夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について 作:矢上鉋
昨日の配信がネットニュースになっていると姉さんから教えてもらった。
視聴者数は多いときで5万人を越えていたそうだ。それだけの人が見てくれたとしても、今の僕にとっては
朱鷺ノ宮さんは聴いてくれただろうか。アーカイブは『公開停止』になっている。運営から消されたんじゃない。きっと朱鷺ノ宮さんだ。このチャンネルは僕と彼女の2人で管理していたんだから。
なら知ってくれているはずだ。ただ、どう感じてくれたのかまでは分からない。
「悠くん、今日も行くの?」
「うん、絶対に聴いてほしいから」
あれからも返事は返ってきていない。それでも構わない。僕はもう居なくならないって朱鷺ノ宮さんに伝わるまで弾き続けると決めた。
姉さんに出掛けることを告げて家を出る。目的地はもちろんあのストリートピアノだ。
「……うわ、すごい人混み」
ストリートピアノのある区画に着くと、昨日とは比べ物にならない人混みで溢れかえっていた。
「すみません。インタビューいいですか? 昨日の夜、ここで突然『My etude』の配信が行われたんですが、貴方はご覧になりましたか?」
「え……あ、すみません。見てないです」
急に話しかけられて心臓が跳ねた。咄嗟に答えると、当てが外れたという様子で僕から離れていく。マイクを持った何かの撮影クルーの集団。この辺りの人に手当たり次第インタビューしているみたいだ。
見てないのは嘘じゃない。だって僕が弾いて配信していたんだから。そんな屁理屈で心を落ち着かせる。
これマズい状況だよな。こんな状態で配信したらどうなるかなんて誰でも分かる。だけど、朱鷺ノ宮さんに届けるためなら躊躇ってられない。
僕は覚悟を決めて、人混みを掻き分けて前に進もうと、一歩踏み出した。
「身バレしちゃいますよ」
「え、朱鷺ノ宮さん?」
手を引かれて、慌てて振り返る。
伊達メガネに大きなマスク、大きな帽子を深めに被っているけど、すぐに朱鷺ノ宮さんだって気が付いた。
「静かに、そっと着いてきてください」
「う、うん」
そのまま黙って手を引かれて駅ビルの外へ、会話もないままあの時と同じ公園まで引っ張られていった。
「……はあ、馬鹿なんですか悠貴くんは、あんな状況でまた配信なんてしたら大変なことになっていましたよ」
「ご、ごめん」
ここなら大丈夫だと思ったのか、朱鷺ノ宮さんは伊達メガネとマスクを外して、呆れたように声を発した。
「昨日の今日でまさかとは思いましたが……本当に来るなんて」
「あのアーカイブ、公開停止にしたのは朱鷺ノ宮さん?」
「ええ、私が公開停止にしました」
「どうして? いや、配信の演奏……聴いてくれた?」
それだけが不安だった。聴かずにアーカイブを公開停止にすることだって可能だ。
もし聴いてもらえてなかったら、そう思うと不安になる。
また一緒に音楽がしたい。自分から突き放しておいて、都合の良いことを言っているのは自覚があった。
「『Shizuruへ』……悠貴くんが付けたタイトルですよね?」
「うん、そうだけど」
「なら……私に向けたものなんですから、独占しても構わないですよね?」
その言葉に目を見開いてしまう。聴いたって言ってくれているのと一緒だ。
届いていた。あの音は、想いが朱鷺ノ宮さんに届いていたんだ。
「聴かせてもらいました。悠貴くんの音、私だけに向けられた音色を」
「……どう、だった?」
「変わってしまいましたね。以前はもっと優雅で、繊細で、いつまでも浸っていたい音だったのに……」
暗に僕の音が駄目だったと、積み上げたものが届かなかったと言われている。
そう思って息が止まりそうだった。もう、以前のようには戻れない。そう朱鷺ノ宮さんから突き付けられたような恐ろしさが全身を覆った。
だけど、朱鷺ノ宮さんはさらに言葉を続けた。
「でも、あの演奏は私の心臓を鷲掴みにしたんです。呼吸するのも忘れて魅入ってしまうほどに……胸が熱くなって、もう浸ってなんかいられなかった。そんな衝動があの音にはありました」
「……届いたかな」
今にも泣き出しそうな表情で、朱鷺ノ宮さんは言葉を続けた。
「あんなもの聴かされたら、届かないわけないじゃないですか」
「良かった。届いたんだ……僕の音が」
「……もう、止めるなんて言わないですよね?」
目尻に涙を浮かべて、朱鷺ノ宮さんはそう言った。
もういなくならない。ずっと向き合い続ける。そう想いを込めた音は確かに届いていた。
「もう止めない。ずっと向き合い続ける。そう決めたから」
「よかった。悠貴くんが戻ってきてくれて、私、わたし……っ」
「あの時はごめん。もう逃げないから」
「……っ、絶対、絶対ですよ。もう、嫌ですからね」
胸に飛び込んできた朱鷺ノ宮さんを抱きとめる。
手を肩に添えると、震えているのが伝わってくる。
「約束する。今度こそ最後まで付き合うって」
「悠貴くん……っ、ゆうき、くん」
「朱鷺ノ宮さん、ごめんね。本当にごめん」
肩に埋められた頭をそのままにして、朱鷺ノ宮さんの涙を受け止める。
必死に抑えようとする泣き声も、この距離だとはっきりと聞こえてしまう。その声を聞く度に心が針を突き立てられるように痛んだ。
これくらい当然の報いだろ。僕はそのまま朱鷺ノ宮さんが泣き止むまで、ただ彼女の慟哭を受け続けた。
どれくらいそうしていただろう。ようやく泣き止んだ朱鷺ノ宮さんと一緒に近くのベンチへ移動する。まだまだ話したいことはたくさんあった。
そう思っていたからいいんだけど、朱鷺ノ宮さんの距離がやばい。
「あの、近すぎると思うんだけど」
「今日だけは悠貴くんに文句を言う権利はないと思うんです。あのコンサートのあと、私がどれだけ不安だったか分かりますか?」
「それは本当に申し訳ないと思ってる。だけど、これは……」
「うふふ、申し訳ないと思っているならもう少しこのままで、ね?」
「……はい」
がっちりと腕をホールドするように抱かれ、肩には頭を乗せてもたれ掛かっている。
なんとか離れてもらおうとしたけど、あの時のことを言われると今の僕にはどうしようもなかった。
「うふふ」
「……楽しいの?」
「ええ、とっても」
朱鷺ノ宮さんはめちゃくちゃ上機嫌だけど、さっきから通りがかる人の視線が痛い。
さっきから僕の手をホールドして、俗に言う恋人つなぎまでしている。そうやって感触を確かめるように柔らかい力が伝わってくる。
だけどその手が微かに震えているような気がした。これまで感じていた不安を、こうやって埋めているのかもしれない。
「『My etude』も一緒に続けましょうね。私たちのコラボもですよ」
「コラボも?」
「もちろんです。定期的にしましょう。私たちのコラボ、とても好評だったんですよ。反響があり過ぎたくらいだってお母様が笑っていました」
「あ、あはは……ありすぎてか」
その反響の内容は聞かないほうが良さそうだ。
それからたくさん話をした。コンサートのこと、チャンネルのこと、それが終わったら他愛のないことも話した。
これまでの時間を取り戻すように、互いに話題が尽きなくて、全然話は終わらなかった。
辺りはすっかり暗くなり、街灯の光が僕らを照らしている。そろそろ帰らなくちゃ、名残惜しいけど朱鷺ノ宮さんに手を離してもらわないと。
「悠、こんなとこにいた!」
「……
「やっと見つけた。もう、連絡付かないし心配したんだよ。ほら、帰ろ悠。えっ、そっちの子って……」
急に千聖さんが現れて、そう捲し立てた。
足早にこっちに近づき、急に立ち止まってしまった。
千聖さんが驚いたように固まっている。どうしたのか気になって立ち上がろうとすると、腕をぎゅっと強い力で引き止められた。
「まだそれほど遅い時間ではないと思いますけど、
「……
なんか周囲の空気が急激に冷えたような気がした。
「ふーん、仲直りできたんだ」
「ええ、おかげさまで」
「……あの、2人とも?」
喧嘩している訳じゃないけど、嫌な緊張感がある。
2人とも笑顔だけど、目だけが笑っていなかった。
「っていうか本当に帰らないと! 優里香待たせてるんだからね」
「姉さん? なんで姉さんが?」
「やっぱり忘れてる。悠、今日は優里香の誕生日でしょ!」
「……あ」
朱鷺ノ宮さんに届けようと配信することしか考えてなかった。
今日は1月7日、姉さんの誕生日だ。クリスマスのパーティーが一緒にできなかった分、誕生日はちゃんと祝ってあげたい。
「悠貴くんのお姉さん、お誕生日なんですか?」
「……うん、配信のことばっかり考えてて忘れてた」
「そうだったんですか。うふふ、それはお姉さんを怒らせてしまうかもしれませんね」
姉さんは怒らないだろうけど、きっと悲しませてしまう。
流石にそれは避けたい。
「帰ろう悠、ほらあんたも送っていってあげるから、一緒に行くよ」
「……私も、ですか?」
「もう暗いんだから、ここに1人置いていけないでしょ。いつまでも引っ付いてないで、ほら早く!」
千聖さんが僕の空いている手を引っ張る。慌てて立ち上がると腕に抱き着いた朱鷺ノ宮さんもつられて立ち上がる。そのまま千聖さんに手を引かれるのに合わせて公園の外に向かう。
僕の手が千聖さんに引かれて、朱鷺ノ宮さんが隣を歩いている。
「今、悠貴くん笑いました?」
「なに、何か面白いことでもあった?」
「いや、なんでもないよ」
まるでこれまでの僕たちの関係を表すようだって思ったのは内緒にしておこう。
これからも音楽を紡いでいく。そう心に誓う。
いつか、この3人でも一緒に演奏できるといいな。そんな未来を思い描く。
きっと実現できる。僕たちは、これからも音楽を続けていくんだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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