その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果   作:ヤッくん

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30話 この配信、麻薬につき。―― 夢見るワイキキ、地獄のアーカイブ。

30話 この配信、麻薬につき。―― 夢見るワイキキ、地獄のアーカイブ。

 

「ケヒャッ! 見ろヨ、この数字! 今日も札束の雨が止まんねぇじゃねぇかヨォ!」

 

煌々と輝く二つのリングライト。その中心で、魅夜は最高級のコンデンサーマイクに向かって吠えていた。

 

阿久津魅夜(あくつ みや)はインフルエンサーの女王へと変身を遂げていた。

 

顔の下半分を覆うサイバーパンク風のマスク――覆面インフルエンサーとしての彼女は、毒々しいほどに饒舌で、攻撃的で、そして圧倒的に数字を支配する女王だった。

 

PCのモニターには、かつての炎上で離れたはずのフォロワーが、今までの倍以上の勢いで戻ってきている様子が映し出されている。

 

その起爆剤は、たった一つ。

謎に包まれていた彼女の、運命のパートナーという、最上のコンテンツだ。

 

「ケヒャ! おらおらゴミ共! 今日もアタシのチャンネルに群がってきやがって……。テメェら、そんなにアタシの悠が気になるのかヨォ!?」

 

《待ってました女王!》

《ユウくんの気配を感じる……!》

《スパチャ1万! ユウくんの今日の様子を教えてくれ!》

《前回の『飲みかけの水』回で三日三晩寝込んでる。追加の劇薬を頼む》

《女王、頼む! ユウくんの私物を……私物を恵んでくれ!》

 

「いいぜぇ……。テメェらがそんなに熱心なら、特別に見せてやんヨォ。……ほらよ」

 

魅夜が画面の外から取り出したのは、何の変哲もない、少しシワの寄った白いワイシャツだった。

 

「ケヒャ! これ、悠がこの蒸し暑い中、一日中着てたシャツだヨォ! 襟元のこの黄ばみ……これが悠の成分だ。……おら、欲しいかァ!? 今夜、一番アタシに貢いだ奴に……抽選で送りつけてやってもいいぜぇ?」

 

結城悠(ゆうき ゆう)が、昨日一日中着ていた白いシャツ。

この貞操観念が逆転した世界において、それは最高級のポルノグラフィに等しい。

 

画面上のチャット欄が、爆発的な速度で流れ始めた。

 

《1万! 1万出すからそのシャツ売ってくれ!》

《脱ぎたて!? 脱ぎたての白シャツなのか!?》

《魅夜様、お願いです! 聖母男子の残り香を私に!》

《はぁ……みなさま、おいたわしや……》

《スパチャ2万投げた! 当てろよマジで!》

《これ、絶対あのイケメンのやつだろ……生唾もんだわ……。》

《魅夜、もっとユウくんの画像出せよ! 》

《肖像権及びプライバシーの侵害よ!即刻中止し、証拠物件として私に提出しなさい(スパチャ3万)》

《今のシャツの匂い、配信で実況してくれ!》

《運営さん、これオークション形式にしません? 》

《ユウくんは全人類の共有財産だろ。》

《5万出す! 5万出すからそのシャツを私の住所へ!》

《一日中着た!? ハ、ハレンチすぎる……っ! 警察呼ぶぞ!(歓喜)》

《女王、お願いだ! その襟元の匂いをマイクで実況してくれ!》

《スパチャ6万! 悠くんの汗は、やっぱり聖水の香りがするのか!?》

《誰か通報しろ! この配信は教育に悪すぎる(もっとやれ)》

《シャツのボタンを一つ……一つだけでいい。ボタンに指が触れたいんだ!》

《8万! 今すぐオークションを開始しろ!》

《ユウくんの成分……っ。あぁ、画面から香りがしてきそうだぜ……》

《あ…あぅ……わたしがユウくんを守らなくちゃ》

《女王様! 次はユウくんの『使い古した歯ブラシ』を……ッ!》

《スパチャ10万! ユウくんのシャツの匂いで、アタシの人生をデバッグしてくれ!》

 

「おら、これが欲しいかァ? 悠の成分が凝縮された世界に一つだけの白シャツだぜぇ! 今夜一番スパチャを投げた奴に、アタシのサイン入りで送ってやんヨォ!」

 

魅夜は、ハンガーにかけられた清潔な白シャツをカメラに近づける。

それは、昨夜彼女が「洗濯しとくからちょっと貸せ」と言って、悠から勝手に受け取ったものだ。

 

(……ケヒャ! 見ろヨこの数字。バカばっかりだぜ。悠のシャツなんて、一ミリもテメェらに渡すわけねぇだろ。これは配信切ったら、アタシが金庫に永久保存して、毎晩クンクンするんだヨォ!)

 

魅夜はカメラの死角で、シャツの袖を愛おしそうに指先でなぞった。

 

(こうして画面越しにチラつかせて金を毟り取る分には、悠の貞操は一ミリも傷ついちゃいねぇ。むしろ、ゴミ共の汚い手から守ってやってるワケだヨォ! ケヒャ!)

 

彼女にとって、視聴者を騙して金を稼ぐことは、悠の純潔を物理的に守り抜くための、正当な防衛手段ですらあった。

 

魅夜の脳内では、罵倒と歓喜がスクランブル交差点のように交差していた。

画面の向こう側にいる数万人のリスナーは、彼女にとって金を運んでくる家畜に過ぎない。

 

けれど、彼らがユウという存在に熱狂し、欲望を剥き出しにするたびに、魅夜の自尊心はかつてないほどに満たされていく。

 

(見ろヨ、この数字! チョロすぎるだろォ、ゴミ共が! 悠という至宝の欠片をチラつかせるだけで、札束が空から降ってきやがる! この金は全部アタシと悠の二人の愛の資金にさせてもらうぜぇ)

 

彼女の脳内では、「女王」としてのビジネスと、「乙女」としての独占欲が、完璧な共犯関係を築いていた。

 

実際、悠の私物を発送などはしない。適当な偽物を送るか、手違いで破損したと言ってスパチャだけ頂戴すればいい。

 

これでも人として最低限の倫理――彼女がそう信じているライン――は守っているつもりだった。

 

「ケヒャ! 盛り上がってきたじゃねぇか! じゃあ、特別だ……。昨日の夜、悠がキッチンで玉ねぎを切ってる時の、アタシだけの秘蔵映像……腕の血管・無修正版。……見たい奴は、さらにカネを積めヨォ!」

 

魅夜の不敵な宣言と共に、画面は狂喜の赤に染まった。

 

 

配信終了。

 

機材の電源を落とした魅夜は、ドサリと安物のソファに倒れ込んだ。

手元のスマホに表示される、今夜の収益額。

 

かつて全財産を失った彼女にとって、それは単なる数字ではなかった。

 

「……ふぅ。……今日も、いっぱい稼いじゃったナァ」

 

口調こそ荒いままだが、その瞳には乙女のような純真な熱が宿っている。

彼女はスマホを抱きしめ、鼻血が垂れないように上を向いた。

 

(悠。……見てろヨ。アタシがこの金で、テメェをこのボロアパートから引き揚げて、アタシらだけで南国のワイキキビーチとしゃれこもうじゃねぇか。そこで、二人で……ケヒャ!悠の、ハレンチな水着姿……!想像するだけで……)

 

魅夜の脳内メーカーは、すでにハワイでの甘い新婚生活を100回はシミュレートしていた。

 

彼女にとって、悠をネタに配信をすることは、彼への背信ではなく、彼を幸せにするための生存戦略だった。

 

(テメェは何も知らなくていいんだヨ、悠。……テメェはただ、隣で笑って、アタシにハレンチな血管晒して肉じゃが作ってりゃいい。……汚い仕事も、エグい数字稼ぎも、全部このアタシがやってやるからサァ)

 

かつて自分を裏切った世界に対する復讐。

そして、唯一自分に手を差し伸べてくれた悠への、歪んだ恩返し。

 

承認欲求という名の麻薬は、悠をコンテンツ化しても、幸せにするためなら許されるという免罪符で麻痺させていた。

 

「よし……。景気づけに、今夜はウーバーで一番高いステーキでも頼むか。……悠も、きっと喜ぶよなァ」

 

魅夜は鼻歌を歌いながら、悠へのRINE(ライン)を打ち込み始めた。

 

 

――コンコン。

 

隣の部屋のドアが叩かれる。

悠が扉を開けると、そこには高級なステーキボックスを三つも抱えた、上機嫌な魅夜が立っていた。

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