葬送のフリーレン ~ 鋼の英雄の物語 - Path to Stahl - ~ 作:rvr75_raiden
■ あらすじ
野盗達を指揮して街へ攻撃を仕掛けてきた狂人ヴェノムと裏で糸を引いていたレヴナントとの戦いから一月程経過した。
街には被害こそなかったものの、救えなかった犠牲者やレヴナントの襲撃により大きな傷を負った姉弟子ルーエ。
守れず、手が届かなかった悔しさを胸に日々を過ごすシュタルクとフェルンの長子シュタアル。
そんな彼は、入院中の姉弟子ルーエとその場に居合わせた兄弟子エアフォルクから彼らがシュタルクとフェルンに救われた日の真実を聞く。
勇者なき時代、大陸屈指の英雄の二人も手が届かず救えなかった命を背負い生きていることを知ったシュタアルは――
「エアフォルク兄さん、ルーエ姉さん。ごめん。俺はまだ何も足りない。力も覚悟も、やっぱりまだまだだ……」
「でも、頑張ってみるよ。もっと頑張ってみる。きっと姉さんをその苦しみから救って見せる。
だから……少しだけ待っててくれよ」
血の繋がらない兄と姉に覚悟を伝え、また己の日常へと帰っていく。
しかし、彼には一つの悩み事があり――
■ 独自キャラクター
葬送のフリーレン原作登場のフリーレン・フェルン・シュタルク既存以外のレギュラーキャラクター
- シュタアル(Stahl) : 主人公。シュタルクとフェルンの間に生まれた長男。16歳。まっすぐな性格で、青紫の髪と三白眼が特徴の少年。出力不足で魔法はいまいちだが剣技と努力で補う。
- ルーエ(Ruhe): 過去にシュタルクとフェルンに救われ、現在はフェルンの教え子兼仕事上の秘書。20歳。黒髪ロングヘアと黒い瞳を持ち、師匠ゆずりの冷静な性格のようで内面は激情家。幼少の頃に魔族の呪いで神代の竜の因子を身体に混ぜられてしまっている。
- ティアフォート(Tiefrot):シュタルクとフェルンの間に生まれた長女でシュタアルの妹。15歳。赤い髪と真紅の瞳を持つ。魔法の才能は母譲りの天才。
- エアフォルク(Erfolg):ルーエと共にシュタルクとフェルンに救われ、現在はシュタルクの教え子兼参謀。ルーエの兄。25歳。黒髪の青年。シュタアルの兄弟子にあたり弟妹達を見守る。シュタルクから斧技を学んでいる。
庭園を舞う蝶と蒼の試練 ~ Waltz of the Blue Butterflies and the Trial Garden ~【幕間2-1】
■蝶の襲撃
中央諸国クレ地方 シュタルクとフェルンの暮らす街の北にある未開拓の森
「はあ……はあ……はあ……」
深い森の中に駆け込み、周りからの見通しの悪い茂みの中で屈んで息を整える。
「無茶苦茶だ……」
青紫の外ハネした髪、三白眼の瞳。見る人によっては少し人相が悪い少年。
しかし、悪い人間ではない……不思議と見た目にそう思えるのは彼の真っ直ぐで素直な性格ゆえか。
だが……現在はそうも言ってられないくらいに険しい顔で呼吸を荒くしている。
「ここなら、一度態勢を整えて――」
―― 来ているぞ ――
脳裏に響く声に少年は警戒して身を翻す。
『視界から消えれば逃げられると思っているのですか?』
「ッッ!?」
聞き慣れた声。本来なら……そう、普段なら心から安堵を覚えるはずのその声。
「しまったっ!母さんの……」
一級魔法使いフェルン。伝説の魔法使い葬送のフリーレンの弟子。大陸最強と言われる戦士シュタルクの相棒にして妻。
そして、現在逃げ回っている少年、シュタアルの母。そんな彼女は我が子に告げる。
『魔力を操る高位の使い手ほど、視覚は情報のごく一部である。そう、教えたはずです』
はたはたと、シュタアルのすぐ近くまで舞い降りてきた青い蝶。それは魔力の輝きにより透けて光っている。
「まずいっ!!」
シュタアルの叫びと共に青い蝶の魔力光は強くなり――
―― カッ!! ――
蝶がシュタアルのいた場所に止まった瞬間。強い光を放ち、魔力の柱となって周囲を包み込んだ。
✧ ✧ ✧ ✧
「ギリギリ、逃げたようですね」
シュタアルが逃げ込んだ森の上空。紫の髪の魔法使いは冷静にその状況を分析する。
彼女の周りには無数の魔法の蝶が舞い踊る。
「流石に注意をすると、徹底的に魔力を殺したのか……それとも気を失ったのか」
フェルンは周囲を舞う魔力の蝶に「探しなさい」と指示を出す。
「自身には不要だと言うのであれば、その覚悟と実力を持って示しなさい。シュタアル……」
なおも上空にて不動の魔法使いは森を見下ろしながら小さく呟いた。
■ことの発端
話は数時間を遡る。
旅を終えたシュタルクとフェルンの作り上げた家庭。そして切り開いたクレ地方の土地に立ち上げた領地と交易街。
そこに暮らす家族は今日も仕事に学舎にとそれぞれの日常を過ごす中……
「これは……」
本日は休暇を取っているフェルンが手に取ったのは一通の書状。
学舎へと向かう娘のティアフォートとエリシアを見送り、末の弟でまだ赤ん坊のアストルを寝かしつけたフェルン。
居間で一息つこうとした矢先の出来事だった。
居間のテーブルの上に粗雑に置かれていたその手紙。
その便箋には見覚えがある。魔法協会からの通達に使われるものだ。
この家で、魔法協会に正規に関わっているのはフェルンのみ。
魔法協会設立の学校に参加する子供達はあくまで児童や学生の扱いで、教員以外は協会関係者には数えられない。
つまり、魔法協会から直接連絡を受けるのはこの家ではフェルンだけ。
例外的にフリーレンは協会トップのゼーリエとごく個人的に手紙をやり取りしているようだが……仲が良いのか悪いのか。
「私が知らない、協会からの連絡……」
いや、そもそも依頼の受け取り漏れであれば一大事だ。
あくまで一級魔法使いの資格者であるだけなので絶対に従う必要もないのだが、積極的に縁を切るメリットもない。
そう思ったフェルンはその手紙を手に取った。
「んんっ?」
が――その手紙の内容は彼女の予想していたようなものとは全く異なる内容が書かれていた。
✧ ✧ ✧ ✧
シュタルクとフェルンの長子で、祖父から『鉄を超える
現在、彼は街の中央にある領主館へと姉弟子ルーエの見送りをしていた。
「じゃあ、姉さん。俺、帰るよ。無理したら駄目だからね」
入院から病み上がりの姉弟子ルーエ。彼女は街を襲った狂人ヴェトムと魔族たちとの戦いで大きな傷を負った。
溜まりに溜まっていた休暇も兼ねた入院の日々だったが、受けた傷ももう完治しており、当人は元気そのもの。
強いて言うなら……彼女は手袋をつけてまで隠す片腕は現在人のそれではない。
―― 龍鱗の腕
魔族により奪われた腕を致し方なく禁忌とも言える力で再生した。
彼女は幼少の頃、一族を襲った魔族により神代の竜の因子を混ぜられるに至った。
想像以上の適合を示してしまったのが魔族から狙われた理由でもあったのだが……
現在補った右手の形状はほぼ人のそれだが、二の腕から先は鱗に覆われた状態となっている。
『普段使いに困ることはありません』
というのは当人の言葉。
しかし、彼女の兄でありシュタアルの兄弟子に当たるエアフォルクが言うには、
『妹は、まだ本調子ではないし……シュタアル。君がエスコートするんだ』
『え……なんで。いや、嫌とかじゃなくてさ、姉さんもう大丈夫でしょ?』
『その、大丈夫かどうかは君が判断することではないな。当人の調子次第だ、どうだい?ルーエ』
という訳で、街の教会備え付けの医院から退院したルーエの送り迎えは何故かシュタアルの役目になった。
シュタアルとしてもこれは大切な役割だと感じる。
現在ルーエは片手だけ神代の竜の性能となっている。腕力は言うに及ばず。
様々な耐性も竜のそれ。……片腕だけ。実にアンバランスな状態。
「はい。シュタアル様もお気をつけて。これからバイトですか?」
「一回家に帰るよ。ねえさんも無理しないでよ」
「いつも通りデスクワークに戻るだけなので心配無用です」
本当に心配されても困るという顔で応えるルーエだったが
シュタアルとしては「だからこそ心配なんだよなぁ」と思ってしまう。
「何かあったらすぐ呼んでね!!じゃ」
そう言ってシュタアルは家路についた。
✧ ✧ ✧ ✧
「ただいまー」
と声をかけたが、返答の気配がない。
「……今日、母さんが家にいるはずだよな?」
母の魔力は家に帰るまで感じていたのだが……突然薄くなった。
しかし、家の中にいるのは判る。訝しみながらも、居間へと歩みを進めた。
「母さん?」
そこにいたのは、テーブルの前に難しい顔で座っていた母フェルン。
と、なんとも言い難そうな顔で隣に座るフリーレン。
「シュタアル……座りなさい」
有無を言わせないその雰囲気。大きな魔力を感じさせないのに母の髪は揺れている。
(……一番、怒ってるパターン!? なんで!?)
そんな母が手にしていた便箋が目に入る。
(あ……れは……)
――「……手紙……いや、招待状か?なんだろ?」
――「魔法協会からだ……なんで俺に?」
そうだ……処分するの忘れてた……
オイサーストの高等魔法学校からの特待生推薦の書状。
推薦者は一級魔法使いゲナウ……と書いていた。会ったことがない人物。
あらゆる事が理解できず、ずっと保留していたら、何通か届いたのだ。
「……座りなさい、シュタアル」
テーブルを指でコツコツ叩く母フェルン。真剣そのものな表情はこの場から逃げることを許さない。
「……はい」
観念をする……というかこの場を切り抜ける方法を数パターン考えたが、いずれも成功率が低い。
まずは大人しく座るしかない。
✧ ✧ ✧ ✧
「なぜ、この状況になっているか。あなたならわかりますね?」
「はい……」
「お母さんが言いたいことは?」
母は、中等部を卒業したシュタアルにオイサーストにある高等部への進学を勧めていた。
しかし、シュタアルは今の状況で故郷を離れて良いか判断が出来ず、ずっと保留していた。
「進学の件……ずっと保留しているから……?」
「……」
表情は厳しいまま動かない。おそらく正しく届いていないという合図。
「――シュタアル、この推薦状。どうして黙っていたのですか?」
母の芯に迫る一言。シュタアルは回答に詰まってしまう。
どう考えても、母の納得する回答に届かない。
「……そ、れは……」
「――フェルン。一旦ストップだ」
その時差し込むように口をはさんだのはフリーレン。
「フリーレン様……」
「フェルンの気持ちは痛いほど判る。だけど、この状況はフェアじゃない。
今日は午後が休みのシュタルクがもうすぐ返ってくる。一度みんなで話すべきだ。
シュタアルも、そのほうが良いでしょ?」
フリーレンの全力助け舟。とは言え、隠し事の非があるシュタアルを肯定が出来ない。
そんなところだろう。
「うん……」
「わかりました。シュタルク様を待ちましょう」
その場はシュタルクを待つことになった。
✧ ✧ ✧ ✧
学舎から家に帰ろうとしていた娘と合流して陽気な気持ちで帰宅したシュタルクを待っていたもの。
それは殺伐とした空気の居間だった。妻が……フェルンがめちゃくちゃ怖い。
瞬間的に何か怒らせることをしたっけと記憶を漁るのは長年の癖。
しかし、どう考えても思いつく節はない。なんなら昨晩は頑張ったのでフェルンの機嫌は比較的良好だったはず。
「――どうしたの、これ?」
というシュタルクに続き、赤い髪の長女ティアフォートは恐る恐ると口にする。
「……兄様がなにか、母様の怒髪天をついた……雰囲気ですね」
そんなティアのスカートの裾を掴みながらエリシアが「お母さまぁ……」と心配そうに見ている。
「シュタルク様……」
というのは聞き慣れた底冷えするフェルンの呼び声。
割と、キてる時の声だな……とシュタルクは彼女との付き合いから本能的に察する。
「はいっ!!」
「お待ちしておりました。シュタルク様を交えてお話が」
「はい……?」
✧ ✧ ✧ ✧
「なるほど……」
シュタアルが進学の推薦書を密かにもらっていて……それについて黙っていた。
ごくごく簡単に説明するとそういう事。これはフェルンは怒る。
……その事象そのものではない。誠実さの欠如や信頼への裏切りだ。
シュタルクが隣でよくよく見るとフェルンも怒りはしているが……
(どう伝えれば良いのか迷ってるんだろうなぁ……)
フェルンはシュタアルに進学を勧めていた。それは親が子の位をあげるため自己満足的な強要ではない。
シュタアルが今求めている能力・知識様々なものを加味して一度外の世界を見るべきだと考えているからだ。
(シュタアルは、今いろんなことに行き詰まっているからなぁ)
16歳は早ければもう家を継いで働くものもいる。
シュタルクとしては、この地を治めるのを手伝ってくれるならそれに越したことはないが……
――『俺はいつか父さんを超える英雄になって父さんと母さんとフリーレンを助けるよ』
――『……絶対に追いついてみせるからさ。だからそれまで……みんなが言うように最強の戦士でいてよ』
この子はこの子で戦う力を必要としている。理不尽の奪われないために、守るために、立ち向かう力を。
(そんな必要もなく、ただ平和に過ごせる世界を渡せたら良かったんだけどな)
きっと、フリーレンから言わせれば気にする必要もないぐらいに不可能なことだろう。
それでも親は願ってしまうのだ。幸せになって欲しいと、健やかで安寧な人生をと……
しかし、街を襲撃しようとした狂人ヴェノムとの戦い、そこでシュタアルが経験したこと。彼の覚悟。
何よりシュタアルが最も救いを望んでいる姉弟子ルーエの背負う重い宿命。
きっとそんな甘い人生はならない。
(この子が成長するための最善をか……)
無論シュタアルが自分とフェルンを超えた訳では無い。
そして、フリーレン達が居るこの場は他所からすると成長に恵まれた場所だろう。
だが、同じ場所で庇護下に起き続けることが最善とは言い切れない。
何故なら、シュタアルは一流の人間でも勝てるかわからない狂人ヴェノム打ち勝ったのだ。
この子には次のステージと出会いが必要だ。それは旅の中で様々なものを見てきたシュタルクとフェルン故に判る。
『助けて父さん』
そんな顔でこちらを見てくるシュタアルの顔。なんて情けない顔だよと思う。
まるで自分の若い頃を鏡で見せられているようだ。
隣に座る我が子の頭をシュタルクはガシガシと撫でた。
■母子開戦
「シュタアル……今一度問います。どうして黙っていたのですか?これは、3通目だということです」
「……それは……」
問い詰めるフェルンと言葉に詰まるシュタアル。
「フェルン……シュタアルも別にわがままでやってるわけじゃ……」
「シュタルク様。それは判っています。だから、この子の言葉で理由を聞きたいのです」
我が子はいったいどんな覚悟で『応えない』という判断に至ったのか、フェルンはそれを問う。
「俺は………、俺は魔法使いじゃない」
「シュタアル……?」
「魔法使いとしては、半人前も良いところだ。一級魔法使いフェルンの息子で伝説の魔法使いフリーレンの教え子。
そんな肩書は冗談みたいに半人前だ。妹のティアフォートとは比べるまでもないし、下手をすればエリシアにも負ける」
「兄様……」
「シュタアル兄さまぁ……」
少し離れたソファーでフリーレンと並んでいる妹たち。エリシアはまだ赤ん坊の弟アストルをその腕に抱えている。
妹二人が不安げに呟くのは、彼女たちが兄の価値をよく知っているから。
兄は魔法の強さでは測れない強さを持っている。父譲りの戦士の才覚もあるから……ではない。
それは揺るがない確信がある。でもうまく言葉にできない。
「だから、俺に……その推薦を受ける権利は――」
シュタアルがその言葉を口にしようとした瞬間、フェルンが小さくため息をついた。
――諦めのため息ではない。
決断のため息だ。
それと同時に虚空から顕現させた彼女の愛用の杖――
「剣を構えなさいシュタアル」
我が子の正面にその先端を突き出す。
「ッッ!! フェルン、待て!!」
フェルンの顔を見て反射的に立ち上がったシュタルク。
「ティア、エリシア、伏せて!」
そのままバックステップで壁際に跳んだフリーレンは壁に手をついて魔法を展開する。
「かあ……さん……!?」
「構えなさい、シュタアル」
―― ヴゥン ――
杖に魔力が収束する音とともに、部屋中に広がる魔法の光――
フリーレンから離れたティアとエリシア、アストルをかばうように抱えたシュタルク――
正面からくる衝撃を反射神経と本能で防御し背後に吹き飛んだシュタアル――
彼が壁に激突する前に、瞬間的に部屋の空間を歪ませて、壁に一時的な穴を開けたフリーレン――
知覚できなかった射出音。
凄まじい勢いでシュタアルは部屋から叩き出された。
「がっ!!なあ……ッッ!!」
家の外の芝生の上でゴロゴロと転がりながら、詰まった呼吸を吐き出した。
シュタアルが慌てて見上げた先には、紫の髪を揺らしながら杖をシュタアルへと向ける、当代大陸列強の一柱を謳われる魔法使いがいた。
とっさに愛剣である機剣レーヴァテインを手に取り、構え、刃をフェルンの杖に向けた。
「シュタアル――。あなたの言い分……の一つはわかりました。
しかし、言外に隠していることがありますね。言いたくない気持ちは理解します」
「……」
相変わらず、隠し事すら叶わない。
でもそんな簡単に言葉にはしたくない。
「そうであるならば……あなたの覚悟を……私に示しなさい。
幼いあなたが語った夢、現在もシュタアルが見つめる先、それに必要な力。
すべてを知り、あなた自身で決断しなさい。そのうえで私は認めましょう、あなたの覚悟を」
✧ ✧ ✧ ✧
遠くで様子を見ていたティアフォート。
そうして始まった母フェルンと兄シュタアルの戦い。距離を取った兄に対して母フェルンは無数の蝶を展開した。
蝶が展開された瞬間。父のシュタルクは
「あっちゃー。あれはまずいぞ、シュタアル」とぼやいていたのを、彼女は聞き逃さなかった。
父の言葉通り、蒼い魔力蝶はシュタアルの行動に物理的な干渉をはじめた。その隙をついた母の追撃により、シュタアルは敗走を余儀なくされ……
先の大爆発である。魔力を感じなくなったが……なんとなく兄はまだ粘っているような気がする。
「父様、フリーレン様、母様のあの魔法は、以前フリーレン様といっしょに使っていました」
遠巻きに見ていたティアフォートは母の使った魔法を見て呟く。
以前、北部戦線の北壁の街からやってきたアルヴィラ。彼女と共に腐敗の魔物と戦ったときのことだ。
手に負えなくなった結果、助けてくれたフリーレンとフェルンが使った魔法。
――
あれは蒼の蝶と蒼い花。おそらく蒼月草の花だと思うが、それにより空間を蒼穹の庭園へと変える魔法だった。
「あれはフェルン一人で使う、空間制圧魔法
「空間制圧?」
ティアフォートの隣までやってきたフリーレンは「そうだね」と言いながら説明する。
「普段、フェルンが見せるのはゾルトラークを中核にした遠距離戦だけど」
「はい。父様と連携を取って遠近両面で戦うはずです」
「そう、でもさらに敵からの攻撃が多角化した時は?二人で戦うシュタルクとフェルンが飽和攻撃を食らったら?」
「……なるほど」
センサーも兼ねる魔法の蝶を使って、空間を制圧するのか……
完全に相手を固定する必要はない。
少し、相手の動きに制約を加える。ワンテンポ遅らせる。ただそれだけでも二人なら戦局を傾かせられる。
さらに、見ていた限り、蝶それぞれが必要に応じて攻撃魔法に転換される。先は爆発となった。
「とはいえ……魔法としては目立つから潜伏するような戦い方の時は使えないけどね」
「そうですね……」
フリーレンはシレッと言っているが、ティアフォートがいまいち釈然としないのは、全く魔法のイメージが読み取れないことだ。
彼女は見れば大抵の魔法はおおよその構造とイメージを読み取ってしまう。
だが、あの蝶はわからない。強いて言うなら、いつか見たフリーレンの蒼の花もわからなかった。
「見ただけじゃわからないって顔しているね、ティアフォート」
「はい……少し悔しいです」
「着眼点はいい。よく見ておくんだ」
「原理を教えてはくださらないのですね」
「そんなことしたら、面白くないでしょ、ティアフォート的に」
お見通しだよと言いたげな表情の師を見て、ティアフォートは両手を上げる。
「全く持ってそのとおりです」
ひとまず、様々な意味で、この勝負の行方を見守ることにした。
■魔力解放
「いてててて……」
大木の木の幹の隙間。慌てて入り込んだ。
この森は父と兄弟子と共によく訓練で訪れる場所だ。
実はそれなりに地形や場所は把握している。むしろ、把握していなかったら危なかった。
フェルンが放った蒼い蝶が爆発した。まさか、爆発するとは思わなかったが……
やばいと思った瞬間、背後に転身して岩の陰に隠れたのだ。
傍目にも分かる威力。あのサイズの蝶のどこにそんな魔力が詰まっているのかすら理解できない。
とはいえ、本気になった母の拡散型の
(一応、手加減してくれているのか……?)
母はこういう時に表情を全く動かさないので本当にわからない。
ひとまず、腰のポーチに入れた応急セットで細かい切り傷の手当をしながら、頭を捻った。
ちなみに、このぐらいの切り傷ならシュタアルが何故か昔から仕える女神の魔法でも回復可能だ。
(やると絶対見つかるだろうなぁ)
外を少し覗くと、無数の蝶が飛んでいるのが見えた。
わずかにでも魔力を漏らそうものなら、あっという間に囲まれる。
という訳で渋々、応急セットである。
一通り手当を終えたシュタアルは足元に転がっていた適当なサイズの石を拾った。
それを一気に向こう岸の藪の中へと投げ込んだ。
―― ガサっ ――
その音が鳴った瞬間、蝶たちが一気に音のした方へと飛んでいった。
(よし今なら!)
そう思ったシュタアルは、一気に幹から腰を低くしたまま飛び出す。
しかし――
「ようやく出てきましたね」
顔を出した瞬間、頬をかすったのは魔法の熱線だった。
「かあ……さん……」
バレていたという事実に青くなった。もう既に勝負と言えるのだろうか。
反転して上空に蹴りを放したと同時に、近くにあった石を拾って回転の中で投擲する。
普通の人間なら理由もわからず頭を打たれて昏倒する。が……
蹴りを紙一重で躱した後、フェルンは防御魔法で投石を阻んだ。
「いい反応です。しかし、私に防がれる程度では……」
フェルンの言葉を待つこともなく、地面に足をついたシュタアルは剣を構えて逆回転で斬りかかる。
剣は緊急事態ではない限り刃を抜いていない。いわゆる木刀のような代え刃で、切断はできない。
もちろん、だから安全というものではないが――
言葉に惑わされることなく攻撃を続けるシュタアルに、フェルンは驚いた。
しかし、その刃は集まってきた蝶に阻まれた。
蝶は次々に剣の刀身にとまり、レーヴァテインそのものが空間に固定されたように動かない。
―― 嫌な感じがする。
腹の奥底から来る恐怖に駆られ、シュタアルは剣の柄頭――レーヴァテインの杖部分の先端に掌底を叩き込んだ。
「 ―― 揺れろッッ ―― 」
物理と魔法の両面で振動を剣に伝え、その反動で魔法の蝶の足が離れた。
一気に剣を引き抜き、手から放った魔力球を足場にしながらその場から飛び退いた。
魔力の蝶が小さな爆発を起こしたのはそれと同時だった。
「見事です」
「……母さん、今のは――普通に死んじゃうんだけど――」
「……。本気で戦いなさいと言いました」
つまり、母フェルンは……ここまでシュタアルならなんとかするであろうという前提なのだろう。
あるいは致死の攻撃ではないのかもしれないが、さすがに当たる気にはならない。
(分かっていたけど……父さんより厳しい)
父シュタルクは片手腕立て伏せ中に背に乗って笑顔で100回を要求してくるようなタイプだ。
しかし、訓練試合などでは相応に練習試合らしい内容になっている。怪我だらけになるが、命の危機を感じたことはない。
妹のティアは『あれを訓練と言い張る父様と兄様は気が狂ってます』とよく言われるが。
さておき、現在のフェルンの攻撃の数々は、気を抜けば怪我で済まないと感じさせる。
(小手先の技で、競り合えば絶対に負ける)
小さな技術は重要だ。それが命を救うことを嫌というほど教えられている。
しかし、格が違う。魔法使いとしてではない。もう比べるまでもない。
戦闘技術を持つ者としての技量が全く違う。父シュタルクが背を預ける人物だ。
大陸屈指の一級魔法使いフェルンの実力 ――
そうであるならば、出し惜しみは無しだ。
「 ―― 万象に
シュタアルは覚悟を決めて剣に蓄積している魔力の解放を宣言した。
✧ ✧ ✧ ✧
――『魔法使いとしては、半人前も良いところだ。一級魔法使いフェルンの息子で伝説の魔法使いフリーレンの教え子。
そんな肩書は冗談みたいに半人前だ。妹のティアフォートとは比べるまでもないし、下手をすればエリシアにも負ける』
つい、我が子の中途半端とも取れる覚悟にカッとなってしまった。
そこまでは……少し反省している部分はフェルンにもある。
それでも立ち止まってほしくない。歩みを止めてほしくない。
我が子の歩む人生はおそらくは、安易な道にはならないのだろう。それは痛いほどに実感している。
母としては、平凡で静かで幸せな人生を送り、優しい人間に、次の世代へと橋渡しをする大人になってほしかった。
それだけを願っていた頃もあった。
―― シュタアルは優しすぎたのかもしれない。
夫のシュタルクや師のフリーレン、フェルン自身、そして彼を取り囲む人たちがいる。
それを前にしてこの子は世界のすべてを守りたいと願ってやまない意思を持ち、突き進む。
まるで女神と妖精の歌う英雄歌に誘われるように……その道は尊くとも決して輝かしいものではない。
母として行かせたくはなくとも、この子は……行くのだろう。
そうであるならば、加減は必要ない。
「良いでしょう。撃ってきなさい」
我が子が折れぬように、潰れないように、伸ばしたその手が願いに届くように。
✧ ✧ ✧ ✧
フェルンが必殺の蝶を出した。しかも距離を取った初手から。シュタアルに対して子供扱いを辞めた――
その様子を遠巻きに見ながらシュタルクはその状況を分析する。
「シュタルク。手を出したら駄目だよ」
フリーレンが釘を差してくる。もちろんそんなつもりはない。だが――
「フェルンが、シュタアルに攻撃する姿は……あまり見ていて気持ちがいいものじゃないな」
「そう……? ああ……そうかもね……」
フリーレンの気持ちは判る。フェルンの子供を思う気持ちは本物だ。
それでも……シュタアルは判ってくれるだろうか? フェルンがどれ程の想いで試合に踏み切ったことだろうかと。
「あぁうっ!」
シュタルクの腕の中で様子を見ているアストルが声を上げた。
「ああ、お前の兄ちゃんとお母さんは頑張ってる。終わったら頑張ったねって言ってあげてくれ」
「???」
その眼は純真で。親の感情を見越したような不思議そうな顔で見つめてくるアストルにシュタルクは苦笑した。
そうだな。きっとシュタアルはフェルンの想いを受けとり自身の結論に至るだろう。
「シュタルクとフェルンは……お互いに言いたいことが貯まると……夜になんかして発散しているけどさ」
「いきなり何言い出すのフリーレン……」
突然、とんでもないことを言い始めたフリーレン。ジト目で見てくるティアと何のことかわからないエリシア。
でも仕方ない。フェルンはフラストレーションや言いたいことが溜まると夜に襲ってくる。
「それが出来ない……不器用な者同士だとこれが一番早いのかもね」
苦笑して親子の対決を見守るフリーレン。
「お父さんはもっと穏便に済ませてほしいなって」
「それで済むならもっと早く解決してたでしょ。今回はそう出来ないぐらいに強情だったんだよ。
シュタアルは……自分の将来を天秤にかけるぐらいに守るべきか迷って……
フェルンはそれを全部背負ってでも前に進ませてあげたい」
「フリーレン……」
「これはそういう戦いだよ。覚悟の戦いだ。――端的には親子喧嘩とも言う」
最後の一言でちょっと台無しになった。が、フリーレンの言いたいことは判った。
「判ったよ……」
そうであるならば、夫で父であるシュタルクに出来るのは……疲れた妻を精一杯甘えさせて、全力を尽くした息子の頭を撫でることだろう。
「……あんまり強く頭を撫でると、兄様ちょっと嫌がりますよ」
シュタルクの思考を読んだかのようなティアフォートの一言にシュタルクは「……そうだね」としょんぼりしつつ答える。
「なんにしてもだ。どちらかが妥協して、曖昧に言うことを聞いてこの場を回避するより。
納得するまで本気でぶつかる……私は嫌いじゃないな。私も
「簡単に伝えきれない、ことか……」
■一閃の先
―― なんのために闘ってるんだっけ?
ふとそんな考えが頭をよぎる。
そうだ、オイサーストへ進学するかどうか。実力不足だから進学する道理はない。
―― 本当か?
「 ―― 我が前に立ち塞がりし敵を、金気をもって打ち払うッッ! ―― 」
もう何が効くのかわからない。なら全力を尽くせる鋼の意思をぶつける他ない。
―― 俺、そんな……格好悪い理由で。今足踏みしてるんだっけ?
まだこれは見せたことがない。全力を持ってぶつかれば。母フェルンへと届くかもしれない。
―― 母さんにその力を見せて……どうしたいんだっけ? 俺は本当は何がしたいんだ?
意識を急速に集中する、時間をかけて良いことはない。
―― ここに居たい理由は……遠くに行きたくない……複雑な様でとてもシンプルだ。
眼の前にいるのは大陸最強格の魔法使い、一級魔法使いのフェルンだ。
母から漏れ出す蒼い魔力が次々に蝶へと変じていく。
―― 家族が心配だ。街が心配だ。以前に失敗した。姉弟子ルーエは敵に襲われ、片腕を異形へと変じた。大切だったのに。大好きだったのに……守りきれなかった。
とんでもない魔法だ。一匹一匹が魔法的意味を持ちつつも独立して動く。
そして、母フェルン本人はそれがなくとも、
―― そんな訳のわからない「何か」から大切な人を守るのは……
たった一点の魔法を極限まで極めた一撃だ。
これを眼前で打たれて回避できるのは、大陸広しと言えど父シュタルクと――
―― 自分しかいない。
「押し通らせるッッ!」
✧ ✧ ✧ ✧
シュタアルが放とうとしているのは、師のフリーレンから報告で聞いたものだ。実際に見るのは初めてだ。
その目で見て理解した。あの剣にそんな機能をもたせたのか……と。
「 ―― 我が前に立ち塞がりし敵を、金気をもって打ち払うッッ! ―― 」
敵、か……我が子シュタアルの見た『敵』とは何なのだろう?
―― 『レヴナントという魔族がシュタアルとルーエを襲った。狡猾なやつで討てなかったよ。ごめんね』
理屈から言えば、フリーレンから説明を受けた魔族であろう。シュタアルとルーエへの攻撃を交渉にフリーレンに後退を余儀なくさせた狡猾な者。
しかし、今シュタアルは一体何と戦っている?物理的には相手は自分自身だが。シュタアルが本当に戦うべきなんなのだろう?
眼の前で剣に魔力が蓄積されていく。自然則にのっとって魔力を周囲から吸収して解き放つということだろう。
なるほど、これなら魔力の出力が低いシュタアルでも可能な一撃だ。更に言えば彼の膂力と技量が上乗せできる方法だ。
―― この剣で、その業で、我が子は一体何を斬るというのだろうか?
その瞳はまっすぐとこちらを見据えており、隙が少ない。
魔法使いとして最速と呼ばれるフェルンの一撃でも、一流の戦士は正面から避ける。
この子は今の年齢でその領域に達そうとしている。
それでも己の未熟を恥じながら、果てなき頂上を目指し続ける子。
―― シュタアル。あなたの願いを掴むために、何を守り、何を斬るのか真実が見えていますか?
まだその所作は彼の年齢らしく悩み、迷い、心が揺れている。
だからこそ親として、師の一人として、人生の先達として――示すべき道を示す。
(それが母としての私の矜持)
✧ ✧ ✧ ✧
ぐんっ―― と姿勢をかがめ、剣を腰に構えたまま、身体が地面スレスレに傾くほどで一気に駆け出した。
目の前に数匹の蝶が現れる。ここで剣を振ると、貯めた魔力を無駄に放出する。
(動け!俺の身体!!)
左手を剣から離し、足に装備しているナイフを取り出し――
「……躱しますか」
刃に僅かに魔力を込め、蝶を一刀両断する。
僅かな魔力と速度が条件を満たせれば――
「―― 斬れる!!――」
「――
僅かな隙を逃がすことなく放たれる母の魔法。シュタアルはギリギリそれを紙一重で回避した。
それを追うように次々と放たれたため、シュタアルは斜めに走りながら回避し続ける。
(どんだけ連射するんだ)
止まることがない。一撃でも当たれば恐らく終わりだと、死ぬ気で回避し続ける以外の選択肢がない。
「……」
一切の表情も変えずにシュタアルを追うように魔法を打ち続けるフェルン。その様子から思考が読みづらい。
だが、徐々に放射される
――ゾルトラークが止まったッッ
連射した魔法が止まった。それは母までの直線が開いたことを意味する。
「ああああああああ!」
シュタアルはレーヴァテインを両手に握り、一気に加速する。
「――
「ッッ!!」
正面に展開された土の壁が道を阻む。
目前の母の姿も遮られた。
(クソ、これは斬るしかない!!)
再び左手をかざし、土の壁に手を当てて
「――
魔法を叫ぶと同時に右手の剣を振るう。
「通れぇぇぇ!!」
■蒼の閃光
シュタアルが放った一撃は魔法で形成された土の壁を切り裂く。
崩れ落ちた壁の向こうに見えるフェルンは杖を構えている姿が見える。
「――
「そうくると思った!」
間髪入れず、迷いもなく打ち込まれた一撃。
肩口を通して身体を掠るほどの距離を顔を逸らすことで躱した。
「母さん!追いついた!」
母の目は魔法使いでありながら剣を構えた戦士を前にして揺らぐことがない。
これは死線を何度も超えた人間の特徴。
「防御してくれよ!」
阻むものは何もない、そんな中でシュタアルは今持てる力の全てを開放して――
✧ ✧ ✧ ✧
――ヴゥン――
聞こえたのはそんな不自然な音。
「手応えが……ない?」
正面にいたはずの母フェルンは胴から真っ二つになり、薄く微笑んでいた。
まるで霞のように、切れた端から消えていき……
「なっ!そんな……」
弾けるように魔力の蝶となって散っていく。
―― 左からだ、避けろ――
「正面に意識を集中させすぎです。戦況を俯瞰しなさい。
光の屈折を利用して虚像を見せていました。躱したゾルトラークも偽物です」
「虚……像ッ!!」
脳裏に響く声の伝える警告の後、すぐ隣から聞こえた母の声。
態勢を整え構え直すには全力を出し過ぎていた。
――ドンッ――という衝撃が横から叩きつけられた。それはフェルンがかざした右手から放った衝撃魔法。
「こ……はぁ……ッッ!」
瞬間的に受け身を取ったものの、体中に衝撃が響き、息ができない。
ゴロゴロと転がり、体の奥から漏れ出る空気にむせて咳き込む。
ようやく肺に溜まった息を吐き出し、姿勢を整えようと見上げた先――
「見せておきましょう。これはあなたの母がたどり着いた、未だ道の半ばにある魔法です」
フェルンの説明と共に無数の蝶が集まってシュタアルの周りに渦を巻く。
そのうち数匹がシュタアルの肩や腕に止まった。
―― 動くことができない。
フェルンの操る蝶は塔のようにシュタアルの周りをぐるぐる飛び回る。
「多少……苦しいとは思いますよ――
――
✧ ✧ ✧ ✧
ティアフォートの見つめる先。それはシュタアルの周りを囲った蝶達に母が照射したゾルトラークの本流。
魔法の基礎であり、母の必殺の一撃だ。広く浸透し貫通に特化しているため、個人の研鑽が最も魔法に影響を与える。
この大陸で、フリーレンやゼーリエのような例外を除けば、母のこれを超えられる人間は、果たしてこの大陸にいるのだろうか?
そのゾルトラークは母の出した魔法の蝶たちに当たり、まるで竜巻のように魔法の本流が巻き上がっていった。
「あれは……何なんですか?」
異常な光景にティアフォートは思わず口にする。
「フェルンなりの手加減ってやつかな……」
「手加減……どういう意味で?」
「単純だよ。あれなら直撃しない。感覚を研ぎ澄ましてごらん」
フリーレンの言う通り、ティアフォートは魔力の流れをよく観察する。
母のフェルンが放った魔法は蝶に当たり、蝶はそれで周囲の魔力を取り込み、増幅し、拡散し、反射している。
そして拡散した魔力はまた別の蝶へと当たり、何度も……何度も……
「周囲の魔力を全部取り込んで、魔法が大きくなっていく……」
「そう。あれはそういう魔法だ。たった一発の魔法で千の敵を制圧し、対処する魔法だ」
「手加減って……」
「本当はあんな竜巻なんて作る必要はない。拡散したゾルトラークが四方八方から蝶と周囲の魔力尽きるまでシュタアルを襲う。それだけ」
フリーレンの言葉に改めて、魔力の渦を見つめる。凄まじい勢いで魔力を吸い上げている。
兄の剣も周囲の魔力を利用する魔法だ。ああなると、もはや撃つことは叶わないだろう。
「いったいあの中で何が……」
「まあ、魔法使いに身を置く者ほど息苦しいかもね」
「兄様……」
今回の件……きっかけは兄のちょっとした迷いと我儘がきっかけ。
それでも、どう帰着するべきかはティアフォートにもわからない。
シュタアルがオイサーストに行ってしまうことに何も思わないわけではない。
だが……大切だからこそ。決して立ち止まらないで欲しいのだ。
✧ ✧ ✧ ✧
取り囲む蝶が作り出す魔力の渦。壁となって外が見えない。
そして、壁自体が触れれば身も消し飛ぶような威力の魔力の流動の渦。
「その気になれば……いつでも……ってことか」
本当に、格が違う。規模が違う……どうして抗えるなんて思ったんだろう?
勝てるわけがない……気持ちで負けそうになった瞬間。ふと記憶がよぎる ――
――「でも、頑張ってみるよ。もっと頑張ってみる。きっと姉さんをその苦しみから救って見せる。
だから……少しだけ待っててくれよ」
――「……はい。お待ちしております。シュタアル様……」
(そうだ、頑張るって約束したんだ……こんなところで、敵でもない母さんに……気持ちで負けたら――)
思えば……小さい頃から負け続けの人生だ。
妹を襲おうとした魔族に敗れた――
母を襲撃しようとした盗賊に敗れた――
また街を襲おうとした盗賊に再び敗れた――
姉を襲った魔族にも敗れた――
(悔しい――)
――『お前は負けてないよ』
(手が届かない事が悔しい――)
――『……どういう事?』
(守りたいものが守れないことが悔しい――)
――『シュタアル、お前が悔しがっているのはお前がまだ負けてない証拠だ』
(だから――)
――『お前がまだ、勝利を掴むことを諦めてない証拠だ。だからお前はまだ負けてない。諦めてないからな。戦士は倒れない限り負けてないんだぜ』
(自分の心にだけは負けられない!!)
この勝負に勝つことに意味があるわけではない。きっと本当は意味がない。
そう思いながらもシュタアルは、膝に手を当て、力を振り絞り立ち上がる。
(決して折れず、負けない ―― ただひたすらに貫き通す意思だけは)
「あああああああああああ!」
魔力なんて何も残っていない。震える膝は体力の限界を訴えている。なら今身体を駆け巡る、これは何なのだろう。
母の想いに、父と妹弟たちの、フリーレンの愛に応えられるようになりたい――
ティシュレーやエアフォルク、ライニ、支えてくれる人たちの信頼に応えられるようになりたい――
「―― 救うって決めた!だから!」
姉弟子ルーエの運命を救える、そんな身の丈の小さな英雄を目指す道だけは ――
「負けられねぇぇぇぇぇ!!!」
身体に宿るなけなしの『何か』を拳に込めてシュタアルは――
✧ ✧ ✧ ✧
「シュタアル……」
魔力の渦を冷静に見下ろし、その様子を見守るフェルン。
自ら課した試練。16歳の我が子に与えるにはおそらく厳しすぎるであろうことは理解している。
それでも、半端なことだけは出来なかった。
おそらくは、それだけの力をあの子は示している――
「ッッ!!」
その瞬間、魔力蝶からのフィードバックを感じた。分かったことは中でシュタアルが……信じがたいことだが拘束を解いたことだ。
「いったい……どうやって……」
もうすぐ、最後の魔力が尽き果て渦は消滅する。
中の魔力圧は、内部の魔力を吸い上げ空間に魔力の真空状態を作り出す。
とても冗長なやり方だが……普通の人間なら瞬間的に気絶してしまうだろう。
「……」
フェルンが見下ろす渦は、ろうそくの最後のように高く巻き上がり――閃光と共に渦は虚空へと消えていった。
■終果て一撃
「……」
フェルンが静かに地上へと降り立つ。
周辺は渦による影響で焼け焦げ、小さな荒れ地が出来上がっている。
彼女の放った魔法の効果から言えば、気を失ったシュタアルはここに倒れている――
「いない?」
はずであったのが、そこにあったのは地面に突き刺さったシュタアルの愛剣のみ。
我が子の姿が見えない。
「あの状態から、どうして」
母の放った魔法で子が消し飛んで消え去る、そんな恐ろしいことは起こり得ない。
なぜなら完全にコントロールして当てているわけではないから。ここだけは確信を持って言える。
だが、姿が見えない。
ゆっくりとシュタアルの愛剣の元へと歩みを寄せ、剣に向かって手をかざす。
シュタアルの魔力の痕跡を探すため……
―― ゴッ!! ――
そんな土や岩が割れるような音がフェルンの背後で響いた。
✧ ✧ ✧ ✧
遠くで見ていたシュタルクも、さすがにフェルンが本気でゾルトラークを撃ったときは焦ったが……
その後、中から感じた気迫と闘志のようなもの――何かが流動し胎動するような感覚に、彼は苦笑した。
「あいつ……本当にギリギリのここ一番に」
隣を見るとフリーレンが眼を丸くしている。
「驚いた……あの子は、本当に……」
「父様……兄様は?」
「見ていれば分かるよ。もう、本当に子供扱いしていられないな――」
心配そうに見つめているティアフォートの頭を撫でながらシュタルクは笑い、その結末を見つめた。
✧ ✧ ✧ ✧
背後で聞こえた土を割るような物音――
さすがにフェルンにもわかった。少し油断しすぎた。
いつかフリーレンが言っていた言葉を思い出す。
―― 「魔法使いの強さを決めるのは魔力だけじゃないよ。
技術や経験、使う魔法や、コントロール、
努力と根性、
そして才能」
人類史上、フリーレンを圧倒したものが6人存在する。
―― 魔力の低い人間が師を圧倒したという、その事実。
(努力と根性、そして才能……ですか)
いつもなにかに敗れ、自身の才に何一つ信頼を持たない我が子シュタアル。
母として、魔力的なハンデを持つこの子が何の才も持たないなどと……一度たりとも思ったことはない。
「るああああああああああああああああああああああ」
地中から飛び出し拳を構える我が子はフェルンの背後を捉えている。
(信念と覚悟の怪物)
そう呼ぶしかない。何度負けて、何度涙し、くじけても折れることも曲がることもない。この子は――
「見事です。シュタアル」
撃ち出された拳はフェルンの髪に触れ、フェルンの頬を掠める。
「―― ですが」
「ッッ!?」
その瞬間、フェルンの身体は流れるように回転し、シュタアルの拳はフェルンの手に包まれる。
「なっ!!」
「母も――あなた達がいるからこそ、負けるわけにはいきません――ですが……」
フェルンの体の回転に巻き込まれるように、シュタアルの身体は吸い寄せられ、翻って天地が逆転する。
ドサッという音とともに地面に打ち付けられたのはシュタアルの背中。
「――まだっ!!」
体制を立て直そうとした瞬間にシュタアルに突きつけられたのは母の杖の先端だった。
告げられた言葉は――
「動かないように。見事です。シュタアル。今の一撃を持って、この勝負は――」
フェルンは眼を閉じてため息をつく。
「――あなたの勝ちとしましょう」
シュタアルの勝利を認めたものだった。
✧ ✧ ✧ ✧
「兄様!兄様!!」
母と兄の試合に決着がついたとみたティアフォートとシュタルクがその場に駆けつけていたが
「……」
心ここにあらずなシュタアルはその姿をポカーンと見つめるだけだった。
「まあ、あそこから投げ飛ばされるなんて思わないよな……魔法使いのフェルンに」
苦笑しながらシュタルクはシュタアルの隣にかがみ込む。
シュタルクと長年共に戦ってきたフェルン。近接戦に対して最低限の対抗策を持っているのを知るのはごく一部だ。
もともと、反射神経に優れるフェルン。力は足りなくとも、そこいらの野良盗賊一人ならフェルンは素手で制圧するぐらいの実力がある。
まあ、そう訓練したのはシュタルクとフリーレンな訳だが……
「兄様!! お怪我……だらけですね……全身ボロ雑巾のようにボロボロ」
「今ちょっとナイーブタイムだから……ティアはもう少しだけ火力を落とそうか……で、フェルン?」
シュタルクが振り返った先、いつも通りの姿で立っているフェルン。
スカートの縁やブーツが土埃で汚れているが……それ以外は綺麗なものだ。
「もう、手心を加える隙もないことに、純粋に驚きました。シュタアルの勝ちです。
シュタルク様はよく日頃から、シュタアルの訓練に付き合っていますね……」
「まあ……シュタアルが小さい頃からの習慣だし、お互いにね……」
というやり取りの一方で、我に返り始めたシュタアルが体操座り状態で小さくなっていく。
膝と腕で顔を隠してしまった。
「まあ……そうなるよな……」
認められても、この結果は男の子には辛いのだ。
「フェルン、シュタアルは俺が運ぶから……ティアフォートと一緒に家に戻ってて。
あと、家の片付けもね。フリーレンが機転を利かせてくれたけど、魔法の余波で居間がすごいことになってるから」
「すみません……ちょっとカッとなりすぎました。シュタアルのこと、お願いします」
フェルンは申し訳なさげに頭を下げてから、渋るティアフォートの背を押しながら家に戻っていった。
「さて、シュタアル、帰るぞ!っと」
脱力して動かないシュタアルを持ち上げ、器用にクルッと回しておんぶする形に切り替える。
「行こうか」
✧ ✧ ✧ ✧
実は急げばフェルンに追いつけはするが……それはそれで気まずかろうとシュタルクはゆっくりとした足取りで進む。
「なあ、シュタアル……フェルンは本当にお前のことを思っているんだ。それだけは疑わないでくれ」
「……」
シュタアルは応えないが、腕の力が少し入ったことで聞いてくれていることは分かる。
「魔法使いと、戦士の戦いってのはちょっと特殊でさ。色々相性ってものがある。
そういう意味で、フェルンやフリーレンは戦士には不利になりやすい魔法使いなんだけど……」
まあ、これだと苦戦し続けたシュタアルはなんだという話にはなるが……
「だから、ふたりとも多重の対策を取っている。これに対抗するのは普通は無理だ」
「……」
「ましてや今回、フェルンは初手から奥の手を出していた。出させたことと、出した状態で食い下がったこと――」
何の奇譚のない、本音の言葉。
本当にここまでやれることにシュタルク自身、見ていて驚いたのだ。
「自信を持って良い。お前は一流の戦士の領域に足を踏み入れている」
背中にぐっとしがみつく感触があり、耳に入る嗚咽のような声。
誰にも見せたくないものなのだろう。
「―― 安心しろ。シュタアル。その気持ちが……お前をもっと強くしてくれる」
そうして、大陸最強の戦士は我が子を背負い、我が家へと向かうのだった。
■あなたの行く先
この街でありえないほどの魔力の高まりだ。何が起こっているかは概ね予想できていた。
そんなことができる人間など、消去法であっという間に絞り込めてしまう規模の魔法だった。
珍しく少し反省した様子の師フェルンが語る内容を聞いて、失礼ながら苦笑してしまったのは弟子兼秘書のルーエ。
「申し訳ありません……あまりにその光景がありありと想像できたので」
「……私も少々感情に任せて、大人げなかったかもしれません……
母として、もっとできることがあったのではないかと」
机の上で頭を抱える師の姿を微笑ましく見ていられるのは、ルーエ自身も大人の仲間入りをした証拠なのだろうか。
「必要な……ことだったと思います。きっと伝わりにくいまま、有耶無耶にするぐらいならぶつかり合った方が良いと、客観的には思います」
「そうでしょうか……?」
トントンと机に書類の束を当てながら揃えた彼女はそれをルーエに渡してきた。
「ルーエ、あなたは良いのですか?」
「何がですか……?」
「シュタアルが……あの子の出した結論です」
ああ、そのことですか、ルーエは薄く笑う。
「問題ありません。お話しましたし」
✧ ✧ ✧ ✧
というのも、昨日の夕方のこと。
「……ルーエ姉さん。迎えに来た……」
「有難うございます。シュタアル様」
仕事終わりに約束どおり迎えに来てくれたのは、若干ふてくされた顔をした弟弟子のシュタアルだった。
察するに余りある状況ではある。おそらく昼過ぎの魔力の高まりは師のフェルンのものだ。
夫婦喧嘩をする事情は、直近で思い当たる節がない。
となるとおそらくは……目の前の擦り傷だらけのシュタアルが原因であろう。
「……行こう。帰ろう」
「はい」
おずおずと手を差し伸べてくるシュタアル。珍しい。求めてくるのならば是非もなくその手を握った。
「どうかしたんですか?」
「……寄り道、しても良い?」
「ええ、良いですよ」
今日は食事の準備は兄の当番なのでルーエに急いで帰る理由はない。
「こんな時間に、どこへ行くんですか?」
外はそろそろ日が沈む夕暮れ時にさしかかっていた。
「ちょっと、公園の方……」
ルーエとエアフォルクの兄妹はシュタルクたちの家の近く、というよりライニの住んでいる家の隣に併設されている。
それは、いわゆる戦士の村の跡地に建てられた結界内の隠れ里のような場所の一角。帰る先もほぼシュタアルと一緒だ。
「わかりました。寄って帰りましょう」
✧ ✧ ✧ ✧
公園は交易街の端に建てられ、少し小高い丘のある広場になっている。
丘の上には大きな木が立っており、街ができる前から存在していたものだそうだ。
「それで……なにかご相談ですか?」
二人で並んで夕日を眺めながら、物を言わないシュタアルに問いかけた。
なぜなら、ものすごく何かを言いたそうにしていたため。
「……えっと――その……」
「オイサースト行きのお話、決心されましたか?」
「――ッッ!?」
何故それを!?という表情にルーエは苦笑する。
フェルンの直下で仕事をする彼女にはそういう話は常々入ってくる。
ため息をついたシュタアルは覚悟をしたように渋々と語り始めた。
「実は――」
シュタアルの語る話にはいくつかルーエの知らない話が含まれていたが……
大筋では、そうなるだろうという話だった。
「それで、シュタアル様は何を決断されたのですか?」
「……」
「ここに、わざわざ来たということは私に伝えたいことがあるのですよね?」
ルーエの確信めいたその言葉にシュタアルは深呼吸をしてから覚悟を決めた様子で――
「来年の春、オイサーストへ行こうと思う」
「そう……ですか」
―― ああ、きっと彼ならば、自身の勇気で前に進んでくれると思った。
シュタアルの言葉を聞いた瞬間にルーエが感じたのはそんな気持ち。
「……この街にいると、みんな居て安心するし、何かあっても手が届くって思ってた」
シュタアルの言葉にルーエは静かに耳を傾ける。
「でも、きっと――そんな事じゃ前に進めない。目指す背中に追いつけない――
それに……ルーエ姉さんのことも――」
シュタアルはじっとルーエの方を見つめる。
最後の言葉が止まってしまったのは一言では伝えきれないほどに深い約束と想ってくれているからだろう。
いつからだろう。見上げて見つめていた視線は自分と同じ高さ、いや少し高くなっている。
ここ最近になって急に身長が伸びた気がする。
「だから――ルーエ姉さんの出迎えとか、その色々、一緒にいられなくて……だから……」
必死になにか伝えようとしているシュタアルの様子にルーエは思わず苦笑してしまった。
「何だよ……」
「いえ、ふふ。ずっとお出迎えしてくれる予定だったんですか?」
「――ッッ!!」
そう言うと、シュタアルはいよいよ不貞腐れ「今日は厄日だ……」とぼやきながらそっぽを向いてしまった。
✧ ✧ ✧ ✧
上手く行かない……伝わらない……
そうじゃないんだと叫びたくても事実は何も変わらなくてどう伝えれば良いのかもわからない。
「シュタアル様」
というルーエの呼び声が聞こえ、振り向いた。
彼女は片手を上に上げて突然指を鳴らした。
パチンという音と共に『いでっ』というどこかで聞いた声が聞こえたが……
「え、何?」
「人払い……いえ、魔法払いを。少々あの娘の覗き癖はそろそろフェルン先生と一緒にお仕置きしたほうが良いかもしれません。」
「どういうこと?」
「こちらの話です」
話の意味がわからず首を傾げて悩んでいた瞬間……
ふわっとした感触と母にもよく似た髪の匂いに包まれた。
――瞬間的にわかったのは、抱きしめられたことだ。
正面からというより、頭を掴まれて胸元に引き寄せられた……いわゆるいい子いい子スタイルで。
「シュタアル様はよく頑張りました」
脳裏にまで響く、労りの言葉――
全身脱力して蕩けそうな感覚に襲われたが、ギリギリ耐えた。
「姉さん!?」
思いの外、右腕の力が強くて抗えない。これが竜の力か……
右手でガッチリロックされた状態で左手で頭を撫でられている。
「何、何なの……全然外せないッッ」
―― あと柔らかい!いい匂い!駄目になる!駄目だ……このままじゃ駄目にされちゃうッッ
という感想だけは口に出しては言えない。
「フェルン先生のあの魔法を使ったのは、以前語ったナハト討伐の時と他に数えるほどしかありません。わかりますか」
「何が……」
抗っても無理と悟ったシュタアルは、諦めて柔らかな感触の中で脱力してナデナデされることにした。
「それだけ、シュタアル様の力をフェルン先生が認めているということです。
あれを出されて拮抗できるのはこの大陸でも指折り数えるほどしかいないでしょう」
「拮抗なんて……できなかった」
「それでもです。あの人がどれだけの高みにいるか……それを知るためにもシュタアル様は少し外を見たほうが良いでしょう」
軽く外へ行くことを勧めるルーエの言葉に、どうにも納得できず膨れてしまった。
「もう確実に行ける確信でもあるのですか?いくら特待生でも試験はありますよ」
「え?」
てっきり裏口入学的にパススルーできると考えていたシュタアルは固まる。
「シュタアル様は特待生に足る実力を示さなければなりません。おそらく冬になる前に試験をパスしなければなりません。それまでお勉強ですね」
「ど、どど、どうしよう。姉さん!?」
まずい、完全に想定外だった。5級の試験を落ちた自分になんとかなるのか!?
「基本は座学と実技です。まあおそらくシュタアル様なら大丈夫ですよ」
「魔法の実技が一番不安ですけど!?」
「シュタアル様宛に届いているのです。おそらく、それを理解したうえでの試験となる……と思いますよ」
確かに、あえて自分に送ってくるのは変だ。いくら一級魔法使いの子供とは言え5級の試験に失格になったことぐらいは把握しているはず。
「そう……かな?」
「はい。だから……空いている時間を見てお勉強をしましょう。座学は頑張れば頑張るだけ点数を得られるチャンスです」
「まあ……そうだけど……」
「だから、シュタアル様。まだ春までご一緒できますね」
まるで、ここにだけ、春が訪れたような、ルーエはそんな笑顔を向けてくれる。
駄目だ。柔らかさとナデナデで何も上手く考えられない。
――「シュタアル様はよく頑張りました」
そもそも最初の一言からもうなんだか駄目にされている気がする。
「……はい。あの、そろそろ離して……」
「嫌です」
「ええぇぇ……」
結局、その日は姉弟子ルーエの気が済むまでナデナデされ続けることしかできなかった。
✧ ✧ ✧ ✧
「そういうわけで、試験勉強も私がお手伝いします」
フェルンは眉間に手を当てて「そうですか」とぼやいた。
まさか母より手を回すのが早いとは……感心するべきか呆れるべきか。
「ところで、右手……少し赤くありませんか?」
というフェルンがちょっと気づいたルーエの異変。
腕の外向きの部分は彼女に宿る龍の名前、アートルムからくる通り黒の鱗だったのだが、部分的に赤みがさしている。
「はい……今朝起きてから少し、鱗が部分的に赤くなっていて。しかし、医者に相談もできませんので」
「フリーレン様に相談してみて下さい。あまり事例のない話ですし」
「わかりました」
彼女のことも慎重にならざるを得ないことだ。
なんせ世界で唯一の症例になってしまうので。
「何にしても、シュタアル様が前を向いてくれて良かったですね。先生」
「……そうですね。当面の頭の痛いことは、少し軽くなりました」
そう、まだ考えねばならないことは多い。
酷い言い方だが、シュタアルにはシュタアル自身で己と守りたい者を守れる強さを――
強くあってもらわねばならない。
そんなことを考えなくてもいいくらいの世界を渡してあげたかったが、そうはできない。
家族の幸せ、悠久たるフリーレンの未来、愛弟子の身に宿る呪い……そしてシュタアルの戦った魔族――
「本当に、旅をしているときより忙しい……」
「いつまでもお手伝いしますよ」
フェルンに渡された書類を胸に抱えながらルーエはフェルンへと微笑みかかけた。
■親ゆえに思ふ
「おかえりなさい母様」
と出迎えてくれたのは、ティアフォートとアストルを抱えたエリシアだった。
ちなみに、ティアフォートのほっぺたには「覗き見魔法厳禁」と書かれた護符が貼られている。
フリーレン謹製の特定魔法封印の護符だ。特殊な作りで3日間は剥がれないそうだ。
破ると全身がこそばゆくなるというよくわからないお仕置き魔法が発動する……らしい。
「シュタアルは?」
「お勉強中です。シュタアル兄様はとても頑張っています」
と応えたのはエリシア。
シュタアルはあの日から真面目に座学の勉強をしている。
途中編入となるため、少なくともオイサースト高等部1年生相当の学力を示さなければならないらしい。
「エリシアはさみしくないですか?」
「来年から、遠くに行っちゃうのは淋しいですけど……シュタアル兄様が決めたこと、邪魔はしたくないです」
「そう……」
素直にそう言ってくれるエリシアの頭を撫でると、子猫のように自然と体を寄せてくるのは小さい頃からの可愛らしい癖だ。
「ティアフォート、あまり邪魔はしてはいけませんよ」
「しませんよ……」
明後日の方向を見て頬をふくらませるティアフォート。
ちなみに彼女は彼女でオイサーストから要請が来ている。何度か相談をしたが「嫌だ」の一点張りである。シュタアルと違い、悩みすらしない。
「私の居場所は私が決めます」と豪語する姿にフェルンが折れたが……シュタアルが進学を決めたのでティアなりに悩んでいる。
まあ恐らくだが……
「ティア姉さま?」
「エリシア、今日のお勉強は私が見てあげますよ」
優しい娘なのだ……制御不能だが。
✧ ✧ ✧ ✧
そんなこんなでシュタアルが決心して色々変わる中でも一家の食卓は変わらず。
シュタアルも模擬戦の直後は視線も合わせてくれなかったが、ルーエがフォローしてくれたらしくいつも通りに戻っていた。
若干、心ここにあらずにほおけている瞬間があったが……ルーエは一体何をしたのか。
そんな、いつも通りに過ぎゆく夜の寝室。
アストルを寝かしつけたフェルンは自分もベッドに入り込んだ。
「お疲れ様」と声をかけてきたのはシュタルク。
問答無用にその背に腕を回し、シュタルクの分厚い胸に顔を埋めた。
シュタルクの匂いがして落ち着いた。
「お、おいフェルン……」
「疲れました。眠るまで頭を撫でてください」
「はいはい……どうしたんだよ」
無粋な質問をしてくるシュタルクの背中をちょっとつねると、「痛い」と心にもないことを言った。全く痛くないくせに。
「毎日色々ありすぎて幸せです……
シュタルク様と一緒に生きると決めてから一日たりとも退屈というものを味わった日はありません」
「ごめんね、忙しくて……俺もこんなに大変になるって思わなかった」
「本当に、毎日色々あって……子供たちは毎日違う顔を見せて……あっという間に大きくなって……シュタアルは……春には私たちの元からしばらく旅立ちます……」
「そうだな……」
そう言ってシュタルクが強く抱きしめ、柔らかく頭を撫でてくれるのは……おそらく同じ気持ちだからだろう。
ずっと同じものを見てきて、ずっと一緒に悩んできた。
「でも……迷いが晴れたようで……良かった……身体を張った……甲斐が……ありました」
「そうだな、フェルンは頑張ったよ。怖かったよな。自分の子供に……魔法を撃つなんて」
「はい……」
徐々にまどろんでいく中。同じ尺度で歩み、同じものを見て歩いてくれる人が隣りにいる安心感を噛み締めながら――
「お休みフェルン。俺達の夢はまだ道半ばだ……あの子達が笑っていられる明日のために、頑張ろう」
「お休み……なさい……シュタルク様」
眠りに落ちるのだった。
~ 庭園を舞う蝶と蒼の試練 fin ~