「誤報、ですか」
「そう」
エレベーターホールから急ぎ押し掛けた会議室で、当然始まるものと思っていた戦闘前ブリーフィングはしかし準備された形跡もなく、怪訝の相を浮かべる己にトリ博士は実にあっさりとした調子で言った。
────M粒子探知機の誤報
日本各所に設置された観測所、敷設された四千七百機に及ぶ探査装置。それらは国内領土領海領空内において発生したM粒子、魔力質量、魔物の侵入を24時間態勢で厳しく監視している。
探査装置が魔物の侵入を検知したなら即座に専門機関へ通報が行き、侵入魔性存在のカテゴリーに応じた実力を有する魔法少女が現地に派遣され対処が行われる。
「過去、探査装置の誤作動や誤報の記録は」
「ない。驚異的なことにゼロだ。そりゃマシントラブルはあるだろう。メンテしなけりゃ機械もくたびれる。けど少なくとも魔物の侵入の有無に関して観測所が誤報を発したことはただの一度もない。なかったんだけどねぇ。それは六王くんもでしょ?」
「……はい、自分も先程魔物の侵入を感じ取りました。しかし、勘違いだったようです」
「それがそうじゃない。魔物の侵入は確かにあったんだ。魔物は一度こちら側に侵入し、またあちら側へ帰って行った」
「……どういうことですか?」
自分の隣の椅子に行儀よく座っていた雪城さんが堪えきれずに不可解をこぼす。
「そのままの意味だよ。一度侵入しながら何故か帰還した。未だ嘗てない挙動だよこれ。15年間、魔物は来たら来っぱなし。暴れては物やら街やら壊して無差別に人を襲う。駆除されるまでそれを繰り返すだけ。増殖したり環境を侵食汚染する変わり種はいたが、戻る、なんて選択をする奴は初めてだねぇ」
「侵入箇所周辺の防犯カメラ映像で確認できました。SNSに目撃情報も上がってますね。“穴が空いてすぐに消えた”“魔物がこっちを覗き込んでた”とか」
宮田助手が手元の端末を操作し、律儀にモニターへ収集した情報を出力してくれる。
総探偵社会とはよく言ったもので、情報の速さと監視の目の多さ広さの点でSNSは驚異的である。
監視カメラ映像と思しい俯瞰の画、どこかの公園にも見える。舗装された清潔な通りには三人掛けの手摺付きベンチ、整然と並ぶ街路樹、通行人が多数。
突如、虚空に歪が生まれた。空間に裂け目ができる。障子紙を破って開くような容易さで、穴は口を開けた。
その奥から、ひょろりと細長いモノが出た。灰褐色の材質不明物体は、蛇が鎌首をもたげるような動作で先端を空中に漂わせ、すぐに穴の中に戻った。
「……」
「いやぁ、実に生物チックな挙動だ。ゾウが鼻で臭いでも嗅いでるみたいな、いやそれとも
「こちらの様子を、わざわざ窺ったと? 魔物が?」
「そうとしか思えないでしょ」
「確かに、まるで何か探してるみたいでしたね」
魔物が探すだと。目的意識を持ち、その為に現地に感覚器官を入れ事前に調査を行っただと。
そんなことはありえない。
ありえなかった。
魔物とは地球上の物体を模倣して
魔物とは意思なく
そうだろうが。そうだったからこそ、奴らは壊し殺す。何の利得も必然性もない。ないからこそ、あんなことができる。
魔なる者に相応しい蛮行を。
意識だと? 目的だと?
そんなもの、今更。
今更そんなものを示してきたというのか。
「…………」
「コウジ、さ……」
「それについて貴様が考慮する必要はない」
突如、会議室の扉を開いてダークスーツの女が入ってくる。女は室内正面、会議デスクの上座に腰を下ろして我々を見渡す。
浅田隊長は感慨など一切ないとばかりに下知した。
「問題はこの推定カテゴリーA相当魔性存在が再び出現した場合いかに迅速に殲滅するか、それだけだ。こいつがどのような目的をもって異常行動を起こすのか、そんな疑問に貴様が要らぬ思案を働かせる必要はない。判断を下すのは技術者と指揮者の仕事だ」
「はい」
反論の余地は絶無であった。
彼女の言う通り、己の役割はいつ何時であっても一つ。素早く確実に一片残さず魔物を滅ぼす。これだけだ。これ以外にない。
自儘な復讐心でごちゃごちゃと思考を乱す我が身の無様を恥じねばなるまい。
しかしそうは言っても、現状の行動方針を定めるには情報が足りなかった。
「今回出現が観測された地域周辺に戦闘態勢で待機し即応を期す。所謂、待ち伏せを行うというのはどうでしょう」
「二つの点で却下する」
浅田隊長は考慮の余地もなく己の案を切って捨てた。
確かに安易な作戦ではあるが。
「一つ、同じ場所に現れる保証がない。わざわざこちら側の状況を嗅ぎ回るような者なら、あるいは我々の行動によって出現場所を変える可能性もある」
「今回は後手に回った方が有利な試合かもね。向こうが行動の端緒をチラ見せしてくること自体初だから、研究者的にはもっと観察したいってのが本音だけど」
「もう一つ……現場周辺に部隊を展開させることは、現状できない」
「何故です」
「……」
実に珍しく、浅田隊長は歯切れ悪く言葉を探した。というか苛立ちの気配を発散して一瞬口を閉ざしたのだ。
これは。
「上からの指示だ。現場周辺は人口密集が予測され、機術隊の立ち入りは許可しない……そう抜かしやがった」
「やがったって……」
苛立つを通り越してどこか不貞腐れた風さえ滲ませる辣腕の女隊長に、雪城さんが呆れの声を上げた。
それに対して浅田隊長はデスクに頬杖を突き、軽く鼻を鳴らす。
「魔法少女のライブだ」
「“トリステラ”の3周年記念ライブです!」
溌溂と、宮田助手が補足した。
一瞬、今回の件とライブという単語が結び付かず沈思する。
「……近日、その魔法少女のユニットが大規模なライブイベントを行う。魔物の出現場所は丁度会場の敷地内。部隊が展開するとなれば当然周辺の出入りを封鎖せねばならないが」
「ライブ会場はあの星の下スタジアム、収容キャパは5万人強。ライブチケットは既に
何故か嬉しそうに宮田助手。
トリ博士が他人事に言を継ぐ。
「魔法少女産業の市場規模って、今じゃ1兆円くらい? もっとだったっけ? 一昨年だかには対魔防衛費確保の名目で増税が決定しちゃったし、魔法少女のイベントっていうのは国民の不満を宥める為に与えられる“飴”な訳じゃない。それを取り止めにはできないだろうねぇ」
「その宥めるべき納税者の生命に危険が及ぶとしても、ですか」
「可能性とすら言えない段階だよ。データは少ないし検知されたカテゴリーAという数値が本当に正しいかも不明。それになんたって現地には人気爆発実力確かな魔法少女が三体もいる。機術が出張らなくても、現場で対処が可能だろう……とかなんとか今さっき言われてきたんじゃないの、ねぇ隊長」
「……」
にやにやと厭らしい笑みを向けるトリ博士に、浅田隊長は無言の睨みで肯定を表した。
魔法少女に対して求められる役割が、昔と今で変化していることは否めない。国民からの物心両翼の支援。
それなくば、今日の平和はなかったろう。
だが、そう理解しながらも邪推を働かせるならば……権益、利得には、必ず何らかの思惑が絡んでくる。それは単純明快な金銭欲求だけに留まらず、政治的な基盤固めの為の人気取り、あるいは産業として成り立っているからにはそこには当然人々の営みがある。創出された利益が分配されることで働き手に報酬が入り、人々それぞれの生活が成り立っている。
その営み、流れは、軽々に中断できるものではない、と理解はできる。できるが。
「万に一つ、カテゴリーAの顕現を許したなら現地に集まった数万人が被害に遭う。夥しい数の人間が死にます。これは確実です」
経験則である。
一度見た。あれも魔法少女のイベントだった。
夥しい死骸の山が秒毎に築かれていく地獄を。
あれを見れば権益守護に腐心する上役の方々も考えを変えてくれるのだろうか。それとも、見て、知って、理解しながらそれでも、目前の収益に固執しているのだろうか。
俺にはわからない。
わかる必要もない。
「自分が」
「六王、お前を現場にやる」
己の言を押しやるような語気で浅田隊長は言った。それはある種、彼女なりの賛同の表現のようにも思えた。
「部隊としての展開は許可されなかったが、部隊員数名の調査行動の言質は取った。主催側関係者として会場に行き、少なくともイベント準備期間から当日観客退場時までは生身で当該敷地内を見張れ」
「現地でのバックアップはできないけど、ぶっちゃけ六王くんさえいれば魔物が現れても即
「貴様の言う万一が起こった場合は構わん。独断で“装甲”しろ。その際は戦闘も許可する」
「了解。現場判断によって適宜装甲、戦闘を行います」
変則的な作戦だが致し方ない。我が部隊長が妥協点を模索し
「待て」
性急さを隠しもせず椅子から立ち上がった己に、待ったを掛けたの今ほど指令を出した張本人だった。
「現場にはもう一人同行させろ。貴様だけではおそらく支障が出るだろうからな」
「? それは、どういう」
「魔法少女のライブですよ? 開催前とはいっても会場周辺は芸能関係者や舞台設営の業者スタッフなんかが行き交いますし、六王さんは、その、魔法少女関係の人って感じでは、うん、申し訳ないんですけど」
宮田助手が言葉を濁す中、トリ博士は明快に、明け透けに。
「不審者として警備員のお世話になっちゃいそうだよね。潜入先が軍とか警察とかマフィアとかなら浮かないと思うんだけどねぇ、六王くんの場合」
「……」
「ぼ、僕はカッコいいと思いますよ! なんていうか、危ない雰囲気が、ス、スリリングで」
「一々スタッフや警備に呼び止められ、あまつさえ拘束なぞされてその度に身許を照会していたのでは、いざ事が起こった時即応するという最大の目的が遂行できん。御守りが要る」
無意識にも両肩が落ちるのを感じた。不甲斐ないと言おうか、情けないと言おうか。反論できないところがなお一層惨めである。
落ちた己の肩におずおずと小さな手が添えられる。
気遣わしげな雪城さんの視線が、今ばかりは消沈具合を助長した。
「雪城、お前が行け」
「……はい。雪城カホ、コウジさんに同行します」
少女は一瞬の間に疑問符を飲み込み、即座に了承を返す。
むしろ驚くのはこちらの方だった。
「え、雪城さん、魔法少女の方が? でしたら僕も!」
「マサやんはバックアップの準備。いつでも出動できるように指揮車輌の調整とかやんなきゃでしょ」
「そ、それは、そうですけどぉ。あぁいいな、いいな、僕もトリステラの舞台裏見たいですよぅ……六王さんと……」
「この部隊の存在、作戦行動の意図を知っており、かつある程度の戦闘能力がある。魔法少女であればライブ会場にいても違和感はなかろう。再三この男との接近を禁じられておきながら聞く耳を持たず図々しく機術を出入りする許可まで掠め取ったのだ。精々そいつの身分証代わりを務めろ」
「ええ、そうします。貴女に言われなくても」
冷たい視線同士が刹那、交錯する。
そこにどのような意図、意志が込められたものか、己にはわからない。わかってはやれない。
「では通信機器、その他の支給品を受け取り次第二名は現地へ急行しろ。以上、解散」