キアラはレクスディアの姿を見るなり、背筋を正して深々と頭を下げた。その動きには一切の迷いがなく、忠誠心がそのまま形になったような挨拶だった。

 

「おはようございます。本日もお姿を拝見でき、恐悦至極にございます」

「……朝から重いな」

「当然です。師の存在は私にとって道標そのものですので」

 

 真顔で言い切られると、レクスディアは少しだけ言葉に詰まった。だが今日は逃げないと決めていた。

 

「キアラ」

「はい」

「お前が俺の弟子になってくれたこと、感謝している」

 

 その瞬間、キアラの動きが止まった。

 

「……え?」

「俺は、弟子たちを鍛えているつもりだった。だが、考えてみれば俺の方も随分と支えられていた。お前たちがいたから、俺はまだ剣を振れている。だから、ありがとう」

 

 レクスディアは不器用ながらも、できるだけまっすぐに言葉を選んだ。

 

「それと、昨日の話だが……張り詰め過ぎるな。お前はよくやっている。もっと自分を大事にしろ。無理を重ねるだけが強さじゃない」

「……師が、私を」

 

 キアラの瞳が揺れた。

 普段は冷徹な刃のような目をしている彼女が、今だけは年相応の少女のような顔をしていた。

 

「そして、もう一つ」

 

 レクスディアは静かに息を吸う。

 

「俺も、諦めるのはやめる。必ず復活してみせる。お前たちにばかり背負わせるつもりはない」

 

 その言葉を聞いた瞬間、キアラは小さく震えた。

 

「……師が……もう一度……」

 

 キアラは両手を胸元で握り締め、心の底から嬉しそうに笑った。その笑みは普段の苛烈さとは違い、ひどく可愛らしく、ただ憧れの相手から贈り物を受け取った子供のようだった。

 

(今度こそ……伝わったか)

 

 レクスディアは少し安堵した。

 ようやく伝わったかもしれないと、そう思った。

 

「安心してください、師よ」

「ああ」

「私は貴方の刃として、敵を悉く惨殺します」

「……ん?」

 

 そう思ったのに、飛び出してきたセリフが血生臭すぎる。

 

「昨日の御言葉、深く胸に刻みました。ただ漫然と鍛錬を積むだけでは足りない。休息すら鍛錬の一部と捉え、より洗練された訓練計画を立て、無駄を削ぎ落とし、質を高めます」

「キアラ、待て」

「さらに、実戦経験こそが刃を研ぎ澄ませる最高の場です。今後はより多くの任務に身を投じ、悪を駆除しながら己の未熟を削り落としていきます」

「待てと言っている」

「そしていつか、復活された師の隣に立てるだけの剣となります。いえ、師が望むならば、その前に立ちはだかる全てを斬り捨てます」

 

 キアラの目は爛々と輝いていた。

 喜び、感動、忠誠、闘志。その全てが混ざり合い、結果としてレクスディアの想定を遥かに超えた方向へ突き抜けている。

 

「師よ……私は必ずや、貴方の期待に応えてみせます」

「ちょっ」

 

 キアラはもう一度深く頭を下げると、風のような勢いでその場を去っていった。

 

「……キアラ」

 

 おそらく訓練場へ向かったのだろう。

 いや、もしかすると任務を探しに行ったのかもしれない。

 

「……」

 

 レクスディアは廊下に一人取り残された。

 

「俺が言いたかったのは……そういう意味じゃない……」

 

 肩の力を抜け。

 自分を大事にしろ。

 今日はそれを言いたかっただけなのだ。

 

「どうしてこうなった……」

 

 だが結果として、キアラの中では「休息すら鍛錬に組み込み、より実戦へ身を投じろ」という超前向きかつ危険な解釈へ変換されていた。

 

「見事に失敗したわね」

 

 振り返ると、壁際にプリメラが立っていた。どうやら一部始終を見ていたらしい。彼女は笑っているが、その笑みはどこか乾いている。

 

「聞いていたのか」

「聞こえちゃったのよ。廊下であれだけ真面目な会話をしてたらね」

 

 プリメラは肩をすくめる。

 

「でも、まあ……前よりは一歩進んだんじゃない?」

「そう見えたか」

「少なくとも、貴方がちゃんと伝えようとしたのは分かったわ。キアラもすごく嬉しそうだったし」

「だが、伝わってはいない」

「ええ、全然」

 

 プリメラは即答した。

 

「まだまだ相互理解には程遠そうね」

 

 乾いた笑みを浮かべるプリメラの横で、レクスディアは深いため息を吐いた。

 

「……次はもう少し、言い方を考える」

「それがいいわ。あの子たち相手だと、普通の言葉は全部鍛錬と戦闘に変換されるから」

「厄介すぎるだろ」

「貴方が育てたのよ」

 

 そう言われると、レクスディアは何も言い返せなかった。

 

(難しいな……伝えるのって……)

 

 殺意に目覚めた弟子たちと、そんな彼らを育てた師匠の距離感が縮まるのは、まだまだ時間がかかるかもしれない――一番近くで見てきたプリメラは、呆れながらもその行く末を見届けると決意するのだった。

 

◇◆◇

 

 一方その頃――アストライア王国の隣国、リオルディア連邦。

 

 王都から少し離れた冒険者ギルドの最上階にある応接室では、一人の女性が差し出された依頼書へ視線を落としていた。

 

 室内は落ち着いた造りで、壁には高価な絵画や魔物討伐の記録が飾られている。普通の冒険者ならば足を踏み入れるだけで緊張するような場所だが、その女性は長椅子にゆったりと腰掛け、足を組みながら紙面を眺めていた。

 

「ふむ……」

 

 依頼書を読み終えた彼女は、難しい顔をした。

 

 その反応を見て、向かいに座っていたギルド職員の男は思わず背筋を伸ばす。相手が相手だ。どんな大物貴族よりも、どんな高位魔術師よりも、この女性の一言には重みがある。

 

「やはり、厄介そうかな?」

「厄介というより、妙な匂いがするね……うん」

 

 女性は依頼書の端を指で軽く叩きながら、目を細める。

 

「魔物の異常発生、村落周辺での失踪事件、そして目撃されたローブ姿の人物……どれか一つなら偶然で済むけれど、三つ揃うと少し嫌な感じがする」

「貴女なら一人でも大丈夫だとは思うけど、もし仲間が必要ならこちらで手配できるよ。腕利きの冒険者も何人か押さえられる」

 

 男は慎重にそう提案した。相手の実力を疑っているわけではない。ただ、今回の案件は不透明な部分が多い。だからこそ万全を期したかったのだ。

 

「ふふ……」

 

 だが女性は少し考え込んだ後、ふっと楽しそうに口元を緩めた。

 

「そうだなぁ……久々にレクスディアと行こうかな」

「……え?」

 

 男の表情が固まった。

 

「今、誰と?」

「レクスディア」

「剣聖の?」

「うん、その剣聖の」

 

 あまりにも気軽な返答だったため、男は一瞬言葉を失った。

 

「いや、待ってくれ。今回の依頼は確かに危険度が高いけど、剣聖まで呼ぶほどかと言われると……しかも貴女まで行くんだよね?」

「もちろん」

「剣聖と勇者のコンビって、ちょっとやりすぎなんじゃ……?」

 

 男は本気で引いていた。

 

 普通なら国難級の災害にぶつける戦力である。魔王軍の残党が砦を築いたとか、古代竜が目覚めたとか、そういう案件ならまだ分かる。だが今回は、あくまで地方で起きた不穏な異変の調査依頼だ。

 

  しかし女性は全く気にした様子もなく、立ち上がった。

 

 長い金髪が肩から背へ流れ、窓から差し込む陽光を受けて眩いほどに輝く。整った顔立ちには余裕に満ちた笑みが浮かび、その碧い瞳には冒険を前にした子供のような好奇心が宿っていた。

 

「私の勘が訴えているのさ」

 

 そう言って、彼女は依頼書をひらりと掲げる。

 

「勇者ルクセリアよ……剣聖と共に向かうのだってね」

 

 最後に片目を閉じ、悪戯っぽくウィンクする。

 その仕草は絵になるほど美しかったが、言っている内容は相変わらず規格外だった。

 

「そ、そうか……」

 

 男は反応に困り果てたまま、曖昧に頷くしかなかった。

 

 こうして、隣国で起きた小さな異変は――本人たちの気分と勘によって、勇者と剣聖が首を突っ込む案件へと変貌しようとしていた。

 




次回から新章ですー
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