薄明譫言(はくめいせんげん)——安らかな譫言・非公式続編   作:渡辺零

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アークナイツ × BanG Dream! Ave Mujica コラボイベント「安らかな譫言」非公式続編。
BanG Dream! It's MyGO!!!!! / Ave Mujica の履修を前提としています。

前回更新から間が空いてしまいました。何もかんも確定申告が悪い。


第12話「二十時間」

 審判の笛が鳴った。

 祥子は息を吐いた。肺の底から、熱い空気が出ていく。

 フラッグを奪取したのは、初華だった。

 ——勝った。

 

 座学教室。スクリーンに今日の模擬戦の映像が映っている。

 前回と同じ相手だった。行動予備隊A4チーム。レンジャー、ヤトウ、ノイルホーン、ドゥリン。

 椅子が硬い。ここ数日酷使した太腿の筋肉が、座面に押されて鈍く痛む。汗が引いた首筋を、教室の空調が冷やしていた。

 ウィスラッシュの端末が映像を操作した。

「今日の勝因を二つ言うわ」

 白い線が映像の上に引かれた。祥子のアーツ弾の軌跡。追尾弾が三つ、ヤトウの移動ルートに先回りして飛んでいる。

「一つ目。豊川のアーツ精度の向上。追尾弾がヤトウの進路を塞いでいる。稼いだ時間は約二秒。その二秒で、三角と八幡が右路地を抜けた」

 両手の指先が、まだ痺れている。源石粒子を編むとき、指先の皮膚の下を砂粒が流れるような感触がある。前回の模擬戦での敗北から何度も撃った。追尾弾を投射するとき、祥子の意識は弾に乗って飛ぶ。着弾点に届かせるのではなく、着弾点に「行く」感覚。それが、少しずつ指に馴染んできている。

「二つ目。配置の変更」

 映像が切り替わった。開始時のフレーム。前回とフォーメーションが違う。にゃむと睦が前衛。海鈴と初華がツーマンセルの遊撃班の編成だった。

「この組み替え、豊川の発案ね」

「はい」

「根拠は」

「前回の映像を何度も見返しましたの」

 ——曲は、聴くことから始まる。

「海鈴は単独だと独自の判断で動きます。それ自体は正しい局面もありますけれど、チームの連携に乗らない場面が多かった。ですから、海鈴の判断に即座に対応できる初華を付けました」

 初華の顔がちらりと動いた。祥子のほうを見て、すぐにスクリーンに目を戻した。

 ウィスラッシュの目が祥子を真っ直ぐに見ていた。

「前回の映像を見て、四人の動きを分析した。そういうこと?」

「……そのつもりでしたわ」

「初華・八幡のセルは面白いわね」

 ウィスラッシュが映像を進めた。海鈴が右路地に走り出した瞬間、初華が海鈴の左後方に付いている。海鈴が方向転換した次の瞬間、初華はもう追随していた。

「——ただし」

 映像が停止した。

「八幡の判断に三角が追随できるのは、三角の身体能力が高いからよ。判断の質そのものが噛み合っているかは別問題。八幡が間違った判断をしたとき、三角は止められる?」

 誰も答えなかった。

 ウィスラッシュは答えを待たなかった。

「今日はここまで」

 教鞭の先端が机を叩いた。乾いた音だった。

「次の模擬戦は来週。対戦相手は変わるから、覚悟しなさい」

 靴底の金具が教室の床を鳴らして、ウィスラッシュが出ていった。

 

   ***

 

 ロドス艦内、カフェテリア。

 五人が同じテーブルに座っていた。

 にゃむがパンを千切りながら喋っている。模擬戦の興奮がまだ体に残っているのだろう。声が大きい。

「にしてもさ、ムーコの動き。あれビビったよ。横からバッて来たとこ。ヤトウさん完全に固まってたし」

「……にゃむが前、抑えてたから」

「いやいや、アタシそんな考えてやってないから」

 海鈴がボトルの水を飲みながら言った。

「祐天寺さんの戦槌、後半になるにつれて振りが雑になってますよね。スタミナの問題では」

「勝ったのにそれ言う?」

「勝ったからこそです」

 祥子は紅茶を飲んでいた。カフェテリアの白い紙コップ。甲板で紙コップのエールを飲んだ夜から一週間が経っていた。

 初華が祥子の隣に座っていた。

「さきちゃん、紅茶、もう一杯持ってくる?」

「……いえ、大丈夫ですわ」

 睦は無言で、きゅうりのサラダを食べていた。

 悪くない空気だった。

 祥子自身、五人でテーブルを囲んで食事を摂ることに慣れつつあった。

 そのとき。天井のスピーカーが鳴った。

 短い電子音のあとに、声が流れた。アーミヤの声だった。

《全外勤オペレーターに通達します。本日一四〇〇より、第二講堂にて合同ブリーフィングを行います。外勤資格を持つ全オペレーターの出席を求めます》

 カフェテリアの空気が変わった。

 隣のテーブルにいたオペレーターたちが顔を見合わせた。

 祥子の指が、カップの取っ手の上で止まる。

 五人のテーブルが静まり返った。

「……行かないとダメ?」

 にゃむの声が低かった。

「外勤資格を持つ全オペレーターが対象です。私たちも該当します」

 海鈴が立ち上がった。トレイを手に持っている。行くべきだから行く。それだけの動作だった。

 にゃむが小さく息を吐いた。

 五人でカフェテリアを出た。

 

   ***

 

 第二講堂。

 ロドス艦内の中規模ホール。教練の座学や大規模作戦のブリーフィングに使われる部屋だった。半円形の階段席が壇上をぐるりと囲んでいる。

 席はほぼ埋まっていた。外勤オペレーターと医療オペレーターが大勢いる。壇上にスクリーン。プロジェクターの光が白い長方形を壁に映している。

 中列の端にヴィグナがいた。小柄な体を背もたれから浮かせて、壇上を睨んでいる。その二列前に、アイリスのヘッドドレスが見えた。杖を膝に立てて、静かに座っている。講堂左の壁際に、ガヴィルとウィスラッシュが腕を組んで立っていた。

 五人は後列に座った。訓練生の席だった。周囲には新人オペレーターが固まっている。

 祥子は壇上を見た。

 報告者が四人、壇上の椅子に座っていた。

 一人目。オリバーだった。ヒロックにあったロドス事務所の責任者だ。あの暖炉のある部屋で、書類の山の向こうから挨拶をくれた人。左腕を吊っている。右手に書類を持っていた。

 二人目。暗視装置のようなアイウェアを装着したサルカズの男。エリートオペレーターの制服を着ている。暗がりに溶けるような佇まいだった。椅子に座っている姿勢は微動だにしない。

 三人目。サイラッハだった。前に会ったときよりも、ロドスの外勤ジャケットが体に馴染んでいた。そして、目が違った。甲板で祥子に話しかけたときの目とも違う。あの時にはまだあった目の奥の揺らぎがなくなっている。今は完全に、ロドスのオペレーターの目をしていた。

 四人目。小柄なサルカズの女性だった。角がない。肌が白く、瞳の色が深い赤だった。白衣にロドス医療部の識別タグをつけている。ワルファリン医師だ。ロドス血液センターの管理者。ケルシーと並んでロドスの医療体系そのものを作り上げた最古参のオペレーター。ワルファリンの前のテーブルには、端末と、書類の束が置かれていた。

 アーミヤが壇上の端に立った。

「それでは、ヒロック郡陥落後の現地情勢について、先遣隊からの報告を行います。——報告には、ショッキングな内容が含まれます」

 照明が落ち、スクリーンだけが白く光った。

 オリバーが立ち上がった。

 左腕を吊ったまま、右手で端末を操作した。スクリーンに地図が映った。ヒロック郡の周辺。コナー郡までの道筋。赤い点が散在している。

「ヒロック郡事務所。責任者、オリバー・バーナードです。ヒロック陥落後の周辺地域の概況を報告します」

 地図上に数字が重なった。

「ヒロック郡の住民登録人口は約一万二千。このうち陥落時に市街地にいた推定人口が八千から九千。陥落後に周辺の郡へ流出したターラー人難民の推定数は、三千六百から四千。コナー郡を中心に、南西方向へ散っています」

 祥子は数字を認識した。一万二千人の街。あのパイを焼いてくれたジェニーの事務所があった街。フレッドがきゅうりの種を受け取った街。板で窓を塞いだ路地があった街。

「確認された死者数は、七百四十二名。身元が特定できた遺体はそのうち三百十九。残りは、身元特定が困難な状態です」

 声が平坦だった。

 だが、微かに手が震えていた。書類を持つ右手の指が、読み上げるたびに微かに揺れる。

「行方不明者は千二百を超えています。陥落当夜の混乱で避難ルートが寸断されており、市街地中心部、特に十七地区の住民の安否が確認できていません」

 オリバーの声が「十七地区」と言ったとき、右手の震えが大きくなった。

「コナー郡の仮設収容施設は三箇所。合計収容能力が八百名。現在の収容人数は千二百を超え、施設の外にテントを張って凌いでいる状態です」

 オリバーが地図から難民キャンプの写真に切り替えた。簡素なテントが密集している。泥濘の中に布が張られて、大勢の人影が見えていた。

「物資の不足が深刻です。特に医療物資。鉱石病の急性感染者に対する治療薬の備蓄が、需要の三分の一にも満たない。食料は現地農家の善意に依存しており、二週間後には底をつく計算です」

 オリバーの声の最後が微かに掠れ、唾を飲む音がマイクに拾われた。

「——最後に。コナー郡の現地当局は、難民の受け入れ拡大に消極的です。ターラー人の流入に対する住民の反発が強く、一部では排斥運動が起きています」

 オリバーが書類を置き、席に戻った。

 隣で、海鈴のペンが動いていた。七百四十二名。千二百名超。三分の一。数字を書き取っている。ペンの先が紙の上を走る音が、祥子の耳のすぐ横で聞こえていた。

 

 二人目が立ち上がった。アイウェアの男だった。

「エリートオペレーターのMiseryだ。先遣隊として周辺地域の脅威評価を行った。結果を報告する」

 声に抑揚がない。事実だけを述べる声色だった。

「ヒロック郡から南西に向かう主要商道上で、ターラー人の難民集団が三度にわたり武装勢力の襲撃を受けている。一回目は陥落から三日後。商道の第二分岐点。護衛なしの徒歩集団が夜間に襲撃され、死者十四名。負傷者の数は不明。生存者が散り散りになったため、正確な被害が把握できていない」

 Miseryの声に感情はなかった。

「二回目は五日後。第四分岐点手前の橋梁。車両二台で移動中の家族が橋上で停止させられ、積荷を奪われた後、車ごと河川に落とされた。死者七名。うち三名が十二歳未満の子供」

 数字に、初めて年齢がついた。十二歳未満。

「三回目は八日後。コナー郡境界から二キロの地点。ロドスの物資輸送を受けた難民集団約六十名が、武装勢力二十名前後に包囲された。死者九名。重傷者十一名。輸送物資の約半数が略奪された」

 Miseryが一拍置いた。

「襲撃者はダブリンの残党と、地元の自警団を名乗る武装集団。両者の接触が確認されている。ダブリンの活動範囲はヒロック郡を中心に半径六十キロ。コナー郡の南端にかかる」

 Miseryの声が一段低くなった。低くなっただけで、感情は入らなかった。

「——商道上の襲撃だけではない。ヒロック郡周辺で、ターラー人住民に対する組織的な虐殺が行われている」

 講堂が静まった。

 Miseryの声はその前後で一切変わらなかった。

「駐屯軍の残党と、それに同調する武装勢力が、ターラー人の集落を焼いている。確認された事例は四件。最初の集落では住民三十七名全員が殺害されていた。建物は放火。遺体は一箇所に集められていた」

 にゃむの左手が、自分の右の前腕に触れた。ヒロックで負った縫合の跡。肘から手首まで走る線。傷は治っている。だが左手がそこに吸い寄せられるように触れた。

「源石汚染爆弾の被害で鉱石病に感染した住民が、治療を受ける前に殺されている例も確認されている。感染者であること自体が、殺害の口実にされている」

 Miseryの声音は変わらない。

「難民集団の中で、女性と子供が分離される事例が複数報告されている。分離された後の消息が確認できていない者がいる。二回目の襲撃現場で回収された遺体の一部に、性暴力の痕跡が認められた」

 Miseryの声は変わらなかった。

 祥子の腹の底が冷えた。「性暴力の痕跡」。その言葉の裏にあるものを、考えたくなかった。

「商道の安全度は最悪だ。ロドスの輸送チームが通る予定のルートのうち、三本が使用不能。残る二本も、武装勢力の監視下にある。現時点で、護衛なしの移動は全面的に不可能と判断する」

 Miseryが端末を置いた。

「以上だ」

 席に戻った。歩く音すらほとんどしなかった。

 

「サイラッハです。先遣隊として、仮設収容施設の外に散ったヒロック郡住民の捜索を行いました」

 サイラッハの声は安定していた。甲板で祥子に語ったときとは、声の芯が違った。あの時は自分の傷に触りながら話していたが、今はオペレーターとして立っている。祥子にはそれが分かった。

「コナー郡の仮設施設に入れなかった住民の一部が、南部の農業集落に流れています。あたしが直接足を運んで確認した生存者は、三箇所合わせて二百十四名です」

 二百十四名。仮設施設の千二百人とは別の、施設からも溢れた人たち。

「うち、重傷者が十九名。鉱石病の急性感染が疑われる者が二十八名。十二歳未満の子供が三十一名。保護者を喪失した子供が、そのうち十一名」

 サイラッハの声が一瞬、止まった。

「ロドスの事務所では、鉱石病の感染者と経過観察対象者を定期的に検診していました。その名簿が約二千三百名分あります。ターラー人が大半です」

 ターラー人。汚染爆弾が投下されたのはターラー人居住区だった。駐屯軍が殺し、虐殺の対象にされている人たち。名簿に載っている二千三百人は、その暴力の中心にいた。

「この名簿と、仮設施設の収容者名簿、それからあたしが農業集落で確認した生存者を照合しました。……名簿上の九割以上について、生存の確認が取れていません」

 九割以上。

 祥子は息を呑んだ。

「避難の途中で襲撃に遭ったか、市街地に取り残されたまま汚染爆弾の粉塵を浴び続けているか——安否確認をする手段が、今のあたしたちにはありません。以上です」

 サイラッハが席に戻った。

 祥子はサイラッハの横顔を見ていた。座った瞬間、サイラッハの指が膝の上できつく握り締められた。

 報告している間だけ、サイラッハは自分を抑えていたのだと祥子は思った。

 

「医療報告に移る」

 ワルファリンが立ち上がる。白衣の裾が椅子の端を払った。

「ここからの報告には、ショッキングな映像を含む。直視に耐えない者は退席して構わない」

 誰も立たなかった。

 ワルファリンが端末を操作した。

「先遣隊が回収した急性感染者の臨床記録を提示する。源石汚染爆弾。不完全燃焼の源石製品を榴弾に転用し、高濃度の活性源石粉塵を広域に散布する兵器だ。ヒロック駐屯軍がターラー人居住区に対して使用した」

 スクリーンが切り替わった。

 映像。

 最初のカットは、子供の腕だった。

 皮膚の下から、源石の結晶が突出していた。半透明の黒い結晶が、肌の内側から外に向かって成長している。皮膚が裂けていて、裂け目の周囲が赤黒く変色していた。結晶の根元に体液が滲んでいる。

「通常の鉱石病であれば、感染から結晶の外部突出まで早くて数年を要する。体内の源石濃度が閾値を超え、結晶核が形成され、そこから徐々に成長していく。源石が体組織の代謝経路に沿って拡散し、骨格筋、結合組織の順に侵食するのが通常のプロセスだ」

 ワルファリンの声は完全に医師の声だった。

「この患者は違う。爆弾の不完全燃焼で生成された活性源石粉塵を直接吸入している。肺胞から血流に乗った源石微粒子が全身に拡散し、通常の感染では起こり得ない多発同時結晶化が始まっている。吸入から結晶の外部突出まで、推定七十二時間」

 七十二時間。つまり、三日。

 映像が切り替わった。

 老人の背中。背骨に沿って結晶が列を成していた。結晶が皮膚を内側から押し上げ、背中の肉を割っている。割れ目から覗く結晶がどす黒い。通常の源石結晶より色が濃かった。

「経時記録。吸入後二十四時間、四十八時間、七十二時間の比較だ」

 映像が三枚並んだ。最初は皮膚の下に暗い影が見えるだけだった。二枚目で皮膚が盛り上がった。三枚目で結晶が肉を突き破っていた。

「二十四時間の時点では、体表に目視可能な兆候はほぼない。血液検査でのみ異常が検出される。四十八時間で皮下に結晶核が確認され、七十二時間で外部突出に至る。この進行速度は通常の鉱石病の百倍を超える」

 百倍。

 祥子は座学で鉱石病の基礎を習っていた。感染から発症まで数ヶ月。結晶の外部突出まで数年。それが、鉱石病の普通の進行だった。目の前の映像は、その範囲から明らかに逸脱していた。

「問題はここからだ」

 ワルファリンの声に、わずかに力が入った。

「通常の鉱石病に対するロドスの治療プロトコルは、源石の代謝経路への侵食を遅延させることで結晶化の進行を抑制するアプローチを取る。抗活性源石製剤の投与と、アーツによる源石粒子の不活性化の併用だ。年単位の進行に対して、年単位で拮抗する」

 映像が切り替わった。

 病床の映像。急性感染者の全身。源石結晶が胸部から腹部にかけて連なっている。呼吸のたびに結晶と結晶の間の皮膚が引っ張られて、裂け目が広がる。患者の口が開いている。声は映像に入っていなかった。だが、口の形で叫んでいることはわかった。

「この進行速度に対して、現行の治療プロトコルは追いつかない。投与量を引き上げても、結晶化の速度が薬剤の抑制能力を上回る。患者の肝機能と腎機能が薬剤の代謝に追いつかず、治療を強行すれば臓器不全のリスクが跳ね上がる」

 患者の苦痛を想像し、祥子の胃が裏返りそうになった。スクリーンの光が目から入って、腹の底に落ちた。

「現時点で先遣隊が確認した急性感染者は四十七名。うち、既存の治療プロトコルで進行抑制に成功した例はゼロだ」

 ゼロ。

「放置すれば臓器が源石に置換され、死に至る。治療を試みれば臓器不全のリスクがある。現行のアプローチでは、どちらを選んでも手詰まりだ」

 ワルファリンが映像を止めた。スクリーンが白に戻った。

「ロドスの医療班が現地に入る必要がある。新規の治療アプローチを確立するには、患者への直接の検体採取と、現場環境での源石粒子の活性度測定が不可欠だ。培養室のデータだけでは、この速度の結晶化に対抗する治療は組めない」

 ワルファリンが端末を閉じた。

「以上だ」

 照明が戻った。

 蛍光灯の白い光が講堂に降りたが、祥子の網膜には、子供の腕、老人の背中、結晶が肉を裂く患者の映像が残っていた。

 海鈴のペンが止まっていた。

 にゃむの左手がきつく右の前腕を握っていた。縫合跡の上。爪が腕に食い込みかけている。

 睦はスクリーンをじっと見ていた。

 初華はスクリーンではなく、祥子の横顔を見ていた。祥子がそれに気づいて視線を向けた瞬間、初華の目がスクリーンに戻った。

 

 アーミヤが壇上の中央に立った。

 報告者四人が座る椅子の前。スクリーンの白い光を背にして、小さな体が立っていた。

「報告は以上です。オリバーさん、Miseryさん、サイラッハさん、ワルファリン先生。ありがとうございました」

 声は静かだった。だが、講堂の隅まで届く声だった。

「みなさんに、ロドスとしての方針をお伝えします」

 アーミヤが一歩前に出た。

「ロドスは製薬企業です。鉱石病に対する治療法の研究と、感染者の保護。それが、私たちがこの船に乗っている理由です」

 講堂が静まった。

「今、ヒロック郡で起きていることは、その両方に関わります。汚染爆弾によって鉱石病を強制的に発症させられた人たちがいます。治療を受ける前に殺されている人たちがいます。避難先で排斥されている人たちがいます。これは、ロドスが見過ごしていい事態ではありません」

 アーミヤの目が講堂を見渡した。後列の新人たちの席にも、視線が届いた。

「ロドスは、ヒロック郡を中心とした大規模救護作戦を立案します」

 声が一段強くなった。

「医療班を現地に派遣します。ワルファリン先生の報告にあった通り、急性感染者への新規治療アプローチの確立が急務です。同時に、難民の保護と生活基盤の支援、輸送ルートの確保、物資供給、安全な避難経路の維持を行います。商道の治安が壊滅している以上、護衛付きの輸送体制を組みます。そして、ヒロック郡に入った部隊が孤立しないための通信中継と防衛拠点の構築」

 アーミヤが一拍置いた。

「——この作戦には、多くのオペレーターの力が必要です」

 祥子は、自分が息を止めていたことに気づいた。肺の底まで息を吸えない。浅い呼吸が胸の上だけで回っている。

「本作戦への参加は志願制です。外勤資格を持つ全オペレーターが対象です。志願の締め切りは明日の一二〇〇。判断に迷う方は、上官や教官、先遣隊のメンバーに相談してください。どのような判断をされても、それはロドスのオペレーターとして尊重される判断です」

 アーミヤが壇上を降りた。

 オペレーターたちが席を立ち始めた。低い声のざわめき。椅子が鳴る音。

 五人は座ったままだった。

 

   ***

 

 にゃむが最初に立った。

「……行こ」

 低い声だった。

 廊下に出た。蛍光灯。無機質な壁。消毒液と金属からなる、ロドスの匂い。

 ウィスラッシュが待っていた。

 壁に背を預けて立っていた。腕を組んでいる。五人が出てくるのを見て、体を壁から離した。

「先遣隊の報告、聞いたわね」

 五人が頷いた。声は出なかった。

「アーミヤの言った通りよ。今回の任務はあくまで志願制。立候補するのも、艦内で教練を続けるのも、どちらも立派な任務よ」

 ウィスラッシュが五人を順に見た。

「ただし、これだけは言っておく。あなたたちはまだ訓練を始めて日が浅い。模擬戦で勝てたからといって、実戦とは別物よ」

 にゃむの手が、右の前腕に行きかけて、途中で止まった。

「五人で話し合って、結論を出しなさい。個別の判断でも、全員一致でも構わない」

 ウィスラッシュの腕が組み直された。

「どちらを選んでも、それは正しい判断よ」

 その一言が重かった。

 どちらを選んでも正しい。それは、正解がないということだった。行っても正しい。行かなくても正しい。正しさで決められない問いが、祥子の前に置かれた。

「……少し、考えさせてくださいまし」

 祥子の声は掠れていた。

 ウィスラッシュが頷いた。

 踵が鳴った。靴底の金具が廊下の床を叩く音。ウィスラッシュの足音が遠ざかった。

 五人が廊下に残された。

 蛍光灯の白い光。金属の壁。誰も口を開かなかった。

 祥子は端末を開いた。

 画面の上部に日付と時刻が表示されている。明日の一二〇〇まで、二十時間を切っていた。

 

〈つづく〉

 




◇次回予告
コンテナの間に、場違いな色が見えた。白と水色。
杖を持たない城主が、チェックリストを指で辿っている。
夢の中のことを、思い出した。
教会。ピアノ。童話作家のアン。
あのとき、わたくしは——。
第13話「それは理由になっていません」
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