アビドスイレブン!   作:気弱

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それぞれの覚悟

賑やかなスタジアムの喧騒が遠い幻聴のように霞む、夜の帳に沈んだ廃墟の一角。

 

かつては学園都市の繁栄を支えたであろう地下施設は、今や鉄錆の悪臭と、骨の髄まで凍てつかせるような死の冷気だけが支配する墓標と化していた。

 

その静寂を乱し、小鳥遊ホシノは一人、迷いのない足取りで深淵へと歩を進めていた

 

使い込まれた手袋に包まれた拳は固く握りしめられ、その瞳には、昼行灯を装ういつもの穏やかな光など微塵も残っていない。

 

そこにあるのは、大切な居場所を脅かす者への、剥き出しの敵意と冷徹な殺意だけだった

 

(バァン!!)

 

鼓膜を震わせる轟音。乱暴に蹴開けられた重厚な鉄扉がコンクリートの壁に激突し、火花を散らして静寂を無残に切り裂く

 

「……何の真似ですか、小鳥遊ホシノ。礼儀を知らない客人は嫌いではありませんが、少々ばかり、歓迎の準備が整っておりませんよ」

 

暗がりの奥、無数のモニターが発する不気味な青白い光に縁取られ、スーツ姿の怪人――黒服が、椅子に深く腰掛けたまま抑揚のない声を上げた

 

ホシノは言葉を返すことさえ拒絶した。刹那、爆発的な踏み込みが床の埃を舞い上げ、重力を無視したような速度で間合いを詰める。

 

黒服が反応するよりも速く、ホシノの細い腕がその胸ぐらを力任せに掴み上げた

 

凄まじい衝撃と共に、黒服の身体が背後の壁へと叩きつけられる。

崩れ落ちるコンクリートの破片が乾いた音を立てる中、ホシノは逃げ場を塞ぐように至近距離でその「無機質な貌」を射抜いた

 

「……シロコちゃんに、何をした」

 

地を這うような、低く、冷たい声。普段の彼女からは想像もつかないその響きは、怒りの臨界点を超え、静かに燃え上がる憎悪の証明だった。

 

掴み上げた拳には、黒服のスーツが悲鳴を上げるほどの力が込められていた

 

「彼女に接触し、その精神を揺さぶったのはお前らゲマトリアだろう。……『アヌビス』なんて呪いのような名前、あの子に吹き込んで死の淵を覗かせたのは、どこのどいつだ?」

 

ホシノの声は、もはや怒りを超えて極低温の殺意へと変質していた。

 

掴んだ胸ぐらから伝わる黒服の不規則な鼓動さえも、彼女にとっては不快な雑音でしかない。至近距離で対峙するホシノの瞳は、暗闇の中で獣のような鋭い光を放ち、その圧倒的な威圧感は周囲の空間そのものを物理的に歪めているかのようだった

 

「くくっ……随分と物騒な挨拶ですね。ですが、心外です。我々は今回、彼女に対しては一切の干渉を行っていません。……我々の関心の中心はあくまで『貴女』だ。最高傑作である貴女の『神秘』、その変遷を観測すること。それ以外に興味を割くほど、我々は暇ではありませんから」

 

黒服は首を絞められ、肺の空気を奪われながらも、怯む様子など微塵も見せなかった。むしろ、その窮地を愉しむかのように、無機質な貌の奥で飄々とした愉悦さえ滲ませている。

 

ホシノはその表情に、底の知れない悪意の深淵を見た。射殺さんばかりの視線で数秒間睨みつけ、答えを絞り出そうとしたホシノだったが、相手に情報を開示する意思がないことを悟り、チッと忌々しげに舌打ちをして、突き放すようにその手を離した

 

壁に背を預けたまま、黒服は力なくずり落ちることなく、優雅な所作で乱れたネクタイを整え始める

 

「……お前らじゃないと言うなら、一体誰があの子を唆した。答えなよ、黒服。お前たちが関与していないとしても、このキヴォトスで何が起きているか、お前が知らないはずがないだろう?」

 

「……『思い当たる節がない』とは言いませんよ。我々以外の、しかし我々と同じ地平を歩む者たちの影……」

 

黒服は指先で襟元を正しながら、暗闇の中で赤い目を不気味に発光させた。

 

その視線はホルスの名を持つ少女を通り越し、さらに深い闇の奥を見据えている

 

(……十中八九、あの矮小な『地下生活者』が、自身のキャンペーンを有利に進めるべく駒を動かしたのでしょう。ふふ、ですがその事実を、今ここで貴女に伝える必要はない。貴女が抱くべきは、外部への怒りではなく、己の無力さへの焦燥であるべきですから……)

 

黒服が心の中で冷徹な計算と残酷な愉悦を巡らせた、その刹那だった。

 

虚空から染み出すような、粘り気のある声が部屋の空気を震わせる

 

『――黒服よ。小生のキャンペーンを完遂させるためにも、その「ホルス」にあれを渡すのだ。予定調和な物語など、誰も望んではいないのだ』

 

直接脳髄を冷たい針で弄られるような、生理的な嫌悪感を伴う不快な声。

 

地下深くに潜む「地下生活者」の独り言にも似た命令が、黒服の意識の深層へと直接響き渡る。その卑俗で粘り気のある言葉の残滓に、黒服は微かに眉を動かした

 

ホシノは変わらず、殺気を含んだ鋭い眼光で黒服を射貫いている。返答を急かすような沈黙が、重苦しい圧力となって部屋を満たしていく。

 

黒服はその視線を真っ向から受け止め、数秒の間、思考の天秤を揺らした

 

(……癪ですね。あの矮小な男の指図を受けるのは。ですが、これもまた一つの『変数』。私個人としても、この極限の状況下で、彼女という最高の神秘が異質の力とどう共鳴するのか……試したい代物ではあります。ふふ、絶好の機会かもしれませんね。)

 

黒服は芝居がかった動作で小さく溜息をつくと、重厚なデスクの引き出しに手をかけた。鍵が外れる硬質な音と共に、彼は奥から一つ、奇妙な物体を取り出す

 

それは、透明な殻の中にどす黒い霧が渦巻く、不気味な輝きを放つカプセルだった。

 

黒服はそれを無造作に、しかし恭しくホシノの眼前に差し出す

 

「これを持っていきなさい。……『化身カプセル』というものです。この中には、失われた時代、戦場を蹂躙したとされる強力な化身のオーラが、高純度で封じ込められている」

 

黒服から手渡された、不気味に拍動する「化身カプセル」

それがアビドスの命運を根底から覆す、呪われた希望の種であることを、まだ誰も知らない

 

翌日。天を衝くような太陽が砂漠のすべてを焼き尽くそうとする、酷熱の午後

 

シロコは一人、地平線まで続く黄金の砂丘を走り続けていた

 

かつての彼女なら、強くなるためにただ闇雲に自分を追い込み、孤独な戦場を駆け抜けていただろう。

 

しかし、先の試合で便利屋68や仲間たちと魂をぶつけ合い、勝利を掴み取った経験は、彼女の心に決定的な変化をもたらしていた

 

「一人で戦う必要はない」――。その言葉は、もはや理屈ではなく確信として彼女の中に根付いている

 

けれど、仲間を信じることと、自分が強くあることは矛盾しない。大切な居場所を守るため。そして、迷っていた自分を正しい場所へと引き戻してくれた皆の想いに、最高の結果で応えるため。彼女は一歩でも、一秒でも速く、その脚を前に進める

 

過剰な体力を必要とする無茶な特訓ではなく、自らの基礎を徹底的に磨き上げる地道な走り込み。

 

それこそが、不器用なシロコなりの、仲間に対する最大限の誠実さの示し方だった

 

(ザッ、ザッ……)

 

熱を帯びた砂を蹴る音が、静寂の中に等間隔で刻まれる。心肺が悲鳴を上げ、筋肉が熱を帯びる感覚。それが心地よくすらあった

 

「ん……今日は、これくらいかな」

 

シロコは足を止めると、額から滴る汗をタオルで拭い、肺いっぱいに熱い空気を吸い込んで呼吸を整えた

 

ふと視線を上げ、辺りを見渡す。そこには、かつて学園都市として栄華を極めたであろう廃墟群が、ことごとく砂の海に呑み込まれた死の世界が広がっていた。生命の気配すら感じさせない静寂。熱波に歪む大気

 

だが、その静まり返った景色の果て

 

立ち昇る陽炎の向こう側に、違和感のように揺らめく「黒いフード」を纏った何者かの姿が、シロコの瞳に映った

 

微動だにせず、ただそこに佇む異様な影。その存在は、この灼熱の砂漠にあって、そこだけが空間の体温を奪っているかのような異質な冷たさを放っていた。

 

シロコは拭っていたタオルを強く握りしめ、青い瞳に警戒の色を宿して、陽炎の向こう側に立つその影をじっと見据えた

 

「……こんな所に、誰かいるの?」

 

不自然なまでに輪郭のくっきりとしたその影に、シロコは怪訝そうに首を傾げた。照りつける太陽の熱気で視界が歪むなか、その黒いフードの人物は、陽炎の向こう側から手招きをしていた。

 

まるでシロコがここへ来るのを、ずっと以前から予期していたかのような、静かで、確信に満ちた動きだった

 

シロコは腰の銃の感触を無意識に確かめ、警戒心を最大限に引き上げながら、一歩、また一歩と熱砂を踏みしめて距離を詰めていく。その人物は微動だにせず、ただそこに佇んでいた。

 

フードの奥の素顔は深い闇に覆われて伺うことはできない。ようやくその異様な人物の数メートル手前まで辿り着いたとき、死神の吐息のように低く、掠れた声がシロコの鼓膜を震わせた

 

「……この建物の中、見て」

 

その声には感情の起伏がなく、ただ事実だけを告げるような奇妙な響きがあった

 

「あなたはだ……」

 

「誰?」と、その正体を問いただそうとした瞬間だった

 

唐突に、大気が悲鳴を上げた。先ほどまでの静寂が嘘のように、背後から暴力的な突風が吹き荒れる。

 

巻き上がった砂塵が巨大な壁となって押し寄せ、視界のすべてを黄土色に塗りつぶした。シロコは咄嗟に腕を交差させて顔を覆い、荒れ狂う砂嵐に足元を掬われまいと踏ん張る

 

「……っ!」

 

数秒後、風が凪ぎ、不自然なほどの静寂が再び砂漠を包み込んだ

 

シロコがゆっくりと腕を下げて目を開けると、そこにはもう、黒いフードの人物の姿はどこにもなかった

 

足跡一つ残さず、まるで最初から存在しなかった幻覚であったかのように、影は消え去っていた

 

しかし、その場に残された変化は、それが幻ではないことを物語っていた

 

激しい風が砂を払いのけたことで、半ば砂丘に埋もれて忘れ去られていた古いコンクリート建物の入口が、ぽっかりと口を開けるように剥き出しになっていたのだ

 

何かに導かれるように、シロコはその暗い入口へと足を踏み入れた

 

外の灼熱が嘘のように、室内はひんやりとした冷気に満ちている。

 

埃っぽく、しかしどこか懐かしい古い紙の匂い。暗闇に目が慣れてくると、室内の一角、崩れかけた机の上に石で重石をされた、古びた紙切れがシロコの目に飛び込んできた

 

「なんでこんな所に……ノートの切れ端? それに……なんか変なマーク。バナナに……鳥?」

 

拾い上げたその紙の隅には、子供が描いたような、けれどどこか愛嬌のある奇妙な落書きがあった。

 

シロコはその破れた紙を指先でなぞり、そこに記された文字に視線を落とした

 

シロコが震える指先で拾い上げたその紙には、長い年月の経過を感じさせる色褪せた文字が、陽だまりのような温かさを湛えて躍っていた。一文字一文字、丁寧に、そして何より書いている本人が心から楽しんでいることが伝わってくるような、弾むような筆跡

 

読み進めるうちに、シロコの青い瞳は驚愕に見開かれ、呼吸をすることさえ忘れたかのように固まった

 

『今日、初めてホシノちゃんからゴールを奪ったの! 忘れちゃう前に、ちゃんとメモしておかないとね』

 

そこには、重心のわずかな移動、筋肉の弛緩と緊張、そして視界の誘導に至るまで、具体的な身体操作のプロセスが克明に記されていた。

 

それは間違いなく、かつてアビドスに存在したもう一人の生徒、梔子ユメの日記の一部。失われたはずの時間が、シロコの指先を通じて熱を帯びて蘇る

 

「これ……ホシノ先輩の……先輩のノート……? なんでこんな所に……裏面に、まだ続きがある」

 

震える手で紙を裏返すと、そこにはさらに遠い未来を見据えたような、奔放で力強い筆跡が続いていた

 

『それから、凄い必殺技のイメージも浮かんじゃった! ホシノちゃんに後輩ができたら……いつか教えるんだ! この技は三人の息がピッタリ合わないとダメだし……出来るかなぁ?』

 

その下には、未だ目にしたこともない必殺技の名称と、それを成立させるためのあまりに独創的な戦術理論が書き殴られていた。

 

それは、アビドスの地形と特性を知り尽くした者でなければ辿り着けない、一つの「到達点」のように見えた

 

「……ん。さっきの怪しいフードの人物……そして、このタイミングで足元に現れたユメ先輩のメモの切れ端。あまりにも符合しすぎている。……怪しすぎる」

 

何者かが意図的に自分をこの場所へ誘い出したのか、あるいは何らかの悪意に基づいた試練なのか。

 

シロコの冷徹な理性が、かつてないほど激しく警鐘を鳴らす

 

これが偽造されたものである可能性や、自分たちを窮地に追い込むための罠である可能性を、彼女の生存本能は否定しきれない

 

「……でも。この殴り書きされた文字からは不思議と……陽だまりの中にいるような、温かくて安心する感じがする」

 

シロコは自嘲気味に呟くと、わずかに口角を上げた

 

たとえこれが、誰かが仕組んだ極めて精巧な罠だとしても構わない。もしこの言葉の中に、かつての先輩が愛したアビドスの空の下で育んだ「未来への祈り」が宿っているのだとしたら

 

それを形にし、証明することこそが、今この場所に立つ後輩としての責務だ

 

シロコは傍らに置いていたバッグから、表面の剥げかかった、使い古されたサッカーボールを取り出す

 

静かに、深く瞼を閉じ、網膜に焼き付けたノートの残像を自身の筋肉の一つ一つにトレースしていく

 

同じ頃、アビドス対策委員会の部室

 

窓の外に広がる夜の静寂とは対照的に、室内を支配するのは、重く沈殿した停滞感だった

 

先生は一人、古びたソファに深く腰を沈め、天井の染みを見つめたまま懊悩に耽っていた

 

ここまで勝ち進んでこれたのは、紛れもなくシロコたちの泥臭い努力と、積み重ねてきた絆の賜物だ

 

それに引き換え、自分はどうだったか。生徒たちの未来を預かる立場でありながら、肝心な局面で彼女たちの痛みに触れ、救うことができたのか

 

脳裏をよぎるのは、砂塵の中でシロコが闇に呑まれ、その瞳から理性が消え失せた瞬間の光景

 

暴走の予兆に気づきながら、自分はただ、絶望的な距離感を抱えたまま立ち尽くし、彼女の背中を見守ることしかできなかった。その無力感が、鋭い刺のように胸の奥を抉り続けている

 

「……私は、本当に彼女たちの力になれているんだろうか」

 

自嘲気味な独り言は、誰に届くこともなく空気の中に溶けて消える

 

先生は震える指先で、デスクに置かれた「シッテムの箱」を手に取った

 

重苦しい思考の渦を断ち切るようにメインパネルを起動し、暗い部室を青白い透過光が照らし出す

 

「アロナ、シロコが暴走しかけた時のエネルギー波形……解析は進んだかい?」

 

呼びかけに応じ、画面の中に現れたアロナは、いつもの快活さを影に潜め、申し訳なさそうに眉を下げた

 

「うーん……あまり進んではいないですね……。ごめんなさい、先生。あの時の波形、これまでのキヴォトスのどのデータとも照合できない、異質な周波数が混ざっていて……」

 

アロナの言葉は、現状の不透明さをより一層際立たせる

 

解き明かせない謎と、救えなかった過去

 

先生は苦悶を隠すように顔を覆い、青い光に照らされたまま、長く、重い溜息を吐き出した

 

「あっ、でも……先生! 過去に『化身』が原因で未曾有の暴走が起きたという、古い記録なら見つけましたよ!」

 

アロナがパッと顔を上げると、シッテムの箱から青白い光の束が溢れ出し、先生の端末へと膨大なアーカイブが転送される。

 

そこには、数十年前のキヴォトスで起きたとされる、忌まわしき変異の記録が綴られていた

 

自身の器に見合わない強大な、あるいは歪んだ属性を持つ化身を無理やり付与され、精神の境界線を決壊させて暴走に至った犠牲者たちの断末魔

 

文字の羅列からさえ、当時の絶望が滲み出ている

 

「……こんな凄惨な事件が、歴史の裏側に埋もれていたのか。だが、アロナ。自分に合わない化身なんて、そう簡単に発現するものなのかい?」

 

先生の純粋な、そして切実な疑問。本来、化身とはその者の魂の写し鏡であり、自己の延長線上にあるはずのものだ

 

アロナは悲しげに、小さく首を振る

 

「はい。必殺技と同じで、基本的には自分の精神性や素養に近い化身しか宿ることはありません。適合しない力は、本来なら拒絶反応を起こして霧散してしまうはずなんです。でも……この記録によると、過去には本来の適性を完全に無視し、神性や神秘の定義を強制的に書き換えることで、自由に化身や必殺技を上書きできる『禁忌の装置』が存在したみたいです。今はもう失われ、概念すら消えかけている技術のようですが……」

 

「なるほど……。もし今回、シロコの身に起きた異変も、外部からの悪意によって何らかの『定義書き換え』を仕込まれていたのだとしたら……ただ見守るだけじゃ済まない。明確な対抗策が必要になるな」

 

先生が指先で顎をさすり、解決の糸口を求めて深く思考の海へ沈み込んだその時

 

待ってましたと言わんばかりに、アロナがぱぁっと表情を輝かせ、自信満々に胸を張った

 

「ふふふー! 高性能なアロナちゃんが、そのあたりを調べていないわけないじゃないですか! 先生、私を誰だと思っているんですか?」

 

アロナは自信たっぷりに胸を張り、画面上に不気味な紫色に輝く、一枚の古びたコインの画像を表示させた

 

その表面には、何層にも重なる幾何学的な紋様が刻まれ、静止画であるはずなのに、時折どろりとした闇が脈動しているように見える

 

「『化身コイン』。かつてキヴォトスの禁忌とされた時代に存在した、負のエネルギーを凝縮した媒体です。これには、暴走し制御不能に陥った化身を、強制的にその内側へ引きずり込み、封じ込める力があったそうですよ」

 

「その化身コインは、今どこにあるんだい? どうすれば手に入る?」

 

先生が身を乗り出して問いかけると、アロナは少しだけ声を潜め、秘密を共有するような面持ちで画面に近づいた

 

「実は、現存する個体は極めて稀で、入手は不可能に近いと言われているのですが……。一枚だけなら、確かな心当たりがあります! 以前、連邦生徒会から引き継いだシャーレの内部データを再構築していた際、地下にある『開かずの金庫』の最奥に、一点だけ特異遺物として保管されているという極秘記録を見つけたんです」

 

「え? そんな危険そうなものが、私たちの足元に……?」

 

驚愕に目を見開く先生を余所に、アロナは淡々と、しかし確信に満ちた口調で解説を続ける

 

「今のシロコさんの状態なら、一枚あれば十分です! 使い方は至ってシンプルですが、それだけに過酷です。まずは対象である使い手の体力を限界まで削り、抵抗力を奪うのが絶対条件。その弱った瞬間に、このコインを化身の核へと直接叩き込めば、強制的に分離・封印できる……理論上は、ですが」

 

その説明を聞いた先生の脳裏に、ふと、弱らせた野生の黄色い電気ネズミを捕獲するための赤と白のボールが思い浮かんだ

 

不謹慎な連想に、先生は慌てて首を振ってそのイメージを霧散させる

 

「ありがとう、アロナ。君がいなければ、私はまた立ち尽くすことしかできなかった。本当に助かったよ」

 

先生が労いを込めてアロナの頭を優しく撫でると、彼女は「えへへ」と、それまでの真剣な表情をどこかへ追いやり、嬉しそうに目を細めて笑った

 

タブレットの電源を落とし、暗い部室を後にする。先生の足取りは、先ほどまでの重苦しい懊悩を振り払ったかのように力強い

 

急ぎ足でシャーレへと向かう道すがら、夜風に吹かれながら決意を固める。もし、決勝戦の舞台で不測の事態が起き、再びあの闇がシロコを、あるいは他の生徒たちを飲み込もうとしたとしても

 

今度こそ、自分はこの手で彼女たちの未来を繋ぎ止めてみせる

 

スタジアムを埋め尽くした数万人の観客が放つ熱気は、物理的な質量を伴って大気を震わせ、最高潮に達していた

 

キヴォトスの頂点を決める、FF予選決勝戦。夜空を焦がすほどのカクテル光線がピッチを白く焼き、静寂を切り裂くように実況席からシノンの鋭く通る声がスピーカーを通じて響き渡る

 

「さあ、お待たせいたしました! ついにやってきた運命の決勝戦! ここゲヘナ学園特設スタジアムにて、奇跡の快進撃を続ける『アビドス対策委員会』と、圧倒的な実力で君臨する絶対王者『ゲヘナ風紀委員会』の激突です! ルールはシンプル、先に3点を奪ったチームの勝利! キヴォトスの歴史に刻まれる伝説の目撃者は、今この場所にいる君たちだッ!!」

 

地鳴りのような鳴り止まない大歓声。その中央、完全に整備された芝の上で、両校のイレブンが静かにピッチへと整列した

 

最前列で向かい合うのは、アビドスの「盾」として仲間を守り抜いてきた小鳥遊ホシノと、ゲヘナの「光」として秩序を体現する空崎ヒナ

 

ホシノはいつものように眠たげな半眼を浮かべながらも、その奥に宿る瞳の光は、かつての戦場で見せた鋭さを隠しきれていない。対するヒナは、風に流れる紫の長髪をなびかせ、一切の妥協を許さない峻烈な意志をその小さな背中に背負っていた

 

視線が交差した瞬間、スタジアムの喧騒が遠のくほどの緊張感が走る

 

「……やっとここまで来たわね、対策委員会。貴女たちとこうして、本当の意味で全力でぶつかり合える日を、心のどこかでずっと待っていたわ」

 

ヒナの瞳には、風紀委員長としての冷徹なまでの集中力と、強敵を前にした隠しきれない僅かな昂りが宿っていた。その重圧を真正面から受け止め、ホシノはいつもの飄々とした、どこか掴みどころのない笑みを浮かべる。だが、差し出された手と手が重なった瞬間、互いの指先から伝わる熱量は、言葉以上の決意を雄弁に物語っていた

 

「うへ~、ヒナちゃんは相変わらず真面目だねえ。おじさん、あんまりいじめないでほしいんだけど……。でも、今日だけは譲れないんだ。今の私たちが積み上げてきたアビドスの『今』、存分に見せてあげるよ」

 

握り合った手の感触。ホシノの脳裏を一瞬、懐に忍ばせたあの禍々しいカプセルの冷たい質感がかすめる。しかし、彼女は即座にその雑念を意識の深淵へと叩き落とした。今はただ、目の前に立つ宿命のライバル、空崎ヒナという一人の少女へと全神経を研ぎ澄ます

 

審判が白手袋をはめた手でコインを高く弾く。静まり返ったスタジアムに、鈍い金属音だけが反響した。芝生に落ち、運命を告げた表裏は、アビドスの先攻を示していた

 

「ん…… いくよ、みんな!」

 

シロコの鋭く、透き通った声がピッチに響き渡り、アビドスイレブンの士気を一気に限界突破させる。その瞳には、昨夜砂漠で一人、ユメの遺した「イメージ」と格闘し続けた野性が宿っていた

 

センターサークル。アヤネが丁寧にボールをセットする。眼鏡の奥で冷静にフィールド全域の配置をスキャンし、開始のホイッスルが空気を切り裂くと同時に、最前線へと矢のように駆け出すシロコの足元へ、寸分違わぬ正確無比なパスを送り出した

 

「キックオフ!! 先制の主導権を握ったのはアビドス! 運命の歯車が、今激しく回りだしたぁぁ!!」

 

シノンの絶叫に近い実況がスピーカーを震わせ、観客席からは地鳴りのような歓声が沸き起こる。キヴォトス最強の称号を懸けた、あまりに激しく、あまりに美しい戦いの火蓋が、ついに切って落とされた




お久しぶりです。ちょっと内容が難しくなって放置していたのですが…幻想イレブンが復活すると聞いてやる気が出ました!!

次回は怪しい雰囲気のまま、ゲヘナ戦になります!!よかったら呼んでもらえると嬉しいです!
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