2.31.8 作:寂寥
────あなたの、そして私の夢が走っています。
4月、日本ウマ娘トレーニングセンター学園。日本競バの最前線、前途有望なウマ娘の集まる場所。
「はぁぁぁ!」
「負けるかぁ……!」
広大なグラウンドにて、ドドドと地響きが鳴っていた。入学してほぼ直ぐにも関わらず、新入生達による選抜レースが行われていた。
大小様々、色とりどりのウマ娘がトラックを駆けている。それを遠目で、もしくは近くから眺めるトレーナー諸君。もう既に、競争は始まっていた。
「すげぇもんだな……これが中央か」
トラックから少し離れた構造物、観客席の隅に彼は座っていた。小澤雄二、御年32歳の新人トレーナーである。朗らかな顔立ちに鋭い目。笑うと芸人、真顔はヤーさんとは元カノの談。
園田から移籍してすぐの彼は、中央を味わっていた。彼は知識として知っている、地方と中央には隔絶したレベル差があるという事を。それは今、実感へと変わった。
「……しかも新入生だろ、どうなってんだ」
ゴールラインで飛び跳ねて一着を喜ぶ者、膝に手をついて二着を悔しがる者。渇望の強さ、ギラつきが違う。小澤は圧倒されていた。
「いや、負けちゃならねぇ。探さねぇと」
パン!と頬を両手で叩き、小澤はトラックの方へ歩き始めた。階段を降り、トラックの方へと近づいていく。ザワザワとした喧騒が、彼の耳に届いてくる。
「君、トレーナーは?」
「いません!」
「良かった。……一緒に、重賞を目指さないか?」
「ありがとうございます!……えっと、育成実績をお聞きしても」
スカウトか、話が小澤の耳に入ってきていた。しかし、育成実績を問われたトレーナーは何も返せない。何で又聞きの話がこんな気まずいんだよ、彼の耳は痛む。そして、彼は察していた。声で若い男は確定、そして実績が無い。彼と一緒、新人であった。
「……一度、考えさせて貰ってもいいですか?」
「あ、あぁ、勿論。これ、連絡先だ」
「ありがとうございます」
小澤は更に気まずくなった。新人の彼に連絡は来ないだろう。ここは地方と中央も変わらないんだな、小澤は微妙な既視感を得た。トゥインクルシリーズ、三年間のバ生。新人トレーナーの育成に付き合う余裕など、当然無い。
トラックの傍へと辿り着いた。小澤の足が止まる。傍はスカウトの渦中、トラックでは次の摸擬レースの準備が行われていた。周囲を見回しながら、取り留めのない思考の相手をする小澤。
「失礼、退けてくれないか?」
「あぁ、すまない……」
後ろから掛けられた、落ち着いていて気品のある声。謝りながら振り返ると、そこには一人のウマ娘がいた。栗毛の中に白く光る流星、端正な顔に浮かぶ自信。小澤が事前調査で何度も見た顔。
「シンボリ、ルドルフ」
「はは、私は随分と有名人らしい」
フッと笑い、避けた小澤を横切るルドルフ。遅れて届いた騒めきの中で、小澤の目は自動的にウマ娘としての彼女を分析し始めていた。全体のバランス、腿の筋肉に左右差は無し、歩き方にも歪みが無い。悪癖の無い、完成された状態。走って無くとも、その程度は小澤にも分かる。
彼の脳内で渦巻く思考の中で、摸擬レースが始まった。完璧なスタート、好位追走、仕掛けのタイミング、スパートの瞬発力。虐殺とさえ言える圧倒的なレースだった。されど彼女は誇る訳でも無く、ただ自身の様子だけを気にしていた。努力を怠らない天才、名門シンボリ家の至宝がそこに居た。
「……さて、トレーナー諸君!」
声を上げるルドルフ、全員の意識が彼女の方へと向かった。様子を見て、一度頷いた彼女は続けて語る。
「私の実力は伝わったろう!そして、スカウトを考えているトレーナーも多いはずだ!」
あの走りを見て、担当を夢見るトレーナーは多い。小澤とて、思わない訳では無かった。されど、どうしてもと言う訳では無い。本質的に彼は悟っていた、絶対合わない、と。中央を体現する彼女に、地方を色濃く持っている俺は合わない。
理由はあれど、彼の内心は一つであった。ピンと来ない、言葉にすれば陳腐なそれ。ただ、地方時代から彼はこの感覚を大事にしていた。勿論、ただ盲信する訳では無いが。
「明後日!シンボリ家の主催にてトライアルを実施する!」
騒めく場、それもそのはず。中央に対する横紙破り、無名がやれば大顰蹙は不可避のそれ。されど、許される。これはシンボリ家に対するトレーナー達の信頼でもあった。だからこそ全員に伝わった家の意志。今年は本気で勝ち尽くす。
「時刻は17時!会場は大会議室3!奮って参加頂きたい!」
「内容は!?」
とんとん拍子に話を進めていくルドルフに、外野から質問が飛んだ。若い女性の声、皆の疑問を代弁していた。
「いい質問だ!トレーナー諸君に私が求めるのは"可能性"!どんな形でも構わない、諸君の可能性を私に示してくれ!」
余りにも抽象的過ぎる題目に、会場は静まり返る。言いたいことは言い切ったのだろう、ルドルフはそれを尻目に涼しい顔で会場を去っていった。
今日はもう駄目だな、小澤は顎を摩りながらそう考えていた。あの走り、威容、何を取ってもルドルフ以上は居ないだろう。ウマ娘達もそれを悟っているはず、今日走ったとて意味は無いと。実際、ベテランや野心を持つトレーナーは引き揚げ始めていた。十中八九、トライアルの準備だろう。露骨過ぎるが故に、彼は好ましく思わなかった。贅沢者め、そう彼は思いながらトラックを眺め続ける。
「……見てらんねぇ。誰か!あたしと走らねぇか!?」
新人トレーナーばかりが残るトラック。沈んだ空気を引き裂くように、元気な声が響いた。黒い髪を後ろにまとめた、一人のウマ娘がトラックに出てくる。それに釣られて、何人かのウマ娘も同じように出てきた。
「……走るわ」
「アタシも!」
「おう!やろうぜ!」
小澤は記憶を辿り、音頭を取っている彼女を思い出す。思い至った名前は、カツラギエース。クラシック主戦を控えた彼女は、新入生では無かった筈。それどころか、最も調整が必要な時期。されど、新入生の様子を見て元気づけようとする。その姿に、彼女の在り様が滲み出ていた。
負けてらんねぇ。彼は一度頭を振り、脳をリセットしようと試みる。そして、彼はウマ娘たちを見定めようと視線を向けた。ルドルフの威容に負けなかったウマ娘達が、そこに居る。彼は自分で気付かない内に笑っていた。
「よ~い!ドン!」
あれよあれよと準備は終わり、新人トレーナーの合図で8人立てのレースは始まった。先導するようにエースが走り、後ろを新入生達が追いかける形になっていた。
流石に余裕そうなエースの後ろを苦しそうに追いかける新入生達。これでもペースは落としているはず、小澤は手元のストップウォッチを見た。今日見た記録の中では二番目に早いペース。勿論、一番はルドルフの回だ。
「負けない……!」
「その意気だ!」
「あぁぁぁ!」
最後のコーナーを曲がって直線に入った。全力の新入生、余裕のあるエース。小澤としては全員凄いと感じつつも、やはりピンと来ないように思えた。だが、その瞬間。
「……!?」
小澤の背筋に走った怖気、一瞬だけ感じた"何か"。発信源を思わず探す。彼の正面を横切る8人の中、一人のウマ娘が目に留まった。彼女だ。黒鹿毛を肩下辺りに纏めた、落ち着いた顔のウマ娘だ。もっとも今は、全力を尽くしているが故に歪んでいる。
されど彼の直感とは裏腹に、件のウマ娘のレース結果は7着。ほぼ最下位であった。だが、彼の目と直感は彼女の才能を見抜いていた。
レースが終わり、ウマ娘達は各々休んでいる。成績上位のウマ娘達はそれなりに声を掛けられているが、彼女は一人だ。チャンスとばかりに彼女へと小澤は寄っていく。クールダウン中の彼女は、寄ってくる小澤の方を静かに向いた。
「レース、お疲れ様」
「……ありがとうございます。それで、何用でしょうか?」
無骨だな、小澤が抱いた印象はそれであった。どう切り出したものか、と彼は少し迷う。彼の考えている内容が当たっていれば、余り公衆で言われたくない話の筈。だが、絶対に決めてしまいたい。
「君の走りを見て、感じた事があるんだ。当たっているか、聞いてもいいかい?」
「……えぇ、どうぞ」
そういって頭に生える耳を彼の方へと向けてくる彼女。そこに顔を寄せ、小澤はひそひそと声を発した。
「君、本気じゃないだろ」
「……!?」
「若しくは本気を出せない。違うか?」
彼が察知したのは、彼女の全力。一度踏み込んだタイミングで本気を出そうとした、その瞬間を彼は感じていた。だからこそ、一瞬の踏み込みに込められた、凄まじい才能の原石を逃したくない。彼は本気になっていた。
「なぜ」
「最後の直線、一瞬本気を出そうとした。踏み込みで悟ったよ」
「あの、一瞬で?」
「あぁ。それぐらい分かるさ。トレーナーなんだから」
怪訝そうな目で小澤を見る彼女。新人では?ありありと、彼女の目はそう言っていた。小澤は顎をしゃくれさせる。中央では新人、それは間違いない。
「それで、見抜いたからどうするんです」
「言いたい事は一つ。俺と、トゥインクルシリーズを駆け抜けないか?」
「お互いの夢も知らずに、スカウトを?」
「G1を勝つ事。俺の夢はこれだ」
彼が地方で温め続けた、最後の夢。幾ら無謀と言われようとも、諦められなかった。中央のキャリアにしては遅くは無いが、そもそも地獄の様に狭い門だ。それを潜って、ここに居る。ならば、最後まで追い続けたい。
「随分と大きく出ましたね」
「悪くないだろ?」
「バ鹿みたいな夢ですね」
「……じゃあ、君の夢は?」
「勝ちたいG1が在るんです。つまり、同じバ鹿と言う事ですね」
ニヤリと笑う彼女。夢をバ鹿にされ、少しムッとしていた小澤も釣られて笑った。ひとしきり笑った後、再度小澤は彼女に問いかけた。
「それで、一緒に走ってくれるか?」
「えぇ、勿論。私で良ければ」
成立したスカウト、二人の物語は誰も知らない場所にて幕を開けた。連絡先や後日の調整を行おうとする中、思い出したかのように小澤は彼女に聞く。
「そうだ。名前は?」
「あぁ、言ってませんでしたね」
少しだけ彼女は溜めて、小澤の目を見ながら名乗った。
「ダイスイセイ。それが私の名前です」
「いい名前だ」
「でしょう。それで、トレーナーの名前は?」
「小澤雄二だ。以後よろしく」
手を差し出す小澤。握るダイス。片や地方の泥くさトレーナー、片や本気を出せないウマ娘。されど、何かが起こる。少なくとも小澤は、そう確信していた。
───その直感が的中している事を、彼はまだ知らない。