さとりと魔法学校   作:hip

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#09:氷の地下牢

 放課後のホグワーツは、夕闇が石造りの回廊に深い影を落とし、窓から差し込む残光は血のように赤かった。

 

 ハリーとロンは、地下牢へと続く階段の入り口で、不安げに立ち止まっていた。

 湿り気を帯びた冷気が下層から這い上がり、彼らのローブの裾を冷たく揺らす。

 

「……やっぱり、僕たちも一緒に行った方がいいんじゃないかな」

 

 ハリーが低く囁いた。

 彼の心には、スネイプに対する抜き差しならない不信感と、さとりを一人で「あの男」の元へ行かせることへの、兄妹のような保護欲が渦巻いている。

 

『スネイプの奴、変身術の授業のことを聞きつけたんだ。さとりがマクゴナガル教授の真似をしたことを、きっと不正だとか言いがかりをつけるつもりだ。あの男の目は、獲物を狙う油断ならない蛇と同じだ』

 

「よせよハリー、僕たちが行ったらもっとややこしくなる。スネイプの奴、僕たちの顔を見ただけでグリフィンドールからさらに50点くらい引きそうだしな……」

 

 ロンがガタガタと震えながら、それでもさとりの背中を心配そうに見送る。

 

「……大丈夫よ、二人とも。ただの『面談』でしょう? 私なら、あの方が何を考えているか、言葉を交わす前に分かるわ」

 

 さとりは微かに微笑み、二人を安心させるように一度だけ振り返ると、闇の底へと続く階段を静かに降りていった。

 

 地下牢の最深部、魔法薬学教授の私室は、光を拒絶したような沈黙に包まれていた。

 壁一面には、ホルマリン漬けにされた奇妙な生物や、毒々しい薬草の瓶が並び、緑がかった炎が燭台で細く揺れている。

 

 デスクの奥、影に溶け込むように座っていたセブルス・スネイプが、音もなく顔を上げた。

 

「……待たせたな。ミズ・コメイジ」

 

 スネイプの冷徹な声が、湿った石壁に反響する。

 彼は長い指を組み、鷲のような鋭い視線を一直線にさとりの「第三の眼」へと向けた。

 

 スネイプの思考の障壁、……漆黒の闇。強固な石壁。意識的に構築された、冷たく滑らかな「無」。一切の感情を排した、鉄壁の閉心術(オクルメンシー)

 

 ……なんて深い拒絶。この人の心は、まるで凍りついた湖の底ね。

 

 さとりの第三の眼が、スネイプの精神の表面を滑る。だが、彼女が捉えたのは、その完璧な「無」のすぐ裏側に、修復不可能なほどひび割れた「古い傷跡」と、それとは全く質の異なる「異質なノイズ」だった。

 

「マクゴナガル教授から報告を受けた。一年生の分際で、借り物の杖で、教官の魔力特性を完璧に模倣(コピー)したそうだな」

 

 スネイプがゆっくりと立ち上がり、さとりの周囲を回るように歩き出す。

 

「……あれは模倣ではありません。『想起』です。私はただ、あの方がその瞬間に世界をどう定義したか、その記憶の断片を自分の中で再現しただけです」

 

「『想起』だと? 詭弁を弄するな。……人の心を読み、その術式を盗む。それは心中術(レジリメンス)の域を超えた、悍ましい精神侵食だ。もし私が今、君の頭の中に杖を突き立てたら、君は私の何を受け取るつもりだ?」

 

 スネイプの手が、懐の杖に掛かる。

 彼の思考の壁が、一瞬だけ激しい「怒り」と「警戒」で波打った。

 

 その瞬間だった。

 スネイプの精神の綻びから、さとりは「見てはならないもの」の波動を感知した。

 

 さとりの脳内に流れ込む情報の濁流、 ——三つの月。赤、青、黄。

……いや、それは魔法界の象徴ではない。

……どこか遠い『地獄』の理。

……世界が引き裂かれ、無理やり縫い合わされたような嫌な音。

……クィレル。あの臆病者の背後に潜む、腐敗した魂と、それに力を貸す……女神の影!

 

「……っ!」

 

 さとりは激しい眩暈に襲われ、デスクの縁を掴んだ。

 それは魔法界の「闇の魔術」などではない。

 幻想郷の深淵、それも地底よりさらに奥に座するモノの権能が、魔法界の邪悪な意志と最悪の形で結びついている……その、世界の軋むような音が、スネイプという「境界線上に立つ男」を通じて響いてきたのだ。

 

「……どうした、心中術師。私の心に触れて、気分が悪くなったか?」

 

 スネイプが冷ややかに嘲笑う。

 だが、その瞳の奥には、彼自身も無意識に感じ取っている「得体の知れない不安」が潜んでいた。

 

「……いえ。先生。……あなたの守っている『壁』は、とても孤独で、悲しい音がするわ」

 

 さとりは顔を上げ、スネイプの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「……ですが、気をつけて。……あなたの足元で、世界が割れようとしている。……あなたが仕えている『何か』も、あなたが恐れている『何か』も、今は別の、もっと巨大な地獄に飲み込まれようとしているわ」

 

 スネイプの顔から、一瞬だけ表情が消えた。

 彼は杖を握る手に力を込めたが、さとりの瞳にある「自分への軽蔑」ではなく「純粋な警告」の色を見て、その殺気を収めた。

 

「……妄言を。グリフィンドールらしいおめでたい頭だな。ならばその無謀な想像力も納得がいく」

 

 スネイプは背を向け、影の中に沈んだ。

 

「……去れ。二度と私の前でその『眼』を光らせるな。……さもなくば、君のその想起とやらが、自分自身の魂を焼き切ることになるぞ」

 

 地下牢を抜け、ハリーとロンが待つ場所まで戻ったとき、さとりの足取りは重かった。

 

「さとり! 大丈夫だったか!?」

 ハリーが駆け寄り、彼女の肩を支える。

 ロンも、スネイプの部屋から呪文の音がしなかったことに安堵しながらも、さとりの顔色の悪さに言葉を失っていた。

 

「……ええ。ただの、少し趣味の悪いお説教よ」

 

 さとりは、足元をふわりと漂うこいしの気配を感じながら、静かに城の入り口を見上げた。

 誰も気づいていない。

 この壮麗なホグワーツの地下で、何かが、ゆっくりと世界を混濁させ始めていることに。

 

「……行きましょう。夕食の時間だわ。……ロン、あなたの考えている通り、今夜は糖分が必要みたい」

 

「えっ、なんで僕が甘いものを食べたがってるって分かったんだよ!」

 

 ロンの呑気な叫びが、地下牢の冷気を少しだけ溶かした。

 さとりはハリーの手を握り直し、迫り来る「地獄」の影を振り払うように、温かな大広間へと歩き出した。

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