さとりと魔法学校   作:hip

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#11:冷徹な監視者

 金曜日の朝、ホグワーツの大広間は、週末を控えた生徒たちの浮き足立つような熱気に包まれていた。

 

 魔法をかけられた天井は、透き通るような秋の淡い青空を映し出し、数千の浮遊する蝋燭が、朝食の並ぶテーブルを柔らかな琥珀色の光で照らしている。

 焼きたてのトーストの香ばしい匂いと、ハリーが皿に取ったばかりの脂の乗ったソーセージの香りが、ひんやりとした朝の空気の中で混ざり合っていた。

 

 古明地さとりは、グリフィンドールのテーブルの端で静かに紅茶を啜りながら、意識の表層に絶え間なく打ち寄せる「音」の波を、一つひとつ丁寧に整理していた。

 

 ……この朝の喧騒は、情報の激流ね。誰もが今日という一日を、それぞれの色で塗りつぶそうとしている。

 

 ロンの、楽観的で食欲に忠実な思考。

『金曜日だ、あと少しで休みだ。午後の飛行訓練、雨が降らなきゃいいけど……。

あ、シェーマスのやつ、またソーセージを狙ってるな。僕の皿から持っていく気か?』

 

 ハリーの、期待と正体不明の重圧が入り混じった、瑞々しくも影のある思考。

『魔法薬学、スネイプの授業……考えただけで胃が痛い。どうしてあんなに僕らを嫌うんだろう。僕が何かしたっていうのか? 額の傷のせいか? 昨日の予習、あれで足りるかな……』

 

 ハーマイオニーの、計算高く緻密に編み込まれた、硬質で輝く銀色の思考。

『宿題の羊皮紙、あと三インチ足りない。朝食を早く切り上げて図書館へ行かなきゃ。……第322項の「縮み薬」の副反応についての記述を引用すれば埋まるはず』

 

 それだけではない。大広間を埋める数百人の生徒たちの思考が、さとりの脳内へ直接なだれ込んでくる。

『あの子のネクタイが曲がってる』

『昨夜の夢に巨大な蛙が出てきた』

『親からの手紙が来ない』

『あそこの席のパンが美味しそう』

『眠い』『帰りたい』『恋をしたい』

 

 無数の感情の断片が、整理されないままに積み上げられた古文書の山のように、彼女の精神を圧迫し続けていた。

 

「……ハリー。今日は郵便が少し遅れているみたいね」

 

 さとりが呟いた直後、何百羽ものフクロウが大広間へ舞い込んできた。

 羽ばたきの音と、灰色の羽毛が雪のように舞う中、一羽の大きな森フクロウがハリーのマーマレードの瓶の横に、一通の手紙を落とした。

 

「……ハグリッドからだ」

 

 ハリーが、インクの滲んだ手紙を広げる。

 そこには、走り書きの汚い文字で『三時に茶を飲みに来ないか』と記されていた。

 ハリーの心に、暖炉のような温かい安心感と、小さな冒険への期待が膨らむのを、さとりは心地よい微熱のように感じ取った。

 

 しかし、その温かさは、地下牢へと続く冷たい階段を降りるにつれて、湿った石壁に吸い込まれるように消え失せた。

 

 魔法薬学の教室は、外の秋晴れが嘘のように冷え込み。

 壁に並んだ棚には、防腐剤の液体に浸かった奇妙な生物の死骸や、植物の根、内臓の断片が詰まった瓶が、緑がかった燐光を浴びて不気味に浮き沈みしている。

 石畳の床からは、骨まで凍てつかせるような冷気が這い上がり、生徒たちの吐く息を白く濁らせていた。

 

「……ここ、いつ来ても嫌な感じだな。死んだ魚に見張られてるみたいだ」

 

 ロンが肩をすくめ、さとりの隣で小声で溢した。

 彼の思考は、今や「逃げ出したい」という本能的な恐怖で真っ白に染まっている。

 

 その時、教室の重い扉が勢いよく開かれた。

 黒いローブを巨大な蝙蝠の翼のように翻して、セブルス・スネイプが入室してきた。

 彼が教壇に立った瞬間、教室内から一切の物音が消え、たださとりの脳内だけに、彼が強制的に作り出した「沈黙の壁」の圧迫感が響いた。

 

 ……やはり、この人の心は底が見えないわ。まるで、光を一切反射しない深海のよう。

 

 さとりの第三の眼がスネイプを捉える。

 だが、そこにあるのは強固な閉心術(オクルメンシー)によって構築された、一切の情報を遮断する「黒い氷の壁」だった。

 

 ……一切の感情を排した、論理の迷宮。

 ……だが、その氷の奥底で、何かが蠢いている。

 ……ハリー・ポッターという存在に対する憎悪と、それとは真逆の、痛々しいほどの古い記憶。

 ……そして、私に向けられた、剥き出しの『狩人』の眼差し。

 

 

「——ポッター」

 

 スネイプの低く、絹を切り裂くような声が響いた。

 

「アスフォデルの根の粉末に、ニガヨモギを煎じた液を加えると、何になる?」

 

 ハリーの思考が、沸騰した大釜のように激しく混乱する。

『そんなの知らない……教科書の最初の数ページにはなかったはずだ……。ハーマイオニーが手を挙げている。僕に聞かないでくれ……』

 

「……わかりません」

 

 ハリーの答えを待っていたかのように、スネイプの薄い唇が、愉悦を含んだ皮肉な形に歪んだ。

 

「……名声だけでは、知識は手に入らんということだ。……嘆かわしいな。では――コメイジ」

 

 スネイプの漆黒の瞳が、一直線にさとりに向けられた。その瞬間、彼の「氷の壁」の向こう側から、針で刺すような鋭い精神的圧力が放たれた。

 

「君なら、私の言葉を待つまでもなく知っているだろう。……君のその『便利な眼』が見せている、教科書のページに何と書いてあるかをな。……読み上げてみろ」

 

 教室内が凍りついた。

 ハリーやロンが、怒りと不安の混じった視線でスネイプを睨みつける。

 だがさとりは、ただ静かに、その漆黒の双眸を見つめ返した。

 

「……『生ける屍の水薬』。極めて強力な睡眠薬です、先生。……教科書の隅に記載されている、調合の難易度が最も高い薬の一つです」

 

 さとりは感情を排した声で答えた。

 彼女はスネイプの深層意識を抉ろうとしたが、彼の壁は一分の隙もない。

 だが、その壁のさらに深層。クィレルの時と同じ、あの「世界の軋み」が、スネイプの放出する魔力と不穏に共鳴し、奇妙な振動をさとりに伝えてくる。

 

 ……この人、気づいている。この学校の空気が、幻想郷の地獄の匂いに侵食され始めていることに。そして、それを自分のやり方で「防衛」しようとしている……。

 

「……正解だ。だが、自分の能力を過信するな。……グリフィンドールから一点減点だ。ポッター、君が自分の無知を晒したからだ」

 

 スネイプは吐き捨てるように言い、背を向けて黒板に成分を激しく書き殴り始めた。

 チョークが石板を削る鋭い音が、静まり返った教室に響き渡る。

 

「……ひどい。さとりが完璧に答えたのに、なんで僕が減点されるんだ。あいつ、絶対にわざとやってる」

 

 ハリーの悔しさと怒りの思考が、熱を帯びた波となってさとりを打つ。

 さとりは机の下で、そっとハリーのローブの袖を引いた。

 

「……気にしなくていいわ、ハリー。あの方は、あなたの心を通して、私の『想起』の限界を試そうとしているだけよ。……そして、あの方自身も、自分の中にある『何か』を必死に抑え込んでいる……」

 

 さとりの第三の眼は、教壇で黒板に向かうスネイプの背中越しに、窓のない地下室の最も深い闇の奥をじっと見つめていた。

 そこには、誰も見ていないはずの暗がりで、スネイプが並べたばかりの毒々しい色彩の薬瓶を覗き込み、楽しそうに指を浸して波紋を作っている、こいしの姿があった。

 彼女の周囲だけ、因果も魔術も通用しない「無意識の真空」が広がっている。

 

(……こいし。今はダメよ。……スネイプ教授の『壁』は、あなたのような純粋な無意識さえも、いつか冷酷に捕らえてしまうかもしれないのだから)

 

 石畳を伝う冷気が、さとりの靴底を冷やす。

 魔法薬学の授業はまだ始まったばかりだが、さとりは既に、この学校の地下深くに、取り返しのつかない「地獄の亀裂」が広がっていることを、その鋭い感受性で確信していた。

 

 次はどの「音」に耳を傾けるべきか。

 さとりは震える手で羽根ペンを握り、目の前の情報の濁流に再び身を投じた。

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