葬送のフリーレン ~ 鋼の英雄の物語 - Path to Stahl - ~   作:rvr75_raiden

19 / 30
■イントロダクション

■ あらすじ

「来年の春、オイサーストへ行こうと思う」

シュタルクとフェルンの長子、シュタアル。
彼は母のフェルンとの壮絶な親子喧嘩と言える模擬戦の末、ようやく自分自身の行く道に覚悟がついた。
守りたいものを守るためには、もっと多くの人と出会い、多くの経験が必要であると。

そんな彼はオイサーストの高等魔法学校の進学を決める……が……

「シュタアル様は特待生に足る実力を示さなければなりません。おそらく冬になる前に試験をパスしなければなりません。それまでお勉強ですね」

ということで……時期が来るまで試験勉強と特訓の日々が始まる。
が……そんな最中に姉弟子ルーエにもちょっとした異変が訪れる

■ 独自キャラクター

葬送のフリーレン原作登場のフリーレン・フェルン・シュタルク既存以外のレギュラーキャラクター

- シュタアル(Stahl) : 主人公。シュタルクとフェルンの間に生まれた長男。16歳。まっすぐな性格で、青紫の髪と三白眼が特徴の少年。出力不足で魔法はいまいちだが剣技と努力で補う。
- ルーエ(Ruhe): 過去にシュタルクとフェルンに救われ、現在はフェルンの教え子兼仕事上の秘書。20歳。黒髪ロングヘアと黒い瞳を持ち、師匠ゆずりの冷静な性格のようで内面は激情家。幼少の頃に魔族の呪いで神代の竜の因子を身体に混ぜられてしまっている。
- ティアフォート(Tiefrot):シュタルクとフェルンの間に生まれた長女でシュタアルの妹。15歳。赤い髪と真紅の瞳を持つ。魔法の才能は母譲りの天才。
- エアフォルク(Erfolg):ルーエと共にシュタルクとフェルンに救われ、現在はシュタルクの教え子兼参謀。ルーエの兄。25歳。黒髪の青年。シュタアルの兄弟子にあたり弟妹達を見守る。シュタルクから斧技を学んでいる。




竜の姫の求愛期 ~Courtship Season of the Dragon Princess~【幕間2-2】

■見てはいけない系の夢


 

中央諸国 クレ地方 元戦士の村のあった……ルーエの自室……の筈

 

旅を終えたシュタルクとフェルンが作り出したクレ地方の戦士の村の跡地に建てられた彼らの住居。

その離れにはいくつかの縁者たちの家がある。

 

その一軒、シュタルクとフェルンの教え子たちが住まう家の中。

机の前で細いペンを持ち、台紙に計算式を書いて頭を捻っているのは三白眼で外ハネした青紫の髪の少年。

シュタルクとフェルンの長男、シュタアルは春に控えたオイサーストへの進学に向けて、試験勉強中だ。

 

そんな様子を穏やかに見つめる黒い瞳と黒髪のロングヘアの女性は、フェルンの教え子であるルーエ。

彼女はシュタアルやその妹ティアフォートの姉弟子という立場にある。

 

「シュタアル様……数学は、日常の係数感覚やパズルのようなものとお考えください」

「う……うん」

 

ルーエとシュタアルは部屋で二人きり。

彼の編入資格を問うための座学の試験に向けて、猛勉強中のはずだ――そのはず。

確かそう。シュタアルが教えてほしいところがあると……ルーエの部屋に来て。

 

「違います。この公式は……」

 

――なんだろう、この違和感。

 

何かがおかしい。

机の上の教科書が、さっきまで開いていたページと違う。

窓の外の景色が、昼だったはずなのに夕暮れに変わっている。

 

「うん……」

 

そして、シュタアルから漂ってくる甘い匂いがする。

近寄りたくて……身体を擦り寄せたくて……いっそのこと口に含んでしまいたくなる衝動に駆られる。

 

―― 夢なのか現実なのか……いったい、これは……

 

見えている光景は甘く、恍惚とした感情が湧き出して抑えられなく……そして何かが不安で――

望んでいることなのか、望んでいないことなのか、そんなこともわからない。

 

「ね、姉さん……近い……」

「気のせいです……いつもこれぐらいではありませんか?」

 

だけど、いつもやってはいけないことも今なら不思議とやってしまって良い気がして……

シュタアルの筆を持つ手とは逆の手にルーエの左手を重ね、彼の指と指の隙間に自分の指を滑り込ませる。

自然とルーエは背後から覆いかぶさるような姿勢へと――

 

「待ってくれ、姉さん、背中に当たる……」

「……何が、ですか?」

 

―― おかしい……普段はこんなこと……

 

したくない……のだろうか? わからない。わからないが……今が普通じゃない感じはわかる。

ただ、俯瞰で感じる思考と感情では、全くと言っていいほど身体を制御できない。

 

気がつけば、テーブルの上で行っていたはずの勉強が、いつの間にかベッドの上で行われている。

まるで欲望の認識が世界をかたどっているかのように風景は曖昧。

背後から顔を擦り寄せ、耳を甘噛みしながらルーエはシュタアルの背中に体重をかける。

 

「シュタアル様……身体を伝って……シュタアル様の熱を感じます……全身から匂いを感じます」

 

背中から抱きしめる姿勢となり、首筋に顔を当てて全身で感触を味わっていると――

 

「ルーエ姉さんっ!」

 

瞬間、反撃とばかりにシュタアルはルーエの腕を取って振り向いた。

 

「きゃっ」

 

―― 駄目!

 

シュタアルは男性らしい力でルーエの腕と肩をつかみ、情熱的にルーエをベッドに押し倒す。

 

「姉さん、俺……俺……」

 

四つん這いで覆いかぶさるシュタアルの瞳には、ルーエ自身の顔が映る。自身でも分かる。恍惚の表情だ――

 

―― こんな表情、私では……違うのですシュタアル様ッッ!

 

いったい何に対しての言葉なのか自分でもわからないが釈明したい。だが行動は止まらない。

 

「もう……」

 

こらえることが出来ない……そんな表情のシュタアルを引き寄せようと彼の身体に腕を回した。

 

―― 私達は、今はまだ……

 

「我慢が……できない――」

 

そうしてシュタアルはゆっくりと――

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「駄目ですっ、シュタアル様っっ!!」

 

叫びつつ飛び起きたところで気づいたのは、自身の部屋の寝室で普通に寝ていたこと。

そして今は朝日が昇る時間であること。

 

先程まで見ていたのは……夢?

馬鹿な……もう思春期の少女でもあるまいし……とルーエは思った。ルーエ自身が思春期の年頃にどんな夢を見ていたかはさておき。

 

「どうして、あんな夢……」

 

まさか、欲求不満が自制できていないのか。だからあんな夢を?

先程まで見ていた夢の内容が消化できずに頭を抱える。

 

「ルーエ。おはよう。起きたのか。朝食の準備をしているから手伝ってくれ」

 

ドアの向こうから声をかけてきたのは実兄エアフォルク。共にシュタルクとフェルンに救われ、教え子として育てられた兄妹。

 

「兄さん……はい。すぐに着替えて――」

 

寝間着のままというわけにも行かず、上に一枚羽織ってドアを開けた。

どうやらルーエがなかなか起きてこないから先んじて準備しているようだ。

 

「なんだ。シュタアルと肉体関係を持つ夢でも見たのか?何かしてほしいなら当人に申し出れば――」

「――衝撃よっ!――」

 

失敬な物言いに小さな魔法を兄に向かって射出するが

 

「おっと危ない」

 

顔をそらして躱し、フライパンを持った逆の手でそれを受け流すようにスルリと回転させて力を逃がした。

 

「ははは、図星だったかな」

「朝から妹にセクハラとはいい度胸ですね、兄さん」

「ルーエを想ってこそだ。ずっと居なくなるわけではないにしても、春から遠距離になるんだぞ。もう今のうちにするべきことをしたまえ」

「大きなお世話です!」

 

そんなエアフォルクが見つめるのはルーエの右腕。

彼女の右腕は、ある魔族の呪いと別の魔族の襲撃による大怪我の結果、竜鱗の腕として再生している。

これには少々、日常でも見た目や強靭すぎるその力に悩まされてきたのだが……

 

先日、シュタアルがルーエにオイサースト行きを告げた翌日から、鱗に赤みが差した。

 

「昨日より赤い……というよりは薄い、桃色か?範囲が広がっている。フリーレン様には見てもらったか?」

「いえ……まだです。意外と最近忙しくて」

「仕事にかまけて健康を損なってはいけない。できるだけ早くな」

「はい、分かっています」

 

兄のエアフォルクは昔は真面目一辺倒な人物だったはずだが

恩師のシュタルクに師事し、生き方を含む様々なことを学んでから、いつの間にか妙に達観したお調子者となってしまった。

真面目でないわけではないのだが……人生を積極的に楽しもうとするのは悪いことではないのだけれど……

 

「とにかく食事を済ませよう。シュタアルも迎えに来るだろう。

 それとも、二人でご休憩をするために午後から出勤するか?」

「兄さん!!」

 

兄のエアフォルクはこの手のからかいに余念がない。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

朝食を終えて、平日の朝の準備時間とも言える頃合いだ。

交易街の人達は開店準備をする者、建材を運ぶ者、畑へと向かう者、学舎へ向かう子供たちで徐々に朝の街が目覚め始めている。

 

そんな中――

 

「姉さん?」

「……はい」

「隣に歩くぐらいでよくない?」

「気に……しないでください」

 

正直、もう不要といえば不要なのだが、なんとなく続いているシュタアルのルーエ出勤エスコート。

そう、なんとなくだ。なんとなーく『今日で終わり』とお互い言えずに続いている。

 

それは良いんだが、本日の姉弟子の距離が妙に遠い。3歩ぐらいの距離を開けてくる。

いつもなら腕でも組めそうな距離で隣に来るのに……

 

『今朝からご機嫌斜めなんだ。右腕の変色も影響しているかもしれない。気にするなとは言わないが悪く思わないでやってくれ』

 

というのは朝方、出る前にエアフォルクから言われたこと。

ちなみに、「結局行く場所は同じだし、エアフォルク兄さんも一緒に行かないの?」と初日に聞いたら苦笑いしながら断られた。

 

「でも、なんか、ほら。姉さんの安全を守るための出迎えだし……腕のことも」

 

数日前 ―― シュタアルが母のフェルンと模擬戦……と言う名の親子喧嘩を経て、オイサースト行きの覚悟を告げた翌日から。

ルーエの右腕――現在は袖の長い服と手袋で隠れているが――それが赤~桃色に染まり始めた。

基本色は黒の竜鱗となっていたが、芯の部分が赤く染まり始めた――らしい。

 

伝聞系になるのは、実はシュタアルは実際に見ていないから。

なんだか唐突に、何故か……ルーエは見せてくれない。

 

(やっぱり、人の腕じゃないって……負担なんだよなぁ)

 

と、思っているものの、フェルンやエアフォルクは普通に見ているらしいのでモヤっともする。

何かできることがないかと思いながら、シュタアルは手を差し出して声を掛けた。

 

「ルーエ姉さん。俺、腕のこと別に……なんていうか、見た目とか気にならないっていうか……

 いや変な意味じゃないんだ。元に戻れるように俺頑張るし――」

 

何か、心に支えるものがあるなら取り去ってあげたい。

手を差し伸べ、ルーエに声を掛けるが、『何言ってんだ俺?』というセルフツッコミが脳内に響く。

 

「……ごめん、やっぱいい」

 

なんだか違うな……しかも、目的地の領主館はもう視界に入っており、勤務する事務員の人達に見られると考えるだけで――。

微妙な顔になりながら差し出した左手を下げようとしたが……

 

「違うんです!……シュタアル様が信頼できないとかじゃなくて――今は――ちょっとだめなんです」

「えっと……どういう?」

「だから――」

 

恐る恐る近寄ってくるルーエは差し出された左手の人差し指を、右手の手袋越しにつまむように指で掴む。

ついでに指に触れた瞬間――

 

「ッッ!!」

 

何かに驚いたようにビクンッと彼女の身体が揺れた。

 

(なんだこれ?)

 

距離は相変わらず微妙に離れている。

手を繋ぐでもなく、指先をつまんだ状態のまま。

 

珍しく視線をそらす姉弟子ルーエを見る限り、これが精一杯なのだと態度で示している。

 

「この状態で……出勤するの?」

「……はい、お願いします……」

 

そんな妙なスタイルで、若干の視線を感じながらも、シュタアルはルーエの出社のエスコートを完遂した。

 

■伝説の魔法使いのカルテ


 

クレ地方の領主は体裁上シュタルクという形であり、フェルンは領主夫人という立場だ。

とはいえ、ほぼ夫婦二人で運営しているため、フェルンも実質的に領主だというのが住民たちの大方の認識。

 

実際の活躍もそれに応じた内容となる。フェルンとルーエがいないと、街の経理が回らない。

何せ彼女の夫であるシュタルクは無類の人情家の領主だ。誰かが引き締める必要がある。

 

そんな役割を担うのがフェルンと、右腕である教え子のルーエ。

彼女たちの事務室の中央にはフェルンの机と大量の書類が置かれ、右手にはルーエの執務机が備え付けられている。

その机の主がいつもより少し遅れて到着した。遅刻というほどの時間ではないが、規律正しい彼女にしては珍しいことだ。

 

「……シュタアルが何か迷惑を掛けていませんか?」

「い、いえ……そういう訳では」

 

そうですか……と言って、言及は避けた。

 

エアフォルクの奸計でシュタアルが毎日彼女の送り迎えをしているのは知っている。

それについて取り立ててフェルンには問い詰めるほどの理由も権利もない。

それは当人たちの自由に任せるべきだ。

 

だが、フェルンはシュタアルとルーエの互いの気持ちをおおよそ知っている。

 

幼い頃から父と母の背を追い、大切な人を救える英雄のようになりたいと願っているのがシュタアル。

故郷を魔族に襲撃され、兄を除くすべての家族と人としての尊厳すら奪われたのがルーエ。

 

(噛み合いすぎたのかもしれませんね……)

 

シュタルクとフェルンも互いに欠けていた部分が、まるでパズルのピースが合わさるようにそばにいて、こうなった。

若い頃の自分を見るかのようで、気持ちは理解できる。

 

ちょっと複雑な気持ちになるのは、そんな実子のシュタアルと娘同然の教え子が予想以上に急接近してしまったこと。

仲の良い家族として認め合いお互いに成長してくれたらという当初の目論見は遥か彼方。そういうレベルではなくなった。

 

どう受け取ってよいものやら……

 

「ルーエ、今日午後からフリーレン様を呼んでいます。

 仕事に関してはライニ様も手伝ってくださるのでまずは診てもらいましょう。

 まずは腕の変化のことをしっかり診てもらって下さい。悪化してからでは手が打てません」

 

何をしても目の前の課題だ。ルーエの腕が赤く変色した……発生している事象は謎だが、さすがに放置はできない。

 

「……わかりました」

 

言い淀んだのは、自身の仕事を誰かに預けることに抵抗があるからだろう。

もう少し柔軟に生きてほしいものだが……

 

「問題があるなら仕事も休んでもらいますよ」

「え……そんな……っ! まだ復帰してから一月も……」

「ルーエ……あまり心配をかけさせないで」

「……はい、申し訳ありません」

 

しょんぼりした様子のルーエの頬に手を当てて「お願いね」と呟くと、彼女はその手を取って静かに頷いた。

この地に招いた頃と比べると随分大きくなった。さすがに仕事の場で頭を撫でるのは避けた。もうルーエは大人なのだ。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「産卵期だね」

「はぁ……産卵……えっ?」

 

領主館にやって来たフリーレン。彼女用に割り当てられた部屋には大量の書籍が飾られている。

自宅の蔵書庫も本だらけなのだが……それはさておき。

 

数冊の呪いに関する書物と竜種の生態に関するもの。あと鳥の生態のについての書籍。

何故鳥かと若干訝しんだが、ルーエの視線も気にせずフリーレンが右腕をじっくり眺めたり魔力の通りを調べること数分。

彼女の下した診断結果はそれだった。

 

「あの……私、卵を産んでしまうんですか?」

 

いくらなんでも、そんな馬鹿な……と思いつつ、思わず確認せずにはいられない。

そこまで身体が作り変わってしまったのか?!

 

そんなルーエの泣きそうな視線に気づいたフリーレンは訂正を加える。

 

「あ、ごめん……そういう意味じゃないんだ。要するに生物的にそういう傾向があるという意味で……」

 

他に言い換えるとね……と腕を組んで考え始めたフリーレンは、ピンと来た様子で告げた。

 

「求愛期。というやつかな」

「求……愛?」

「そう、求愛。心当たりはない?

 これはあくまで推察だけど、生物が発している微弱な魔力や匂いなど諸々が影響しているのかもしれない。

 生物的に最適な相手を見つけると、相手の気配や匂いを甘く感じるという俗説――どうしたの?」

 

目の前のルーエは顔を伏せた状態でストップの姿勢を取っている。

 

「待って……いただけますか……。つまり、匂いなどを甘く感じるという話が仮に真実だとしましょう」

「うん」

「その甘い匂いの相手とは」

「つがいになりたい相手だよ。いる……? っていうか、ルーエに近しい男性って言うとシュタアルか」

 

「それ以外だとシュタルクかエアフォルクだが、さすがにないよね」と付け加えたフリーレンに、ルーエはめまいを起こしそうになった。

 

「つ、つがいとは……」

「言葉通りだよ。種の保存則に則り、自分の遺伝子を残すために選んだ交配相手のこと」

 

あくまでフリーレンは淡々と述べる。さすがに言われなくても分かるのだが、質問の仕方がまずかった。

だが、彼女の説明は止まらない。

 

「ものすごく噛み砕いて言うと、竜としての本能がえっちしたい相手を見つけたということだよ」

 

で、シュタアルだよね?とついでに付け加えた。

ここで否定して「じゃあ誰だ?」という話が出回れば大惨事になる。

致し方なく……ルーエは顔から煙が上がりそうなぐらい赤くなりつつも――

 

「……はい」

 

と渋々答えた。

これ以上、この問答に意味がないことを悟ったからだ。診察に嘘をついても良いことはない。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

少し具体的に話をしようというフリーレンが説明を加える。

 

「竜種の生態というのは結構よく分からなくてね、というのも多岐にわたりすぎる上に収斂進化や異種配合で訳が分からない状態だからだ。

 世界の極地にいる強大な極竜種もいれば、山の崖に飛ぶワイバーンもいるし……高地に住むワーム、四足の獣型ドレイクやトカゲのようなサラマンダーとか。

 全部生態が違うから、一概に竜種の発情期が季節や気候、環境に依存するかはよくわからないんだよ」

 

竜種について書かれた書籍をパラパラめくりながらフリーレンは説明した。

ルーエの中にいる存在は、極竜に分類される中でも神代の時代に神々とも争った黒極龍アートルムという竜。

これは後の人々が勝手に分類し勝手に呼んだ名であり詳細不明。真名は『ニドヘグ』という名であると融合の直前に自ら名乗っていた。

 

我が事ではあるがルーエも竜の生態に詳しい訳では無い。ひとまずは「はあ……」と曖昧に返事をすることにした。

 

「ただ、竜種特有の特性はある。

 生物は大概そうだけど、より強い個体に惹かれやすい。特に絶対数の少ない強大な竜の習性としては……

 適齢期に、自身の遺伝子を残すに適した相手だと認識すると――」

 

人差し指を立てながら説明するフリーレンは、目を見開いてルーエの右腕を見た。

 

「――即座に発情し、雌個体は体色を変える。」

「……」

「という状態を敢えて言葉にすると、求愛期というのかな」

 

眉間に左手を当てて、頭痛を抑えるような姿でルーエは挙手をする。

 

「質問?いいよ」

「要するに、フリーレン様は私が『誰かを』配偶者にふさわしいと本能的に悟ったからこうなったとおっしゃるのですね」

 

色々台無しな感じだったので、ルーエは言い方を選びながら質問する。しかし……

 

「配偶者という社会構造的な話はあんまり関係なく、本能的に子作りしたいと身体が感じたのを竜の右腕が察知したということかな?

 誰かっていうか、さっき認めたけどシュタアルだよね?」

 

淡々と述べるフリーレンにルーエは言葉も出ない……

 

「あの、誤診という可能性は……他の症例は……」

「うーん、一番平和な結論と思うけど。実際、心当たりない?」

 

実際、心当たりがありすぎて困っている。心の置き所に困る。

「わかりました」と言って部屋に帰ってよいのかすらわからない。

 

そんな折、鳴り響くノック音と――

 

「フリーレン様、ルーエ、どうでしたか?」

 

という形で、救いの神なのか審判者なのかわからないが、彼女の魔法の師であり実質的な母親代わりでもあるフェルンが部屋にやって来た。

 

■お父さんとお母さんは悩ましい


 

女性陣が色々やっている裏で……

 

「シュタアル。どうしたの?」

 

執務室の空き机で黙々と勉強している我が子の姿を見たシュタルク。

 

「エアフォルク兄さんがここで勉強してていいって。わからない所があったら教えてくれるから」

「お、そうか。じゃあ、お父さんもなんか頑張るぞ」

 

頑張る息子の応援なら無限にしてあげたい。それが親心というもの。

これでも、結婚して領主になるために色々勉強したのだ。

 

高等学部とはいえ、所詮は若い子たちに教える勉学だ。大人のシュタルクからすれば――

 

「じゃあ……物理学なんだけど、木材を斧で打ち付けた時にこの加速度から得られるエネルギー――」

「エアフォルク、出番だぞ」

 

いや、父の出番はまだここではない。これならばエアフォルクで十分だ。

そう言わんばかりにバトンタッチを申し出ると、やれやれという具合で愛弟子は立ち上がる。

 

「わかりました。シュタルク様はおとなしく仕事していてください」

「はい……ごめんね……うちの子のこと、お願いね……」

 

教え子と息子に半眼で見つめられながら、しょんぼりと自席につくシュタルク。

 

一応、領主様は忙しいのだ……

今も書類が机の両端に積まれており、手元だけはかろうじてスペースが空いている。

 

何にしても目指すものがあるのは良いことだ。

シュタアルの身体的な修行は、彼の年齢としては若干異常なぐらいだ――

自分の若い頃は……アイゼンと喧嘩して渓谷の村で紅鏡竜を討伐するや否や、三年間うだうだしていたなぁ……あの頃――

 

毎日、戦斧を振ることは止めなかったし、フェルンと出会えたことは決して無駄ではなかったけど。

 

「あの時、もうちょっといろんなことやるべきだったな……」

 

それを聞いたエアフォルクは、シュタアルの勉強を教えつつ言葉を返した。

 

「シュタルク様はその後が激動の人生すぎるので良いのではないでしょうか?

 普通の人は伝説のエルフに連れられて運命の人と出会い、宿命の大魔族と一騎打ちするなんてありえません」

 

そしてシュタアルもそれを聞いて意見を述べる。

 

「そういう言い方すると、絵本の英雄譚ぽいよね……中身が父さんと言われると情緒がアレだけど」

 

なんでお父さんだめなんだよ!お父さん頑張ってるよ!と思いつつも、手元の書類をコツコツ処理した。

勉強の邪魔かもしれないけど、この際、気になることも聞いてしまう。

何せ女系一家(?)ゆえに、男しかいない空間というのも稀だ。ティアフォートのシュタアル監視網も現在封印中と聞く。

 

「ルーエの出迎え、ずっと続けているけど……いや、それ自体は良いんだけど。春からどうする気だ?」

 

出迎えをどうするか……というよりもっと根本的な問題。

 

シュタルクは……なんやかんやあって、フェルンとフリーレンに出会ってからずっとそばにいた。

滅んだ故郷に足を踏み入れて、故郷に残るか旅を続けるかという選択肢を前にするまでは、疑問に思うこともなかった。

シュタルクにとってフェルンとはそのような存在だ。結果論から言えば、離れることなんてできなかった。

 

シュタアルは……どうなんだろうか。彼にとって、ルーエはどういう存在なんだろうか。

思春期まっただ中の息子がこれに答えてくれるのかと考えると、父としてはかなり聞きづらい質問だ。

 

(今ならエアフォルクがいい感じにフォローしてくれる!!)

 

実に心強い、いい感じにシュタルクのことも、若いシュタアルの事もわかってくれる兄貴分。

 

一方で、

 

「……」

 

シュタアルは「聞くのかよ、それ」とでも言いたげな顔でシュタルクを睨んでくる。

 

ナイーブになるところだよね……とは思うけど、そのへんどうですか?という気持ちで睨み返す。

多分、頬がひきつった変な笑顔になったと思うが――

 

「シュタアル。シュタルク様は本当に君を心配しているんだ。

 下世話な好奇心で息子の恋路を覗き見たいわけじゃない。なんせシュタルク様はフェルン様しか女性との深い関わり方を知らない方だ」

「エアフォルク、否定しないけど言いすぎだよ……」

「……別に、姉さんと俺は姉弟子と弟弟子でしか――」

 

口をとがらせ尻すぼみになって小さくなる様子は、大人から見ればわかりやすい態度と映るのだが。

 

「ふむ、どうでもいいならこの話はなしにして勉強を続けようか。

 ああ、ただ夕食時の世間話にルーエに話してしまうかもしれないなぁ……」

 

顎に手を当ててそんなことを言い出したエアフォルクは、悪い顔をしている。議会の老人たちを論理でねじ伏せる参謀の顔だ。

 

「ぐッ……」

 

悔しげに表情を歪めたシュタアルだったが、観念したのか、自分の想いをポツポツと語り始めた。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「求愛……期……? ルーエが?」

「そう」

 

こちらはルーエたちの元に訪れたフェルンの言葉。

なんということもなく頷くフリーレンに、フェルンはルーエの方を見た。

 

「求愛、しているのですか……?」

「……わかりません」

 

頬を赤く染めつつ視線を逸らすルーエは回答を濁す。

もう、その態度が回答になっているのだが……

 

フリーレンからの説明はとても簡潔なものだ。

ルーエのひた隠しにしている気持ちに対して、体内に潜む竜の本能が先に反応してしまった。

選んでしまった。表に出してしまった。ずっと一緒にいたい――という彼女の願いを。

 

(まったく、誰に似てしまったのか)

 

彼女を保護したのは10歳の頃で、魔族・鮮血公ナハトに奪われた全てを取り戻せるように迎え入れた。

魔法を教えたのは生きるための知恵と力を求め、一途に懸命に学び続けたルーエが望んだことだった。

それは、シュタルクとフェルンから与えられたものを違う形で彼女なりに返していきたいという無私の願い。

彼女は真面目で優しく、己が運命と境遇に決して退かない、フェルンにとっては娘同然の愛弟子。

 

(そんなルーエが強く望んでいること……か)

 

かつて、シュタルクが滅びた故郷を前にした時、

フェルンがシュタルクとの関係と自身の運命を天秤にかける姿を目の当たりにして、ある願いを抱いたことがある。

 

―― 何一つ諦めたくない

 

だからあの時シュタルクに伝えた。

『自分たちは全てを願って良いのだ』と『私は何一つあなたのことを諦めたくない』と――

 

「ルーエ。こっちを向いてください」

「……」

 

申し訳なさげにしている彼女に、フェルンは微笑みかける。

本当に……つまらないことを気にしているのだろう。でも、それは彼女が誠実である証拠だ。

 

「私とシュタルク様は、あなたとエアフォルクに、子供たちのお兄さんとお姉さんになってほしいと伝えたことがあります」

 

家も家族も領民もすべて失った二人が生きるために、きっと必要になるだろうと。

ルーエとエアフォルクにはそう伝えた。彼女はまだ幼かったシュタアル達に、不器用ながらにも年上として接してくれていた。

 

「あなたを受け入れた時、それが必要だと思ってシュタアル達に引き合わせました。その判断自体は今でも間違っていたとは思いません。

 でも……もうルーエは大人です。あの日の私の言葉が枷になるなら、あなた自身の判断で外して良いのです」

「フェルン先生……でも、私の……これは……あなた達の大きな負担で……私は……」

 

ルーエは赤みが差している竜鱗の腕に視線を落とす。

そんな迷う彼女をゆっくりと抱きしめると、驚いたような息遣いが聞こえた。

 

「シュタアルがその話を聞いた時に、一歩でも退きましたか?態度が変わりましたか?

 ヴェノムとレヴナントを前に、力を解放した姿を見た時、なにか……言いましたか?」

 

回答に僅かなためらいが交じった。口にするのは覚悟が必要なのだろう。ルーエにとって、何より大切な想い出だから。

 

「……大切な人だと……何一つ譲ることはできないと……言ってくれました……」

 

そう、シュタアルは何も変わらなかった。その後も、ずっとあの子は――

 

「……だったら、きっとそれがあの子の真実です。ルーエ、あなたはどうなのですか?」

「私は……」

 

ゆっくりと語りだすルーエの言葉に、一つ一つ相槌を打ちながら――

 

「そうですか……わかりました」

 

ただ受け入れることでそれに答えるのだった。

 

■暫く様子を見てあげたい


 

その日の夜、子供たちが寝静まった居間で、大人たちはテーブルを囲んで顔を見合わせた。

 

「なるほどなぁ……ルーエがそんな状態だったのか」

「はい……」

 

そのことを受けて、フリーレンがシュタルクとフェルンに補足する。

 

「二人の気持ちはさておき、別の問題として、ルーエの変化は経過観察が必要かな」

「何か問題あるの? 高位の竜種の求愛期や産卵期って、どんなものなの?」

 

シュタルクの疑問に、フリーレンは考え込むように腕組みをしつつ答えた。

 

「卵の受精を確実にするため、体力のある限りむちゃくちゃ交尾するよ」

「……いや、そういうんじゃなくて」

「フリーレン様、さすがにあんまりです」

 

そんなフリーレンの情緒もへったくれもない回答に夫婦は半眼になって応じた。

 

「そうかな……でもまあ、重要な点だよ」

「どこが?」

 

師がすっとぼけたことを言うのはいつものことだが、その知識から出される見識が的外れだったことはない。

口元に手を当てたフェルンは、その言葉から生み出される可能性を推察した。

 

「まさか……子供ができるまで発情状態になってしまうということですか?」

「シュタルクとフェルンもついにおじいちゃんとおばあちゃんか……感慨深いね」

「待て待て待て、シュタアルは春からオイサーストに行くんだぞ。そんなことをやらせられるか」

 

さすがにそんなことは看過できない。ルーエが20歳でも、シュタアルはまだ16歳だ。

それは親として許せない。

 

「冗談はさておき、だから経過観察は必要だよ。

 ルーエの身体の竜の本能は、身体に混ざった神代の竜の因子と魔力が生み出す擬似的なものだ。

 ルーエが自身の意思で魔力を制御できれば、沈静化できる可能性はある」

 

「なるほど?」とシュタルクは首を傾げつつも頷く。理屈はなんとなくわかったが、魔法のことはわからない。

 

「今日フェルンがルーエの意思を聞いたのも悪いことじゃない。

 竜の本能じゃなく、自分の意志がそう望んでいるとイメージすることで、ルーエの意思が上回れば……抑えられる……かも?」

「何故、疑問形なんですか?」

「だって、そんな症例が世界でこれ1件だけなんだもん……推察にしかならないよ」

 

しょんぼりとした顔でフリーレンがギブアップ宣言をしたが、仕方ない。

彼女の状況はシンギュラリティポイントの塊な状態なのだ。

 

「抑えられなかった場合は、どうなるんだ?」

「そうだね……

 

 ―― 多分シュタアルを襲って、むちゃくちゃえっちなことをする――かな?」

 

真顔で答えるフリーレンに、シュタルクとフェルンは思わず肘がテーブルから滑り落ちた。

 

「だから、そういうんじゃなくて!」

「フリーレン様、流石に親として……その結論はちょっと」

 

いい加減、何の議論かわからなくなってきたのでフェルンがまとめる。

 

「経過観察で、解決が難しいと判断した場合、どうするかを決めましょう」

「そうだね……さっきも言ったけど、身体は人間のルーエにとって、この現象は竜の因子の魔力が引き起こす疑似症状だ。

 一つ、荒療治的な解決策もある」

 

「どんな?」

「ちょっと、広い空間が必要だね。あとは――」

 

何か思い出したように微笑むフリーレン。

 

「シュタアルがルーエのことを大切に想う覚悟かな」

 

フリーレンのその言葉にシュタルクは「なら大丈夫そうだ」と応えてその場は解散となった。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

翌日、ルーエには自身の気持ちを受け止め、魔力の慎重な制御により鎮静の可能性を伝えて数日を過ごしてもらった。

暫くは……自身の気持ちをまっすぐに受け止め、安定した日々を過ごし、鱗の赤みの変化も止まり、あとは慎重に元に戻れば……

 

と思っていたのだが、そうは問屋が卸さない……という星の下に生まれたのがシュタアルという少年だった。

 

■勉強と血液と本能の目覚め


 

『ちゃんと、誤魔化さずに自分の気持ちを素直に受け止めて――制御すればよい。

 ルーエの気持ちに、恥も咎もない。勇気があるなら素直に伝えれば良い。シュタアルは受け止めてくれる子だ。だから負けないでね』

 

フリーレンから伝えられた当面の予防策。

先日、師でもあり、母親代わりでもあり、いわゆるシュタアルの実母であるフェルンに想いのたけを聞いて受け入れてもらってから少し安定した。

連日見ていた妙な夢は……見なくなった……と思う。いや、嘘です……時々見ました。

 

しかし、生活上変なことは起こらないようにすることには成功していたように思う。

 

現にこうして、彼に勉強を教えている。

 

「シュタアル様、北側諸国の大国である帝国の歴史は長く複雑です。

 しかし、フリーレン様の師である大魔法使いフランメ様の活動を起点に見ると、系統だった変化をしてきたことに――」

「はい、姉さん!」

 

シュタアルの挙手にルーエは「どうぞ」と促す。

 

「遠いね……」

 

というのも、領主館の会議室を使った勉強会。テーブルで勉強するシュタアルに対して、ルーエは黒板に文字を書きながら説明している。

学舎の座学の講義形式になっている。

 

「……そんなことはありません。普通ですよ?」

 

フェルンに想いをぶちまけても当人に言えるはずもない。

そもそもフェルンとシュタルクに拾われる前までは箱入り娘だったのだ。経験などあろうわけもない。

そこから10年間だ。目の前の少年の『天然人誑し』を浴び続け、燻り続けた日々は――

 

「まあ、良いんだけどさ……いてっ」

「シュタアル様!?」

 

手元の歴史書をめくる際、痛みを訴えたシュタアルにルーエは思わず駆け寄る。

 

「あ、気にしなくていいよ。ちょっと指の先を切っただけで……こんなの舐めておけば――」

「血が出ているじゃないですか。化膿する前にちゃんと手当をして――」

「姉さん?」

 

シュタアルの手をとり、指先の傷から出た血を見た瞬間、ルーエの黒い瞳に赤が混じった気がした。

 

「血が……治療に……舐めれば……」

「え、ちょっと姉さん……? まって!まってまって」

 

ルーエは徐々にシュタアルの指を口元に近づけていく。

 

「舐めるって……冗談で、この程度なら俺の魔法でも直せるから! ちょっと、姉さん、すごい力だよ、全然離せない!!」

 

気持ちばかり女神の魔法の適正があるので切り傷程度なら自分で治療するシュタアル。だが……この状態は全く集中できず発動もままならない。

 

「血が……血を……」

 

虚ろな瞳のルーエ。小さく口を開け、指先に溜まった血を舐め取るように――

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「――ッッ!」

 

館内であり得ないほどの魔力の高まりを感じる。部屋を飛び出したフェルンは、その気配のする方向へと向かった。

 

「フェルン!さっきシュタアルの悲鳴が」

「シュタルク様。ルーエの魔力が――」

 

先程、シュタアルが勉強するために使うと言っていた会議室。

 

「封鎖の魔法がかかっています……」

「逃さないためか」

 

顔を見合わせ、覚悟を決める。もしかすると、微妙に時すでに遅しだったらどうしよう……

だが放置はできない。フェルンは瞳を閉じ、ままよと封鎖の魔法を強引に解除する。

 

「シュタアル!ルーエ!!」

 

そして二人が見たのは、シュタアルにまたがり馬乗りになったルーエと……

 

「く……、ぬぬぬ……姉さん!目を覚まして! めっちゃ怖い! 目が怖い!」

「シュタ……アル……様……私は……あなたが――あなたを――」

 

どうやらまだギリギリ、なにかを守れていたっぽい我が子シュタアルの姿。

 

「フェルン、ルーエの動きを止めて!!俺はシュタアルを確保する」

「わかりました!」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

そして再び医務室。

 

駆けつけたフリーレンとエアフォルクが加わり、ちょっと手狭になってしまった。

 

「駄目だね……これは……そう簡単には止められないかも。目覚めた瞬間にシュタアルを襲うよ」

 

ルーエの右腕は赤みが差すどころか、真っ赤になっている。

聞いてはいたが、初めてその状態を見たシュタアルは眼を丸くしている。

 

「姉さん、こんな状態で……」

「参考までに何があったか聞いて良い?」

 

というフリーレンの言葉にシュタアルは先程起きたことを説明する。シュタアルが指を切って血を見たこと。

彼女がその血をみて様子がおかしくなったこと。心ここにあらずでそれを舐め取って来たこと。

 

あと指を舐められるのって変な気持ちになりそうだったことは伏せた。絶対に秘密だ。

 

「そしたら……眼が赤くなって」

「血は体中に魔力を巡らせる循環役そのものだ。魔法的な解釈で言うと、人の血にはその人間の魂の情報が宿っている。

 ルーエはそれを体内にわずかながらに摂取して……確定したわけだ。残すにふさわしいと」

「……えっと、何を」

 

不思議そうにするシュタアルに、フリーレンはシュタルクとフェルンの方を見る。

シュタルクもフェルンも仕方ないという様子で頷いていた。

 

「つがうべき相手のことだよ……」

「つがう……って、親鳥がオス・メス揃うという意味で?姉さんが?俺を……?確定……?」

 

シュタアルの顔がみるみる赤くなる。

若干気まずそうにするシュタルクとフェルン。

 

「まあ、ぶっちゃけ今更だよね……なんで私達こんなに気を使ってきたんだろう?」

 

フェルンとシュタルクの色々を見続けてきたフリーレン。細かい情緒はさておき。

流石に好意のベクトルぐらいは理解するに至った。ただ、双方向に向き合ってて重なり合っているのにすれ違う理由が未だに理解できない。

合理的ではない。ちなみに当人がヒンメルの想いをスルーし続けてきたことは棚上げではある。

 

「フリーレン様、当人たちには割と一大事なんです。姉弟子と弟弟子という距離感だからこそ、普段からうまくやってこれた。

 そういうバランスを判ってあげて下さい」

「概念がややこしい……」

 

そんな魔法使い師弟のやり取りに、申し訳なさそうにシュタアルは挙手する。

 

「これって、いわゆる竜の呪いでこうなってるんだよね。ね、姉さんの、その……気持ちは?」

 

これには母のフェルンとフリーレンも残念な顔をせずにはいられない。

空気の悪さを察したシュタルクとエアフォルクが慌ててシュタルクを部屋の隅に連れ込む。

 

(お前今更何いってんだ! 男らしく受け入れろ!)

(父さんが言う……!?)

(お父さんはお母さんを100%受け入れてる!)

(シュタアル……ルーエの兄として悲しいよ。疑ってくれるな。どんな気持ちで君のそばにいたと)

(だって……)

 

なにやら密談を始めた男性陣を放置して、フェルンはフリーレンに問う。

 

「これはいきなりなんですが……もう荒療治のカードを切らざるを得ないのですか?」

「まあ、そういうことだね……頑張ってもらおうか」

「しかた……ありませんね」

 

ちなみに、男性陣の方は

 

「え、シュタアルはその、こういう時に何をするのか知らないのか……!?」

「シュタルク様……何故教えていないのです……フェルン様と毎晩のようにしていることでしょう」

「流石に毎晩はしてないよ!? っていうか言えるか!!」

「妙な純正培養を……いや、しかし俗世に触れれば何らかの形で知るに至るように。

 いや、誰かが情報を封鎖を……そうか、ティアフォートか……あの子は……小癪なことを!!」

「俺、結局、姉さんに何をされそうだったの? ちゅーとかそういう感じ?」

「シュタルク様、教えますよ!いいんですね!」

「くっ、仕方ない、エアフォルク……頼んだ!」

 

なんか、受験に使えそうもない知識の授業が始まっていた。

 

■本能と本音と肉体言語と


 

「むりむりむりむりむりむり!!」

 

エアフォルクからレクチャーを聞いたシュタアルの反応がこれである。

いわゆる雄しべとめしべがどういう方式を取ることで効率よく受粉に至るのか。

その人間バージョンの方法論について一通り聞いちゃったときのシュタアルの反応。

 

「そんな……そんなえっちなことが、大昔から人の数だけ行われてきて……父さん!?」

「あー、うん……お前が元気に育ってくれて、俺は幸せだよ……」

「どうして目を合わせてくれないんだよ、父さん、母さんも!」

 

案の定、母のフェルンも目を合わせてくれない。

一方でフリーレンは「一つ大人になったね」と言って親指を立てていた。

 

「シュタアル、とりあえず今の言葉は聞き流そう。

 ルーエだけじゃない、女の子の前で無理と言ってはいけない。ものすごく相手を傷つけてしまう。

 君は特にそうしないと将来背中から刺されかねない」

「なにそれ怖い!!」

 

情けない顔をするシュタアルに、エアフォルクは肩に手を置いて語りかける。

 

「気をつけるんだ。それにこれは神聖で大切な行為だ。

 シュタルク様とフェルン様も、君の弟のアストルが生まれてからも毎晩のようにやっている」

「えっ!そうなの!?」

「だから、毎晩はやってねーよ!!」

 

そんなシュタルクのツッコミは耳に入っているのかいないのか、シュタアルは地面に両手をついてうなだれる。

 

「俺だけ……知らなかったんだ」

 

「フリーレン様、とりあえずルーエの意識が戻る前に……次のフェーズに移らないと。

「まあ、そうね……

 シュタアル。反省は全部終わってからだ。行くよ」

「行くって、どこへ?」

「ルーエの状況を解決出来る場所だよ」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

(ここは……?)

 

意識を取り戻したルーエが感じたのは木々のざわめき、風と草と土の匂い。

恐らく、シュタルクとシュタアルがいつも修行で使っている森の中。

 

(喋れない……)

 

感覚はあるのに喋れない。まるで身体のリソースが何かに乗っ取られているかのような感覚。

真っ先に考えてしまったのはシュタアルのこと。彼を探さなくては。

探して、捕まえて、抱きしめて……そして……

 

うまく言葉にならないが、どうするべきかだけは身体が分かっている。そんな感じがする。

 

―― 近くにいる

 

確信したルーエは立ち上がった。

シュタアルの場所を探そうとして、今までとの違いに気づいた。

かつて感じたことのない開放感。全身が大気中の魔力と命のざわめきを感じている。

 

これが、極竜達が普段から感じている感覚器官のようなものなのだろうか?

 

―― 来る

 

と、すぐ後ろで着地音が鳴った。

振り向くと甘い匂いが漂っていて、視界に入れるだけで愛おしさが溢れ出る。

 

(ああっ、シュタアル様――すぐに、お側に――)

 

しかし、シュタアルは、刃を封じた剣を携え、隙のない様子で構えていた。

 

「姉さん……」

 

―― 関係がない。

 

「これから体力尽きるまで……」

 

―― 剣を取り去り、服を脱ぎ捨て

 

「俺と――」

 

―― ありのままの雄と雌となり

 

「勝負だ!!」

 

―― 重なり合うだけっ!!

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

一級魔法使いフェルンの最強の教え子であり、シュタアルの姉弟子のルーエ。

両親やフリーレン、アイゼンを除き、シュタアルにとっては最も対峙したくない相手。

家族だから手が出せないという話ではない。勝てるイメージが想像できないから。

 

強さのステージがワンランク異なる。しかも今は神代の時代の黒極竜アートルムの因子が上乗せされている。

 

『いいかい、シュタアル。ルーエのこの状況、解消する手段は2つだ。

 まずは1つ目、ルーエの発動してしまっている本能の願いを叶えること』

『それって……』

『生物的な意味でつがうってこと』

『……もう一つは』

 

杖も握らずに飛び込んでくるルーエ。魔法使いとはいえ彼女の竜鱗の右手から繰り出される一撃は人間を簡単に砕く威力がある。

凄まじい勢いで襲い来る右手に対して、間を縫うように腕を差し込み内側から受け流す。

受け流した勢いを殺さず、掴み、足を払って重心を崩し――

 

しかし、寸でのところで彼女は跳ね上がり、一回転して距離の離れた場所に着地した。

しなやかで柔らかい、体術に心得のある者の所作。

 

「ライニさん……今日だけは恨むよ」

 

シュタアルに体術の基礎を教えてくれた元オルデン家の使用人であり御庭番でもあった達人。

保護した直後のエアフォルクとルーエの面倒を見ていたのも彼女。当然。その基礎技術を伝えていないわけがない。

 

『もう一つ――これは結論は簡単で、実態の難易度はひどく高い。

 でも、ルーエを大切にする君好みの方式だと思うよ』

『それって……』

 

着地したルーエはためらうことなくシュタアルを追いかけてくる。

今度は両腕に蜘蛛の糸を出す球体を生成している。恐らくは捕縛するつもりであろう。

 

『今の彼女の状態は体中にあふれる魔力を燃料に発動している疑似的な発症。

 逆に言えば、これを全部使い果たしてしまえば……症状はおさまる。それが荒療治。

 だからシュタアルは全力で回避をし続けて』

『判った。……でも捕まったら?』

 

ルーエの手のひらから繰り出される糸が縦横無尽に張り巡らされる。

 

ライニさん直伝の独自のワイヤー操術だ。さらにルーエの能力が加わり硬さや粘性を自在に変えられるという反則級の技。

だが……見えづらいが……微細な魔力の流れを感じる。

 

今の自分なら、分かるはずだ、斬れるはずだ。

熱を捨てず、心の揺らぎだけを捨て、真なる眼で見定めろ!

 

シュタアルは機剣レーヴァテインの刃を一時的に解放し、真正面の糸へと――

 

―― 一閃を放つ ――

 

『簡単だよ……――シュタアルがルーエにすごくえっちなことをされる』

『駄目じゃん!!』

『シュタアルがルーエに凄くえっちなことをされる』

『2回言わなくていいよ!』

『まあ、聞いてよ……いざという時はなんとかする。まずは全力で抗ってみて』

『――判った、フリーレンや母さん達を信じるよ』

『任せて!シュタアルが捕まったら全力で暗幕の魔法と遮音の魔法をかけるから!半日ぐらいだよ!』

『信じる心返して!!助けてよ!!』

 

要するに、助けは来ない。何か男として大切なものを賭けた全力の鬼ごっことなる。

終了は……ルーエの魔力が切れるまで……

 

「シュタ……アル……様……私と」

「悪いけど姉さん!正気の姉さんに話したいことがあるんだ!伝えたいことがある。

 それが終わらない限り、妙なことにはなれない!」

 

出来るかどうかわからない。だが心を強くしなければきっと届きはしない。

 

(待ってろよ、ルーエ姉さん……)

 

「俺が目を覚ましてやるよ!」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「騒がしいと思ったら、父様、母様、説明してください。ルーエは何故兄様を襲っているのですか?」

「ルーエお姉様……どうしたんですか? いつもの優しい感じじゃありません」

 

遠くで見ていたシュタルクとフェルンに声をかけてきたのはシュタアルの妹のティアフォートとエリシア。

学舎の授業の時間が終わり、やって来たのだ。恐らくは魔力の蠢きを感知してやって来たのだろう。

 

「見つかったか……」

「こんな荒々しい魔力を隠す気があるんですか、というレベルです。学舎の教員経由で協会にも連絡が行くし、女神教会だって……ルーエは……」

 

ティアフォートの正論。口は荒いが、誰のことを心配しての言葉かは推して知るべし。

 

「心配ないよ。これは必要なことだ。魔法協会にも女神教会にも何も言わせない」

 

シュタアルとルーエの様子から一瞬たりとも目を離さないフリーレンの一言。

思いのほか……この二人の行く末に対する思いは強い。少なくとも、彼女の様子を見ていたフェルンにはそう見えた。

 

「次代の英雄と、神代の竜の因子と、その巫女が一同に介し、ぶつかり合っている。あるいは時代の転換点かもしれない……」

 

竜の交配に関しては師は随分好き勝手な言い方をしていたが、あるいは彼女なりに大きな出来事としてこの命運を見ているのかもしれない。

 

「それにしても、これでかかっているのがシュタアルの『命』じゃなくて『貞操』っていうのは何かなぁ……二人に子供できちゃうってのはまた別次元の問題だけどさ」

「……父様。今なんとおっしゃいましたか? ねえ……何とおっしゃいましたか?」

「……シュタアル兄様とルーエ姉様に? 子供……出来ちゃうの……ですか?」

 

ごめんね、シュタアル。今お父さんの不用意な発言が、もしかしたら明日のお前の命運を揺るがすかもしれない。

純粋なエリシアは目を丸くして、言葉の意図を測りかねつつも見定めている。むしろ喜びそうな娘なのでこちらは大丈夫なのだが……

炎の如く赤く燃える深紅の瞳の奥に凍てつく何かを宿す最凶の妹ティアフォートは、凍りつくような勢いで父シュタルクに食って掛かってきた。

 

■竜の本質、英雄の覚悟


 

――勝てるかもしれない。このままならば、ずっと回避し続けることも可能かもしれない。

 

右手の凄まじい力は脅威で、振るわれる攻撃は気を抜けば簡単に人を砕く。

だけど……何故だろう。ヴェノムと戦ったときほどの恐怖を感じない。

母の出した空間制圧魔法『蒼の蝶の舞う庭園を描く魔法(アズールガルデン)』のような得体の知れなさを感じない。

 

もちろん勝てるかどうかはわからない。きっとどこかで体力や空腹の限界が来る。まだ楽観視はできない。

 

しかし、本来の彼女の実力で真正面から対峙したとしたら……未だに勝てるイメージが湧かないはずなのに。

なんなら、今目の前にいるルーエ姉さんは普段とは比べ物にならない魔力を纏ってのに……真の強さとは何なのだろう?

 

唸りを上げて、シュタアルを襲いかかるルーエ。

身を任せればある種の結論が出る……だが、そうなるわけには行かない。

 

目的を果たさなければ……きっと思いは正しく伝わらないのだから。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

――捕まえることができない。これほど甚大な力を出しているのに……

 

どうして逃げるのか。資質も気持ちも運命も何もかも、帰着する点は同じはずなのに掴めない。

眼前の愛おしい雄……少なからず好ましい感情を抱いてくれている。そんな自負がどこかにあった。

 

『悪いけど姉さん!正気の姉さんに話したいことがあるんだ!伝えたいことがある』

 

はず、だったのに――

 

どうして、思い通りに……ならない……のか……

ならば……全力を……もって……何もかもを奪ってでも――

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「――うあああああああああ」

 

突然ルーエが魔力を高めて叫び出した。彼女の全身から黒い魔力が吹き出してくる。

 

「次は……なんだ……!?」

 

これはあるいはアートルムの出す魔力なのかもしれない。こちらは攻撃が何もできないのに……

実に理不尽で……最高にとんでもない――

 

「ッッ!!」

 

右手を振りかざし、爪による攻撃が来るように見えた。シュタアルは本能的に一歩前に出てその力を根本で殺す。

それと同時に背後で岩が砕けるような物音が響いた。

 

「ぐ……一撃が重い……」

 

背後に岩はあった。10mほど後ろ。手が届くような距離ではない。

ちらりと視線を移すと、大きな岩がまるでバターのように綺麗に4等分されている。

 

(ウソだろ……)

 

気を移した一瞬、正面のルーエから大きな衝撃を感じて吹き飛ばされた。

 

「おわっ」

 

距離を開けられ、彼女の全身をその目に捉えて納得した。とんでもないことになっている。

決して肉体が変異しているわけではない。あくまで人の体を保ったまま……

 

「封印解除なしでこれとか、何の冗談……」

 

背中の翼、両腕の爪、臀部の尻尾、そして側頭部から生える龍角……全てが黒い魔力の塊として現れている――

 

翼は飛翔の魔法と羽ばたきによる圧力を担い、爪は岩を砕く斬撃を与え、尻尾は全身を巡る力の結晶となる。

龍角に至っては複雑すぎて読み取ることもできない。

 

「……ここまでやる!?」

 

そこまでえっちが大事なのか……いや、種の保存と考えれば重要なのかもしれない。

だったら、全力で答えるまで!!と覚悟を決める。

 

「俺は姉さんと真正面から話さない限り、何もしないぞ!!」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

目的のためにすべてを出し尽くす。これはそう長くは持たないだろう。

物質干渉級であり、極竜種の情報量を持つ各部位の形成。

人知を超えた消費魔力量。

 

何故ここまでするのか。自分でもわからない。わからないが――届かないと思った。

眼の前の、もう少年とも弟弟子とも言えない小さな英雄の信念と覚悟に――

 

「ああッ!!」

 

大地に巨大な跡を残す爪の斬撃も――

 

「ぬああッ!!」

 

巨木の束を一撃で砕く尻尾の殴打も――

 

防御障壁と剣の防御、受け流しの技術を駆使し、吹き飛ばされながらも……その瞳はこちらを捉えて離さない。

 

だからこそ……何にも代えがたく愛おしいのに――

 

―― 届かない……

 

(どうしてですか、シュタアル様……私が嫌いですか……受け入れられませんか……この呪われた身が忌まわしいですか)

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

(綺麗だ――)

 

どうしてかわからないけれど、美しいと思った――

 

過去に何度か思ったことがある。己を守るために戦った父と母の背中、夢の中で見た白い外套の剣士の最期、祖父アイゼンの振るう戦斧の軌跡。

それぞれに抱く感情は似ているようで何かが違う。

 

眼の前のそれは嵐のごとく、暴力的であるはずなのに。その姿と、舞い踊る、黒い髪と、魔力。

一度たりとも自分から逸らせない視線に乗る熱と想いには、何一つ嘘がなく美しい。

 

「ぐあっ!!」

 

防御障壁を使っていなしても、振るわれる尻尾からの一撃が体の芯に響く……本来シュタアルより軽いはずのルーエの攻撃があまりに重い。

その威力に意識が飛ぶかと思ったが、ギリギリのところで耐えられた。

 

(終われない、まだ倒れられない)

 

翼を広げ、尻尾を翻し、空に浮かぶルーエの瞳は煌々と赤く輝きこちらを見下ろしている。

 

(まだ伝えてない)

 

急降下しながら右腕の爪による凪払い。それを必死にレーヴァテインと防御障壁の組み合わせで払ったが……

返す刃ではなく、一回転した尻尾によって拘束された。

 

「おわぁぁぁぁっ」

 

連撃で放たれた尻尾に絡み取られ、勢いよく上空へと放り投げられる。

何もない上空はまずい。軌道をこちらで制御できない。

 

―― シュタアル、構え直せ!! ――

 

今回の戦いで初めて響いた、危険を告げる心の声だった。

下方に向き直すとルーエは上空のシュタアルに手を向けて魔力を貯めている。

 

「もう立ち上がれないようにするなら、何でもありか!?」

 

なんとなくだが―― これが最期の一撃になる。そんな予感がした。

 

■願いと誓いと呪いと咬み跡


 

「兄様! 父様、母様、フリーレン様!!本当に良いんですか!?こんなの。兄様でも無事で――」

 

駆け出そうとしたティアフォートを手で制したのはフリーレン。

 

「大丈夫だ。シュタアルの目は死んでない」

「でも……」

「ここで止めたら、あの子が二度とルーエに向かい合えなくなる」

 

フリーレンの強い語気にティアフォートは何も言い返すことができず、その場に立ちとどまった。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「―― 全てを薙ぎ払う裁きの光(ビクシオマ)―― 」

 

ルーエの側頭部にある黒い龍角が、両手の魔法の形成と共にパキパキと砕けていく。

シュタアルが読み取れない魔力の塊は、理解できない魔法へと変質していく。

 

龍角はこのためにあったのかとなんとなく理解した。

正直、この状況でぶつけるものがこれ以外ない。シュタアルは機剣レーヴァテインの刃を解放して、これに構えた。

 

「 ―― 万象に希う(こいねがう) ―― 」

 

撃ち出される属性も分からない魔法を斬るなんて、はたしてできるのか。

 

「 魔力を食らって……魔法を断ち切れ―― 相棒(レーヴァテイン)

 

放出でぶつけるものがわからないなら……これだ!!と無茶を承知でイメージする。

 

そして、放出された魔法と、剣が――

 

―― 「「ああああああああああああ」」

 

交錯し――その衝撃が音と光となった――

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

場合によっては、強制介入の準備をしていたシュタルクとフェルンだったが、もはや状況はその領域ではなくなった。

フェルンは思わず師の名を呼ぶ。

 

「フリーレン様……」

「ちょっとした痴話喧嘩みたいなところから、すごいものが出てきたね。

 次代の子供たちの才覚と信念ってのはとんでもないものだ」

 

その光景を見ていたフリーレンはしみじみと語る。

 

「ルーエは……私たちで守るけど……シュタアルは協会が放っておかないかもしれないな」

「受験して、自分で行くんじゃなかったっけ?」

「それはそれ、これはこれだよ。今のシュタアルの力を……評価できる度量を大陸の魔法協会は持っているかな?」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「あれ……?」

 

撃ち出された魔法と剣の一撃がぶつかって……それからどうなったんだ!?

 

目の前が真っ白になって――一瞬気を失ったような気がして、ふんわりとした柔らかい感触に包まれた気がして――

 

はっ――と目を覚ました瞬間に分かったこと。

 

―― 自分の状態は、地面に倒れている。

―― 手足、というか全身は五体満足で残っている。だけど動かない。

―― 腰のあたりが重い。ルーエが馬乗りになって乗っている。

 

「えっ、あれ?」

「シュタアル……様……私は……あな……た……の」

 

気がつけば上空にそびえる月を背景に、輝く瞳と共に、恍惚の表情でルーエはシュタアルを見下ろしている。

 

「俺……負けた……? 全然動かない!? 何これ?」

「私は……あなた……に……」

 

徐々に体勢をこちらに屈め、ルーエの顔が近づいてくる。

 

「待って、姉さん!待って!!みんな見てるよ!暗幕の魔法と遮音の魔法は!?ねえ、待って、嘘だよね!!」

 

何か奪われる、すごくえっちなことをされる!みんなの前で!!成すすべもなく!!

ルーエの長い黒髪が顔にかかるぐらいの至近距離で、すごくいい匂いがする。

月夜を背景に見えるルーエの顔があまりに美しくて背中がゾクゾクする。

 

(もう駄目だ!!)

 

その状態で口を開けたルーエは――

 

「痛ってぇぇぇ」

 

血が滲むほど、思い切りシュタアルの首筋を咬んだ。

 

「ん……んんっ……」

 

首筋を咬んだまま、ルーエの艶めかしい声が耳元で響く。

咬みつかれている口内で、舌が肌に滴ったであろう血を舐め取っているのが分かる。

 

「姉さん、何しているの!? お願いだからもう正気に戻ってぇぇぇ」

 

そのまま数分その状態で硬直し――

 

「はあ――」

 

という息使いとともに再び、ルーエは起き上がり、唇に僅かに残っていた血液を舌で舐め取る。

首筋に咬みつかれた跡は不思議と既に流血が止まっていた。

ピリピリとした痺れがあるが、大怪我になっている感じではない。

ただ、自分の首と左肩の中央に解読不能の魔法が乗っている……そんな感じがする。

 

「何を……したの?」

 

と言うとルーエはシュタアルの口に人差し指を当てる。

 

「私は、あなたの……もの……あなたは……私の……もの……」

 

そう言って微笑んだ表情を見せて、彼女は大きく美しくも黒い髪の絡む黒い翼を広げ――

 

それと同時に魔力として翼は虚空に消えていく。

 

「姉さん!?」

 

終わったのかと思った瞬間ルーエは脱力して崩れ落ちた。

咄嗟に受け取るように動けたのはなぜか分からないが、少なくとも拘束されていた何かは解かれていたらしい。

 

慌ててルーエの状態を確認すると、静かに寝息を立てて眠っているだけの様子で安心した。

 

「腕は……前に見た黒い状態は……終わったのか?」

 

こうして……思いのほか大騒動になった竜の姫の求愛期は終わりを告げたのだった。

 

■求愛期の終わりと次の季節


 

「んー?」

「これは……」

「どう?」

 

と口々に漏らしたのは、先ほどルーエに咬みつかれた跡を調べているフリーレンたち。

気を失ったルーエは現在、エリシアが膝枕している。

 

「わかんない……」

 

と匙を投げたのはフリーレン。

 

「シュタアル、痛みなどは本当にないのですね?」

「え、あ、うん」

 

フェルンの言葉にひとまず頷く。

 

「フリーレン、教会で女神の魔法で調べてもらうのはどう?」

「場合によっては直せる……けど、これを治していいものかよくわからなくて」

「どういう意味?」

 

シュタルクとフェルンが心配そうにしているがフリーレンはあまり表情を変えない。

 

「双方向の契約っぽいんだよね……適当に解呪すると変なことになるかもしれない。

 仮に平和的に解除したとしても、今のままだとルーエの求愛期は定期的に再発すると思う」

「そう、ですか……」

 

この場合、双方向というのはルーエとシュタアルのことを指す。

一方的な解呪による破棄は、何らかのリスクを伴う可能性がある。

 

「あくまで可能性だけどね」

 

契約か……

 

―― 「私は、あなたの……もの……あなたは……私の……もの……」

 

ルーエの言葉を思い出しながら肩口を抑える。咬み跡のような傷はあるが、特に痛みはない。

 

「フリーレン、母さん、いいよ、ありがとう。このままにしておこう。

 姉さんに影響が出たら嫌だし」

 

あの時の言葉の真意は、ルーエの意思だったのか、そうでないのかはわからない。

でも否定はしたくない。そんな気がした。

 

「そうですか……あの状態のルーエが覚えている可能性は薄そうですし、いずれにしろ解読は長期で進めましょう」

「そうだね。なんか痛かったりしたら遠慮なく言ってね、シュタアル」

 

シュタルクとフェルンは仕事を放置してきてしまったため、残った後処理だけを片付けに一度仕事場に戻るようだ。

ルーエに関してはもう致し方ないのでそのままが良いだろうということになったのだが。

 

「ティアとエリシアは私と一緒に帰ろうか……」

「え、ちょっと、フリーレン様!それでは兄様とルーエが二人きりに!!駄目ですそんなの!! 夜の湖畔の広場なんて!!」

「ティア姉様……私お腹空いたので帰りましょう……アストルも心配です……」

「エリシア……でもぉ……」

「シュタアル兄様。ルーエ姉様のことお願いします」

 

そして、ティアフォートとエリシアもフリーレンに連れられて家に帰っていった。残っているのはシュタアルの膝の上で眠るルーエとシュタアルの二人。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「姉さん、起きていいよ。みんな帰った」

「……ん……うん……」

 

なんとなく、途中から寝たふりだったことに気づいていたシュタアルはルーエに声を掛ける。

何が気に食わないのか、シュタアルのズボンの裾を掴みながらルーエは寝返りを打った。

 

「姉さん!」

「……いつから気づいていたのですか?」

「いや、エリシアから膝枕を交代した時に妙に素直に動いたから……起きてるな、これはって」

 

普通に受け答えをしてくれる。

どうやら、本当に元に戻っている様子に安心した。

 

「あと5分だけ……このままで……」

「判った。じゃあ、そのままで俺の話聞いてよ」

 

ルーエは何も応えないまま、シュタアルの膝に顔を埋めた。

艶やかな黒髪が寝返りで少しだけ乱れていたので、なんとなく頭を撫でて整えた

髪がきれいになったので手を止めると、なんか膨れたような声が上がる

 

「どうして……止めてしまうんですか?」

「え……?」

 

どうやら、続ける必要があるらしい。

とりあえず、要望どおりに頭を撫でながら話すことにした……

 

「この騒動が起こる少し前にさ、父さんに言われたんだよ。

 姉さんの見送りとか諸々、春から先どうするんだって……まあそりゃ当然無理なんだけどさ……

 たぶん聞きたかったのは、これからどうするつもりなのかはっきりしろってことだと思って」

「……」

 

姉弟子と弟弟子という関係の建付けはとても心地よい。

お互いちょうどいい。どんな想いを口にしても「義姉弟のようなものだから」という逃げ道がどこにでも作れる。

シュタルクとエアフォルクが言いたかったのは、春に会えなくなる前にお前は本当にそれで良いのか?という問いかけ。

 

それでいいという結論も、もちろんあり得る。だが恐らく、今このタイミングでそれに甘んずるならば一生そうなってしまう。

関係性の呪いになってしまう。だから問われた。

 

「――姉さんが、その、今回の騒ぎでこうなった理由……俺、うぬぼれてもいいのかな」

 

シュタアルの言葉にルーエは何も応えない。五分間眠り続けるつもりなのだろう。

ただ、シュタアルの足に触れていた手には、少し力が入った気がした。

 

「竜の因子が反応したのは、姉さんもそう思ってくれたからだって思っていいのかな」

 

ルーエの頭を撫でながらシュタアルは問う。

いくら自己評価が低くても、誰からも愛されていないなんて思っていない。

だが、これだけは違う。なんとなくでは、きっと前には進めない。

 

「俺は……頑張れているかな?」

 

ルーエは、時間が来るまでただ黙っていた。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「姉さん、そろそろ五分だ。話をしよう」

 

ルーエに起きるように促すと彼女は渋々と、名残惜しそうに起き上がった。

その表情と仕草が妙に艶めかしくて、一瞬飛び退きそうになってしまったが……

そんなことでは今からの話がままならない。必死に堪えた。

 

「シュタアル様……首筋の傷、申し訳ありません。後で教会へ――」

「良いよ。このままでいい。このままが良いんだ」

 

首筋に触れようとした左手をシュタアルは握って止める。

 

「でもそれは――」

「……レヴナントに襲われたあの日……俺が、理由もわからず叫んだ言葉を姉さんが喜んでくれたのと同じだよ」

 

そう、無心で、何もわからないまま『姉さんは俺のものだから渡せない』と魔族に切った啖呵。

それを彼女は喜んでくれた。

 

―― 「私は、あなたの……もの……あなたは……私の……もの……」

 

今日、竜の本能が言ったのか、彼女の本心がそうあったのか、わからないけれど

誰かに望まれる言葉とはこんなにも重く響くのだと思い知った。

 

「これは、姉さんがくれたものだから、このままがいい」

「けれど、内容もわからない契約だと――」

「姉さんは……我を失いながら、俺を取り殺すような呪いをかけるの?」

「……そんなことは」

「だったら、やっぱりこれでいい」

 

いつかの全く逆の状況に苦笑し、してやったりという気分になった。

 

「姉さん」

 

シュタアルは立ち上がりながらルーエに手を差し伸べた。

ルーエも、苦笑しながらその手を取って立ち上がる。

 

「足元、気をつけてね」

「はい……ありがとうございます。シュタアル様」

 

その時、ふと気づいてしまった。いつも、自分より年上で見上げているような気でいた姉弟子ルーエ。

 

(姉さんって……思ったより小柄……いや、俺の身長が伸びたのか……)

 

いつの間にか、少しだけ見つめる視線の高さが変わっていた。

見下すわけじゃない。今でも本当に尊敬している。

 

だけど――今この時は――彼女は――可憐な女の子に見えて――

 

(今言わないならもう二度と言えない)

 

震える拳を握り、失うかもしれない関係性への恐怖を理解し。

得られるかもしれない可能性を信じ、今できる最善を選ぶために勇気を振り絞る。

 

「姉さん。俺、春からしばらくここにいられなくなるけど。

 だから、ちゃんとしておきたくて――だから――」

 

言葉の意味を察したルーエはシュタアルへと向き直る。

 

「俺は……弟弟子じゃなくて、姉さんの隣を歩ける男として……恋人として――」

 

■それは予約済みの出荷タグです


 

「あ”ー」

 

家に帰ってから兄が変だ。

いや、ルーエと何かあったのだろうというのは間違いないのだが……

 

なぜそうなるのか。まるで絵本の英雄のようにルーエを救ったのだろう。

もっと浮かれて帰ってくるかと思った。

 

ワーストケースだと、朝帰りの可能性すら危惧したのに……

 

「兄様……結局なにがあったんですか」

「わからない……何が駄目だったの、俺」

 

半泣きになりながら妹にしがみついてメソメソするシュタアル。

 

「え、ちょっと、兄様、いつもの反応と違いすぎて気持ち悪い」

「酷い!!」

 

半眼になりながら、とりあえずあの状態からこうなる可能性を探ってみる。

 

「まさか、えっちなことをしようとして、拒絶されましたか?」

「してないよ!!」

 

違うらしい。とりあえず、しがみついた腕を引っ剥がして椅子に座らせた。

 

「じゃあ、何ですか?」

「ごめんなさいって言われたぁ……」

 

メソメソ顔でそう訴える様子を見て、思わずティアフォートは「はあ?」と素で返してしまった。

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「申し訳ございません、シュタアル様」

 

シュタアルの一世一代の告白に対して、返ってきた言葉は謝罪だった。

 

「え? あれ? 駄目?」

 

ここに来て謝罪という言葉を全く想定していなかったシュタアルは、その意味を何度も反芻して脳内エラーを起こした。

 

「だって、あれ? 竜の本能さんは……嘘つきさん?」

「違うのです、シュタアル様……そうではありません。

 私は……いつだってあなたのことを……弟同然だからと軽んじたことなど一度だって――

 ……いえ、これも都合のいい話ですね。私も、心地よいぬるま湯の関係に満足していたのかもしれません」

 

ルーエはそう言いながらシュタアルの手を握る。

なお、この辺りからシュタアルは情緒がぶっ飛び、話を聞いていなかった。

 

「シュタアル様が感じたことは決して自惚れではありません。

 けれど、私とシュタアル様が抱えるもの、これから得るもの、出会う人、きっと様々あると思います。

 今は吊り橋に乗った勢いで関係を結んでは……それらの可能性に蓋をしてしまう恐れがあるのです」

 

「はい……」

 

「あの、シュタアル様。表情が虚ろですが……私の話は伝わっていますか?」

 

もちろん、シュタアルの頭には全く入ってきていない。

しかし、ルーエとしては結論を伝えなければならなかった。ルーエも覚悟を決めて深呼吸をする。

 

「……これは都合のいい卑怯な回答だと理解しています。ですが、少しだけ時間をください――」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「なるほど……」

 

精神魔法の魔導書を片手に放心状態の兄の頭を握りながら、ティアフォートはため息をついた。

 

しかし、こういう状態になると精神防御が全くなくなってしまうのかとつくづく思う。

上位の精神魔法の使い手なら都合よく、記憶改ざんまでできてしまいそうだ……

ティアフォートにはまだできないからやらないが。

 

いや、やれるならやるかと言われてもさすがにやらないけれど。

 

「それにしても、ルーエも母様に似て面倒くさい……」

 

なんなら母より面倒くさい。彼女がシュタアルに告げた妥協点、それは――

 

『オイサーストから戻った時に、お互いの気持ちがまだそうあり続けているか、改めて確認しませんか』

 

という約束。

 

「……これでフラれたと確信する兄様も兄様ですが、ルーエもルーエです。

 ほとんど『愛してます』と『私のものです』という激重タグを貼って出荷するようなものではありませんか」

 

実際問題、受験前に恋人関係に浮かれるのはリスクが高い。この放心状態が良いとも言えないが。

今は少なくとも目標に向かってまっすぐ歩むべきであろう。

 

「ルーエ……貸し一つですよ。

 ああ……もう、なんで阿呆の兄様にこんな説明を私がしないといけないのですか」

 

そう思いつつも肩口についた独特の跡をちらりと覗く。

この咬み跡の契約の魔法……あるいは呪い。

先程記憶を引っ張り出すついでに分かる範囲で解析してみた。全容の解読は難しいが……分かることがある。

恐らくもっと高度に読み解いたであろうフリーレンが「わからない」といった理由も察しがついた。

 

術者による無意識の情念と執念が凄まじい。ほぼ呪いと言っていい。

契約下のものを守る様な効果もうっすらあるが、どちらと言えば契約に背いた場合による罰則がメインのように思える。

 

あと、やんわりとだが異性避けの呪いも含まれている。

これは下心レベルの意思で近づく者の心を反転させる類のものだ。ただ、強固な意思と相応の精神防御があれば防げるもの。

 

「なーにが、オイサーストから戻るまで待つですか……」

 

天然な兄を放逐する家族としてはもしかしたらいい魔法……かもしれないが。

 

当人の独白通り、誠実なようで、都合のいい話でもある。

理性ではシュタアルの将来を守りたい一方で、女性としてのルーエは狂おしいほどにシュタアルを求めている。

 

まあ、10年間拗らせた者同士の一歩目はこんなものなのかもしれない。

 

「兄様、心配しなくても熾烈なぐらい愛されてます。

 明日説明しますから。今日はお風呂に入って着替えて寝てください」

 

現在のシュタアルの精神防御がスカスカなので、簡単な命令だけ試しに与えてみた。

すると、「ふぁい」と返事をしてヨロヨロと風呂場へと向かっていった。

 

本当に世話が焼ける兄である。

 

■君の格好いい所、見せてよ


 

巡る季節は過ぎゆき、収穫の秋が終わり、冬が来る。

 

シュタアルとルーエは……その後、『まだ恋人関係にはならない』という結論に至った。

至った? 至ったのだ。もう母としては何も言うまい。

 

毎日送り迎えを続けていても。

日夜、空き時間に勉強を付きっきりで見ていても。

修行の合間にお弁当を差し入れに行っても。

モジモジしながら隣り合って街を歩く姿が散見されても。

 

当人たちが付き合ってないと言うのだ。

 

『もう付き合ったらいいじゃないですか!』

 

とテーブルをドンしたくなる気持ちを抑えつつ、母は成長を見守るしかないのだ。

 

ちなみに、フリーレンにそれとなく相談したら

 

『正直、フェルンとシュタルクは人のこと言えないよね』

 

というコメントをもらった。

さらに、秋頃にタダ酒を飲み……収穫祭に遊びに来たザインにも意見を求めたところ

『フェルン、おまえ、マジで言ってんの?』と呆れられた。

 

今にして思えば返す言葉もないのだけれど……

仕方ないじゃないか……当時はシュタルクへの気持ちを言葉に出して定義するのも難しかったのだ。

周りをどれほどやきもきさせたのかは……想像したくはないけれど。

 

そんな感じで、執務机に座り、肘をついて頭を乗せてため息をついていると――

ドアがノックされ、『どうぞ』と答えると、入ってきたのは夫のシュタルクだった。

 

「フェルンー。やっぱり心配だよー。シュタアル、大丈夫かなぁ。忘れ物とかしてない?」

 

情けない顔で今さら言っても仕方ないことを言いに来た様子だった。

こういう時にふにゃふにゃと自分のもとにやってきてくれるのは夫の可愛げではあるのだが。

 

「出かける前に、3回ぐらい確認しました。少なくとも受験証書は忘れていないはずです」

 

そう、今は筆記試験が終わり、フリーレン付き添いでオイサーストで実技試験が行われている。

筆記は、見た限りそれほど問題ない点数になっていたはずだ。これは当人とルーエの努力の賜であろう。

 

「変なもの食べて、お腹壊したりしないかなぁ」

「シュタルク様、シュタアルは……一応もう17歳になるんですよ。そんな目の離せない幼児みたいなことはしません」

「通りすがりの困ったおばあさんを助けて試験時間に遅刻したりしない?」

「……」

 

それは否定できない。付き添いのフリーレンを信じるしかない。

 

相変わらずメソメソ顔で心配するシュタルクの様子に、フェルンはため息をついた。

 

「シュタルク様」

 

名を呼び両手を前に突き出す。いわゆるおいでのポーズ。

 

「え、なに?」

「おいで」

 

こう言うと、なんで?という顔をしながらも、必ずやってくるのが夫シュタルクの習性。

 

「はい、いい子いい子。お仕事が溜まっているから自室に戻ってお仕事をしましょうね」

「ちょ、フェルン……やめて……ああっ、日中に胸元でナデナデしないでっ」

 

ナデナデ状態で首をロックしながら、夫を執務室へ連行する。

そんなこんなでクレ地方は今のところ平和……

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

北側諸国 オイサースト 湖外側の川岸の平原

 

「協会の人たちによると、実技試験の実技ポイントはこの辺り……」

 

と言った、本日のために勉強と特訓を繰り返してきた受験生、シュタアル。

 

「よぉ……久しぶりだなぁシュタアル」

 

その女性は青いドレスに薄灰色の髪がよく似合うラヴィーネだった。

 

「ラヴィーネさん!お久しぶりです」

「先生だろー。敬意を持って先生って付けろよ、まったく。にしても、大きくなったな。暫く見ないうちに」

 

見た目の優美さに反して妙に言葉の強い女性。

頭をぐりぐりしながら撫でてくるので逃げようとしたらヘッドロックされて余計にぐりぐりされる。

 

「俺まだ生徒じゃないですよ!!」

「いいんだよそんなの! 合格は私の気分次第だ。だから『先生』って言っとけ」

「ええっ横暴!!」

 

なんとか抜け出し、フリーレンの隣に戻る。

なんか、ヘッドロックされたのに妙に首筋……というかルーエの咬み痕がやたら痛かったが……噂に聞くペナルティだろうか?

発動条件が今のところよくわからない。

 

「ラヴィーネ、久しぶりだね。グラシアたちは元気にしてる?」

「フリーレンはやっぱり最初に会ったときから変わらないな……いや、昔より表情が柔らかくなったか?

 うちの子達は、元気すぎて暴れてるよ。おふくろがあまりに可愛がるからちょっと困ってるけど」

 

そんな世間話を交わしつつも気になることから確認してみる。

 

「ラヴィーネ……先生の気分次第って、試験官は?」

「私だ、あとお前の今日のお相手はあっち……」

 

ラヴィーネが指し示す方に向いてみると

 

「おーい、やっほー、こっちだよー」

「やっ」

 

と手を降る人物が二人

 

「カンネさんにラオフェンさん……?」

「先生つけろっつってるだろ」

「なぜ?」

 

と首を傾げた瞬間、フリーレンがバックステップで大きく下がる。

 

「簡単だ」

 

と言ったのは、杖を出したラヴィーネが氷の矢を放つ魔法(ネフティーア)を空中に展開したのと同時だった。

 

「シュタアルの望む、お前向けの試験だ」

 

ラヴィーネの言葉と同時に、一斉に射出された氷の矢の嵐が襲いかかる。

シュタアルが無言でレーヴァテインを呼び出し一本目の槍を撃ち落とすと同時に、四方に水を操る魔法(リームシュトローア)による水柱が上がった。

 

「カンネさんの魔法!?川が近いのはこのため!?」

「おまけだ」

 

一瞬で凍った水柱はシュタアルの周囲を囲う。

 

「まだこれで終わらないでよ」

 

逃げ場を封じると同時に高速で移動する魔法(ジルヴェーア)で加速するラオフェンが錫杖を伸ばし上から叩きつけて来た。

 

―― 数秒もない瞬間的な連携。

 

その様子を遠巻きに見ていたフリーレンは鮮やかな連携に素直に感心する。

 

「ラヴィーネ達やるなぁ……オイサーストの高等教員の実力ってのもばかにならないね」

 

しかし、ラオフェンの錫杖が地面に叩きつける前の高さで止まっているのを見てフリーレンは笑う。

 

「シュタアルの次のステージとして選んだのは無駄じゃなかったね」

 

フリーレンの言葉とともに砕ける氷柱。

 

「でも――」

 

次の攻撃をしようとしていたラヴィーネ。しかし、氷柱の隙間から飛んできていた魔力の球体を防ぐためそれを中断する。

 

「その程度の試練は――」

 

崩れた氷柱の跡に立っていたのは、右手に持った愛剣で氷柱を無き払い、左手でラオフェンの錫杖を受け止めていたシュタアルだった。

 

「飽きるほど超えてきた子だ――」

 

彼は左手で掴んだ魔力の錫杖の先端を、右手に構えた剣の柄で打ち付けて破砕した。

 

「びっくりしましたよ。試験内容の説明は先ではないんですか?」

「安心しろ、今のが駄目だったらどうなっても駄目だった。試験内容は至極簡単だ」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

「始まったか」

「久しぶりだねゲナウ」

 

フリーレンへと声をかけてきたのは一級魔法使いのゲナウ。――シュタアルの推薦を押した張本人。

 

「これは、ゲナウの嫌がらせ?多分シュタアルが勘違いするよ、みんなこれぐらいやるんだって」

「申し出たのは彼女らだ。私の権限で許可は出したが、最終承認は責任者のレルネンだ」

「でも、ちょっとだけ、けしかけたでしょ?」

 

フリーレンの言葉にゲナウは苦笑しながら答える

 

「7年前、娘を号泣させた上に、さっぱり記憶ごと忘れ去った男だ。父親としてはこれぐらいの権利はあるだろう」

「それは、シュタアルのせいじゃないでしょ。大人たちの責任だ。でもゲナウの期待はよくわかったよ」

「7年もかかった。ようやくだ。見せてみろ、あの日失ったものを取り戻すだけの力を――」

 

✧ ✧ ✧ ✧

 

ラヴィーネの両隣に、カンネとラオフェンが降り立ち、スリーマンセルのフォーメーションを整え直した。

 

「――私達を納得させてみせろ」

 

不敵に笑うラヴィーネの上空で、強大な氷塊が形成される。恐らくあれを打ち込んでくるんだろう。

それは川から汲み出した水を使って形成される圧倒的質量による飽和攻撃と、それに縫うように加速して襲撃してくる白兵戦だ。

 

「だからシュタアル。

 

 お前の格好いい所を、私達に見せてみろ――」

 

その全てを前にして、剣を構えるシュタアルは――

 

「全部、受け止めてもらいますよ!!先生方!」

 

声を上げて笑うのだった。

 

~ 竜姫の求愛期 fin ~




感想、ご意見等はコメント欄かマシュマロまたはXまで。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。