「ポーションより、とりあえず一杯」 作:高校ジャージ10年目
魔王城『パンデモニウム』の厨房。そこには、かつてないほど「殺気」に近い緊張感が漂っていた。
中央のテーブルには、ユウマが各地からかき集めた食材が並ぶ。
極上の豚魔獣の挽き肉、シャキシャキ感を残すために厳選された森のキャベツ、そして、今回の主役――『暗黒大陸産・真白(ましろ)ニンニク』。
「いいですか?皆さん。今日、我々が挑むのは『包む』という技術です」
ユウマの声が、わずかに震えている。
「小麦粉を練り上げた皮の中に、肉汁の爆弾を仕込む。その名は『餃子』。だが、この料理を完成させるには、一つだけリスクを冒さなければなりません。……この、ニンニクの魔力に身を投じるということです」
「ニンニク…? それ、魔除けに使う不潔な香草じゃない。不潔なほど匂いがきついし、社交界では禁忌とされているわよ?」
セラフィナが鼻を抑えながら、胡散臭そうにその白い球体を見つめる。
「セラフィナさん、それは『食べ方』を知らない者の言葉です。いいですか、ニンニクは刃物と同じ。正しく扱えば、ビールの旨味を銀河の果てまで加速させる最強のブースターになるんです」
「…余も、これの匂いには覚えがあるな。太古の昔、この匂いを放つ戦士がいたが、そいつに斬られた傷は、不思議と『腹が減って』治りが早かった気がする」
魔王ディアヴォロも、興味津々で首を突っ込む。
「よっしゃぁ! 皮に包むんだな? 俺の『痛風ガード』みたいに、旨味をしっかりガードしてくれよ!!」
アレクは、唐揚げの回でさらに輝きを増した右足を抱えながら、もはや食べる気満々だ。
調理:肉汁の爆縮
調理が始まった。
リリィが聖なる光でキャベツの水分を飛ばし、旨味だけを凝縮させる。
「聖なる雫よ、野菜の甘みを引き出しなさい! 『ベジタブル・プレッシング』!!」
そこへユウマが、大量のニンニクをすり潰して投入した。
瞬間。厨房に、脳の理性を麻痺させるような「凶暴な香り」が充満する。
「…ッ!? な、何よこれ……。鼻の粘膜を、何千もの小人がハンマーで叩いてくるような衝撃だわ……。計算……計算ができない! ニンニクの香りの成分が、脳の論理回路をショートさせてくる!!」
セラフィナが眼鏡をずらし、ふらつきながらもフライパンの温度を管理する。
「今だ、包んでください!!」
全員で、皮を包む。
魔王の漆黒の爪が、繊細に皮のヒダを作り上げていく。
勇者の握力が、肉汁を一滴も逃さぬよう封じ込める。
そして、ガレスの盾に油を引き、餃子を並べ、少量の聖水を注いで蓋をする。
――ジューッ!! パチパチパチパチッ!!
蒸気と共に、小麦が焼ける香ばしい匂いと、ニンニクの暴力的な香りが混ざり合い、城全体を包み込んだ。
「…仕上げです。セラフィナさん、最後の『追い油』で底をパリッとさせてください!」
「…不潔だわ。こんなに油を足すなんて、理論上のカロリーが……ああ、もうどうでもいいわ! 焼き色、最高出力で固定!!」
試食:ユウマの陥落
焼き上がった餃子が、円を描くように皿に並べられた。
底は狐色の黄金。上は透き通るような白。
ユウマは、震える手でタレ(醤油、酢、ラー油)を用意し、最初の一つを箸で掴んだ。
「かつて、僕はエルフのノンアルコールビールを飲んだ時、その純粋さに敗北しました。でも、これは、逆だ。不純と欲望の塊。……いただきます」
ユウマが餃子を半分、噛みちぎる。
――ジュワッ。
口の中に、熱々の肉汁が奔流となって溢れ出した。
そして、その後を追いかけてくるのは、油を纏って加熱され、旨味の化身となった『真白ニンニク』の波濤。
「………………っ!!!!」
ユウマの脳内で、何かが爆発した。
社畜時代の記憶。醸造師としての誇り。理系としての論理性。
それら全てが、ニンニクの刺激によって一瞬で「無」に帰した。
「…あ、あああ…………」
ユウマは言葉にならぬ声を漏らし、そのまま崩れ落ちるように膝をついた。
彼の眼鏡が、熱い吐息で白く曇る。
「ユウマ殿!? どうしたんだ、毒でも入っていたのか!?」
ガレスが慌てて駆け寄る。
「いえ。……負けました。……僕の負けです」
ユウマは、虚空を見つめながら、フラフラとジョッキを掴んだ。
そして、これまで見たこともないような、野性的で、なりふり構わぬ勢いでビールを流し込む。
ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ!! ぷはぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!
「これだ。……これですよ。 僕は今まで、ビールの『品格』や『バランス』を語ってきた。でも、この餃子という暴力の前では、そんなものはゴミに等しい! このニンニクの強烈な『臭み』と、それを一瞬で洗い流すビールの『爽快感』!! この往復運動だけで、人生の全てが解決してしまう!!」
ユウマは泣いていた。
あまりの旨さに、そして、自分の築き上げてきた「美味しいビールの飲み方」という理屈が、たった一つのニンニクに粉砕されたことに。
「はは。……あはははは! おかわりだ!! おかわりを持ってこい!! 今日は仕事なんてしない!! 全員で、このニンニクの泥沼に沈むんだよ!!」
「ユウマが壊れたわ。でも、分かる。これ……不潔なほど、止まらないの。私の右手が、脳の命令を無視して、次の餃子を掴んでいるわ……」
セラフィナも、すでに三つ目の餃子を口に放り込み、頬を膨らませていた。
「オーナー! 追加のビールだ!! 全ての樽を開けろ!! 今日はこの城ごと、ニンニクの香りで満たしてやる!!」
「…よかろう! 余も、この『ギョーザ』という名の小宇宙に、身を委ねることにしたぞ!! 全てを包み込む……これぞ、真の魔王の料理ではないか!!」
翌朝。
魔王城ビアホールの床には、無数の空樽と、空になった皿が散乱していた。
そして、中央のテーブルには、全員が力尽きて倒れ込んでいる。
「お、おい。……お前ら、臭ぇぞ……」
アレクが、一番に目を覚ました。
だが、彼の右足親指は――。
「……え? 光って……ない?」
そこには、腫れが引き、平穏を取り戻した親指があった。
「……あ、アレクさん。……ニンニクのビタミン B1 とアリシンが、ビールの糖質代謝を助け……たのか、それともあまりの衝撃に尿酸値が引いたのか」
ユウマが、ボロボロの眼鏡をかけ直しながら起き上がる。
「……でも、僕たちの口臭は、間違いなく『魔王の呪い』より強力になってますね」
「……不潔だわ。不潔なほど、昨日の記憶が幸せすぎる……。……でもユウマ。私、もう戻れないわ。……明日からの人生にニンニクがないなんて、計算が成立しないもの」
セラフィナが、寝癖を直しながらもしっかりと餃子の皿を抱きしめている。
「…余もだ。……これから、魔王城の結界は『ニンニクを愛する者』以外を弾くように設定し直すことにしよう」
ユウマは、朝日を浴びる空のジョッキを見つめた。
エルフの清廉な酒に負けたあの日とは違う。
今日の敗北は、共に歩む仲間たちと、欲望のままに「美味い」を共有した結果の、晴れやかな敗北だった。
ユウマたちの「おつまみ開拓記」。
三種の神器を揃えた彼らの伝説は、今、歴史に深く(そしてニンニクの匂いと共に)刻まれたのであった。
これでおしまいです。かなり楽しく執筆出来ました。読んでくださりありがとうございました!