その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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28話 恋する乙女、アップデートにつき――過去を闇を照らす光を浴びて

かつて、世界には色がついていた。

蒼井深守(あおい みもり)の記憶の引き出しを漁れば、そこには確かに親友と呼べる少女の笑顔が存在している。

 

中学三年間、深守と一ノ瀬光(いちのせ ひかり)は、影と光のように寄り添っていた。

運動神経が抜群で、ひまわりが弾けたような笑顔を振りまく光と、図書室の隅で電子工作の雑誌を読み耽る地味な深守。

 

一見すれば接点のない二人だったが、光は深守の作る風変わりな電子回路を「魔法みたい!」と瞳を輝かせて喜び、深守は光が部活で汗を流す姿が「かっこいい!」と密かに憧れていた。

 

「みもりん! この新作のアニメ、神回だったの見た? 、ここ!」

 

「あ、あぅ……。光ちゃん、声が大きい……。図書室、だから……」

 

光が部活の合間に図書室へ駆け込み、深守の隣でアニメ雑誌を広げる。

深守は、呆れたように、でも嬉しそうに、光が指差すページを見つめる。

 

そこには、純粋な好きだけで繋がれた、幸福な時間が流れていた。

この頃、ランクやスペックなどの無機質な定規は存在しなかった。

 

歯車が狂い始めたのは、同じ高校に進学し、別のクラスに振り分けられた一学期の終わりだった。

 

光はバスケットボール部のエースとして、瞬く間に学校中の注目を集めるSランクの階段を駆け上がっていった。

一方、深守は相変わらずの地味なオタク。ランク付けという残酷なシステムの中で、彼女はEマイナスという、存在しないも同然のガラクタとして処理され始めた。

 

同じクラスに、一人の男子生徒がいた。深守が勇気を振り絞って告白した内容を、彼は事もあろうに同じクラスの全員にその内容を晒しあげたのだ。

 

『深守? ……ねーわ。俺と付き合うにはスペック不足。せめてランクAはないとな。アイツはランクでいうとEマイナスってところかな』

 

廊下で、その男の嘲笑が響いた。

通りかかった深守は、心臓が凍りつくのを感じた。

周囲の生徒たちは、その言葉を「正解」として受け入れ、クスクスと笑い声を上げている。

 

(……吐き気がする。……わたしは、……Eマイナスなんかじゃない……)

 

深守の唇が、音もなく動く。

絶望と怒りで身体が震える。

 

その時。

人だかりの向こうから、光が歩いてくるのが見えた。

光は、その嘲笑の渦に気づき、足を止め、眉をひそめる。

 

(……あ、光。……わたしは......)

 

深守は、縋るような思いで光を見つめた。

光もまた、深守に気づく。

彼女の瞳に、かつての親友としての『色』が、一瞬だけ宿った。

 

光が一歩、踏み出そうとする。

だが、隣にいた女子生徒がその腕を強く引き留めた。

「ほっときなよ光。あんなのに関わったら、あんたのランクまで汚れちゃうよ」

 

「…………」

 

光の喉が、かすかに震える。

 

「……あはは。……そうだね。……行こう」

 

乾いた、人形のような笑い声。

彼女は深守から視線を逸らし、濁流のような人混みの中へと消えていった。

 

(……あ。……あぁ……)

 

その瞬間。

深守の世界から、最後の希望が消えた。

 

光が唇を噛み、罪悪感に顔を歪めながらも、周囲の空気という巨大なシステムに呑まれていく姿。それが、深守にとって致命傷となりうる最後の一押しとなった。

 

一ノ瀬光。

彼女はこの時、自分の言葉で、自分自身の心を押さえつけた。

そして、蒼井深守という存在を学校からいないものとして、モノクロームの闇へと葬り去ったのである。

 

その後、深守は学校へ行かなくなった。

 

光は、なぜあの時、足を踏み出せなかったのかと、終わりのない後悔の日々を送ることになる。

 

二人の時計は、あの日、モノクロームの絶望の中で、止まったままだった。

 

 

――蒼井深守(あおい みもり)視点――

 

 

「……あ、あぅ。……あぅぅ……」

 

わたしは、自室の重いドアノブに手をかけ、何度も深呼吸を繰り返した。

 

暗い部屋。マルチモニターの青白い光だけが、わたしの皮膚を白く焼いている。

 

ヘッドホンの向こうで、ドローン『アイ・ゼロ』が捉えた外の映像が流れている。

外の世界は、鋭い毒針を持った言葉と、他人を査定する残酷な視線で満ちている。

 

けれど、胸の奥には、消えない熱が灯っていた。

 

『大切にしたいと思ったみたいな』

 

ドローン越しに聴いた、悠さんのあの穏やかな声。

 

ランクEマイナスの自分を、一人の女の子として見てくれた、あの日だまりのような優しさ。

 

(……このままじゃ、ダメ。……画面越しじゃ、……何も変わらない……)

 

「『大切にしたい』。あの日、悠さんがくれたその言葉を、……一番信じていないのは、私じゃないか。このままじゃ、なにも変わらないよ...」

 

わたしは、震える手で、数ヶ月ぶりに部屋の明かりを点けた。

――眩しい。

 

部屋を埋め尽くすドローンのパーツ、空き缶、埃。その中心に、埃を被った全身鏡があった。

 

わたしは、這うようにして鏡の前に立つ。

 

(……ひどい。……ゴラムみたい。……あ、あぅ……)

 

モニターの光で白く焼けた肌。

ボサボサで、色の抜けた髪。

サイズの合わない、ヨレヨレのパーカー。

 

鏡に映っているのは、ランクEマイナス、スペック不足の、透明な引きこもりだった。

 

(彼の言葉......わたし自身が誰より自分を大切に思えるように。……今の自分を変えていかなきゃ)

 

わたしは急いで着替え、そして装備を確認した。

 

外界のノイズを完全に遮断するゾニー製の最新ノイズキャンセリングヘッドホン。

自分の輪郭を曖昧にするための、黒の二サイズ上のオーバーサイズパーカー。

そして、現実の風景にデジタルな情報を重ね合わせ、視覚的なシールドを張るスマートグラス。

 

玄関。私にとって、そこは魔王の城の最深部よりも恐ろしいラストダンジョンの入口だ。

 

――やる。やるんだ。あ、あぅ。

 

ガチャリ。

 

鍵を開ける音が、静かな廊下に銃声のように響く。

 

「……っ……!」

 

(……外。……怖い。……あ、あぅ……っ! でも、行かなきゃ。……悠さんの、……隣に、……立つために……!)

 

一歩、外へ。

降り注ぐ太陽の光が、網膜を焼くレーザーのように感じられる。

アスファルトの上を歩く自分の足音が、不気味なほど大きく耳に届く。

 

(あ、あぅ……。空気が、重い。……他人の視線が、……わたしのレベルをスキャンしてるみたい……。だれか助けてぇ……っ!)

 

スマートグラス越しに見る風景には、わたしが設定した「警告表示」が乱舞していた。

 

【危険:対人接触率30%増加】

【警告:心拍数が正常値を超えています。パニックの予兆】

 

目的地の公園までは、わずか五百メートル。

ドローンのGPSを頼りに公園まで歩く。

 

何度も足が止まり、過呼吸になりかけた。

それでも、胸のポケットに隠したコントローラーの感触が、わたしに彼の笑顔を思い出させた。

 

 

「あ、ぅ、……ひっ、……ぅ……」

 

公園の隅のベンチ。

わたしは、限界だった。

足が震え、膝の力が抜けた。

 

わたしは這うようにして、公園の隅にある、生い茂る植え込みに隠れたベンチへと辿り着いた。

 

膝を抱え、フードを深く被り、丸くなる。

客観的に見れば、それはあまりにも異様な不審なパーカー女子だと思う。

 

(……やっぱり、無理。……わたしには、……外の世界なんて、……許されてないんだ……。……悠さん、……ごめんなさい……。わたし、……やっぱり……)

 

ヘッドホンの遮音機能が限界を迎え、周囲の雑音がわたしの意識を侵食し始めた。

 

ダム、ダム、ダム……。

 

鼓動の速さと同期するような、規則正しいバスケットボールの音。

ノイキャンヘッドホンを突き抜けてくるその雑音に、わたしの防衛本能が激しく警報(アラート)を鳴らしている。

 

(あ、あぅ……。怖い。……今のわたしには、周りの騒音は毒すぎる……っ!)

 

膝を抱え、パーカーのフードを限界まで深く被り、わたしはベンチで石像のように固まる。

視界は地面の数センチ先だけ。

 

アスファルトの亀裂を睨みつけるように見つめながら、嵐が過ぎ去るのを待つ。

 

けれど、運命はわたしの回避コマンドを拒絶した。

 

「――っし! ラスト一本!」

 

弾むような声。

直後、地面を蹴る激しい音と共に、視界の端を『オレンジの球体』が横切った。

 

「わっ……!? あぶな……っ!」

 

ドサッ、という鈍い衝撃。

ジョギングの勢いのまま、誰かがわたしのベンチに、……いや、わたし自身に激突した。

 

(あ、あ、あ、あぅ!? 物理干渉!? ログアウト、ログアウトしてぇぇぇ……ッ!)

 

パニックで思考が焼き切れる。

衝撃でわたしの身体が横に倒れ、……そして。

 

バサリ、と。

 

わたしのATフィールド(フード)が無慈悲に剥ぎ取られた。

 

「あ……あぅ?」

 

顔を上げたその時、視界が激しく回転した。

凄まじい衝撃と共に、ドスン、と尻餅をつく。

 

「いたたた……。……ごめんなさい。……ケガはないですか?」

 

謝りながら顔を覗き込んできた少女と、視線が衝突する。

 

高い位置で結ばれたポニーテール。汗を弾く、健康的な白い肌。

そして、ひまわりのように大きく見開かれた、ぱっちりとした二重。

 

わたしの脳内サーバーが、過去のデータベースを高速で検索(サーチ)する。

 

 ――該当者あり。

 ――一ノ瀬 光。

 

「あ、あぅ……っ! あぅ、あ、あ……あうぅ……っ!!」

 

「……え?」

 

目の前にいた少女――ポニーテールを振り乱し、バスケのボールを抱えた一ノ瀬光が、石のように固まった。

 

光の手首で、高機能スマートウォッチが震えた。

ピピッ、ピピッ、と警告音が鳴る。

 

【警告:激しい動揺を検知。心拍数が急上昇しています。安静にしてください】

 

光は、地面にへたり込み、ガタガタと震えながら「あぅ」という奇声を発し続けるわたしを見つめた。

 

「……みもりん? ……嘘、……深守なの!? 蒼井深守……っ!?」

 

光の瞳が、限界まで見開かれる。

彼女の脳裏に、あの日逸らした視線の残像が、カラーの映像となって蘇る。

 

「あ、……あ……あぅ……っ!」

 

名前を呼ばれた瞬間、わたしの脳はオーバーヒートして爆発した。

 

あの日の教室。

逸らされた視線。

ランクEマイナスの烙印。

 

過呼吸気味の奇声が、喉の奥から漏れ出す。

わたしは地面を這うようにして、その場から逃げ出そうとした。

 

「待って! 逃げないで、みもりん!!」

 

ガシッ、と。

バスケで鍛えられた光の腕が、わたしの肩を力強く掴んだ。

 

「待って! 逃げないで! ……お願い、みもりん! わたしだよ! 一ノ瀬光だよっ!」

 

「あ、ぅ……、ぅあ……」

 

わたしの視界に、光の顔が飛び込んでくる。

 

「離、……あ、あぅ……っ、離して! そ、そんな目で、わたしを見ないでぇ……ッ!」

 

「やだっ!いやだよっ!離さない! もう二度と、絶対に離さないからっ……!!」

 

光の声が、震えている。

気づけば、彼女はベンチの横で膝をつき、わたしを正面から抱きしめていた。

 

――熱い。

 

ノイキャン越しでも聞こえる、彼女の激しい鼓動。

太陽に干したタオルのような、シトラスの香りが、わたしの淀んだ肺に無理やり流れ込んでくる。

 

「……ずっと、探してたんだよ……。あの後、みもりんが学校に来なくなって……私、自分がどれだけ最低なことしたか……っ! ごめん、みもりん。ごめん……っ!!」

 

かつてよりも大人びているが、その瞳に宿る太陽のような真っ直ぐな輝きは、あの日と少しも変わっていない。

 

「っ……ごめん! ごめんね、みもりん……っ!!」

 

耳元で、光の絶叫に近い謝罪が続く。

光の涙が、わたしの首筋に落ちた。

 

――すごい熱い。

 

「……私、……空気に負けて周りに流されて……みもりんを一人にして、……っ。自分が情けない……っ!!」

 

光は、子供のように声を上げて泣いた。

あんなに眩しくて、完璧に見えた太陽が、わたしの腕の中でボロボロに崩れている。

 

この数年間、わたしがモニター越しに観測してきたどんな涙よりも、それは生々しく、現実的な熱を持っていた。

 

「あ、あぅ……。……ひかり、ちゃん……」

 

わたしの腕が、迷いながらも、光の背中に回った。

 

不思議だった。

あんなに恨んでいたはずなのに。

あんなに絶望したはずなのに。

光の涙を見ていると、わたしの心の奥に固まっていたなにかが、ゆっくりと修復されていくのがわかる。

 

「……光。……あぅ、光ちゃん。……泣かないで。……そんな顔、しないで」

 

「……っ、うわぁぁぁぁぁぁん!! みもりぃぃぃん!!」

 

 

光が再び、わたしを力一杯抱きしめた。

公園の真ん中。人目なんて気にせず、数年分の後悔と赦しが、二人の間で激しく交錯する。

 

(……わたしが、光を許せるのは。……あの日、悠くんが……わたしの勇気を、……大切にしたい、って……。……そう言ってくれたから……なのかな)

 

悠くんがくれた温もりが、わたしの自尊心を再起動させてくれた。

わたしは、震える手を伸ばし、光の背中にそっと触れた。

 

(……それに、……、悠さんなら……きっと、……こう言うよね……)

 

「あ、あぅ……。……ううん、いいの。……光ちゃん。……わたしが、弱かっただけだから……もう気にしないで......」

 

「そんなわけないじゃん! 私が最低だったんだよ!」

 

光は顔を上げ、ぐしゃぐしゃの笑顔で私を見た。

 

「……ふふっ、あ、あぅ……光ちゃん、鼻水……すごい」

 

「えっ!? ちょっと、みもりんだって、涙と鼻水が混ざって……顔、ひどいよっ!」

 

抱き合ったまま、至近距離で見つめ合った二人の動きが止まった。

 

数年分の謝罪と絶望で、お互いの顔は化粧も崩れ、ぐしゃぐしゃの、ひどい有様だった。

 

「あはは! 最悪! クラスのやつらが見たら、ランク一気にGまで下がるかも!」

 

「あ、あぅ……。光ちゃん……ひどい……ふふっ」

 

かつての図書室でそうしたように、わたしたちは顔を見合わせ、心から声を上げて笑い合った。

 

「みもりん、なんか変わったね。……うまく言えないけど、目が……生きてる。ねえ、何かあったの?」

 

「あ、あぅ……」

 

わたしの視線が泳いだ。

悠のことが脳裏をよぎる。自分の勇気を「大切にしたい」と言ってくれた、あの人のこと。

 

「……す、好きな……人が、……できた、……かも……しれなくて」

 

「ええええっ!? 嘘!? みもりんに好きな人!?」

 

光は一瞬で恋バナモードに切り替わり、身を乗り出した。

 

「誰!? どこの男!? そっか、だからこんなに震えながら、外に出てきたんだね……」

 

光は、自分の手首で激しくアラートを鳴らしているスマートウォッチを一瞥した。

そこには、凛への怒りや悔しさとは違う、純粋な親友への祝福の心拍数が刻まれている。

 

「いいよ! 私、みもりんのこと全力で応援する! 私も今、最低に性格が悪い……そう、親戚のおばさんみたいな女に、好きな人を邪魔されててさ。だから、みもりんには絶対に幸せになってほしいんだ!」

 

「……あ、あぅ。……ありが、とう」

 

わたしは、パーカーの袖をぎゅっと握りしめた。

 

「……なら、……光ちゃん。……お願い、……ある。……わたしに、……メイクとか、……ダイエットとか……。……おしえ、て……ほしい、……な」

 

精一杯の「お願い」に、光の瞳が今日一番の輝きを放った。

 

「任せてよ! 私はバスケで鍛えた体力だけはあるし、メイクだってサークルの先輩に叩き込まれたからね! 私がみもりんを、その好きな人がひっくり返るくらい、世界一可愛い女の子にしてみせるから!」

 

「……あ、あぅ。……よろしく、……お願いします」

 

光はわたしの白い手をがっしりと握り、そのまま立ち上がった。

 

「まずはそこ! ドラッグストア! プロデュース一発目は、みもりんに合う最強のファンデーション選びからだよ。レッツゴー!」

 

「あ、わ……っ。……光ちゃん、……はやい……あぅ……っ!」

 

引きずられるように走り出すわたしたち。

まだ不安はあるけれど、スマートグラスにはもう「警告」の文字は浮かんでいなかった。

 

《――彼女たちはまだ知らない。お互いの好きな人が同一の少年――結城悠であることを。》

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