天照須21XX   作:歩輪路

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シリーズにまとめていますが他の話との繋がりは特段ありません。
単話でお読みいただけます。

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あるCIA職員は、日本行きの仕事を命令される。
盗み聞きばかりのうんざりするような内容の中、予言者を探せ、という風変わりで馬鹿馬鹿しい指示。

そうして飛んだ日本で彼は、一匹のウミウシと出会う。
「正倉院から『もと光る竹』を盗み出して」
そんな願いを託されて。


或るCIA職員の記録(抹消済)

「来週から日本に行ってくれ。極めて重要なタスクが君に用意されている」

 

 そう言って上司から差し出されたファイルは10通ほどだろうか。

 何が「極めて重要な」だ。

 

 本当に重要な仕事ならば、こんな風に一山いくらという感じで渡されたりはしない。

 どうでもいいようなものであっても、お役所というものは仕事を軽々に捨ててしまうことが出来ない。

 なのでゴミ箱代わりに誰かのポケットに突っ込んでおけ、というわけだ。

 

 残念ながら、僕――書類によれば来週からはジョン・カーターを名乗るらしいが――はゴミ箱代わりとして適任だった。

 誰よりも能力がないと言えば卑下が過ぎるが、誰よりもやる気がないのは間違いなかった。

 

 ぞんざいに渡された書類を斜め読みする。

 主な指示は情報収集だ。国会議員のスキャンダル、大企業重役のハラスメント、今人気のポップシンガーまで。

 いつからCIA(うち)はタブロイド紙になったんだ?

 どうせなら給与もタブロイド紙を見習って欲しい。固定給のうちとは違い、あっちはスクープを持っていけば高く買ってくれるだろうから。

 

 うんざりするような指示書の中に一枚、毛色の違うものが混ざっていた。

「予言者……? なんです、これ」

 

「流石に目聡いな。そう、それが最も注意を払ってほしいターゲットだ」

 ようするに、ゴミの中でもとびっきりのゴミネタってことだ。

 

「あの国には遥かな昔から、遠い未来を予見する様な予言者が居るという情報がある。それこそ、始まりは縄文時代に遡るとか」

 

 知ってるかね、縄文時代? と振られる。

 知らん。

 日本におけるずっと昔の時代の事らしい、くらいは知っているが。

 

「あの国はシャーマンが国を治めていた時代もあったくらいでな。曰く、大戦の時にも未来を占って日本に味方したとか」

「そりゃすごい。それは我が国も苦戦したわけです」

 

 抑えたつもりでも、声に若干の嘲りが混ざってしまう。

 人間に未来など知れるものか。

 だから人類規模で散々失敗をしてきたし、現在進行形でもそうだ。

 

「バカバカしいと思うよな。だがな、この予言者がiPhoneやGoogleを予見していたらどう思う?」

「リリース前に……ということですか? 産業スパイということなら分かりますが」

「10年以上前でもか?」

 

 黙って、資料を見直す。

 BBSの書き込みだろうか。切り抜かれた日本語でのやり取りが載せられている。

 iPhoneやGoogleという具体的なキーワードは出ていないが、それを連想させるような書き込みが確かに散見された。

 

 とはいっても、今になって読み返せば、という程度だ。

 後世の人間がなんでもかんでもノストラダムスの大予言にこじつけたようなものだろう。

 怪しいと思ってみれば何でも怪しく見える、それだけの話だ。

 だがこの情報をわざわざ上げてきた誰かは、このテキストの向こうに予言者の姿とやらを見たらしい。

 そして一度上がった情報は、どれだけくだらなくても調査・分析の対象となってしまう。

 

「もしも予言者なるものが本当にいたとして、それを確保することが我が国にとって如何に重要であるかは、君になら説明も不要だろう」

 

 全く本気でない調子で上司は言った。

 珍しく、僕と彼の気持ちは今一致しているはずだ。

 全くもってバカバカしい。

 だったら書類を破り捨てておいてくれよと思うのだが、彼にとっては書類を破り捨てるために必要な申請より、僕というゴミ箱に突っ込む方が楽だったわけだ。

 

 だいたいジョン・カーターだなんて名前からしてふざけてる。

 僕は火星に転生したことはない。

 

 誰もが、僕のタスクがどうなるかなんてどうでもいいと思っていた。

 僕自身も。

 これが僕が憧れ、ようやく掴んだはずの夢だっただろうか。

 

「次の10年の平穏のために。期待している」

 

 なにが次の10年だ。あんたが気にしてるのはリタイア後の生活だろ。

 くそ、せめて会社(CIA)の金で美味い酒でも飲まなければ。

 日本にもいいワインが置いてあるといいんだが。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 かくして半日を超えるフライトを経て、初めての日本に降り立った。

 与えられた身分はいくつかあったが、とりあえずは英語教師というのが今の『顔』だ。

 情報収集をするには、現地の言葉を喋っても違和感を与えない顔の方が望ましい。

 とはいえ、どうしてもこの見た目では目立つことは避けられない。早めに現地での協力者を都合する必要がある。

 

 しかし驚いたことに、現地協力者の事前手配は無しだ。

 すべて現地調達。

 どれだけ期待されているか伝わってくるようで、大変温かい気持ちになる。

 

 まあいい。

 仕事は仕事なので最低限はこなすが、上手くいかなくても知ったこっちゃない。

 たとえ盗み聞きで捕まったところで国外に叩き出されるのがせいぜいだろう。

 それより期末の査定が悪くなる方がよほどの懸念事項だ。

 

 ルーチンワーク的に情報収集のための下準備を整えつつ、夜が更けたあたりでバーに行くことにした。

 なんでも、件の占い師だか予言者だかは毎週水曜日、そのバーに現れるという情報があるとかないとか。ちょうど今日だ。

 

 ゲームセンターとかレストランじゃなく、バーに現れてくれてよかった。

 バーで酒の一つも飲まなきゃ悪目立ちするだけ。なのでこれは経費です。

 どこにも存在しないターゲットに感謝しつつ、その日は閉店まで散々飲んだ。

 

 ――二月ほど、そんな生活を続けた。

 

 今日は水曜日。

 ターゲットの捜索という名目で酒の飲める夜だ。

 ここのところどこぞのお偉いさんにまつわる情報収集で走り回っていたので、この時間がちょっとした癒しだ。

 おじさんの下半身がだらしない、という情報をどう使うのかは知ったことじゃないが、せいぜい誰かがちょっと得したり損したりするくらいのものだろう。

 

 しかしまあ、税金を使ってやることがタブロイド紙紛いの諜報でいいのかね。

 タダ酒を片手に思うことではないが、それが率直な気持ちだ。

 

 ……この世界に入ったのは、子供じみた英雄願望が全てだった。

 といってもアメコミのキャラクターのようなヒーローはあまりピンとこなかった。子供っぽい、と斜に構えていたのもある。

 代わりに憧れたのはジェームズ・ボンドのような、スパイ映画に出てくる主人公だ。知恵と信念で国家の危機を救うエージェント。

 ミドルスクールどころかハイスクールを卒業し、カレッジの卒業を控えてもなおそんな幼気からは卒業できず、晴れてCIA職員が1人誕生した。

 

 そして、入ってすぐに後悔した。

 CIAが映画のような活躍をしたのも今は昔。

 終わりない情報収集と分析、そして官僚主義。

 予算があり、申請があり、期末評価がある。

 世界を救うためでも国を守るためでもなく、期末評価で減点を受けないことが僕たちの最優先事項だった。

 

 上司にとっては、部下を遊ばせずに仕事を回していることも評価指標の一つ。

 なので、こうしてどうでもいい内容で日本に飛ばされている。

 情報収集は時間がかかるのが常とは言え、この2か月僕がしたことなんて殆どない。

 とはいっても成果なんてハナから期待されちゃいないから、レポートさえ出しておけば上司は満足というわけだ。

 そうして、いずれまたどうでもいい仕事が溜まってきたあたりでゴミ箱を呼び戻すのだろう。

 

 全く下らないな。

 一応は予言者だかを探すという建前なのだが、そんなもの真面目にやってられるか。

 しこたま飲んで、グラスが2つに見え始めたあたりで席を立った。

 

 バーを出て、ねぐらとしているホテルに。

 ホテルには観光客と言って泊まっているので、目立たないよう数日毎に宿を変えてはいる。

 とはいえそれもどれだけ真面目にやったものか。実際僕のやっていることなど暇な観光客そのものだ。

 滞在期限の90日を誤魔化すことは仕事柄出来るが、その必要もないかもしれない。

 あと1か月で滞在期限が切れる頃には呼び戻されてそのまま帰国、というのが一番ありそうだ。

 まあいい。仕事という名のバカンスだと思おう。

 

「予言者様様だな。おかげで酒が飲める」

 そんなことを独りごち、ベッドに腰かけた時だった。

 

「――よげんしゃ、さがしてるの?」

 

 一瞬で酔いが醒めた。

 ベッドから跳ね起きる。

 

 たどたどしい英語だった。

 ヘタクソというより、舌っ足らずの少女が喋ったような。

 

 腐っても諜報を叩き込まれた身だ。

 自分のねぐらに侵入者がいれば気付く自信はある。だが、まるで人の気配がしない。

 

 それに『予言者』?

 いや、これはこっちの言葉を繰り返しただけだと思うが……。

 だが『探している』とも言った。なぜ、探していると?

 

 混乱のまま音のした方を探るが、あるのは自分の鞄くらいのものだ。

 スピーカーや携帯電話からの音ではなかったが、さりとて人が隠れられるようなスペースもない。

 

 焦燥だけが募っていく中、鞄の陰から姿を見せたものがいた。

 

 最初は、それが何か全くわからなかった。

 そもそも生物だとすら思わなかったが、よく見ると確かに動いている。

 記憶をひっくり返し、ウミウシと呼ばれる生物だということに思い当たった。

 しかしなんでこんなホテルに?

 いや、それよりも声の出所だ。

 

 ウミウシから視線を切った僕を引き戻すよう、それは再び声を上げた。

「ずっとまってた。わたしをさがしにくるひとを」

 

 愕然と振り返る。

 ウミウシはパクパクとその口を開け閉めし、確かにその声はソレから発せられていた。

 

「おねがいがあるの。びっくりしただろうけど、とりあえずきいてくれないかな?」

 

 どうやら思ってた以上に飲みすぎたらしい。

 にしたって、これは。

 悪夢なのかコメディなのか分からない光景を前に、気付けばへたり込んでいた。

 

◇◇◇◇◇◇

 

「……ヤッチョ?」

「ヤチヨ。でもヤッチョもかわいいね。きにいったかも」

 

 その生き物はヤチヨと名乗った。

 僕には正確な発音が難しかったが、気分を害してはいないらしい。

 

 自称するところによれば日本人……人? で、英語は得意ではないと言う。

 現地の言葉を覚えるのは基本ということで、日本語でのコミュニケーションに問題はない。彼女――ウミウシに性別があるかはさておき――に合わせる形で、今は日本語での会話に切り替えている。

 なのだが、その発声は日本語であってもたどたどしい。

 ウミウシの体では流暢な発声が難しいんだとか。まるで、ウミウシじゃなかった頃があったかのようだ。

 

「で、君が予言者だと?」

 

 我ながら正気を疑われるような質問をしているな。

 とはいえ、ウミウシと会話する絵に比べればよほどマシだろう。

 アルコールのせいだけではない頭痛をこらえながら続ける。

 

「うーん。よげんしゃはわたしだけど、べつによげんはできないというか」

 

 聞き取りづらい音声をなんとか解読したところによると、曰く。

 彼女は遥か昔からこの国で生きていた。

 未来を知っているわけではないので、予言なんてもの出来はしない。

 ただ、彼女の目的のために諜報機関のようなスペシャリストと接触したかった。

 だからウェブを通じてずっと昔から『未来を見通す予言者なるものがこの国にいる』そんな情報をあちこちにばらまいて、探りに来た誰かが網にかかるのを待っていた。

 

 そうして彼女がバラまいた情報通り、バーに来る客を品定めしていたらしい。

 毎週毎週水曜になるとやってくる客、外国人、後は直感。

 何度も客のバッグに潜り込んでは、ただの観光客ということで空振りを続けた。

 こっそり「予言者探してるの?」と話しかけてみても、怪訝な顔であちこち見回されるのが関の山。

 

 そうしてようやく、間抜けにも予言者なんてキーワードを漏らすやつ、つまり僕を見つけたというわけだ。

 

「率直に言っていいかい。――無茶苦茶だ」

「ほんとにねー……。なんどあきらめそうになったか」

 

 無茶苦茶だと言ったのは彼女の計画だけでなく、彼女の言う境遇全てなのだが。

 だがまあ、こうしてウミウシが喋っているのを前にすると誤差のような気もしてくる。

 

「ちなみに、過去に君が対話した相手は?」

「はじめて」

 

 なので実は結構ドキドキなんだよねー、などと何が楽しいのか笑う。

 どうやらどの国の諜報機関もこんな馬鹿げたネタには食いつかなかったらしい。

 いや、言い訳をさせてもらうならウチだってこんなネタ真面目に扱ってない。

 ただ、どうしようもないお役所仕事と、上司の期末評価と、僕というやる気のない職員が重なり合った結果だ。

 その奇跡のような巡り合わせがこの邂逅だと言うのだから笑うしかない。

 

「まあいいさ。それで? そこまでして君は何をしたいんだ?」

 

 わざわざそれっぽい情報をばらまいてまで諜報機関のような人間と接触したかったのは何故か。喋るウミウシなんて、捕まって解剖されるのが一番ありそうな未来だろうに。

 

「ぬすみだしてほしいものがあるの」

 

 ……それは確かに、諜報員向きの仕事ではあるが。

 

「君にこの国の法律が適用されるかは知らないが、窃盗はいけないことだ。そこらへんで買えるものなら、代わりに買って来てあげてもいい」

 

 まあそこらで買えるものならこんな無茶はしてないだろうが。

 予想通り僕からの提案を否定して、彼女は続けた。

 

「しょうそういんにある、もとひかるたけ。あれがひつようなの」

 

 元々は私の物だから、正確には返して欲しい。

 そう彼女は結んだ。

 

「正倉院……。奈良にある世界遺産だね」

 

 仕事にあたり、その国に関する基本知識は一通り頭に入れてある。このくらいは、ネクタイを締める程度に当然のマナーだ。

 

「しかし『もとひかるたけ』というのは聞いたことがないな。それはなんだい?」

 

 ウミウシは答えなかった。

 

「もう一つ気になっていることがある。君は未来なんて知らない、と言っていた。けれど、そもそも僕が君を探していたのは君の『予言』があったからなんだ。iphoneやGoogleをずっと昔から知っていたかのような、ね」

 

 本当に馬鹿げた話だが、こうなっては予言なんて与太話でさえ見過ごせない。

 彼女は自分のばらまいた情報が、こうして誰かの目に留まる可能性を期待していたというのだから。

 それはつまり情報の内に潜む異常を、誰より彼女が自覚していたということだ。

 常識で考えれば予言なんてありはしない。けれど常識なんてもの、既にこの夜からは失われている。

 

「君は何者で、何をしようとしているんだ?」

 

 一息で捕まえることは出来る。だが、出来ればそうしたくはなかった。

 こうして言葉を交わした生き物が囚われ、解剖されるような目に遭うのには加担したくない。

 

 しばらくの沈黙の後、彼女は諦めたような声音で。

 

 ――私は未来から8000年前に遭難した宇宙人。『もと光る竹』はその宇宙船なの。

 

 聞き間違いでなければ、そう言った。

 聞き間違いであってほしかった。

 

 交渉においては、自分が相手の事を十分理解し、受け入れていると示す必要がある。

 そう染みついた癖は、反射的に口を動かした。

 

「そうだと思ってた」

 

 そんなわけあるか。

 自らに突っ込まずにはいられない。

 鏡で見たならば、作り笑顔も歪んでいたことだろう。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 『CIAのジョン・カーター』という身分を、僕は彼女に打ち明けた。

 相手が重大な情報を暴露したのであれば、こちらも情報開示をすることは信頼関係構築の基本だ。ただ、あまりのことにヤケクソ気味だったのは否めない。

 

 改めて聞き取ったところによると彼女が元々居たのは近未来で、しかもすぐに遠い過去にタイムスリップすることになったらしい。

 なのでiphoneやGoogleのような断片的な知識はあっても、そもそも未来の事なんて殆ど知らないし、知っていたはずのことさえ8000年の間におおかた忘れてしまったという。

 

 彼女の言葉の真偽はさておき、一旦その告白を受け入れた。

 真偽判断が出来なくとも、相手がどう答えるかで探れるものだってあるのだ。

 少なくとも、彼女が嘘をついていると断じる材料はない。

 

「それで、未来から来た宇宙人は宇宙船を手に入れてどうするんだい。星に帰るのか?」

 

 自分でも、なんて質問してるんだと思う。

 本当に今夜は狂った夜だ。満月は狂気を呼ぶというがそれにしたってだ。

 

 一方、答える彼女は真剣だった。

 これ以上ない真剣さが、たどたどしい声の中にすら感じられた。

 

「かえれないし、かえりたくない。ただ、あいたいひとがいるの。ふねがあれば、あのばしょできっとまたあえる」

 

 本当に狂っている。

 誰かに会えるかもだなんてことのために、こんな無茶をやるだなんて。

 そんなウミウシのラブストーリーを、どうやら僕は信じてしまっている。

 

 だからお願い、と彼女は身をよじらせた。

 ウミウシの体で頭を下げようとしたのだろう。

 

 CIA職員のような立場にあるまじきことだが、真剣な頼みごとを適当に誤魔化すのは僕のやり方ではなかった。

 だから、言う。

 

「正直言って難しい。正倉院への侵入自体は出来るかもしれない。ただ、僕にとってリスクが大きすぎる」

 

 CIAという身分があれば軽犯罪くらいはなんとかなる。ただの窃盗なら国同士の問題にならないよう、こっそり帰りの便に乗せられる程度で済むだろう。

 ただ、世界遺産でもある正倉院にCIA職員が忍び込んだとなれば、ただの窃盗では済まない。

 

「なにより、そうなればどうしてそんなことをしたのか、CIA自身が僕を洗うことになる。やがて君の存在に辿り着いて、あまり愉快な結果にはならないだろうね」

 

 こんな仕事をしておいて嘘くさい話だが、最大限の誠実さをもって彼女に答える。

 彼女は何も応えず、ただ縮こまっているように見えた。

 

 慰めようとして思わず手を伸ばす。

 そしてその体の小ささに、改めて気付かされた。

 

 手を広げれば掴んでしまえるくらいだろうか。

 その気がなくとも、気付かずに踏んでしまえば無事では済むまい。

 

 そんな弱弱しい体で、何度今日という日のために挑戦し続けたのだろう。

 鞄に潜んでいても、ふとした瞬間に鞄の中で押しつぶされるかも。

 今回も空振りだったと帰る道行で、誰かに踏みつぶされそうになったことだってあったに違いない。

 ようやく目当ての人間を見つけても、捕らえられ酷い目にあう可能性だって想像できていたはずだ。

 そんな不安を全部飲み込んで、それでも僕の前に立ったというのなら。

 

 かつて僕は英雄に憧れた。

 知恵と信念で国家を救う、そんな主人公だ。

 叶ったはずの夢は冴えない現実の延長で、救うべき国家も、倒すべき悪も僕の眼前には現れなかった。

 

 しかし、ここには僕の助けを求めている少女がいる。ヒロインと呼ぶにはウミウシは奇抜すぎるけれど。

 

 一方、冷静な自分が待ったをかける。

 僕はもうカレッジも卒業した大人で、自分が主人公なんかじゃないことを思い知らされていた。

 ただの労働者である僕に必要なのは、現実的なリスクとリターンだ。

 言い訳ともいう。

 社会人になって知ったのだが、言い訳さえ出来るなら多少の不合理や不条理は飲み込めるものだ。

 誰を騙せなくても自分さえ騙せる程度の言い訳があれば、大抵の無茶はやってしまえる。

 

 だから僕は彼女、ヤチヨに言った。

「……仕事、手伝えるかい?」

 

◇◇◇◇◇◇

 

 見た目こそ奇抜だがあの体躯だ。

 ヤチヨが部屋に潜んでいても全く誰にも気づかれることはない。

 諜報のプロである僕自身が体験している。

 踏みつぶされたりしないよう注意する必要はあるが、彼女は盗み聞きに関しては誰より優秀な諜報員だった。

 

「うう……ヤッチョもとうとう犯罪の片棒を……」

「いや、君が僕に担がせようとしているものこそ犯罪の片棒だからね?」

 

 別に僕の仕事を正義と言うつもりはないが、ヤチヨに盗み聞きして貰った相手は大概ろくでもないやつばかりだ。

 なので、総合的には正しいことをしていると思ってほしいと宥めた。

 

 本人の言を信じるなら彼女は8000歳なのだが、なにせ声が少女だ。見た目はウミウシだが。

 なので下半身のスキャンダルや、キツめの悪党に関する情報収集の依頼は自重した。

 まあ僕に来ていた情報収集の仕事なんてどれもこれも大した内容じゃない。タブロイド紙のインターンだと思ってほしい。

 

 なんだかんだ彼女とドタバタしながらの仕事は、これまで経験したことがないくらい楽しかった。うっかりこの仕事を好きになってしまいそうだ。

 

 並行して、よりスムーズなコミュニケーションのため、彼女の発話の解読を進めた。

 ウミウシの体での発声は独特で最初は聞き取りづらかったが、苦労の甲斐あってか近頃では普通に喋っているのと変わらない程度に理解できる。

 僕の日本語自体は上達しておらず、どうしても『ヤチヨ』という名前を正確に発音できなかったが。

 詰まった『ヤッチョ』という発音を彼女は面白がり、時折自分の事をそう呼ぶようになった。

 

 そうして1カ月近くの時間はあっという間に過ぎた。

 

 僕が日本にいられる時間もあとわずかだ。

 彼女から受け取った協力の対価として、日本を去る前に彼女の頼みを聞くことにした。

 

「正倉院への侵入は正直難しくないね。『もと光る竹』を見つけだすのが一番大変だけど、見つけてさえしまえば持ち出すことも出来るだろう」

 

 正倉院を取り囲む柵の外周をゆっくりと歩きながら、ヤチヨにだけ届くような小さな声で話しかける。

 彼女は今、胸ポケットの中にいる。

 

 こうして昼間散策している分には、単なる観光客にしか見えないだろう。

 事実今日は休暇を申請しており、日本観光をするということになっている。

 CIAにも、僕の行動と正倉院を結び付けられたくなかった。

 カモフラージュとしてこの1カ月、京都観光も混ぜこんでいる。

 単に日本の古都好き諜報員の休日、というわけだ。

 

 驚くことに正倉院は周りを民家や学校に囲まれていて、取り囲む柵も背が低く開放的なありさまだ。

 少し裏に行けば誰も通らない山道があるし、警備をしているのも警備の専門家ではなく警察ということだ。当然銃だって持ってない。

 

 これでも専門に訓練を受けた身だ、失敗が想像できない。

 そんな緩んだ気持ちも一瞬生まれたが、首を振って気を引き締め直す。

 

 万一失敗しても、自分はまあいい。せいぜいクビになるくらいだろう。

 だが動機の裏側にいるヤチヨという存在が気付かれた場合、彼女には絶望的な結末しかない。

 

 今夜の失敗は死を意味する。

 気を緩めず、さりとて緊張しすぎないよう、今一度下見に集中をすることにした。

 

「行けそう?」

 

 胸ポケットから微かな声。

 行けるさ、とだけ返す。

 ややあって。

 

「あなたに会えてよかった」

 

 そんな言葉が返ってきた。

 

 ……こちらこそだ。

「憧れていたんだ、こういうミッション」

 

 そして夜。

 月明かりの元、散歩にでも行くような気楽さで敷地に忍び込んだ。

 実のところ、こういう潜入は得意な方だ。

 ただ、誰であってもそんなに難しい仕事ではなかったかもしれない。

 そんな風に思う程度に警備は緩く、人の善性に依った在り方をしているのかもしれなかった。

 

「まあ、正しくは窃盗じゃなくて返却なんだ。許してほしいところだね」

 

 そんな風に嘯きながら敷地の奥、正倉院の中に侵入した。

 腕時計に仕込んだ細いライトで中を照らす。

 

「収蔵物が一万近くあると聞いてはいたが、ここから探すのは大変だね。箱に筍の絵が描かれてる……だったよね」

 

 肩に乗るヤチヨに改めて確認する。

 

「うん。今も同じ箱に入ってるとは限らないけど。ずっと昔、仕舞ってくれた子たちが描いてくれたんだ」

「よし、それじゃとりあえずは絵の描かれた箱がないか調べて行こう」

 

 あまり時間をかけていては見つかる危険も高まる。場合によっては、一度出直す必要もあるかもしれない。

 

 ……そうすればもう一日、彼女と過ごせるな。

 

 馬鹿げた感傷だ。

 痕跡を消しているとはいえ、二度目の侵入はリスクが飛躍的に高まる。

 可能な限りこの一度で目標を達成したい。そうでなければヤチヨ自身も危険にさらされる。

 けれど、この愉快な友人との冒険をあと少しでも伸ばしたい、そんな気持ちがあるのも確かだった。

 

 感情に一度蓋をして、ただ目の前の箱をチェックするだけの機能になる。

 そうして目的のものを見つけるのに、さほど時間はかからなかった。

 

「これかい?」

 

 箱にライトを当てる。

 筍を中心に、草花の文様がびっしりと書き込まれていた。

 

「うん、これ……のはず」

 

 長い時間を過ごしてきたという彼女にとって、その記憶は不確かなのだろう。

 いずれにしても開けてみれば分かる。

 

 音を立てないよう細心の注意を払い、蓋を取る。

 するとそこには。

 

「……これが?」

 

 ラグビーボール大の、筍を模したものだとは予め聞いていた。

 ただ、過ごした時間を雄弁に語るよう、それはボロボロに風化していた。

 

 話を聞いた時不思議に思ったのは、宇宙船などという大層なものならどうしてもっと厳重に保管されていないのか、ということだった。

 収蔵品だって仕舞いっぱなしではなく、定期的に中身を検めているはずだ。

 どこかのタイミングでその価値に気づき、それこそ国家機密になっていてもおかしくない。

 

 だが、目にした有様に納得した。

 ただの風化した土器か何かにしか見えない。

 勿論価値あればこそこうして収蔵されているのだろうが、『古いもの』以上の価値を見出すのは難しかった。

 

「ヤチヨ、これで間違いないんだろうか。僕にはどうにも……」

「大丈夫、これだよ。ああ……ようやく」

 

 肩から筍に向かって飛び降りたヤチヨは、宇宙船を撫でるよう、あるいは抱き締めるようにその体を擦りつけた。

 

「ボロボロになっているのは機能がずっとスリープしていたから。本体自体は何も損傷していないから、こうすれば――」

 

 ボタンを押したわけでも、秘密の合言葉を唱えたわけでもない。

 ただ彼女が軽く身を振ったように見えた、次の瞬間。

 

 薄皮が剥けるように、その表面が崩れた。

 その下から瑞々しい表皮が現れる。

 たしかに植物のようでありながら、光に反射するその表面は金属のような硬質の輝きを内包している。

 生きている金属、そんな表現が思い浮かんだ。

 

「―――」

 

 幾何学的な光の文様がその表面を流れていく。

 一本一本の線に目を凝らせば、それは高速で流れる文字列だった。

 内容は解読できない。理解出来ない、ということだけが理解出来た。

 それは、異なる文明における異なる法則だった。

 

 ヤチヨの話を疑っていたわけじゃない。

 言葉を喋るウミウシというのがそもそも異常だ。

 『もと光る竹』が必要だと語った、その言葉の裏に潜む真剣さは疑いようもない。

 一方どこかで、手に収まるサイズの宇宙船なんていうとびきりの非常識に対して、そんなものあるはずがないとも思った。

 

 けれどこれは確かに『違う』。

 我々の文明からでは見上げることすら出来ない、異常にして異質なるもの。異文明の産物。

 もしも誰かがこの姿を目にしていたのなら、この宝物はもっと違う場所に秘匿されていただろう。

 

 ――これを、渡していいのか?

 

 ヤチヨという少女の善悪ではなく。

 僕や僕の所属する組織、国の利益でもなく。

 この時代に生きる一人の人間として、これの存在を認めていいのか。

 そう、問うてしまった。

 

 破壊することが出来るかはわからない。

 ただし破棄することは出来るだろう。誰の手にも届かないような場所に。

 

 本来この星の歴史に存在しない異なる文明の知啓は、我々の未来さえ食い荒らすかもしれない。

 それは理屈ではなく、本能的な恐怖だった。

 

 なぜかこんな時に上司の言葉を思い出す。

「次の10年の平穏のために」

 馬鹿げている。

 馬鹿げているがしかし、これの存在はあるいは、10年どころか100年、1000年後の文明にとってさえ劇物になるかもしれない。

 

 銃を突き付けられたような気分で顔を上げる。

 ヤチヨはまだ宇宙船に体を擦り付けていた。愛おしそうに。

 

 何を言うか決めかねたまま、彼女に呼びかけようとして。

 

「これで会える。きっと、もう一度――」

 

 突きつけられた銃に、撃ち抜かれた気分になった。

 

 次の10年の平穏。

 あるいは100年。あるいは1000年。

 ――それが、どうしたというんだ。

 今、僕の目の前には友人がいる。

 8000年を超えてなお、会いたい誰かを待ち続けた友人が。

 

 人間に未来など知れるものか。

 だからこそ僕は人間に期待する。都合よく、自分勝手に。

 異文明から落ちてきた知恵にも怯まず、人は前進すると。

 あるいは8000年の先に、遥か遠い彼方に追いつくことだって。

 

 笑って、目当てのものを持ち出す準備にかかる。

 きっと今僕は、自然な顔で笑えているだろう。

 

 

 幸いにして、目標物の持ち出しと正倉院からの逃走は何事もなく済んだ。

 いずれ盗難に気付かれるかもしれないが、それと僕らを結びつける情報は何も残していない。あるいは、なくなったと気付いても大した騒ぎにすらならない可能性もある。

 誰だって責任は追及されたくないものだ。中身が大したものじゃなさそうなら猶更。

 

 『もと光る竹』を仕舞ったトランクの上、上機嫌でヤチヨが跳ねている。

 『もと光る竹』はあまり人目に触れさせないよう彼女には注意しておいた。

 見るものが見ればその異質さに気づかれてしまう。そうなれば余計なトラブルだって舞い込むだろう。

 もっとも彼女がこれを起動してしばらくの後、『もと光る竹』は平凡なただの筍の見た目に戻った。あくまで宇宙船としての機能が動いている時にだけ、ああした異質な変化が起きるらしい。

 

 あとは彼女ととりとめのない会話をしながら、空港に向かって移動をした。

 

 協力を持ちかけられた直後、彼女から提示されていた金銭的な報酬は固辞した。

 こちらの仕事に対する協力という形で彼女からの報酬は貰ったし、僕と彼女を結びつける線はない方がいい。彼女自身の安全のために。

 

 この後は、暫らく僕一人で飛んだ後『もと光る竹』を彼女が用意したマンションの一室に送る手筈になっている。荷物は何重にも中継され、僕にも最終的な目的地は分からない。

 

 『CIAのジョン・カーター』と『もと光る竹』、そして『ヤチヨ』。

 僕らを結びつける線は綺麗に消えてなくなる。

 

 ……彼女とはここでお別れだ。

 

 トランクに座る彼女の背に、なんでもなさを装って声をかけた。

 

「一緒に来ないか」

 

 振り向いた彼女は一言。

 

「約束があるの」

 

 彼女が笑っていたのか、寂しそうだったのかはわからない。

 たかが一か月の付き合いではウミウシの表情までは読み取れなかった。

 

 それが少し、未練だ。

 未練がましく、最後にもう一つだけ質問をする。

 

「誰かを待ち続けた8000年、君にとってはどんな時間だった?」

 

 しばらく考え込んだ後、答えが来た。

 

「辛くて、苦しくて、もう嫌だ、って何度も思ったよ。それでも」

 

 それでも、という声には確かに希望があった。

 それで、僕は満足した。

 

「極上のワインは時間が経つほど深まる。悪いことばかりじゃないさ」

 

 彼女が待ち続けた時間の果てに、それに報いるだけのハッピーエンドがあってほしい。

 

 僕は笑った。

 上手く笑えていたらいいのだが。

 

 手を振って背を向ける。

 たった1カ月の奇妙な友人に。

 

 かつてジェームズ・ボンドのようなスパイに憧れたことを思い出す。

 映画が終わればボンド・ガールとはさよならだ。

 だけど僕はジェームズ・ボンドにはなれなかったし、彼女もボンド・ガールじゃない。

 いつか僕と彼女の物語がまた交わる日を願う。例え主人公じゃなくても。

 その時は、極上のワインで乾杯しようじゃないか。

 

「帰ったらワインでも買うか……」

 

 独りごち、離陸する。

 見えるはずもない遥かな地上、ウミウシがずっとこちらを見上げているような気がした。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 配信が終わり部屋から出てみると、玄関からリビングまで大量の荷物で埋め尽くされている。

 

「うわあ、今回はまた多いねえ」

「そーなのよ。ありがたいはありがたいんだけど、こう多いと置き場所も大変なんだよね」

 

 大量の宅配便に囲まれた彩葉から返事が来る。

 

 もともと私も彩葉もかぐやも、プレゼントの受け取りはしていなかった。

 私はAIとして認知されているから、そもそも誰が受け取るんだ? って話だし。

 

 なのだけど、あまりにもプレゼントを贈りたいという要望がツクヨミ改めアマテラス運営まで届くので、それじゃあ事務局として受け取るのはどうか、という案が彩葉から上がった。

 なんでも彩葉自身がかつて、私にプレゼントを送りたいと悔しく思ってたらしく、そう言われちゃ断る気にもなれない。

 

 始めてみれば、なにかとコラボするいろPやかぐやにもプレゼントを贈りたいという話が多数寄せられ、結果としてコラボライブの後に限ってありがたく受けとる事になった。

 よくリアルライブで出演者に向けたプレゼントボックスが置いてあるけど、イメージとしてはあんな感じだ。

 

 事務局を通して、色々とチェックをしてから最終的に私たちの手元に届く。残念ながら食品や飲料は一律でNGだ。

 

「あれ? でもこれ飲料になってるね」

 

 普通の段ボールばかりの中、一箱だけクール便の荷物が混じっていた。

 

「あ、なんかそれね。物凄く立派な箱に入ってたし、判断つかなくて一応転送したって連絡来てた。ヤチヨ宛だってさ」

 

 私がこうしてアバターボディで生活を送っていることは、ごく身近な人しか知らない。

 アバターボディでライブをしたこともあるが、あれはあくまでその場限りのパフォーマンスと受け止められている。

 そんなわけで、私に対して飲食物のプレゼントが来ることは殆どない。バレンタインデーとかならまだしも。

 

 そんなわけで、物珍しさを覚えながら伝票を見る。

 宛名には『Yachiyo』とだけある。外国の人だろうか。これまた珍しいなと思いながら差出人を見る。

 

 ――差出人は、古い友人だった。

 

 箱を開ける。

 中には、凝った作りの木箱が納められていた。

 メッセージカードのようなものは見当たらない。

 木箱を開けると中には一本、ワインが入っていた。

 ラベルの中央には、年号が記されている。

 

「……そっか。もうそんなに経ったんだね」

 

 このワインが過ごした時間の中でも、沢山のことがあった。

 嬉しいことも悲しいことも。

 それでも、悪いことばかりじゃなかったと胸を張って言える。

 

 荷物と格闘する彩葉の背に声をかける。

 

「彩葉、今晩一杯付き合って?」

 

 かぐやも巻き込んで、今日は三人で晩酌としゃれこもう。

 そして二人に聞いてもらうのだ。

 このワインが産まれた頃、私に出来た友人との冒険譚を。

 

/完




当初より書きたかったCIA職員との一幕。
区分け上後日談となっていますが、時系列的には前日譚にあたります。

彼と出会ったのがいつなのか断定は難しいのですが、
小説ではWWWにヤチヨがアクセスした以降と読み取れるように書かれているので、比較的遅い2000年以降、iPhoneやGoogleが生まれ、認知された後の時代を設定しています。

この話自体は本編となんら関連するものではないのですが、
この後書きたいと思っている『もと光る竹』との決別の前フリとして。

『ジョン・カーター』は担当声優氏のプロフィールより。
同名の映画をかぐやが見ていれば面白いのですが、時期的に見ているのは無理があるなと思って没に。
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