白髪美少女の財布だったはずの俺、なぜか通い妻みたいに尽くされている。 作:おもちまるまる
夢を失った。
大切な人に見捨てられた。
俺はただ無気力に、項垂れていた。
適当なベンチに重く腰を下ろし、コンビニの安酒を煽る。
喉を焼く刺激も、胃に落ちる熱も、心の穴を埋めてはくれない。
どうでもいい。
何もかも。
消えてしまいたい——。
「お久しぶりです、おにいさん」
思考を打ち消すように、その声は降りてきた。自然と懐かしさを覚える透き通った音色。
視界の端で特徴的な白い髪が揺れていた。
「ところで
知らない笑み。
「奢ってくれませんかぁ?」
甘えるような猫撫で声だった。
時間が彼女を変えたのだろうか。
それでも、よかった。
金づるでも。
暇つぶしでも。
彼女にとって俺はまだ——利用価値があるらしい。
◇
あれからおよそ2年。
俺、
「ごちそうさまでした」
向かいの席で、少女が手を合わせる。
さらりと揺れた白い髪が、店内の照明を反射して淡く光った。
「今日も、年下の女の子に貢いじゃうんですねぇ」
くすりと、いたずらっぽく笑う少女。
俺の右手には、当然のように財布が握られている。
「やましい言い方するなよ」
「パ〜パ♡」
「それはほんとにやめて!? 言い逃れできなくなっちゃうから!?」
思わず声を荒げると、周囲の客がちらりとこちらを見る。顔が一気に熱くなった。
当の本人はというと、まるで他人事のように、けらけらと笑っていた。
「冗談ですよ、おにいさん。いつもいつでも、経済難なわたくしめに奢っていただき、誠に感謝しております♪」
「言い方が妙に丁寧なのが腹立つが……」
だが、もはや慣れた光景でもある。
彼女、
昔、近所に引っ越してきた幼い彼女と出会った頃、俺はすでに小学生だった。
そして今では、俺はくたびれたアラサー社会人。兎姫は女子大学生である。
「まぁ、こちとら立派な大人ですからね」
胸を張って言ってみる。
独身。彼女なし。
貯金だけはそれなり。
金しかない男である。
せがまれるままに年下の幼馴染にご飯を奢り、服を買い、化粧品を買い、バッグを買い、ときには小遣いまで渡してしまう。
どうせすぐ終わると思っていたこの関係は、なぜか未だに続いていた。
「わー。オトナなおにいさん、かっこいー。すってきー」
「棒読みやめようか」
「えー。本気なのにぃ」
「嘘つけ」
「ぶーぶー」
兎姫は不満そうに口を尖らせた。
さらさらで煌めく白銀の髪に、宝石のような真紅の瞳。
客観的に見ても、かなり整った顔立ちをしている。大学ではさぞ注目の的だろう。
俺に対しては遠慮というものがなく、かなり生意気ではあるけれど。
「会計してくるから、先に出てろ」
「はーい」
伝票を見る。
まあ、安いもんだった。
◇
店を出ると、12月の冷たい風が頬を撫でる。
「噂通りの絶品ハンバーグでしたねぇ」
外で待っていた兎姫が、満足そうにお腹を撫でながら言った。
「たしかに美味かったな」
「でも、ソースがお洋服に飛んじゃいました」
「え、まじ?」
「うん、ここ。シミになってます」
兎姫は服の一点を指差すが、すでに夜だ。暗くてよく見えなかった。
「新しいの買わなきゃですね」
しかし勝手に話は進んでいく。
「ということで、おにいさん。よろしくお願いしま〜す♪」
兎姫は可愛らしくスマホを掲げた。
「……へいへい。どれくらいいる?」
俺もスマホを取り出しながら尋ねる。
兎姫はすかさず細い指を3本立てた。
ほい、送金っと。
「ありがとうございます」
兎姫は入金された画面を見て、満足そうに笑みを浮かべる。
もはや、日常的なやり取りだった。
「じゃあ、帰りましょうか」
「そうだな」
駅へ向かう。
兎姫は俺の数歩前を歩いていた。
「月が綺麗ですねぇ」
声につられて夜空に目を向ける。
冬の満月が輝いていた。
「本当に、綺麗」
兎姫は遥か遠くの月へゆっくりと手を伸ばす。何かを掴むように、ギュッと握りしめた指は虚空を掠めただけだった。
それはなぜか、不思議な緊張感のある光景に見えた。
「兎姫?」
声をかけると、兎姫はくるりとこちらを振り向く。
一拍の間。そして。
「がおー。たーべちゃーうぞー」
両手をあげて、まるで襲いかかるような仕草。
まったく恐ろしさはなく、むしろお可愛らしい。
「……なに?」
「わかりませんか? 美しき月下に白髪の美少女ですよ?」
「……だから?」
「そんなのもう、吸血鬼以外の何者でもないでしょう♪」
「……ごめんまったく意味がわからん」
両手を振って呆れて見せる。
すると次の瞬間、兎姫はふわりと俺の胸へ飛び込んできた。
「かぷっ」
そして首元へ噛みついた。
「おい」
「ちゅうちゅう」
本気で歯を立てるわけじゃない。甘噛みだ。ただひたすらに肌を吸われる。
数十秒後、ようやく兎姫は口を離した。
首にはヨダレがべっとり。間違いなく跡も残っているだろう。
「これでおにいさんは兎姫ちゃんの眷属ですね♪」
「眷属ぅ?」
「私の言うことにはぜったい服従ですよ?」
くすりと、追い討ち。
「他の女の子に噛まれたら、困っちゃいますからね」
そりゃあ、大切な財布だからだろう。
思わずため息をつく。
相変わらず脈絡がなさすぎるが、兎姫はそんなことお構いなしに、妙にご機嫌そうだった。
首元の違和感を気にしながら歩いていると、彼女はふいに、少しだけ声のトーンを落とす。
「ねぇ、おにいさん」
「ん?」
「……やっぱりなんでもなーい」
「なんだよ、気になるだろ」
「べっつにー」
さっきから、どうにも兎姫のテンションがおかしい。
「こーんな美少女のATMになれるおにいさんは、とっても幸せ者だなぁって思っただけでーす」
白い髪を揺らして、楽しそうに笑う。
夜風がサーッと流れた。
遠くを走る車の音と、街灯の淡い光。
静かな夜の中で、二人分の足音が並んで響いていた。
笑う彼女の横顔を見ていると、不思議と胸の奥がじんわり温かくなった。
これはただの、金で繋がれた関係だというのに。
「来週、誕生日だよな」
「え」
兎姫の足が止まる。赤い瞳が揺れていた。信じられないものを見る目だった。
「……さすがおにいさん。私を推しているだけはありますね」
「べつに推してねーよ」
「そんなこと言って、お誕生日覚えてるくせにぃ」
にやにや笑って脇腹を小突いてくる。
「どこ行きたい?」
「うーん、それはおにいさんが考えてくださーい」
「えぇ……わからんから聞いてるんだが」
この反応、単純にプレゼントの方が良いのだろうか。たしかに金一封握らせる方が圧倒的に楽ではある。
それなのに、俺はどうしてどこかへ出かける前提で考えていたのだろう。
アラサーがキモすぎる件。
そんな俺の内心を見透かしたように、兎姫はにやりと笑う。
「ここで兎姫ちゃんヒ〜ント。さて、兎姫ちゃんは今年で何歳になるでしょうか?」
「20歳」
「その通りぃ」
即答すると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
そして、上目遣いでこちらを見上げてくる。
「ぜひぜひ、兎姫ちゃんをオトナの女性にしてあげてくださいね♪」
……なんだ、その言い方。
結局プレゼントなの?
おでかけなの?
「楽しみですねぇ、おにいさん」
「俺は今から胃が痛いよ……」
冬の夜空、もう2度と目指さない月の下。
胸の奥に宿ったのは、あの小さな幼馴染が20歳を迎えるという感慨深い気持ち。
俺はこの2年で変わったのだろうか。変えられたのだろうか。
でも、けっこう悪くない。
兎姫の半歩を後ろを歩きながら、俺はまだ知らない来週のことをぼんやりと考え始めていた。