灰かぶりの貴種流離譚 作:虹博
第一話 [灰かぶりの少年と、祈る少女]
ある住宅街のある小さな一軒家、二階建てに小さな庭が少しだけ裕福な家のリビング。周りの暗さに反して温かな光を漏れさせる食卓では、いつもの、幸せだと自覚ができないほど、日常で優しい小さな世界が広がっていた。
登場するのはたった四人、一人は大人の女性、リビングを見渡せる位置に座しているキッチンでコトコトっと、鍋で煮込まれている真っ白なシチューを、手にあるお玉で、焦げ付かないようにかき混ぜていた。大きくもなく、だからといって存在感がないわけではないジャガイモと人参、そして、ごろりっと入った鶏肉、等間隔に切られたそれらは女性の練度を示すかのように、ちょうどよくシチューに溶けては、溶けきらずにいた。女性は自身の作ったシチューを一杯、小皿に移し、試飲する。よしっと小さく自身の腕に満足して、リビングのほうに顔を向き直しては、そこでスマホを触っていた男性に声をかける。
手伝わないと、飯はないからね。脅しによる軽口、わかりましたよっという了承の言葉と共に、女性に対して女王陛下っと、語る男性の口には微笑みがあった。男性はお皿をキッチンの棚から出して女性へと渡す。中に注がれていくシチューを横目に男性はパンを取り出し、それを赤、青、白、黒の彩りなお皿へと乗せて、シチューと共にリビングにある食卓へと運んでいく。
もうできるから手を洗いなさいっと女王陛下の号令と共にリビングでテレビを見ていた小学四年生程の少女と、ゲームを遊んでいた中学生ほどの少年はバタバタっと、洗面台へと向かうため、リビングを飛び出していく。
走らないのという女王陛下のお りにごめんという声が、リビングの外から響いた。もーっと、わざとらしく呆れる女王陛下に男性はしょうがないよっと乾いた笑いを見せていた。
スプーンを棚から取り出し、食卓へと運んでいた男性はつけっぱなしのテレビに気が付いた。そこでは少女が見ていた国民的なアニメが終わり、アナウンサーによるニュース番組が流れていた。
────境界災害による土壌汚染に関して解決へと向かうための閣議決定を……。
男性はスプーンを人数分食卓に置いた後、テレビの電源を切る。ちょうど、そのタイミングで子供達は手を洗い終え、食卓の椅子へと座っていた。男性も、リモコンを壁に立てかけてある入れ物に入れた後、食卓の椅子へと向かい、座った。
いただきます。そんな声がリビングで響いただろう。同じ屋根の下に集う家族の日常。誰もが憧れ、誰もが望む、いつもの変わらない日常。
────それは当たり前じゃない
────それはとても弱くて脆い
最初にシチューに口をつけたのは少年。おいしいな、なんて、思う間もなく、テレビがひとりでに電源をつけ、その冒涜的で理解ができない映像でこの世界を黒く汚す。
どんな映像だったか、そんなのは覚えていない。だが、確実に言えることはその様子を真っ先に見た少女は自身の体を黒い炎で激しく燃やしていた。理科の授業で黒い炎を見せてもらったことがある、炎色反応というらしい。だが、それよりも、濃く、醜く、陰に見えた。少女の叫び声がリビングに響いた。次に女性の声が響いた。男性は自身が飲んでいたお茶を少女にかけた。だが、消える様子はない。母性からか、女性は泣きじゃくる少女を抱く。だが、治る様子はなく、炎はそのまま、女性へと伝播した。燃え盛る二人、お茶をかけるぐらいしかできず、それもうまくいかなかった男性は立ち尽くすしかなかった。痛い、痛いっと、男性に向かって助けを求める二人、逃げればよかったのだろう、だが、愛ゆえか、それともパニックだからか、男性は二人の手を振り払うことも、避けることもできなかった。炎は男性にも伝播する。力尽きたのか女性は男性へと触れた後、ぱたりと動かなくなり、男性も、そんな女性を見て動かなくなってしまった。唯一この場に残ったのは燃え続ける少女と、その光景を見て、一切の身動きが取れなかった少年である。
どうすればいいんだろう、少年は座っていただけだったというのに息を切らしながら、視線をシチュー以外に向けることはできなかった。
シチュー以外に、現実に対して視線を向ける、その決意ができたのは男性と女性が死に、騒がしさが多少軽減したからだろう。少年はかすかに希望にすがり、視線を上げる。だが、そこにあったのは少年が考えられる絶望よりも、さらにひどい地獄であった。
────お兄ちゃん、助けて
呪いの言葉を呟きながら、こちらに迫る少女。少年はその手が凶器に見えてしまった。ナイフをこちらに向けていると、無意識だった、防衛本能だった。たまたま、そこにお酒の瓶が置いてあった、それだけだった。少年はそれを握り、少女に振りかざす。何度も何度も何度も、一回目の振り上げで黒い炎は消えていた。少女も動かなくなっていた。だが、少年は目の前のそれさえ、消えてしまえばすべてよくなると言わんばかりに、ただただ殴り続けた。飛んできたガラスの破片で自身も切り裂かれているというのに、痛みを忘れ、ただ殴り続けていた。
それからしばらくして、少年が自身のほほの痛みを感じ、手を止めたころには少女の顔はガラスの鋭利にちぎられ、潰され、歯も肉も骨も、すべてがむき出しになっていた。
キュッと握られる心臓。全身に血がいきわたらない、真っ白に塗りつぶされる感覚が、ここの世界が現実ではないと少年に伝える。だが、少年はこれが現実であると、認識することができた。だが、だからといって、少年にできることはない。何もできなかった少年はただただ、逃げ出した。自身が持っていた割れた瓶を、まるでお前のせいだといわんばかりに投げ捨て、血に汚れ切った手も、顔も、足も、そのすべてを否定するように家から飛び出してしまった。
街中を走る、そこら中から聞こえる悲鳴の声、それらから耳を隠しながら、ただ走った。
でも、でもね、家から遠ざかる度にこう思うんだ。家に帰りたい、家に帰して、お母さんとお父さんに会いたい、妹に、ミカに会いたいって…………そうだろう、昔の僕。
意識を取り戻すとき、最初に感じるのは気だるさだ。誰かに無理矢理起こされたかのような、辛い感覚が体中を支配する。目を開けることも、息を吸うことも億劫なほどの辛さと共に血液が全身を駆け回る。起きないと、そんな使命感が無ければ起きられないほどの不快感を胸にゆっくりと目を開けた。
真っ白な天井、方眼用紙のように一定に正方形の点線が入った模様、意識はおぼろげで、霧のかかった視界に見えた風景は私にとって見慣れたものだった。
鉛でも仕込まれたのかといわんばかりに重い体は私の意志に反して、起き上がることを拒絶する。何とか支配下におけた首を回し、あたりを見渡せば、真っ先に目に入ったのはMRⅠによく似た機械だった。長い筒のような形状をしており、人間をすっぽり覆えるもの、私がここで寝ているということはアレで検査を受けたということだろうか。
そんな、考えことをしているうちに私の意識の霧は振り払われたようでゆっくりと、今の状況への記憶が蘇ってきた。私は元始体の動きを抑制、調査をしていたのだ。元始体、まだ、異界にてくすぶっている界異の卵……だったっけな。勉強の苦手な私にとって覚えているのはそれぐらいだ。
ふっと、息を吐き、力強く吸い上げると同時に上半身を起き上がらせる。ぐわんっと頭が揺られ、脳みそにかすかな痛みを感じるが、これも致し方ない犠牲である。決意を決め、ベットから降りて深呼吸をする。
「ルカ、お疲れ様。」
人類の偉大なる一歩を私が踏み出すと同時に、私を呼ぶ者がいた。聞きなれた、好きな人の声に私は急いでそちらを向く。
「メディコさん、お疲れ様です!」
先ほどまでの辛さが吹き飛んだかのように体が軽くなる。あぁ、メディコさんと会えるなんて今日はラッキーだ。いっそのこと抱き着いてやろうか。
「元気だね」
気が付けば私の視界は真っ暗に染まっていた。鼻には柔軟剤のいい匂い。体全体を包み込む温かい感覚、あぁ、私の体が勝手に飛び込んでしまった。そんな私に呆れたように、苦笑とともに呟くメディコさん。
柔軟剤もとい、メディコさんのにおいを十分摂取した後、顔を上げて、メディコさんに向き直る。何というか、今更なのだが、とても恥ずかしくなってきた。
ペストマスクに白衣を付けたメディコさん、表情もよくわからなければ体の動きもわからないため、今どう思っているのかよくわからない。
「とりあえず、行こうか、そんなに元気なら診断はいらないかもね」
コツっと、手に持っていた書類で私の頭をたたいた後、メディコさんは入ってきた扉から外へと出て行った。診断、月一でメディコさんと喋れる機会。
待ってください、私はそう発しながら扉から外の世界へと飛び出した。
メディコさんは人を待つのが苦手だ。私が待ってといっても気が付いたら数メートル先まで行ってしまう。病院の冷たい廊下でも私を待つことなく、先に階段から降りて行ってしまった。十何年も、生まれてからずっと住んでいる病院だから、追いつくことはできるが、待ってくれてもいいんじゃないかと、少し思っちゃう。
ようやく追いつき、メディコさんの隣へと陣取る。運動不足のせいで肺の出入りは私の体を痛めつけ、いばらのような痛みが肺から外へと広がる。ひーふーひーふー、歩きながらもなんとか息を整え、私よりも一回り、二回り大きなメディコさんを見上げる。
「あ、メディコさん、マスク変えました?」
さっきまではメディコさんと会ったのがうれしすぎて、細かいところまで目がいかなかったが、落ち着いて今ならわかる。メディコさんのマスクがいつもの黒ではなく白なのである。気分によって変えることはあるかもしれない。だが、私の中にあるメディコさん辞典では、ここ十数年、メディコさんが白のマスクをつけたことは一度もないし、お気に入りにしていたはずだ。
「変えたよ」
私がなぜという前にメディコさんは答える。
「怖がられるからね」
そうとだけ言ってメディコさんは話を止めた。
メディコさん、彼女は引っ張りだこだ。とてもすごい人っていうのは聞いてたし、聞いてなくてもわかる。私が想像できる以上のたくさんの人を救っているとナースさんから聞いたことがある。だけど、なんだろう、自分以外にも担当がいるという事実、しっていたけど、もやもやする。
「怖がった子ってどんな子なんですか?」
好奇心と対抗心…………私は感情を制御するのがとても下手だ。
「男の子でね、あなたと一緒の十一歳。そして気持ち悪い子」
「気持ちの悪い子?」
気持ちの悪い子、そうメディコさんが言ったことでうれしいと思ってしまった。最低だ、なんて自傷したのもつかの間、私の中にあったのはメディコさんが言う気持ちの悪いが一体どんなものなのかという、気になるという感情だ。でも聞いていいのだろうか。そんなことを思っていたら、自然と動きに出ていたらしい。私のほうをちらりと──マスクがこちらに動いただけ──見て、持っていた書類の中から一枚、私へと差し出してきた。
メディコさんが止まったのを見て、私も止まり、書類を受け取る。上から目を通してみるとそれはカルテだった。
カルテに書かれていた人物の名前は浦部 雪(うらべ せつ)。年齢が十一歳で、メディコさんが言っていた気持ちの悪い子だろうか。その下にはよくわからないデータたちがなら、目を滑らせながら、私にわかるところを探す。
「残穢係数0.72……」
思わず読み上げてしまった。残穢係数、それは自身の体にある加護の量から穢れの受容可能量を出したもの。確か一を超えると界異の元始体となってしまう。この数値ならまだなってなかったとしても、記憶の改竄、幻覚による物理的被害とかとか、起こる……とメディコさんから聞いた。なら、この子は…………。
「大丈夫、彼は昨日、元気に私としゃべっていたよ」
震える私を安心させようとしてくれたのか、メディコさんは私の頭をなで、体を預けるように促してくれた。メディコさん、温かい。でも、メディコさん、私が気になったのは、この子の状態……もあるけど、どっちかというと。
「私と…………同じなんですか?」
「同じだし、真逆だね」
そうですか。メディコさんに体を預けながら私はそうつぶやくことしかできなかった。あったこともないこの子に対する罪悪感が体に積もっていく。ごめんなさい、なんて、私は悪くないし、きっと彼も何も悪くない。
巻き込まれてしまった私とこの子、私たちの運命が交わる前にどうか、あなたは自分の物語を見つけて、私も頑張るから…………。
ここで言っても届かないけど、どうか、どうか、この祈りに彼女の意思を乗せてあなたに届けるね。